アニイモウト

千羽稲穂

二番目の妹

 洗濯機の前に下着が放り出されているのを見て、僕はすぐに妹の部屋へ押しかけた。ピンクを基調とした部屋の内装が視界一面に広がる。ファンシーで、あざとすぎる色。鼻につく苺の香りにうっと顔をしかめた。これは三番目の妹が好きな香りだ。二番目の妹はもっとシンプルな内装を好む。さすがに三兄妹の一番目の兄として引いてしまうものであるが、妹の趣味と言われれば、かわいいなとも思ってしまう。案の定、二番目と三番目の妹が部屋にいて、のっそりと振り返る。

「ノックしてよぉ、アニキ」と三番目が鋭い視線を突き刺してくる。

「それよりも、これだ。これ」

 僕は握りしめた下着を差し出す。それは僕の下着に他ならない。シャツにパンツ、これらが洗濯機の前に放り捨てられていたのである。僕は確かに洗濯機に入れて、これも一緒に回しておいて、といった体で置いていたはずだ。これでは下着が不憫だ。

「わたし知らなぁい」

 そっけなく三番目が返事をして、すぐに雑誌に目をやる。女子の雑誌はよくわからない。いつも髪型とか化粧とか、今日の流行とかが載っている。それを楽しそうに三番目の妹は何回も読み返す。あげく、雑誌に載っている髪型を試してみたり、参考にして流行の服を買ったりする。

 一方で、二番目は大人しい妹だった。僕とはあまり話さず、何も話しかけてこない。今だって僕の主張も下着も見もしない。まるで僕がいないみたいに振舞っている。手には本を持っていて、深く読み込んでいる。以前本を覗き見たことがある。そこには過激な暴力シーンが描かれており、僕はすぐに本を閉じてしまった。今も僕が怒っている間にも、彼女は暴力まみれの本を読んでいるのだろうか。

 閑話休題。

「知らないって、そりゃないだろ。洗濯機回したのお前らのどっちかだろうし」

「確かに昨日回したのはわたしだけど、今日は知らなぁい。ちなみに、わたしは別にアニキの衣類が汚いとか思ってないしね」

 やはり返答は三番目だけ。二番目に「お前は?」と尋ねてみる。ぺらり、と本がめくる音だけが返ってくる。

 怪しい。

 僕はもどかしくなってくる。どうみても目前の二番目の妹が怪しいのに、彼女は何も言ってこない。何か言ってやりたくなる。だが、ここで何か言うのも得策ではない気がしてならない。あまり無理やり言ってしまえば反感を買うだろうし、いわゆるシスコン、つまりは妹好きな僕は妹に強く言いたくない気持ちもある。

 ふと、そんなとき、何かが引っかかった。二番目の右の手首を見つめる。白い包帯がきつく巻かれていた。白さに赤がにじんでいる。その裏にある筋は前よりも深く傷ついているように見えた。そして、そんな妹の声を聞いたのは、何日前か思い起こしてみた。確か数年前だ。そんな前だったのか。

 苺の甘い匂いとともに暴力小説のシーンがまざりあう。気分が沈んでいく。手に握られた下着を強く握りしめて、歯をぎりり、と噛みしめた。無表情の妹の顔を、僕は見据えて、何か言ってやろうと、兄の責任感を感じざる得なかった。

「お前らさ、何か相談があったらいつでも聞くから、なんでも言ってくれよ」

 下着は、今日は仕方ない。目の前の犯人を見て怒る気にはなれなかった。やはり決め手は、その文庫本を握りしめる腕だろうか。

「後でまた洗濯機回すから、その時は出すなよ」

 そうして、僕は部屋から出た。


 二番目の妹と僕が最後に話したのは、彼女が中学生の時だった。あの頃僕は高校生で、三番目は中学一年、二番目は中学三年だった。その時二番目は受験が控えていて、ぴりぴりしていた。何を言っても、怒気が混じった語調で反論してきた。進路を考えろ、と当然のことを言えば、考えてる、と文庫本を机に叩きつけながら言い返されたし、勉強は順調か、と言うと、あんたには関係ないでしょ、と返された。いろんなことを心配して言ったのに、彼女には伝わらなかった。兄として寂しかったけれど、一種の反抗期化と思って、それでも大切なこと、心配なことは言い続けたように思う。

 あれから、二番目は高校にあがり、僕は大学生、三番目は高校受験目前で進路を考えている真っ最中だ。

 それにしてもあのささいな受験期の反抗からよくもまあ、こんなに二番目と僕の仲が冷めきったな。

 二番目との仲が崩壊したのは、いつだったか。どの出来事だったのか、僕には分からない。いっぱいありすぎて。でもそのいっぱいは三番目と同じくらいいっぱいだったようにも思える。

 いっぱい、いろんなことがあった。

 目新しいものは、あの包帯が巻かれた手首だろうか。僕があの傷を見始めたのは、二番目の受験期だった気がする。あの時、何かあったのかもしれない。僕はいろんなことを言ったけれど、彼女には分かってないのかも。でも、あの時言っていなければ、きっと二番目も後悔しただろうから。未だに僕だってざらりとしたものが心に残っている。


 洗濯機が回り終わり、僕は中に入っているものを出す。女性ものの衣類やタオルが出てくる。それを洗濯かごに入れる。湿った衣類を持つ手は生臭い。これを今から干しに行かねばならない。僕の下着がないにもかかわらず。

「アニキ、ありがとう」

 かごにわんさか洗濯物を入れていると、三番目がやってきて、素直にお礼を言ってくれた。それを聞くと、当然なことに特別感が生まれる。嬉しいなあ、と思い、次もしたくなる。僕はこれだから、ちょろい。

 三番目がかごを受け取る前に、

「一緒に干すよ」

 僕はかごを三番目にわたさず、うんとこしょっと持つ。水を吸った洗濯物の数々は女手で運べないほどの重さがあった。僕が名乗り出てよかった、とほんの少し得意げになる。

 そこで二番目がやってくる。僕を見て、洗濯物を見て、また無表情のまま部屋に帰っていった。なんなんだ、あいつは、とちょっとばかし思ったりもした。僕はあいつを大切にしているが、二番目は僕に関わることさえ嫌がっているようで腹立たしかった。

「放っといてあげてよ」

 三番目が、苦々しく笑った。

 それから僕は空っぽになった洗濯機に下着を入れた。


 二番目の手首の傷が悪化したある日、僕は耐えかねて尋ねたことがあった。

 包帯でくるくると隠してはいるが、分かるものは分かる。見ていて痛々しいそれに、疑問をもった。僕は両親が僕を生んでくれたことに感謝しているし、家族が大事だとも思っている。無事に大学だって、妹の進学だって快く受け入れてくれたのだ。それは、感謝するべきことだ。

 だからこそ、そんな体を傷つける妹の行為に嫌悪を抱き、疑問に思った。

「なんでそんなことをするんだ」

 妹の風呂あがりに、僕はその手首を掴み、持ち上げた。包帯が巻かれていないから、手首の横線にひかれた傷が生々しい。そこからぷっくりと血が膨れ上がっている。風呂上がりの白い肌に血が滴る。その一本線が僕に降りかかる前に、彼女は僕の手を払った。その後、僕が掴んだ部分もしつこく払う。僕の菌が移ったみたいに。僕のことを激しく嫌っているのを見るのはそれで初めてではないが、心の奥底にまで傷がつくほどに、深くえぐられた。

 それから妹は何も言わず、僕のことも見ず、部屋にさっさと帰ってしまった。またあの暴力がふんだんに込められた小説を読むのかと思えば、ひどく哀れだったし、二番目が何を望んでいるのか、何を考えているのか僕にはさっぱり分からなかった。


 気持ちいい日差しがベランダに広がる。水を吸った洗濯物を一枚一枚払う。しわを伸ばしてまっさらに。それを干す。これを繰り返す。心地いい日差しを浴びて、汗をかく。もう時期、春になる。やはり自宅は良い。居心地がいい。こうして手伝うことも清清しい。

「アニキはさ、なんで家から学校に通うの? 別に一人暮らししてもよかったのに」

 妹がタオルをばっさばっさと仰ぎ伸ばしていた。しわが伸ばされている。もうそれぐらいでいいのに、もう一回、二回、と何回も繰り返す。イラついているように見えた。

「なんでって、家が好きだから」

「きっも」

 まだばさばさ仰ぐ。その言葉にぐさりとまた痛む。

「きもいってそんな言い方……」

「きもいよ。こういうこと、あんまりわたしから言うことじゃないんだけど、アニキはきっとなんにも分かってないよ」

 三番目が仰ぐのをやめて、タオルを落とした。ふわっと一回浮き、その場に沈む。そこから垣間見える妹は眉間にしわをよせて、僕に怒っているよう。何がそうさせているのか理解できない。

「きっとお姉ちゃんはアニキのことが心底嫌いなんだ」

「知ってる」僕は改めて頷く。

「まるごと嫌いなんだよ。アニキの吐く息も、アニキのいる空間も、アニキの触れたものも、アニキの気配、アニキの香り、アニキの思想、アニキの存在も全部。それなのにアニキは近づこうとする」

「それは大切だから」

「本当に大切なら、近づかないで。

 放っといてあげてよ」

 三番目は顔を背ける。顔が歪んでくる。なんでこんな顔をするのか分からなかった。唇を噛み、すぐにも決壊しそうなほどの痛みが彼女を襲っていた。もう無理だ、と思っていた矢先、妹は落ちていたタオルを拾って顔に押しつけた。しけった洗い立てのタオルは妹の熱は吸わず零れだす。

「アニキには分かんないよ」

 闇を掘るみたいだ。答えなんて彼女達は示してくれない。

「アニキはいつだって、アニキが一番だから分かんないんだよ。

 なんでそんなことも分かんないの」

 うずくまった妹に何も声をかけてあげられなかった。二番目の気持ちを考えたことがなかったから。妹たちは『そんなこと』という。僕にはそれが分からない。ここまでさせておいて、それすら分からない。そんなやつが彼女達の兄なんだ。

 いたたまれなくなった。妹の涙なんて見ていられない。途端、僕はベランダから逃げ出した。

 そうしたら、洗濯機の前に、中に入れたはずのくたびれた下着が放ってあるのが見えた。僕は下着を拾い、強く握る。

 頭の中では一人暮らしをするための算段をたてていた。

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