亜井若葉曰く「あなたと結婚して出席番号2番になります!」

サトスガ

亜井若葉曰く「あなたと結婚して出席番号2番になります!」

 あなたの個人番号(マイナンバー)を教えてください。――そう言われて気軽に答えられる人はいないと思う。電話番号だってお断りしたい。銀行の口座番号にも抵抗がある。暗証番号なんて論外だ。


 だから、代わりにこれを記しておこう。

 俺の出席番号は、2番だ。常にそうなのである。




 俺の名前は伊佐いさいつき。今日から高校生だ。


 満開の桜咲く坂道を登り、これから世話になる学び舎に足を踏み入れる。真っ先に目につくのは、まるで芸能人かモデルでも囲っているかのような学生たちの賑わいだ。しかしその注目の相手は美男美女ではなくて、ただの大きな掲示板。そこに貼られたクラス分け発表のポスターに、誰もが一喜一憂、狂喜乱舞していた。


 一年の計は元旦にありと大人は言うが、俺たち学生にとっては今日以外にはありえない。同じクラスになれた友達や、なってしまった気に入らない奴の数と顔ぶれは何よりも大事だし、担任の先生は若くて面白い人だと期待が持てる。ついでに可愛い女の子がいればなおのこと良い。今後一年の友情・学問・恋愛・その他諸々の吉凶に直結するクラス分け発表は、ときに高校入試の合否発表に匹敵するほど重要だ。


 人混みをかき分けて、俺は自分の名前を探す。――『1年5組』――『2番 伊佐 樹』とあった。すると次は、クラスメイトをチェックする。――知っている名前がちらほらと。

「……良し」

 結果は上々だ。


「よっす、樹! 5組のとこ見てみろよ。同じクラスになったぜ」

 もう知ってると俺が返す間もなく、軽快な調子で肩に腕を回してくる男子がいた。こいつの名前は、蓮見勇人はすみゆうと。中学の頃からの友達だ。

「はいはい、そうだな。北上や宮藤がいるし、とりあえず心配はなさそうだ」

「俺もいるしな!」

「お前は彼女と仲良くやってろ」

 蓮見には付き合っている彼女がいて、ちゃっかり同じクラスになっていた。通りで今日はテンションが高いわけだ。

「嫉妬すんなって。俺は友達も彼女も大事にするぜ。それでもやり切れないなら、お前が彼女を作れ」

「意味わからん」


 軽い雑談を交わしつつ、俺と蓮見は教室に向かった。律儀に新入生用の案内板が立っていたので、目的地に迷うことはなかった。なんだかお客さん気分に浸りそうになるが、一応は今日から高校生だ。


「『伊佐 樹』。また2番だったか?」

 蓮見がからかうように笑う。

「ああ、2番。これで十年連続の記録達成」

「やったな! 今度お祝いするわ」

 どうせコンビニのお菓子の奢りだろう。良いけど。


 とは言え、俺が小学校の入学以来、ずっと出席番号が2番であることは事実だ。小一から高一までで、カウントはちょうど十になった。永遠の2番手とか2番目くんとか呼ばれることにはもう慣れた。いや、慣れるも何も、自分がいつも2番であることを気にしたことなんて、たったの一度もないのが事実なのだ。


「ここが俺らの教室だな」

 入試のときの印象と変わらず、至って普通の教室だ。集合時刻までは二十分の猶予があり、新しいクラスメイトの姿はまばらだった。座席表の書かれたボードが教卓に置かれていたので見てみると、どうやら俺の席は左手窓際の前から二つ目。まあ、これもまた慣れたものだ。

「じゃあ俺は彩花に声かけてくるわ」

 と、蓮見は意気揚々と彼女の元へ向かう。

「おう、行ってらっしゃい」

「お前は早く1番を目指せよな! 十年間も2番だからって諦めるなよ!」

 出席番号でどうやって上を目指せと言うのか。

 蓮見のおかしな言い回しに、俺は思わず噴き出した。そして、似たようなノリで宣言してしまうのだった。

「わかったよ。俺が出席番号1番になってやる」


 ――視界の隅で、何かが動いた。


「ん?」

 目を向けるも、特に異変は見当たらない。窓際に、俺の席である椅子と机があって、その一つ前の席に女の子が座っているだけだ。

 座席表で確認すると、彼女の名前は亜井あい若葉わかばさんと言うらしい。出席番号、1番。凛とした顔立ちに、真っ直ぐ伸びる長い黒髪。優等生然とした綺麗な女の子だった。

 まさか、今の寒いノリの変な宣言を聞かれてしまった?


「亜井さん、でいいのかな。初めまして。後ろの席の伊佐樹です」

 俺が話しかけると、亜井さんは礼儀よく微笑み、おもむろに立ち上がった。

「初めまして、樹さん。私のことは若葉と呼んでください」

 様子がおかしい。

「あ、亜井さんは、どこの中学出身? 俺は、」

 スルーを決め込む俺の左手を、彼女の右手ががしっと掴む。

「今すぐ行きましょう」

 恒星のごとく輝く瞳が瞬きを一つ。彼女は言葉の通りに駆け出した。

 俺は連行された。




 強引に手を引かれて着いた先は、校舎裏の空き地だった。薄暗く、無人だ。

「突然、ごめんなさい!」

 開口一番、亜井さんはこちらに頭を下げた。話が早くて助かる。

「何か大事な用でもあるとか?」

「はい。実は私、樹さんの本音を聞いてしまって。『出席番号が1番になりたい』、と」

 やはり聞かれていたようだ。それとこの強制連行とに何の関係があるのかはわからない。だが、とにかく誤解を解こう。あんなのは心にもない出鱈目なのだと。

「えっと、まあ確かに、俺はもう十年も連続で2番なんだ。でも別に、」

「私もなんです!」

「……はい?」

「私、1番なんてもう嫌です。2番になりたいんです!」


 亜井若葉。永遠に出席番号1番になることを運命づけられたかのような名前。

 彼女の言い分はこうだった。

 

 授業内の発表はいつも一番手。

 前の人の見本がないままに出番を求められる。

 先生によく当てられる。

 最前列に座らされてばかり。

 テストを最初に返却される。

 健康診断後は教室で孤独を強いられる。


「十年以上、この仕打ちを受けてきました。でも、もう限界です。1番であることのストレスと緊張感に私はもう耐えられません。私には亜井の家名は重すぎます……」

 大袈裟すぎる気もするが、彼女は本気で悩んでいるようだ。


「亜井さんの気持ちはわかった。確かに、これまで大変だったろうな」

「ありがとうございます。理解してもらえて、嬉しいです」

 微笑む姿がとても可愛らしい。


「でも私、1番に憧れる樹さんの気持ちもわかるんです」

「いや、悪い。それは誤解なんだ」

「男の子ってそういうのが好きなんでしょう……?」

「そんな恥じらう乙女のように言われても」


 残念ながら事実は変わらない。俺は意を決して口を開いた。

「聞いてくれ。俺は2番で満足してるんだ。誤解なんだよ」

「……嘘」

 亜井さんは悲哀に満ちた表情で俺を見つめた。


「あなたは、1番になりたくないの? 2番であることの劣等感はなかった? 1番になってクラス全員を見返したいって思わなかったの?」


 劣等感。その言葉が胸に引っかかる。

 亜井さんが語った1番であることの苦悩に、俺は確かに共感した。何故なら、それらはみな2番の俺にも少なからず当て嵌まることだから。

 二番目の発表だって、本当は緊張で手が震えてしまうのだ。心の準備はいつも不十分だし、前の人のやり方が正しいかどうかもわからないのに、のびのびと出来るはずがない。

 1番に匹敵する苦悩を持つにも関わらず、名誉に劣る2番であるということ。その相反する感情は、俺の首をずっと真綿で締めていなかったか? 1番になって、堂々と先頭を歩みたいと、本当に思わなかったのか? 俺は――


 ――。


「思わなかった。ごめん」

「ひぎゃっ!」

 俺は亜井さんを優しく突き放した(精神的に)。


 そういえば、気になることが残っていた。

「今更だけど、俺に話してどうするつもりだったんだ? 相談には乗れるけど、俺と亜井さんの出席番号はもう変えられないし」


 いいや、女子っていうのは解決策を見つけるよりも悩みを共有したくてお喋りするもんなんだぜ! それがわかってないからお前はモテないんだ! ……と、頭の中の蓮見が騒いでいる。

 だからって、急に俺を校舎裏に連れ込む亜井若葉さんの行動は常軌を逸していると思う。これを正当に解釈する恋愛心理学があるなら出してくれ。


「樹さん。私と結婚してください」

 熱く頬を上気させ、震える声で、一生懸命に彼女はそう言葉を紡いだ。え。


「私を、伊佐若葉にしてください」

「は」

「伊佐若葉は、一生、伊佐樹の後に付いて行きます」

「要約すると」

「あなたと結婚して出席番号2番になります!」


 なるほど。

 姓が同じなら、名で五十音順を決められる。故に、亜井若葉→伊佐樹→伊佐若葉。

 出席番号2番になりたくて、俺と結婚。


 ……なるほど?


「全然意味わからねえよ! しっかりしてくれ!」

「私の目を見てもそんなこと言えますか! 真剣なんですよ!」


 出席番号がこんなにも重いなんて、俺は知らなかった。もう気軽に書いたり声に出したりできそうにない。

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亜井若葉曰く「あなたと結婚して出席番号2番になります!」 サトスガ @sato_sugar

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