5、密かに皆、名刺を嗅いでいる!?

紗良は本社のフリースペースでため息をついていた。


紗良の陣取る5人掛けの丸テーブルの上には30mlの瓶に入った小さなサンプルが10個ほど並べられている。



「先輩、先程部長と話をされておられましたよね。何か言われたんですか?」


後輩のさやかが向かいの席についたとたん、サンプルのひとつを手にとっている。

「これ、香水ですか?試していいですか!!」

いいよ、というと、端から順番に嗅いでいく。

「いい香り!!どれも身に付けたい~!!」

すっかりはしゃいでいる。

瓶には、どこの誰が作ったかのラベルが付いている。

いずれも業界では名の知れた調香師の名前である。


「フレグランスプロジェクトの件でね、進捗の報告を求められているんだけど、出来上がったのが、どれもピンっとこなくてね、どうしたものかと思って」

と紗良はいう。


フレグランス企画は紗良が、悪夢の23才の誕生日、夢破れた翌日に勢いで書き上げたもので、数年間なんの音沙汰もなかったものである。

紗良自身もすっかり忘れていたのだが、去年、正式にプロジェクト採用され、多額の予算がついていた。


「こういうの、ファーストインプレッションで決めたらいいのじゃあないですか?

どれも有名な調香師の作ったいい香りですよ?

それか、500人ほど集めて好感度調査でもしましょうか?」

出来上がったサンプルは、いずれもさやかが言うようにいい香りで素敵なのだが。


「そうなんだけど、わたしのイメージはもっとなんていうか。

こういう外国ブランドのような、わたしがわたしが~!ていうような、自己主張する香りではなくって、気がついたらふわっと香っていて、ないと落ち着かないような気にもなるような、、、。

日本人ってまだ目立つ人は敬遠されるじゃない?

わたしの目指すのはとりわけ目立たないのに、なぜか印象に残っているような感じの香り」


「それって、先輩の香りじゃあないですか!」

「わたしの香り?」

びっくりして聞き直すと、さやかは嬉しげに名刺入れから、ひとつの名刺を取り出した。

それは紗良の名刺で、さやかは鼻に押し当てて思いっきり吸い込む。


「な、何してるのよ?」

突拍子のない行動に、紗良は怖じけずく。


「先輩のカード、いい香りがするんです。先輩の香りです。だいぶ薄くなりましたけど、まだ香ります」

そう言って、さやかは幸せそうな顔をする。


「そ、そう?ありがとう」

紗良は意識的に名刺を香らせようと思ったことはない。

印象を残すために香水を吹き掛ける人もいる。


「名刺を保管しているところに、におい袋を置いているからかな?

ちょっと恥ずかしいからわたしの名刺を嗅ぐのをやめて?」

「きっと、先輩の名刺をこうして嗅いでいる人、わたし以外にも多いですよ?

次の打ち合わせの、某CM制作会社のあの人だって、ぜったい嗅いでいます!」


さやかは、笑顔で紗良に近づいてきた山崎直也ディレクターを睨みながらいう。

彼とは何度か仕事を一緒にしたことがある。

今度、CM撮影があり、これからその打ち合わせであった。

業界人らしい、あか抜けた男である。


「神野さんこちらでしたか!、、うん?さかやちゃん、僕のこと噂していた?

照れるなあ~!」

調子のよい男である。

だが、仕事はできるので許す。


さやかは手にしていた資料を紗良に押し付けた。彼女の用事はそれであった。

山崎直也と入れ違いにさやかは立ち去るが、その前に紗良は約束をさせられた。


「先輩、今度休日一緒に過ごしましょう!

デートです。会社の後輩と休日も一緒って嫌ですか?

先輩が普段どうしているか気になります。できる女になるためのヒントを探らせてください!」


「さやかちゃんと神野さんは今度デート?

いいな~!」

山崎直也は羨ましそうにいう。

「山崎さんも冗談やめてくださいね」

ピシャリと紗良はいい、早速打ち合わせに入る。



ということで、今度の休日、紗良は後輩のさやかと一緒に過ごすことになった。

紗良にはやりたいことがあって、ひとりで行くのもな~、と思っていたので、さやかの申し出は渡りに船と思うことにした。




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