第12話 月刃の誘い


 百神ひゃくしん一刀流いっとうりゅう――――改め、白神びゃくしん一刀流いっとうりゅう

 連綿と受け継がれてきた触手の流儀を損ね、その全てを剣に使うと決めたシラノただ独りの流派である。

 完全なる触手使いには及ばぬ――――百に、一足りぬからこその“白”。

 その技はすべて、捉える為ではなく斬る為にこそ存在する。


「イアーッ!」


 触手の柄を握り、シラノが地を蹴り吶喊とっかんする。

 発声シャウトと共に虚空から生じる触手太刀。その生成速度の後押しを受け、達人足り得ぬ筈のシラノの踏み出しは並の剣士を凌駕する。

 駆け馳せながらの上段からの振り下ろし。実に単純な、重さと力に任せただけの一撃――素人に選べる最大威力の殺法である。

 しかし、甲高い金属の衝突音が鳴った。滑る。流される。

 踏み込みと共に応じたのはセレーネの右の鎌剣。持ち手と唾のついた歪な三日月の如き、蒼銀色の片手剣――――魔剣。二刀。その銘を〈水鏡の月刃ヘレネハルパス〉と云う。


「――――ッ!?」


 引き斬る。その目的の為に作られた曲刃は容易く相手の剣を滑らせる。力を素直に伝えさせない。

 故に、流すことの利はセレーネにあった。

 角度を僅かに外しながらの打ち込み。打ち合い。斬撃に斬撃で応じ、シラノの剣を巻き取り逸らす。

 外下方へと流し導かれる触手刀。対するもう一本の鎌剣は、既に疾走を開始している。

 戦闘の緊張に加速する心拍数が、戦の高揚に上昇する体温が、過敏になった肌感覚がシラノの思考をより高速へと導く。そこからは無限に等しい濃密な時間――まさしく凝縮されたうつつで起こる白昼夢の体験。


(――)


 己の首筋へと迫る左の鎌先。とうに踏み出していたセレーネの左足の勢いを――その加速と膂力を一身に受けて突き立たんとする死神の刃。

 受け流された剣に引かれて、シラノの肘と手首は伸びていた。握る刀は相手の鎌剣に絡め抑えられている。

 即ちはこれが隙。互いの肉体と肉体、死線と死線を遮る筈の触手刀は下方へと外されて阻むものは何もない。

 最早、誰の目にも明らかだ。剣士としての技量は明らかにセレーネが上。そも、剣を握って一週間足らずのシラノが及ぶ道理はない。

 これにて一本――――即ちは生殺与奪の権を相手に握られる必至に追い込まれたが、


「イアーッ!」


 しかし、シラノは尋常なる剣士に非ず。握るは凡庸なる刀に非ず。

 これなるは世の条理を外れ、常の道理を覆す悪魔の蔦とその使い手。即ち――シラノ・ア・ローは触手剣豪である。

 ――白神一刀流・二ノ太刀“刀糸トウシ穿ウガチ”。

 鍔元から刀身を自切。

 柄だけなら遥かに早い。そのまま手首だけを返し向け、狙うはセレーネの豊満なその胸――――


「イアーッ!」


 踏み込みなど不要。召喚の勢いのまま、虚空から突き出される強烈な直突。込められた運動量を受け取った剣先は、セレーネの身体を弾き飛ばした。

 “刀糸トウシ穿ウガチ”――まさしく刀で糸を断つが如く、互いの緊張と拮抗を斬る。そして、すかさず二ノ太刀を突き入れるという虚を穿つ剣。

 これなるはまさに変幻自在。剣術の枠に収まらぬ剣術。

 即ち、これが触手剣術の妙であった。


「…………」


 しかし、シラノの顔色は優れない。殺害が目的でない以上、触手刀の太さは木刀同然。真なる抜刀とは比べるべくもない低速であるが……。

 それでも、余人の突きより尚早い。これが現世ならば、今こそ対する相手の心配をすべき場面である。

 だが、


「ふふ……ええ、殺す気ではない。そういうことなのですね」


 六歩の向こうに立つセレーネの顔色に翳りはない。

 ただ艶然とした微笑を浮かべ、月光にその剣を照らし返して構え直すのみ。

 そうだ。手応えがなかったのだ。確実に虚をついた突き込みであったのに、まるで感触が返ってこない。

 女性的な膨らみと丸みを持つ胸を緩衝材クッションにでも使ったか?

 ……否だ。そんな馬鹿馬鹿しい話があるものか。何より突き込んだのはその谷間。胸骨――心臓の真上である。


 ならば、背後に飛んで勢いを殺したか?

 ……それができる者は、後ろ向きのまま地上最速の男ウサイン・ボルトの倍以上の速さで駆けられる者だけだ。異世界とは言え馬鹿馬鹿しい。手先の速度をより重い人体が超える事などない。

 となると、これこそが魔剣の力と言うのであろうか。

 読めない。再び触手刀を構えたシラノは、眉間に皺を寄せながらぽつりと漏らした。


「……意外だな。そういうの、怒るかと思ったんスけどね」

「怒る? ええと、不殺ころさずですか? それは……どうあれその意気は、余人に否定できるものではありません。……激昂するのは、些かお門違いかと」

「お門違い?」

「その信念は……その信念に生きる人というのは、その為の研鑽を積んだ。その為に技を磨いた…………そんな人生を、他人が軽々しく否定できますか?」


 真摯な語り口調であった。

 剣に対する敬意と誠意――眼帯のセレーネからは、それが感じられる。

 穏健なのか、過激なのか。冷徹なのか、温和なのか。殺人が好きなのか、武練が好きなのか……それが判りかねる静謐の蒼き瞳であり、


「私は、人生を味わいたいのです。不殺の剣を執るなら、それがその方の人生……その主義と相容れぬから、見るのも嫌だからその主張を取り下げろと? ……そこまで恥知らずではありませんわ」

「……」

「それに……不殺を試みながらも、殺人者に斬られるというのが――堪らなく侘びしく愛おしいではないですか。末期のその瞬間、半生を悔いるのか受け入れるのか……機会があればその悟りを聞いてみたいものです」


 真剣な顔のまま、どこか恍惚と頷いた。やはり彼女は静かに狂っていた。

 これこそが剣士。これこそが剣客。これこそが剣鬼。


「……これからすぐに、

「ええ。貴方の剣でそこに案内して下さるなら、それもまた光栄ですわ。……


 故に、再び――一匹の修羅と一人の剣豪は、その影を突き合わせた。



 ◇ ◆ ◇



「イアーッ!」


 召喚発声シャウトと共に、虹色の門から極紫の触手が放ち出される。

 既に、その太さは触手刀の先端と同じ――――つまりこれは触手ではなく、触手槍である。操作を捨てて速度を取ったのだ。

 二刀。そして鎌剣。その利は強烈な受け流しと、振りかかる刃先が剣の防御を潜ること。即ち受けに回ってはならず、また攻める技量の足りぬシラノは攻めてもならない。

 ならばどうするか。――間合いである。


「イアーッ!」


 追撃の三本。

 魔剣。それもまた、超常の技能を有する。いや――触手が技法や性質に由来した攻撃である以上、真に条理を覆しているのは魔剣の側だ。

 その能力を見ぬ内に、虎の子の触手抜刀は使えぬ。

 あれこそは必殺剣でなければならない。迂闊に使い仕損じたとなれば、そこから盤面を覆す手段はシラノにはないのだ。


「ふッ!」


 だが、しなる触手の穂先を月鎌は容易く斬り落とす。

 現世に居た頃、実在の武道で剣が有する槍への対処法にその長柄を斬り落とす事があるとは聞かなかった。そうである以上、これもまた前世には存在しない絶技である。

 最早、異世界の条理を常識で判断するのも無粋というものであるが――――やはりそこには理合はある。

 曲線を描く刀身は弾性を持つ触手の逃げ道をなくし、然るのちにその内刃にて引き落とす。これが鎌剣の利にして理。

 ならば、触手の理とはなんだろうか。


「イアーッ!」


 切断面からセレーネ目掛けて射出される触手――否、噴出する触手液。

 だが、これは副産物にあらず。触手が扱う分泌物に非ず。これは、触手そのものである。

 ――百神一刀流・七ノ太刀“無方ムホウ”。

 触手の強度を無にし、そして然る後に再形成するという妙技。触手の通らぬ鎧相手には、液状の触手を浴びせてその中で作り直し――いわゆる触手鎧を作ればいいという逆転の発想である。

 そして、シラノが操るのは百神一刀流に非ず。


「イアーッ!」


 降りかかる液状の触手が再硬化し、そして剣山かはたまた鋼鉄の処女アイアンメイデンめいて無数に突き穿つ触手棘。

 液体として覆い逃げ場を奪い、その内部を無数に差し穿つ触手の拷問器具――――即ち、白神一刀流・七ノ太刀“無方ムホウオモシ”。

 刀では防げない液体という無形の攻め手。受ける事も逸らす事もできぬシラノの一手の前に、


「……肌を晒したくはなかったのですが」


 セレーネは、薄汚れた外套を脱ぎ捨てて盾として使っていた。身代わりに液状の触手を浴び赤ん坊の腕ほどの太さの刺棘に貫かれた外套を投げ捨てて、彼女は構え直す。

 身に纏うは、黒と蒼を基調とした生地の厚い葬儀屋の如き格好であった。

 それでも胸元や下半身など、ところどころで布地が少ないのは肌の防御よりも機動力を重視する為であろうか。

 膝丈ほどのスカートの縁など布地に縫われたレース模様は、彼女なりの美意識なのか。


 そうだ、とシラノは息を漏らした。

 機動力を主とするならば、やはりその主体は近接戦。月鎌らしく、その射程が問題となる。

 ならば、攻めるべき筋に過ちはない――シラノがそう眼差しの力を強めた時であった。


「貴方は知っていますか? 満月の晩は子供が多く生まれ、新月の晩には老人が多く死ぬそうです……そんな、月と関係した生死の波がある。他にも、こんな満月には人を狂わせる力があるとも聞きますが」

「……いきなり、何の話スか?」

「ふふ、いえ……雑談です。どうせこれは一期一会……私が勝っても貴方が勝ってもこれで今生の別れとなるなら、できるだけ言葉を交わしたいと思いまして」


 楚々と微笑みながらも、シラノは不気味さを感じていた。

 セレーネのその言葉からは、確信を感じるのだ。どうあれこれが言葉を交わす最後の機会――そんな確信を彼女は抱いている。そう判断してしまう何かがある。

 即ち、魔剣の真骨頂の発露――改めて木刀ほどの太さの触手刀を構えつつ、シラノは喉を鳴らした。


「私たちの父や母、その更に昔の祖先は海に住んでいた……そのときから流れる血が、月の満ち欠けを記憶しているのだとか。不思議なものですね」

「……」

「ああ、私はこれでも古い文献を読むことが好きで……中には今のような話もあったのです。実に奥深いものですね……人間というのは。そして、剣というのは」


 セレーネが、打ち切るような笑いを一つ。

 やおら、鎌剣が構えられる。その瞬間――シラノの全身の細胞は警告を叫んだ。これが死だと叫んだ。ここで死ぬと叫んだ。

 果たして、


「……では、ごきげんよう」


 十歩の向こうで彼女が剣を振るうとともに、シラノの身体から鮮血が舞った。

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