第4話 触手剣豪シラノ(前)
天高くという形容詞が似合うのはいつ頃の季節だろうか。
天高く馬肥ゆる秋――――と言うからにはまぁ、秋なのだろう。
秋。
つまりそんな形容詞を使う為には、あと十一ヶ月は待たないといけないということだ。残念ながら今は冬なのだから。
まぁ、いずれにしろ空は白く曇っている。天高くなどという言葉とは無縁だ。
そんな曇天の下。
あれから三日、触手使いとしての初めの一歩を踏み出したばかりのシラノは、
「……なあ、俺はどうしたらいいんだろうな」
うっかりと掘り進む先を間違えて地上に飛び出たモグラを覗き込んで、鬱々と語りかけていた。
じたばたとするモグラ。俯き加減のシラノ。
茶褐色に近い暗い金髪はいつもより力なく、蒸留酒を思わせる深い琥珀色の目は普段よりも死んでいる。
荒れていた。荒んでいた。なんというか負の力が満載だった。
「いや俺も……触手とかを極めたい訳じゃないんだ。でもな、流石に申し訳なくて……なぁちょっと聞いてくれねえか……?」
聞いてくれなかった。
モグラさんはさっさと逃げた。さようならモグラさん。
「……」
仕方ないのでシラノは地面に指で絵を描いた。
青い耳のないタヌキ……いわゆる国民的に有名な聞き役である。なお絵心は微妙すぎて潰れた饅頭みたいになっていた。
事の始まりは、百神一刀流・三ノ太刀“
全部で九つの太刀を有する百神一刀流――より強力な触手の召喚という裏技を除く、触手使いの基礎にして奥義という深奥の技。
簡単に言うなら、戦いになったときに如何に触手で相手を制するか……そんな技術だ。
その第三太刀。
触手がその身に蓄えた様々な効能を持つ液体――それを召喚の際の勢いに乗せて触手から射出。
極めれば触手を呼び出す事もなく液体だけを撃ち出したり、或いは複数方向から逃げ場なく浴びせかけたりするなどまさにその名に相応しい技であるが。
それが、出なかった。
竿から液体が出せなかったのである。
『……』
続く、百神一刀流・四ノ太刀“
十本の触手を召喚。
そして触手の持つ十の権能――振動・電撃・興奮剤・幻覚剤・麻酔液・粘着液・溶解液・吸盤・突起・寄生――を総動員させて同時に十種を十方から襲いかからせるという脅威の技だ。
相当の使い手でないと全てを躱すのは至難であるこの技だったが……
『それじゃあ“
駄目だった。
残念ながらシラノには三種類しかできなかった。
とにかく何も出ない。液が出ない。
突起・振動・電撃――形を変えたり動かしたり摩擦の静電気を集めてアレコレしたりまではなんとかなったが、それ以外がどうにもままならない。
三本の触手で打ちかかったが、まぁものの見事にフローの組み上げた練習触手人形クンには通用しなかった。
『……いや、キミって驚くほど才能ないね。本当にこう……才能ないね』
『……』
『まさか上級召喚の詠唱もできないどころか、麻酔液も興奮剤も出せないなんて……』
『……』
『ごめんね、気軽に教えるとか言って……ごめんね……。
ボク、駄目な師匠でごめんね……駄目なお姉ちゃんでごめんね……ごめんねシラノくん……ごめんね……』
終いには、かなりマジのトーンで謝られる始末だった。
いたたまれない。
前世では運動部に入ってはいたが、本当に人並みといった程度でお世辞にも運動の才能があるとは言えなかった。
勉強もそこそこ。歌も上手くなければ、踊りができる訳でもない。絵も描けない。
そこに来て、おまけに乗り気ではなかった筈の触手の才能すらないなんて――
(……何やってんだ、俺)
車に轢かれて死んで。
弟や妹を放り出す形になって。とんだ親不孝者で。
折角の魔法ファンタジー世界でも魔法に出会わず十年ちょっと過ごして。
この世界の母親とも打ち解けることもできなくて。
やっと魔法生活が始まったと思ったらよりにもよって触手召喚魔法とかいう珍妙なもので。
おまけに、その触手魔法の才能すらもないと言われる。
「……はぁ」
なんというか、剣士とか触手使いとかそれ以前の問題なのだ。
触手使いとしても不完全な触手使い――それでは、己は何者だと言うのか。
こちらの世界の身体は少なくとも、そんな家系に生まれていると言うのに。
「……」
すっかりと目の光を失ったフローは『……顔が割れてないからちょうどいいよ』と近隣の村へと食事の買い出しに行っている。
他に家族も居なければ友人も居ない。ペットも居ない。猫さんも鳥さんも居ない。
触手は居る。だが今は見たくもない。
ふと、森の入り口を見た。
季節柄か落ち葉が降り積もり、地面には枯れ葉の絨毯ができている。立ち並ぶ木々は寒々しく、いくらかの常緑樹だけが何とか緑を保っている風に見えた。
何とも侘しい光景だが、上を覆う枝葉が少ない為だろうか。他の季節に比べると幾分か明るく見通しが良さそうだ。
「……」
当然ながら鬱陶しい虫などはいない。冬なのだから。
だが、冬である。
心を癒やす花なんて殆ど咲いていない。母の墓に供えるものを探したときは苦労した。
しかし、動物には出会えるかもしれない。
「……」
出会えないかもしれない。仮に出会えても冬眠し損ねた凶暴なクマかもしれない。
だが、可能性はある。具体的に言うと都会での満ち足りた生活に飽きて、弱肉強食の森の中に足を踏み入れた気高いけど温もりに飢えてる猫なんかと巡り会える未来が。
確率はゼロではない。
それに、空振りしてもちょっとした気分転換だ。
キツネさんとかタヌキさんとか居たら更に幸運だ。そう考える少し胸が踊る。
「……行くか」
森へ行きましょう。そう頷いた。
◇ ◆ ◇
そして、経つこと数十分。
触手めいて太い根が地を飛び出し、倒木が並ぶ荒れた傾斜地。段々と本数が増えてきた木々や茂みのせいで、見通しが悪くなってきたその場所で、
「てめえコラァー!」
「なんだオラァー!」
「お仕置きだよなぁ……!」
「
胸当てだけをつけた荒くれの集団から、シラノは罵声を浴びせられていた。
計――五人。
一人は既に黙らせた。投石だ。かの剣豪として名高き宮本武蔵にすらも手傷を負わしめた投石を前に、顎を撃ち抜かれて倒れている。
「え、ええと……どなた……?」
そして男たちからやや離れて、囲まれる形で尻餅をついているその影――。倒れた一人のすぐ近くのその影――。
確かに都会での満ち足りた生活に飽きてそうだ。
弱肉強食の森に足を踏み入れているし、気高さも忘れていなさそうだ。
だが、猫ではなく人だった。女だった。少女だった。童女だった。
(なんだこの格好……本気か)
改めて近くで見ると、信じられない。
海の青を集めて宝石として固めたような深い群青の瞳と、僅かに癖で膨らんだ砂金細工のような胸元までの金髪。
歳はシラノより四つか五つ下。或いは、それよりも更に下の童女。
金色がよく映える藍色のワンピースドレスにレース刺繍のケープを肩に羽織ったその姿は、時計を持った兎を追ってきたならともかく――あまりにも森には似つかわしくないものだった。
良く言えば育ちの良いお嬢様。悪く言えば、誘拐を誘発する
「……」
そして、取り囲むは四人。お世辞にも品行方正とは言えず、酒場で博打の話をしているか洞窟で戦利品を数えているのが似合う風体の男たちだ。
その腰には剣。或いは斧。明らかに手慣れているといった様子の男たちが――吠えた。
「なんだてめえはオラ……なんか言わんかい!」
「舐めてンじゃねえぞてめえ! なんのつもりだ!」
「いい度胸だよなぁ……!」
「何モンだてめえワレ……俺らが誰か判ってんのかボケぇ!」
耳を覆いたくなるような強烈な怒声。健全な婦人ならばそれで卒倒しても不思議ではない。
生前の白野孝介ならば、おそらく避けている筈であろう集団だ。
今だってそうだ。本音を言うなら、不味いことになった――としか言いようがない。
(やべえなこれ……)
何故助けに入った。そう問われて、確たる声で返せるだろうか。
なんだお前だとか、何者だとか。
それに答える言葉を、今のシラノは十分に持ってはいなかった。
「……なあ、そこの人。立てるか」
「あ、ええと……はい……。あの、貴方は……」
「じゃあ立ってくれ。……俺が隙を作る」
だが、そんなことなど今はどうでもよかった。
もう既に動き出してしまっているのだ。今更謝ったり悩んだりしたところで何の解決にもならない。ならば悩むことなど、のちのち部屋の隅で膝でも抱えながら一人でやればいいだけだ。
声は震えるが指は動く。隠すように拳を握り締めた。
ここでこの少女を見捨て、その後少女は人並みに生きられるのだろうか。
本当は普通の幸せが欲しかったと、後で言われはしないだろうか。
そも、見捨てるなんて選択肢があるのか。弟妹と同じ年頃でろう少女を。
言い訳がましく頭の中で渦巻く“やってしまった理由”を追い出し、スゥと何とか震える呼吸を落ち着けて両手を構えた。
こうなったら――やるしかない。やるしかないなら、退くべきではないのだ。
「イアーッ!」
◇ ◆ ◇
「イアーッ!」
冒涜的な
だが、足りない。抜き放たれた手斧や剣を前に、半ばから切り落とされて足下の枯れ葉を散らすだけだ。
「"魔羅もどき"が調子乗ってんじゃねえぞオイ!」
憤怒と雪辱を煮詰めて相手を屈服させる欲求を加えたような野蛮な顔つきで、男たちが叫んだ。
片手に蒼い刃の剣を握った首魁と思しき眼帯の男を中心に、男たちは左右から迫る触手の群れを切り開いていく。
その鎧は魔法製なのだろうか。
触手で打ち据えるたびに表面で幾度か蛍光色が瞬き、それで終わりだ。攻撃というのがほとんど通じていない。
そのまま男たちがにじり寄る。
慣れているのだ。連携することにも、異形と戦うことにもだ。
シラノとて男たちの動きを鈍らせることには成功した。
だが、それだけだ。手慣れた男たちは着実に一歩一歩踏み出していく。
戦況はいわゆるジリ貧……徐々にシラノの不利に傾くものであった。
「イアーッ!」
前方、右、左、右、左――虚空を裂いた紫色の触手が、邪悪な象の鼻めいて男たちに襲いかかる。
風切り音が唸る。
眼帯の男の蒼剣が素早く手前の触手を両断。更にもう一本。続けた三本目。
一際鋭い切れ味を見せる蒼き両刃剣は――紛れもなく
「このままブった斬って、裸に剥いて縛り上げてやれ!」
致命的なものを眼帯男が見極めて切り裂けば、余った触手を仲間たちが潰していく。手慣れた四人組――それを前にシラノは、フローの言葉を思い出していた。
――『触手使いと剣士は違う』『剣士や魔術士には及ばない』。
内心で歯噛みした。
そのまま更に触手を繰り出す――――両断、切断、切断、両断。落ち葉の上に無残に転がった。
「お前、簡単には終わらせねえぜ」
そしてついに、数メートルの向こうまで男たちが距離を詰めた。すっかりと触手の対処法を覚えたのか、最早冷や汗一つ掻いていない。
男たちの目には、これから如何にしてシラノを懲らしめるか。そんな楽しみしか浮かんでいないのだ。
「……」
このまま、忌まわしい触手使いとして男たちの報復を受けてしまうのか?
またしても何もできずに、何者にもなれずに終わるのか?
その結末でいいのか? 無意味にただ、車に轢き潰された前世のように?
掻き消すように小さく首を振った。
――否、否、否だ。スゥと息を吸い切って、全て肺から出す。
「イアーッ!」
「うおっ!?」
触手から迸る紫電。
フローとは比べ物にならない微細な電撃であるが、怯ませるには十分。
それは仕掛けだ。
射程距離五メートル――その圏内に入った男たちの足のすぐ真横から触手を放ち、その足を拘束――――これも仕掛けだ。
地を蹴り、ただ立っているだけで逃げようともしない少女を肩に抱え、そして、
「イアーッ!」
落ち葉の下の土をも、その中の石をも巻き上げて触手を襲いかからせる。それはさながら触手と土石の波だった。
◇ ◆ ◇
「クソガキが! 随分と逃げ足の速い奴だ……!」
「おい、こいつどうする? 顎とか折れてるんじゃねえの?」
「放っとけよ。喰らう方が悪いんだよ。寝かせとけ……いや、起きろコラ」
「髪が汚れちまったぜ……これは許せんよなぁ……!」
悪態をついた男たちが去っていくのを、シラノは胸を撫でながら
意識付けの一環は功を奏したらしい。
壁のように視界を晦ます触手を放ち、自分の腕そのものに召喚陣を作成させた触手ロープ――と呼べばいいか――で樹上に逃げる。ただそれだけの策だった。
あえて頭上や三次元を意識させないため、基本的に平面的な攻撃しか行わなかった。そして、触手を用いた移動手段は一切見せていない。
温存していた甲斐があったのだろう。常緑樹に隠れるシラノたちにまるで気付いた様子はなかった。
「その、どなたかは判りませんけど……あの、助けてくれてありがとう……ございます」
「いや……悪い、あとその、それより……もう少し小声でいいか?」
まだ近くにいるなら厄介だ。石でもぶつけ返されたら目も当てられない。
それに、足元に一人いる――触手の発声が使えない以上、やはり投石で片づけるのがいいか。
……二発目で当たった。顎先だ。見事に仰向けに倒れた。
朦朧としていたが、駄目押しになったようだ。頼むからそのまま寝ててくれと十字を切る。
木の幹に背を当てて、腹の底から大きく息を漏らした。
木の近くなのでより新鮮な酸素なのかもしれないが、違いを感じる余裕はない。
発声が伴う以上、隠密行動ができない。そう考えると触手魔法も考え物だ。
フローなら、何とかしようもあるかもしれないが……。
「ええと……」
「その……緊急事態とはいえ、悪いな。あんまり……見てて気分がよくなかったよな」
「え?」
触手は嫌われていると聞いた。
それに、ましてや年頃の少女だ。おぞましいものを見て、どんな気持ちになるのかは想像も容易い。
だが、少女は眉一つ
更によくよく見ればシラノに目を向けているというよりは、顔そのものを向けているという動作だった。
「……もしかして、その目……見えてないのか?」
「いえ……その、これは……。ええと、そうだけど……でも、閃光の魔術による一時的なものだから……その、心配なさらないで……?」
「……そうか」
「ええ、大丈夫。へっちゃらよ? ……でもありがとう。心配してくれて」
癖のある金髪を揺らして、少女は朗らかに笑う。
育ちがいい――だからこそ、余計にシラノの気分を苛んだ。
「……その、悪いな」
「何か?」
「いや、なんでもない……」
触手を見られる心配がない。
褒められたことではないが、そのことに少し胸を撫で下ろした自分がいた。
「――という訳で、よろしくね。シラノさん?」
エルマリカと名乗ったその少女と彼らに面識はないそうだ。
彼女もある用事で森に入ったところを、偶然鉢合わせして――そこにシラノが飛び込んだ。
そんな形だ。
聞けば、彼女一人でこの森に来たわけではなく、使用人と共に来たそうだ。おそらく護衛も兼ねている使用人だろう。
「となると、目の回復を待った方がいいか。……いや、あいつらに立て直させる方が不味いのか?」
「どうして? その……一度落ち着いてからでは、駄目なのかしら?」
「いや……向こうの方がこういうことに慣れてる……。多分、俺の集中力の方が続かない」
運動の試合と同じだ。
経験者と未経験者の違いは、試合が進むにつれて現れる。
ましてや触手を使うときの頭痛もある。それに季節は冬。消耗しているシラノの方がジリ貧であった。
「それに――」
シラノが歩いてここまで来た以上、その逆もまた然りだ。
森を彷徨う奴らが、何かの拍子にシラノの自宅まで辿り着くかは解らない。
そして更に悪いことに、いつフローが戻るかは聞いてはいなかった。
「それに?」
「……いや、なんでもない」
首を振って小さく鼻から息を出す。
(逃げ切れるかはともかく……逃げるか?)
触手を使って木々の上を伝い、森の外まで逃げ出す。そして、エルマリカの護衛と接触する。彼女を渡したら、後は息を潜めて家まで帰る。
……否だ。万が一、自宅の場所に辿り着かれてしまったら。
自宅近くでは足場も整い、男たちもより速く確実に触手の攻勢をくぐり抜けられよう。
なら、せめてここは森だ。
立ち並ぶ木々と茂る枝葉のおかげで奇襲には向いている。シラノの実力では平地などで相手をできる敵でない以上、ここで仕留めるしかない。
(戦うとして……俺の触手で、勝てるのか?)
厄介なのが魔術だ。金髪の少女の言葉が本当なら、あの集団は魔術を武器として持ち合わせているのだ。
閃光を放ち、相手の視界を奪う魔術を。
触手使いとして位階が上のフローならともかく、シラノでは術者本人の視覚を奪われた状態で対処する術など持ち合わせていない。
「……」
触手使いとして、まだ
ましてやこの世界で、魔法を相手にした経験などまるでない。一人を倒せたのは、相当に運がよかった方だ。
勝ち目が見えない。
落ち葉の中、だらしなく仰向けに倒れる男を見る。あの剣や胸当てを纏えば、少しはマシになるだろうか。
(いや……)
駄目だ。使ったことがないものを、軽々しく扱えるとは思えない。薪割りはやっていたが、斧や鉈とは違う。
少なくとも相手は手慣れている。初心者では荷が重い。
多少動かし方を学んだ触手ですら、このざまなのだ。ましてや西洋剣など使える訳がないだろう。
「……少しはやっておけばよかったスね」
今更が過ぎる。
だが、ここを切り抜けたら素振りを日課に入れるのも仕方あるまい。必要経費だろう。
とはいえ、後の話をしても仕方がない。
かといって、今の話も妙案は浮かばない。茶髪に近い金髪を掻き上げるシラノへ、
「シラノさん、その……恐ろしいときには、おまじないがあるわ?」
「おまじない?」
「ええ、こうやって……石に怖いものの名前を書くでしょう? それを、竜に食べさせるの」
「竜?」
見れば、エルマリカは慣れた手つきで枝を折り、そして大きく指を曲げた彼女自身の右手に手渡した。
竜の顎を模しているのだろう。
白魚のようにふっくらとした指を何度か動かして、あたかも竜が咀嚼するかの如く枝を包み込み、投げた。
「それがおまじない?」
「そうよ? 本当は石でやるんだけど……。後は……ここにはないけど、弓の弦を鳴らすとか……箒を裏返して置いておくとか」
「丁度、あの木のように」とエルマリカが指差す先は、葉を全て失った裸の木だった。確かに、逆さにした箒に見えなくはない。
おまじない。
縋ってみたら、この状況を打破できるのだろうか。石も、弓も、箒も今は手元にない。
「……ああ、そうか」
「え?」
「いや……判った。おまじないか、そうだな……助かった」
「ええと……あの、シラノさん……これからわたしたちはどうするの?」
不安なのか近くから顔を覗き込んでくるエルマリカを抑え、シラノは息を吐いた。
ここが森であるならば。
自分たちが今いる場所は。
そして、自分の持つ最大の武器とは――
「なあ……人間の、人類の一番の長所ってなんだと思う?」
「え?」
◇ ◆ ◇
「おい、あいつら見つけたらどうする?」
落ち葉を蹴り上げて歩きながら、四人のうちの一人がふと口を開いた。
鼻の下から顎先にかけて剣の傷が走る様は、なかなかの古強者を思わせる。
だが、仲間は知っている。その傷はうっかりと剣をお手玉しているときに作ったものだ。気が合うが、お世辞にも一流――どころか二流とも言えない腕前だった。
「俺ら、あの魔竜剣士とやらに果し合いで呼ばれたんだろう? これ以上相手にする必要あるのか?」
「……黙って探せよ」
「いや、思わねえか? あいつらひょっとして、魔竜剣士からの刺客だったんじゃねえの? こう……戦う前に
「魔竜剣士サマがか?」
ギョロ目の男が嘲笑気味に眉を挙げたが、一方の傷の男は我が意を得たりと手を叩いた。
「そうそう、魔竜剣士がどんな奴かって……正体を知ってるヤツぁいねえんだろ? ならよう、集団で相手をのしちまってから『果し合いに勝ちました』ってようなヤツじゃねえの?」
「……俺たちかよ」
案外同類だったりしてな、なんて笑う傷のバカから目線を外して、ギョロ目はその大きい瞳で残る二人を伺う。
「……餓鬼に舐められてちゃ話になんねえだろ。俺様も遊びすぎたぜ」
眼帯の男は――大将と呼ばれる男は、舌打ちするように髪を掻き上げた。
そんな彼の不機嫌な様子を知ってか知らずか、もう一人の黒髪――油を塗りたくった美男子気取りの黒髪は、陰惨な愉悦の滲む笑みを浮かべる。
「なあ、大将……だったら俺が貰っていいかね」
「あん?」
「いやよぉ……片方、あの“魔羅もどき”だったろう? いいこと思いついたんだよ。あの女のガキ……触手野郎に差し出すってのはどうだい?」
「差し出すだぁ? 馬鹿野郎、ありゃ高く売れるぜ。なんで触手野郎にくれてやらなきゃいけねえんだよ」
白い眼を向ける男たちに、美男子気取りは口角を吊り上げた。判ってねえなあ……と笑みがこぼれてくる。
「違うって。あのクソ触手野郎はガキを守ろうとしてたろ? だからよぉ、あいつが命乞いしてきたときに言ってやるのさ――『構わねえぜ』『てめえがそのガキを触手に食わせたらな』って」
黒髪男の邪悪な笑みに、残る男たちの目の色が変わった。
そうだ。自分たちを相手に散々に無礼を働いたのだ。それぐらい返さねば、割が合わない。
「ったく、舐めた真似してくれたよな。あのクソ触手野郎、『イアーッ』なんて変な声出しやがっ――」
「イアーッ!」
「――てぺぇっ!?」
ずどんと、凄まじい音と共に黒髪男が消えた。
いや、違う。弾き飛ばされたのだ。怒り狂う亜竜の尾に嬲られたように、強烈に。
その先を見れば、黒髪男は上半身を腐葉土に埋め込ませており――――……
「……丸太?」
墓標めいてその上に丸太が突き立っている。
なんで? 丸太なんで?
そうギョロ目が何度も目をしばたたかせる中、
「イアーッ!」
返答代わりに横合いから飛び込んできた丸太が、彼の意識を奪って土に埋めた。
ぎり、ぎり、ぎり……と。
木の幹が軋む嫌な音が響く。だが、これは今のシラノにとって何よりの祝砲の証だ。
残るは二人――顎に傷のある男と、眼帯の男。
流石に目の前で展開する光景に度肝を抜かれたのか、顔を青ざめさせながら叫びを上げた。
「てめっ……てめえ、なんだそりゃあ! なんだそりゃてめっ、てめえ!」
「人間は、遠くから一方的に殴ることで地上の覇権を握ったらしい……なら、俺もそうするかと」
前世のあるとき、歴史の授業でそう聞いていた。
槍を投げる。弓を引く。銃を撃つ――それが人間がここまで地上を制した理由なのだ。
射程距離という絶対概念には、どんな生物も及ばない。
実際のところ、エルマリカの腕を掴んでいた一人目を倒したのは投石である。考えてみたら、単純な解決策だった。
十メートルの射程を持つ触手で及ばないならどうすればいいか。
簡単な話だ。
それ以上の射程距離から、それ以上の速度の物体をぶつければいい。
それだけの話だった。
ぎり、ぎり、ぎり……と。
箒めいた裸木に、触手が丸太を固定する。そんな木の幹を、これまた無数の触手が無理やりに引き絞って弓なりに反らせている。
十メートル級の触手が十本。
ならば、一メートルの長さならその十倍の本数。そして一本一本は成人男性の腕力にも匹敵する。
マンモスすら絶滅させた石槍の投擲や古代ギリシアの昔に猛威を振るった投石機――ではないが、そのちょっとした再現であった。
言うならば――――必殺:触手カタパルトスローである。
「……あら。でも、竜も吐息を吐くわ? 得意なのよ?」
「……それは言わないでくれるとありがたい」
「ふふ」
勝てるか、勝てないか。
触手使いとして、どうするか。
思うに、シラノは触手という言葉に囚われ過ぎていた。
様々な権能によって女性の尊厳を貶め、どこからか無数に湧き、その数の暴力と攻勢によって身体を絡め取る怪異――それがシラノの知っている限りの触手だ。
だが、違う。もっと単純に考えればいいのだ。
これは人間に比べてスペースも必要なく、常に全力を出すことが可能で、その大きさや長さも自在に定められる――――脳で思った通りに動く、換えの利く無数の手足。
そうだ。
下手には、下手なりの使い方がある。
「イアーッ!」
しなる幹から放たれた丸太の豪速球が、逃げようとした男を一人飲む。
どこかしらに隠れられてしまっては無力化されてしまうが、人の足よりも遥かに速い。
そして簡単に逃げられぬように場所は選んだ。距離も決めた。ちょっとした枝程度なら折りながら進むから問題ない。
鎧は想像通り相当に堅牢なようで、無事死んではいない。
だが、少なくとも立ち上がれるほど軽い衝撃でもないだろう。
「……」
そして、残る一人――眼帯の首魁に右手を向ける。
合わせて立てた人差し指と中指の二本は号令であり、シラノの中での照準だ。
指が震える。思ったよりも長い戦いになってしまった。
森に入ってからどれだけ時間が経っただろう。フローも心配しているかもしれない。
そんな気持ちで――
「イアーッ!」
放った丸太は、これで話の幕を引くはずだった。
だが、違う。
丸太の表面に蒼い蛍光色の電子回路めいた軌跡が走ったと思った途端、その通りに散り散りに弾け飛んだ。
斬ったのではない。
「あれは……!」
やけに切れ味の良い刀だと思っていた。
だが、フローの話ぶりから頭では除外していた。まさかこんな三下連中が、持っている筈がない――――と。
噴出する高圧風流が大気に衝突し、交じりながらも強風を生む。
巻き上げられた落ち葉のその向こうに立つのは、眼帯の男と――刀身に蒼い回路めいた模様を映した、幅広の両手剣。
シラノの持つ常識を外れるこれこそは、
「
天から伝えられし権能。地に満ちたる百八の序列の一。人たる鍛冶士の起こす奇跡。
フローという触手使いをして、
シラノの頬を冷や汗が伝う。
触手が、どうする――と嗤っている気がした。
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