2、人間、ヤケ糞になれるのです。

ホテルのオークスのチャイニーズレストランから席をたった時、一時間もたっていた。

レストルームの鏡に写る自分は、真吾のいう通り地味な女であった。

なぜならそう装っているからだ。


紗良はトイレの洗面台で顔を洗う。

薄い化粧は流れていく。

A4のファイルがすっぽりと入る黒い革の鞄から、化粧品のフルセットを取り出す。


化粧水、ミルク、美容液、ファンデ、カラフルなパレット。

紗良の商売道具だ。

お客がどんどんきれいになっていく、魔法の道具である。


お客が、紗良の手で化粧をして変身し、驚きつつも目を輝かせて、新たな自分を食い入るように見ているその姿を見るのが、紗良は好きである。


自分の慣れた手で、自分を整える。

みるみる艶肌に、はっきりした顔立ちが引き立つ、艶やかな美しい顔に仕上がる。

こんなに自分にしっかりとメイクをしたのも初めてだ。

よく知った化粧の濃い匂い。


「わたしが地味な女ですって?」


貞淑な妻になるための演出が、仇となったのだ。

紗良の夢は霧散した。

真吾の新しい彼女はきれいなのだろう。


この数年、おなじ髪形だったそのひっつめ髪をほどく。

顔の輪郭をフワッと包むように、ラフに整える。


最後に赤いルージュを丁寧に引く。

その顔は別人だった。

紗良を知っている人が見ても、あの地味な紗良だと気がつかないと確信できる程、美人である。



ジャケットを脱いだ。

その下はシルクのノースリーブ。

生腕をさらすのは久々だった。

膝下10センチのスカートはウエストを巻き込んで膝頭を見せる。


ベタ靴は脱ぎ捨てたかった。

紗良はホテルのブティックでハイヒールを購入する。

ついでに大きな花のコサージュと、花のピアスを購入する。


「包装は不要ですから」


いぶかしげな店員に構わず、ピアスをその場で身につけ、コサージュは鞄につける。

靴を履き替えた。

鏡に写すとみたことのない、スラッとした美人が鏡から紗良を見返した。


「飲めるところはないかしら?」

「最上階のスカイバーはいかがですか?」

店員が教えてくれる。

紗良はそのスカイバーへ行く。

ひとりで今夜までバーに入ったことなどない。


エスカレーターの扉が閉まっていくその間から、エントランスホールに真吾が誰かを待っている姿を紗良は見た。

ピンクのミニスカート、茶髪の女の子が手を振り小走りに真吾に近づいていく。

真吾は手を挙げて立ちあがった。


「別れた日に、新しい彼女と会うな!」

吐き捨てた言葉はもちろん届かない。


紗良はとうとう人生最初で最後と思うぐらいにプッツンきたのだった。


紗良がバーに入っていく。

黒スーツの男が案内をしてくれる。

大きなガラスの壁から夜景が一望できる。


「カウンターで」

とは言うが、どこでも良かった。

飲んで、忘れたかった。そして、この悔しさを忘れさせてくれる、強い男にむちゃくちゃに抱かれたかった。

カウンターの3席空けた席にはスーツの30代ぐらいの男。

奥のソファには、金髪の男同士の外国人カップル。

その手前には、40代ぐらいの身なりが決まっているダンディーな男。


そして、紗良は飲んだ。

カクテル3杯。

いつの間にかカウンターの男は隣にいた。

男の匂いに気がつく。


「あんた、いい香りがする」

そして、他愛のない会話。


紗良はクラクラいい気持ちだった。

体を支えられ、スーツに顔を埋める。

男のスーツからは懐かしい香りがする。


「伽羅、安息香、丁子、桂皮、、それに深くていい香り」

雲に包まれるような感覚だった。

いつの間にかバーから部屋へ、そしてベットに寝かせられていた。


男の手でハイヒールが脱がされる。


「普段はバーで知り合った化粧臭い女をお持ち帰りなんてしないんだが。

誘ってくれと言わんばかりに物欲しげな目をしている。

あのまま、あんたをほっておくと、あの外国人にさらわれそうだったから。

それより俺の方がましだろう」


男はジャケットを脱いでネクタイを緩める。


真吾ではない、大人の男だった。


ギシッと紗良の横たわるベッドに膝をつく。

「俺がわかるか?まだ起きているか?やるぞ?」


返事を待たずに男は紗良のタンクトップを脱がせ、形のよい紗良の胸を揉みしだく。

つんとたった乳首を口に含まれ、舌で転がされた。

じんとした刺激が紗良の体を廻る。


「やっぱり、あんた、いい匂いがする。

男を引き付ける媚薬のような匂いだ。

あんた、男には困らないだろう?」


この男は何をいっているのだろう?


「23の誕生日に、結婚しようと言っていた男に振られたばっかりよ」


そういうと、男は意外そうな顔をする。

真吾よりも端正で男前。情欲に燃える目だった。

彼こそ女には困らないのだろう。

紗良はもう限界に来ていた。

この頭の芯をしびれさす、いい匂いをさせる男に、むちゃくちゃに強く抱かれたかった。


「それより教えて。あなたの匂い。最後がわからない」


紗良はスカートを脱がされ、下着もずらされる。


「竜涎香、アンバーグリスともいう。マッコウクジラの胆石からできる。女をとろかす媚薬。効いているだろ?」

男は紗良に己を突き入れた。

強引に押し入られて、紗良は痛みに顔をゆがめる。

「すまない、余裕がなくて、、」


男のすべてを受け入れると、後は快楽の波。

紗良の感じたことのないところまで、男は運ぶ。


「がまんするな、声を聞かせてくれ」


促され、聞いたことのない自分のあえぎ声を聞く。

それがさらに己の興奮を掻き立てる。

うつ伏せにされ、後ろからも紗良も知らない奥の快楽の扉を探られ、深く突き入れられた。

紗良は感じたことのない官能に我を忘れた。

紗良を縛る理性の鎖は解き放たれた。

その夜、何度も何度も絶頂に運ばれる。


真吾とは、一度も経験したことがなかった絶頂だった。


最後は紗良は泣いていた。


「もっと泣け!全部溜め込まないで吐き出せ!」


男は、まるで恋人のように紗良の涙を唇でぬぐう。

紗良はたまらず一夜限りの見知らぬ男の胸で、思いっきり泣いたのだった。





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