第11話 月下の邂逅


 満月の下、風に揺れる草原はさながら大地に作られた海めいて波打っている。

 月明かりに照らされる膝丈の草は、夜風に煽られる度に仄かに輝く。波だ。どこか夜の海に似ていた。

 海――――今生では一度も目にしたことがない。前世の記憶にあるものはどこか薄れている。


(……魔剣使い、か)


 アンセラの口ぶりでは、その剣士はならず者たちに協力している可能性が高い。

 彼らの力の源であるどこからか運び込まれる食料。あり得るとしたらそれは夜半であり、その護衛を行い目撃者の始末を行っているのが魔剣使い――。

 そう考えるのが自然であろう、と。

 なればこそ、ここでシラノが魔剣使いを討つのは街に取って大きな意味を持つ。できるなら、生かしたまま捉えたいところだが……。


(捕まえる、か……俺の百神一刀流がどこまで通じるんだろうな)


 捕縛ということにおいては、まさしく触手の得意技である。

 だがシラノがどうかと言われればそれは難しい。九ノ太刀まで修めこそすれ、やはりまだ純粋な触手使いに技量では劣るのだ。

 或いはこれが己でなくフローならば、捕縛に頭を悩ませることもないのだろうか――――と天を仰いで気付いた。

 己以外に、影がある。既に間合いに入られて行動を起こすには詰みの距離。

 ……いや、


「いやあ、寒いねー……凄く冷えるよ」

「……なんでいるんスかね」


 居た。くだんのその師匠が。後ろに。

 コートに包んだ身体を震わせて、首を縮こまらせたフローがいた。


「なんでって……そりゃあほら、弟子の戦いなら師匠が見届けないとね?」

「……」

「ふふ、シラノくんだって誰にも見られない戦いは寂しいだろう? だからボクが立会人だよ!」


 耳を寒さに赤くしながら黒髪を揺らして笑いかけてくるフローに、シラノは露骨な溜め息を吐いた。

 息が恐ろしく白い。はっきり言っておいそれと出歩く環境ではない。迂闊に歩き回れば風邪でも引きかねないのだ。

 ぼりぼりと頭を掻いて、もう一度長息を漏らした。


「師匠……何してるんスか。相手は魔剣っすよ」

「魔剣だね。……いやあ、魔剣使いと触手使いの戦いなんて中々聞かないよ? ボクは少なくとも初めてだね。いや、それが見られるなんて凄いものだよねー」

「……見世物じゃないですからね。いや真面目に」


 それがテレビ画面の向こう側ならともかく、呑気に見物できる対象ではない。

 あの風の魔剣は森の一角を平らげたのである。ましてや今度は遮蔽物のない平野だ。その威力がどこまで及ぶかは判らない。

 触手召喚が魔術の枠に収まらない魔法と称されるのと同じく、魔剣もまた魔術の枠に収まらない。

 いや、というよりは魔術自体が魔剣を解析して作られ――未だに魔剣そのものの域やその再現に至っていないのだ。

 ……危険が過ぎる。

 フローの応答の如何によってはシラノは有無を言わさず縛り上げる気でいた。


「ええとさ、シラノくん……いいかい? ボクだって真面目に言ってるんだよ? この間は片腕だったけど……今度も片腕で済むとは限らないだろう?

 なら、勝ったあとに傷のせいで街まで帰ってこれずに倒れちゃう……なんてことになるよりは、ボクが近くに居た方がいいんじゃないかな?」

「……」


 見上げてくるフローに溜め息で応じた。

 何故普段からこの明晰さを出せないのか。シラノは残念でならなかった。


「……ふー」


 ともあれその理屈が通っている以上、これでフローを街に帰す訳にはいかなくなった。

 元より夕方のあの騒ぎが故に、あんなふざけた酒場にフローを置き去りにする事には気を咎めていたのだ。更にここにきて理屈の上でも嫌だと言えなくなってしまった。

 そんな彼女は実に得意そうに、「どうだい?」と紫色の目を輝かせてくる。

 機嫌もよさげで、放っておくと鼻歌の一つや二つでも歌いそうだ。全身から自慢げな気配が漂ってくる。

 瞼を閉じたシラノは両手を伸ばし、


「師匠」

「ん、なにかなシラノく――――ふぃえ!? ひょちょひょっほちょっとヒラホシラノふんくん!? はひなにふふするふぉひゃ!?」

「いや、なんかそのドヤ顔うるさくて」

ふゃんふぇなんで!? ほねえひゃんおねえちゃんふぉひゃんふぁなんだふぉふぉっおもっふぇるてるふぉ!?

 ふぃふぁいいたい! ふぃふぁいいたいふぃふぁいいたい!  ふぃふぁいいたいふぉぉよぉ……!」


 バルタンの星から遥々やって来たセミそっくりな宇宙人訛りを生み出した。仕方なかった。白くやわらかい頬っぺたはよく伸びて、随分と面白い顔になっていた。


「なにするのさキミはぁ!? 家庭内暴力!? お姉ちゃんがなにしたって言うのさぁ!?」

「家庭じゃないんで。あと声も落としてください」

「うぇぇぇ……シラノくんがグレてる……うぇぇぇ、なんなんだよぉ……ボクが何をしたっていうんだよぉ……」


 とはいえ、ちゃんと小声で喋っていた。シラノほどでないにしてもフローも大概素直だった。


 ふう、と息を吐く。

 思わぬ形で緊張感が削がれてしまったが、逆に肩の力も抜けていた。心が固まれば技も固まり、身体も固くなってしまう。心技体という言葉は嘘ではない。

 やはり戦いへの恐怖はある。だからこそ、ここが死地だと己を追い込まねば足が竦んでしまう。

 しかし、対するは魔剣使い。気負いすぎて本当に死地になってしまっては、それこそ仕方がない話だ。

 五分ごぶの勝負や、食い下がるなんて言葉に価値はない。やることは一つ――――即ち、斬り捨て命を拾うのみである。


「……というか師匠、俺が勝つこと前提なんですか?」

「うん? 負けるつもりなのかい?」

「いや…………それは……やるからには負けるつもりはありませんけど」


 シラノに自殺願望はない。

 勝てる確信はなくとも、負けぬ算段はある。いや、勝算の問題ではない。やるしかないのなら、退くべきではないのだ。そして、退かぬなら勝つしかない。

 戦には二つの道しかない。ここで大人しく敗北を飲み込むほど、シラノは物分かりがよくなかった。


「ふふ、だろう? ボクはお姉ちゃんだから当然そんなのは分かってるからね! シラノくんを信じるよ! キミはちゃんとボクの前で勝つってね! ボクは師匠だからね、シラノくんを信じてるよ!」

「……」

「ん、どうしたのシラノく――ふゃんふぇなんで!? ふぃっひっふぁふぉふゃんふぇぇなんでぇ!?」

「や、ドヤ顔うるさくて」


 頬を抑えたフローが蹲るのを見ていれば、シラノは奇妙に落ち着くような、変な笑いが出そうな心地を覚えた。

 確かに、どうせなら――という話だ。

 どうせなら、触手が魔剣に勝つところを見せるのは丁度いい。何よりも、誰よりも――まずは同じ触手使いの先輩である彼女に、師匠である彼女にそれを見せるべきなのだ。

 触手は決して呪われたものではない。魔剣すらも、断ちうるのだと――。


「……よし」


 改めて覚悟は定まった。より、決意を確かにする。

 我が名は触手剣豪。いざやその魔剣――――すべからく断つべし。



 ◇ ◆ ◇



 ひょうと風が哭く街道の上、そこを進む影があった。

 旅人めいた薄汚れた外套の上には、怜悧な美貌と冴えた銀髪。肩ほどの銀髪を風に靡かせて、刃の如き顔立ちの美人が道の向こうから歩み来る。

 その右眼は黒い眼帯に隠され、残る蒼き眼がシラノを捉え――言った。


「こんばんは。良い夜ですね」


 隣人に語り掛けるほど、自然な口調だった。

 既に刃物を携えながらも、そこに何の気負いもない。強いて言うならば氷のように透き通った美声。

 だが、シラノは静かに肌が粟立つのを感じた。女のその冷徹な容貌の奥には、紛れもない熱が秘められている。今すぐに抱き寄せて愛を囁きたいとばかりに、その瞳にはどこか慕情が籠められていた。

 慕情――そうだ。恋慕にもほど近いほど、彼女は心からの殺意を湛えていた。


「貴方は、得物を抜かないのですか」


 問いかける目線が言った――今更、それ以外の問いは愚問だろう。ましてや互いが何故ここで出会ったかを問いただすような無粋はしてくれるな。

 言葉よりも多くを語る瞳を前に、シラノは沈黙で返した。

 ここで邂逅した二人の間に問答は不要。何をするかは承知の上の筈だ――彼女が僅かに歪ませた口角は、そんな秘め事の合図であった。

 どれだけ冷静な振る舞いをしても、その視線には恋焦がれた半身を求める熱情が含まれる。男を忘れられぬ寡婦の如く、彼女はシラノを欲していた。

 交合まぐあいを切望しているのだ。お互いの運命を懸けた剣と剣、刃と刃、肉と肉、命と命のその果ての。

 やはりだ、とシラノは内心で頷いた。

 確かに語るまでもない。彼女こそ、紛れもなく魔剣使いである。


「それとも、不可視の魔剣使いですか」


 語り掛ける彼女は、どこか会話を楽しんでいる風だ。

 これが最後の語り合いとなるからには、存分に言葉を投げかけたく――しかし過分となればこの先の楽しみを損ねよう。そんな、惜しむようであり疎むようである雰囲気を感じた。

 シラノの命を、彼女自身の命を惜しんでいる。好意を持とうと、その好意をより深めんとしている。それでこそ、斬るべき意味も生まれるのだと――。

 だが、とシラノは首を振る。

 殺されるつもりはない。そして、殺し合うつもりはない。あるのはただ、勝つということ。

 何故なら、


「いいや、俺は――――触手剣豪だ」


 そう、彼は魔剣を断つものだからだ。

 確信を込めて頷けば――――……ああ、こんな顔もするんだなあとシラノは頭のどこかで思った。上品で無駄がないその女性は、目をまんまるに見開いていたのだ。


「触手……?」

「触手剣豪だ」

「しょ、触手……」

「……触手剣豪だ」


 ひゅるる、と風が通り抜ける。何故だろう。さきほどまでと違って、やけに空しく感じるのは。

 眼帯に片目を隠した女性が途端に伏し目がちになった。シラノと目を合わせないようにしている。


「ええと、その、触手のことは……私も女なので存じておりますが……」

「……」

「その……いえ、こんなように顔に傷のある醜女しこめに女を求められるなら……いえ、女を求められるのは光栄というべきなのでしょう。確かに……いえ、あまり悪い気はしないのですが……その……」

「……」

「……あいにく、本日はそんな気分ではないので……他を当たって貰えればと申しますか……あの……」


 すごい。

 告白してもないのにフラれた空気になっていた。不本意だ。


「ええと……いえ、その、本当に嬉しくは思うのですよ? 貴方が私の傷を……その、気にしないと言ってくださるなら……。それは確かに、女としては喜ぶことなのでしょうけど……」

「……」

「あの……できるならそういうのは、その……お嫌でないなら昼間にしてくれると……いえ、明日の昼間まで私が生きているという保証もありませんが……まぁ、日の下で幻滅しないなら……その……」

「……」


 すごい。

 何も言ってないのに勝手にフォローされてる。しかもデートの約束まで取り付けられている。

 これが擬態というなら大した欺瞞である。とてもではないが魔剣使いには見えない。


「ええと……その、まぁ、申し訳ありません……。いえ……ですがやはり、出会うべきではないものかと。ええ……互いに、今宵のことは忘れましょう。できれば早急に」


 すごい。

 そうかと思ったらフラれた。何もしてないのにまんざらでもない空気からフラれた。シラノは心が折れそうだった。

 女性は踵を返して、そそくさと去ろうとする。

 鳩に豆鉄砲という言葉を聞いたときはどんな状況だと思ったが、なるほどこんな状況だったのか。豆を好物とする鳩も、流石に鉄砲みたいに飛ばされたら逃げる。今まさにそれだ。


「…………」


 このまま完全に見過ごしたくなるほどに心に衝撃を受けていたが、シラノは己を奮い立たせた。

 彼女は本命ではないかもしれない。

 だが、放置していいと思えるほどに善良な存在でもない。

 折りを見て駆け出すつもりなのか、徐々に足早になろうとするその姿勢の良い背中を見る。確かに剣の間合いではない。そこは外している。

 だが――だ。


「――――――ッ」


 そう考えると同時だった。

 女性は跳びながら反転し、懐から刃を抜き放って着地した。

 この距離で、ようやくその全貌を目にした。両手に一本ずつ。それは歪な鎌剣だった。

 三日月型の内刃を持つ片手剣。半円を超えた曲線を持つ湾刀――本来なら横に寝ている筈の鎌の刃を、真上目掛けて大きく引き伸ばし曲げ上げたが如き異形の刀。

 さながら、獣の鉤爪だった。

 跳んでから気付いたと言わんばかりに開かれた瞳が、シラノを捉えながら収まっていく。


「なるほど……今の剣気、偽っていたということですか……」

「……」


 偽ってなどないのだが、シラノは口を噤んだ。


「ふふ、人が悪いのですね……貴方? 慣れない女を惑わせながら、背後から仕留めるつもりだったんですか?」


 節目がちで悲しげに振る舞いながらも、悪戯に誘うような妖艶な微笑が浮かぶ。

 そう笑う彼女こそ、男を惹き寄せ――まさにそこで首を断つのが相応しい死の女神めいている。

 ちろりと、赤い舌先がその瑞々しい唇を這う。

 彼女は昂っている。――――否、シラノには判った。怒っているのだ。自分の愉しみに、邪まな願望で水を差されたことに。


「……騙すつもりはねえよ」

「そうですか……。騙される方が悪い――だから騙したことにはならないと? ええ、確かにそうなのでしょうね……どうあれ生き残った方が偉い。確かにそうですね」


 認めながらも、疎んでいる。

 そう判るような共感の笑顔を作る彼女に、シラノは厳然と首を振った。


「俺は、触手剣豪だ」

「触手……? そんなことをまだ…………」

「……」

「……いえ、そうですね。ごめんなさい。貴方のその目に嘘はない……どうやらこれは、私の非ですか」

「……」

「はい。……図らずも焦らしてしまうなんて、貴方には失礼なことをしてしまったけど」


 びょう、と剣閃が闇を裂いた。

 翼を広げるかの如く内から外へと両手で振り上げられた鎌剣が、月光の下で妖しく光を放つ。


「これが私の本気の速さです。……水に流していただけますか?」


 女からの問いかけに、シラノは無言で返した。

 正直、捉えどころがない女性だ。シラノとは異なる論理で動いている。その公平というのも納得というのも余人に図り切れぬところで起こり、そしてその共感というのと思慕というのも常人とは異なる回路で動いている。

 つまりは、狂人だ。

 目の前の女性は、判りながらも決して分かり合えぬ狂人であった。剣客であった。剣鬼であった。


「いざ、〈水鏡の月刃ヘレネハルパス〉――――セレーネ・シェフィールド、参ります」


 そんな剣修羅が、羽ばたくように剣を構えた。

 そして名乗られて応じぬほど、シラノも無粋な男ではない。


「百神一刀流――改め、白神びゃくしん一刀流いっとうりゅうのシラノ・ア・ロー」


 蒼と茶色――互いの視線が交錯する。

 抜けるような銀髪を乱して踊りかかるセレーネと、暗い金髪を揺らして応じるシラノ――二つの剣の道がここに交わった。

 そう、剣戟の華が開く。


「――――さあ、貴方いのちを感じさせて下さい!」

「――――魔剣、断つべし!」


 いざやいざ、月下の死闘の幕開けである――――。


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