第8話 おいでませ城塞都市~悪逆と非道と世紀末を添えて~


 外国人の嫌いな「日本人が取るマウント行動・第一位」――――「『四季ってどう?』って聞いてくる」。


 なんて前世のどうでもいい知識を思い返しつつ、シラノは空を見た。

 今日は思ったよりも空が青い。

 いわゆる幻想小説的な世界であるが――つまり漠然とした欧風な世界であるが、知っている限りでは四季がある。少なくとも雨季や乾期などという分け方ではないし、一年中やたらと肌寒いということもない。砂漠が広がっている訳でもない。

 気候でこの地域を分類するならどんな区分になるのだろうか。地中海性気候とか、温帯気候とか、亜熱帯気候とかそんなものだ。


(……まぁ、別に俺も詳しくねえしな)


 考えたがそれぞれの違いは碌に思い出せなかった。詰め込み教育と流し聞き授業の弊害である。

 ほかにも、気になることは沢山あった。

 識字率はどうなのだろう。これが低ければ、文字が読み書きできるだけで仕事にありつける。

 数学はどの程度進んでいるのだろう。現世を離れて久しいシラノでも四則演算は自信を持ってできると言える。数学が得意なインド人とまではいかないが、それでも四桁ぐらいまでなら暗算でどうにかなる。帳簿仕事や経理の仕事にありつけるかもしれない。


 あるいは、印刷機という概念。株という概念。国民国家という概念。ゲリラという概念。テロという概念。民族浄化という概念。

 空城の計。離間の計。苦肉の計。十面埋伏の計。美人の計に連環の計。

 孫氏の兵法にハンニバルの兵法。カエサルの用兵にグインシーマンヅ鬼島津の退き口にファビウス・マクシマスの持久戦……人類史の数多の偉業をざっと知っていれば、それだけアドバンテージが確保できる。

 とはいえ、


(そういうの、どうにも向いてないもんだからな)


 軍師になれるほど信頼を得られそうもなければ、そもそもこの世界に集団戦という概念があるかもわからない。

 何より、シラノが目指すのは剣豪である――そう遠くを見つめていたらフローがふと口を開いた。


「シラノくん、山に登ったことはあるかな?」

「山ですか? ……いや、ないスけど」

「ボクもないよ。いや、奇遇だね! 運命だね! これはそういう意味でも先輩って言えるんじゃないかな? つまりお姉ちゃんって言っていいんじゃないかな?」

「……話はなんですか、師匠?」


 おやつの骨を川に落とした柴犬めいた打ちひしがれた目をされたが、努めて無視する。

 それでも気を取り直すのだけは早いのか。おほん、とフローは咳払いをして何事もなかったかのように話に戻った。


「昔、ある人が言ってたんだ。『山を登るということは何か?』……頂上に辿り着くことかい? いいや違う。それじゃあ竜に乗って辿り着いても登山になってしまう」


 わかるね、と目線を向けられた。応じなければ、そのまま言葉をつなげられた。


「なら、その足で山頂に辿り着くことが大事なのか? ……違うよね。山頂に辿り着いてから竜で降りてしまうことを登山というのかい? それは違うよね?」


 そうだろう、と笑いかけられた。黙っていると勝手に続けられた。


「じゃあ、降りるまでが登山かな? そうなると、とても険しい山に挑戦したはいいけど降りてこられずにそこで倒れてしまった登山家はどうなるだろう? 『彼は山に登ってなかった』……なんてとても言えないよね?」


 違うかい、と首を傾げられた。今度は何か反応を取る前に次が出てきた。


「つまりね、登山ってのは挑戦することなんだ。山に向かって挑戦することそのものが登山なんだよ」

「……なるほど、参考になります」

「そうだろう? そうだろう? もっとお姉ちゃんのことを尊敬していいんだよ?」

「……それじゃあお姉ちゃん」

「な、なにかな!? お姉ちゃんになんの用かなシラノくん!?」


 目を輝かせるフローに――――シラノはこれでもかというほどの溜め息を漏らす。

 さっきから別に何もフローのことが嫌いになった訳ではない。かといって、雑に扱っていい相手だと思った訳でもない。

 答えは単純だった。


「……それ、今の状況とどう関係あるんスかね」


 フローは座り込んでいる。というか、フローに道端の草むらに座り込まれている。

 そこから絶対に動かないという決意の構えだった。怯えの構えだった。拒絶の構えだった。


「いや、ほら……ボクだって街に入ろうと思って挑戦したんだ。………………これは殆どもう入ったと言ってもいいんじゃないかな?」

「さて、行こう」

「うわぁぁぁぁあ――――――――――ん!? お姉ちゃんを置いて行くなって言ってるだろぉぉぉ――――――っ!!」

「じゃあ行きましょう。ほら」

「怖いって言ってるだろぉぉぉぉぉぉ――――――っ! 手ぇなんて差し出したってボクは騙されないからなぁぁぁぁあぁ――――――――!」


 手を差し伸べたがイヤイヤと首を振られた。

 ようやく城塞都市とやらの城壁が見えてきたというのに、さっきからずっとこの調子だった。




 ◇ ◆ ◇




 城塞都市――その由来というのは単純だ。

 都市を城塞化したのではない。もともと城塞であったところに都市を作ったのだ。

 というのも今の王国より前、この大陸の殆どを収めた帝国があった。豪華絢爛、風光明媚、泰然自若――――今の魔法文明というか、魔術研究というのは殆どがそこに由来してる。

 だが、そんな華の帝国も時代の流れには敵わなかった。

 衰退し滅亡し、それから今の王国が誕生した。その時の都市というのに、かつて帝国が使っていた城塞を流用しているのだという。


 その、城塞都市。

 シラノは楽しみにしていた。男の子なのだ。男の子はみな心に斧を持ち、その本質は開拓者にして戦士である。旅人である。

 ならば、異なる世界。そこに浪漫を感じない男がいるだろうか。シラノも例外ではなかった。


「へへ、あんた旅人かい? その荷物は……ひひひ、そうかい! 市場はあっちだよ!」

「……あ、ども」

「ひひ、いい取引ができるといいなぁ!」


 ぼろきれを纏った鉤鼻の男が揉み手で近寄り、いやらしい笑みを浮かべたかと思うと去っていく。彼がまた話しかけに行った男はどうにも柄が悪い。

 というか、全体的に通りが薄暗い。

 誰もかれもが剣を腰に下げ、身体にはどこかしこに傷がある。人相はお世辞にも良いとは言えない。


 なんというか、世紀末的な空気が漂っている。この世界は核の炎にでも焼かれたのだろうか。

 辺りを見回して路地裏に入った。一旦頭を落ち着ける必要がありそうだ。


「……思ったより簡単に入れたな」


 シラノは、てっきり検問だとか関所のようなものがあるかと思っていた。

 通行手形がなければ押しとどめられたり、或いは衛兵だとか異端審問官だとかが大挙を為して取り囲んでくる可能性まで考えていた。

 だが、ほとんど止められることなくここまで来たのだ。いくら異世界といえども、さすがに信じられないぐらいセキュリティがガバガバすぎる。

 というか……。

 改めてよくぞ止められなかったな、と丁重に地面に下したを眺めながら思った。


「……ごめんなさい先輩。痕とかついてません?」

「なんてことするんだよぉ……ボクのこと本気で嫌いなのかよぉ……」

「いや、一人で置いていく訳にもいかなくて……すみません……」

「ひどいよぉ……こわかったよぉ……売られるかと思ったよぉ……」


 百神一刀流・一ノ太刀“身卜シンボク”――どころかただの触手簀巻きの刑から解かれたフローがさめざめと泣く。

 流石にこれはやりすぎたな、と涙を拭うフローを見てシラノは思った。やりすぎたというか、我ながらなんでここまでしでかしたのかさっぱり分からない。

 あれから結局数十分近く駄々を捏ねられ、何とか説得しようとしても聞き入れてはくれず、たまに道を行きかう人からあからさまに白い眼を向けられ、そういえば思えば意識がない間に色々やられたんだなあ――と思ったら気が付いたらこうしていた。


 魔が差した。

 触手使いになると正気が蝕まれるという言葉は、あながち嘘ではないのかもしれない。


「ごめんなさい先輩……いやこれは本当……すみません……」

「うえぇぇ……ボクのことなんだと思ってるんだよぉ……」

「……」

「酷いよぉ……お姉ちゃんって言ってくれないと立ち直れないよぉ……お姉ちゃんって言えよぉ……」

「……」

「言えよぉ……」

「……」

「……シラノくん? 言わないの?」

「ウソ泣きとか意外に元気なんスね」

「触手使いが触手に縛られるのを怖がるわけないからね」


 どうやら彼女はいつも通りだったらしい。なんというか色々な意味で流石だな、と思った。




「……で、やっぱりおかしいと思いません?」


 ひとまず話を取りまとめてみたが、やはり何かが狂っているのではという結論にシラノは至った。

 治安が悪い。人相が悪い。警備も適当で環境美化も怠慢。話に聞く城塞都市――などとは思えないぐらい、いくら何でも末法極まりない有様だ。城壁が堅くとも三日で滅びかねない。


「そうかなぁ……あんまりボクは街って行ったことないからね。こんなものじゃないの?」

「いや……流石にここまではないと思うというか……というか、なんでそんな風に思うんスか?」

「だってボクらに石をぶつけてくるんだ! ボクはやられたことないけど! 人類は愚かに決まってるだろう!?」

「先輩、声、声」


 何が理由で目を付けられるかわからない。そんな程度にはここは危険な場所だ。

 辺りを見回しつつフローとの距離を詰める。何かあったら即座に逃げれるようにした方がいいと、何となくシラノの勘は告げていた。


「シラノくん、逆になんでキミはそんな風に思うんだい? 人間は愚かなんだよ? ボクたち触手使いを陥れるようなドス黒くて邪悪で救いようがなくて酷い奴らなんだよ?」

「いや……」


 正直なところシラノも確信がある訳ではない。

 だが、噛み合わないのだ。具体的に何が一番かというと――――フローのその言葉が手掛かりになる。

 果たして、その邪悪でドス黒くて救いようがなくてドブ川よりも臭い野良犬以下の匂いがプンプンしやがるクソカス外道で地獄に落ちるのが当然の末路に決まってる吐き気を催す便所虫にも劣るような連中が、触手使いを嫌って遠ざけるだろうか。


「本当にそんな酷い奴らなら……手足の腱を切って触手使いを奴隷にするんじゃねえかなって」

「キミ本当ときどき怖いこと言うよね!?」

「まぁ、人類史的に」


 面白半分に銃で原住民を撃つゲームをしたり、天然痘患者が使った毛布を原住民に渡したり、人がいいのをいいことに原住民から好きなだけ巻き上げたり、原住民を滅亡同然に追い込んだり、そういうことをするのが人間なのだ。仕方ない。

 そんな大航海時代の負の遺産はともかく、フローの言葉通りだとすると多少はつじつまが合わない。


「とにかく……何かあったんじゃないか、って」

「何かって?」

「……さぁ」


 予知能力や千里眼やサイコメトリーがあるなら分かったかもしれないが、残念ながらシラノが持っているのは中途半端な触手能力であった。

 二人で顔を突き合わせて、ううむと眉間に皺を寄せる。

 こうなれば、頑なに都市へと入りたがらなかったフローの行動は正解に思えてくる。それほどまでに惨憺たる有様だった。

 これでは触手使いの印象を変えるなどできない。

 というよりこんな都市はさっさと焼き討ちにした方がよさそうだ。酒に博打に暴力に金に女を集めて、寺社仏閣だから手出しはできまいと調子乗っていた比叡山の僧侶を見た織田信長もこのような気持ちだったのだろうか。


 どうしようか。

 いよいよもってこの先どうするかの方針が決まりそうにない――そんな風に悩んでたシラノとフローの背中に、


「ちょっと、そこの二人! なにしてるのよ!」


 やけに勝気そうな声が投げかけられた。

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