第9話 紫眼のフロランス・ア・ヴィオロン


 振り返ると、そこに居たのは燃え盛るような赤髪を靡かせた少女であった。

 身を包む衣装の殆どは喪服めいた黒ずくめであり、そこから覗いた張りのある白い肌を際立たせる。手足は長くしなやかで、その体躯はどこか野性的に纏まっている。

 何より特徴的なのは、炯々と光る紅の瞳だった。長い睫毛とツリ気味なその目は、彼女の意志の強さと自負の高さを物語っている。

 火炎を毛皮として纏った山猫の如き少女に、思わず一瞬息を飲む。

 しばし呆然としたのち、ひょっとしてどちらかの知り合いか――とフローとシラノが顔を見合わせたその時だった。


「行くわよ!」

「ちょ、ちょっ、な、なんだいキミは!? 無礼だな!? ボクを誰だと――」

「知らないわよ! いいからさっさとする! 死にたいの!?」

「うえぇ――!?」


 目を離したその一瞬で駆け寄った少女に、ぐいと腕を引かれてフローが連れ去られる。

 どうしたものか。見過ごす訳にもいかずシラノも小走りで後を追った。




 駆け抜けることどれぐらいだろうか。

 徐々に街並みが静けさを取り戻す。静けさと言おうか、平穏と言おうか。少なくとも先ほどの一角に漂っていたような薄汚れた気配がない。

 そして人混みを抜けた先で、ようやく山猫を思わせる少女が足を止めた。


「……ここまでくれば平気か。ごめんね、無理矢理引っ張っちゃって」


 ふう、と少女が肩を竦めて長髪を掻き上げる。陽光の下で透ける赤髪は、宙に咲いた火花めいていた。

 大したものだな、とシラノは思った。

 フローは言うまでもなく、シラノですらも僅かに息が上がっている。それなのに彼女は息一つ乱していない。その裏にはかなりの鍛錬が裏打ちされているだろう。

 明らかに触手使いという日陰者とは縁がなさそうな人種であるが、少なくとも目の前の彼女にはよからぬものを感じなかった。


「いや、こっちこそ助かりました。……助けてくれたんですよね?」

「まーね。成り行き上だから別に気にしなくていいけど?」

「いえ、どうも。……ほら、先輩も」

「うー……」


 なお、一方のフロー。シラノの背中に隠れていた。

 頭を下げるように促しても猫が毛を逆立てるように唸り返すばかりだ。

 よほど怖かったのか、フローはシラノの袖を握りながら警戒していた。年上らしさの欠片もなかった。

 

「……なんか、すみません」

「別にいいわよ。その子、よっぽどあそこが怖かったんでしょ? 仕方ないって。あんな場所じゃ無理もないんじゃない?」

「……いえ。ほら、先輩……年上の威厳だして」

「う゛ぅぅぅぅー」


 フローは唸った。睨みながら不貞腐れるように唸った。威嚇だった。

 年上の威厳というか、なんというのだろう。縄張りの外から来たものに対するアレというか、群れの新入りに対するアレというか、こう、とにかく野生だ。人のしていいものではなかった。

 人見知りの獣。

 シラノの服を思いっきり握りつけながら全身で牽制し拒絶するその様を見ていると、哀れみよりもむしろここまでどうやって生きてきたのかという疑問が湧いてくるものである。


「……まぁ、改めてありがとうございます。ところでさっきのあの場所……アレはなんですか?」

「ん……? ……アレを知らないって、あんたたちかなり最近外から来たってこと? なんとなくあの辺りにいなさそうな格好だったから連れてきたけど……」

「はい。ええ、まぁ……つい最近っスね」


 最近というか、ここに着いてからは体感で一時間も経過していなかった。


「二人旅? ……というか、よくこの街に入れたわね」

「どういう意味でっスか?」

「見たでしょ? ああいう連中が近頃増えたせいで街の人も警戒してるのよ。……余所からの人なんて簡単には入れて貰えないわよ?」


 なるほど、と頷いた。

 やはりシラノが思った通り、ちゃんと街には衛兵もいるらしい。偶然手薄な入口から入ったのだろう。

 いや、手薄というよりは――


「というかひょっとして……まさか、あいつらが抑えてる方の入り口から入ってきたの? 嘘、どうやって!?」

「ええと……」

「ええと?」

「……………………知恵で」


 シラノは目を逸らした。その続きを言ったら許さない、とフローが涙目で睨み上げてきているのだ。

 シラノとて無論であった。いきなり出会った人の前で自分の評価を地に落としやり、フローの名誉を盛大に損なう一手を打つ訳にはいかないのである。

 目の前の少女は、貴重な情報源だ。生き証人だ。何よりも、恩人である。

 聞きたいことは山ほどある。


「あの、その口ぶりだと……この街と、さっきの場所には深い関係はない。それどころか良くは思ってないし……お互いの方針を守っていない。……そんな感じスか?」

「……」

「あの……」


 伺うシラノの前で、少女は腕を組んで仁王立ちをしていた。そのまま眉間に激しく皺を寄せ、首を捻りながら口を噤んでいた。

 そして、会話が止まる。冷え冷えとした沈黙が訪れた。


(師匠、師匠……なんだと思います?)

(……ボクが知る訳ないだろう? いきなり黙るなんて随分と失礼な奴だね。それにうるさい。ボクはこういう相手はキラ――――あ、というか師匠呼びに戻ってる!? なんで!? 師匠呼びなんで!?)

(自分で考えてください)


 小声で囁き合うが答えは出ない。というかフローがおおむね役に立っていない。

 道中残りの百神一刀流を教えてくれていたときは頼りになると思ったのに、街に近づいてからは散々だった。


 さて、どうしたものかとシラノも片目を閉じた。

 状況証拠からいうのであれば、先ほどのあの世紀末街――便宜上そう呼ぼう――とこの街の方針は食い違っている。いや、おそらく対立している。

 片方は余所者の流入を制限して、もう片方は赤の他人を――それも女の子を簀巻きにするような奴を――素通し同然で呼び入れている。

 明らかに恣意的で、当てつけと呼んでも間違いではあるまい。

 そんな二つの勢力がこの街にある。


 不穏だと思う反面、どこか心を撫で下ろす自分がいることにもシラノは気付いた。流石に異なる世界の見知らぬ土地が、未体験のその街が全て世紀末街でなくて助かった。素直にそう思う。

 問題があるとすれば、些か面倒な場所に来てしまったということだ。

 ここから何をすべきか、そう考えていた時だった。


「んーと……二人は旅をしてるのよね?」

「ああ……ええと、はい」


 ふと口を開いた少女は、腕を組んだまま眉をハの字にして続けた。


「旅人?」

「そうです」

「商人?」

「違います」

「……恋人?」

「絶対違います」

「……えー。じゃ、兄妹?」

「まあそうです」


 フローが宇宙空間で目と口を見開いた猫のような顔をしてきたが、努めて無視。


「ふんふむ。まとめると……二人とも旅をしてて――それで旅をするからには腕に自信があったり、旅をしてるからには職を探してたりする?」

「うす」

「――よしッ! やりぃッ!」


 シラノが厳かに頷けば、少女はそれ以上に力強く拳を握り締めた。そして誤魔化すように手で宙を掃く。

 分かりやすいというか分かりにくいというか、どうやらあれが彼女なりの『考える人』のポーズであったらしかった。

 そして彼女はまた黙ったかと思えば、今度は急に満面の笑みを浮かべて、スカートの端を摘まみ上げながら頭を下げた。

 あまりに優雅な動作に逆にぎょっとしたが、彼女は構わず続ける。


「ようこそ、この街へ。あたしはこの街の生まれじゃないけど、暮らしては結構長いから歓迎させていただきますわ」

「あ、ども」

「さて……旅のお方、お疲れなところもあるでしょう。お腹とか空いてたり、喉が渇いてたりしない? 座ってみたり、寝転んでみたり、少し役に立つお話をしたり――……そんなつもりはないかなーって」

「……」


 怪しい。

 確かに触手使いの評価を改める為に旅に出ると決めたが、それはそうとして厄介すぎる面倒事は避けたい。

 そう目線を送るシラノの隣で、フローは――決意を秘めたまっすぐな眼差しをしていた。


「……キミ、名前は何て言うのかな?」

「あたし? あたしはアンセラ・ガルーって言うんだけど……えーっと、なに?」

「うん、そっか。ボクはフロー……フロランス・ア・ヴィオロン。余計なことはしなくていいよ。今、悩んでるんだろう? ……違うかい?」

「え、えーと……それはそうだけど、その……」


 シラノ以上に赤髪の少女――アンセラは戸惑っていた。

 突然先ほどまで狼狽したり警戒したりしていたフローがあまりにも堂々とした態度でいるのだ。

 だが、そんな様子にも構わず一本だけの三つ編みを揺らしながらフローは歩み寄ると、アンセラの前でやおら止まる。


「ボクと彼……シラノ・ア・ローはワケあって旅をしてるんだ。勿論、あんまりな厄介事は困るけどね……それはお互い様じゃないかな? キミとしてもボクたちの素性は気になる筈だ。違うかい?」

「え、ええ……」

「うん、ボクたちも街の様子が気になるから……ここは少しでもいいから話を聞かせてくれないかな? お互いの為にも話し合わないかい?」

「え、ええ……それは……その、あたしもありがたいけど」

「それはよかった! ボクとしても少し喉が渇いたから、お水が一杯欲しいかな。彼には何か食べ物を用意してくれるかい?」

「え、ええ……ちょ、ちょっと待ってて! 言ってくるから!」


 そして、アンセラはすぐさま背を向けて店に飛び込んでいった。

 彼女が入っていった扉のその横には、「冒険酒場」という看板が掲げられている。いわゆる、情報場だったり集会所のようなものだったりするのだろうか。

 やはりその手のものはあるのだな、と思いつつ――それ以上の驚きでフローを見れば、「ふぅ」と溜め息をついて頬を崩している。己を奮い立たせ終わって、急な緊張が抜けたような笑みだった。


「……よかったんスか、師匠」

「んー……まぁ、困ってるみたいだったからね。それに……」

「それに?」

「シラノくんはさ、触手使いの印象を改めてくれるって言ったよね? なら、こういうのはちょうどいいんじゃないかなーって……なんて思っちゃったんだけどさ」


 「……えへへ」と頬を掻くフローに、シラノは何も言えなくなった。


「……すみませんでした」

「うぇ、どうしたの? や、やっぱり厄介事は嫌だったのかい?」

「いえ……先輩のことだから……こう、てっきりオチでもつけるのかと思って」

「ねえ!? シラノくんボクのこと実は嫌いだよね!? 絶対ボクの事嫌いだよね!?」


 「うぇぇぇぇぇぇ――――っ」と嘆くフローを前に、シラノは何かが始まる予兆を感じていた。

 さて、どうする――触手が問いかけてきている気がした。

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