第3話 触手使い失格者


 ガヤガヤと、男たちの歓声が響く店内。

 竜の大地ドラカガルドの北北東に属する山脈の麓の村――ガルドレイヴ。

 さして大きくはない村の、唯一の酒場。肉の焼ける香りや酒の甘ったるい香りが混ざりあったその店内には、それ以上に強い香りが漂っていた。

 汗の匂いではない。

 血の匂いではない。

 それは単に、一つ。


「……見たか、あの冒険者のツラをよぉ! 得意満面に偉そうなことを言ってた癖に、鎧も捨てて裸で命乞いをしてやがったぜ!」

「ははっ、何が冒険者だ! はした金で他人に雇われる連中が、訳知り顔で生死の専門家みたいなツラァするんじゃねえ! クソボケ!」


 陶器の酒杯を煽り、喚き立てる五人の男たち。

 その大きな声と粗暴な言動に他の客が顔を顰めるも……誰一人として、咎めるものはいない。

 全員が、奪った魔術の鎧で武装しているからではない。

 体格がよく、気性が荒そうであるからでもない。

 眼帯の頭目の男の傍ら。鞘に収まった剣から漂う――――危険の香りが、一つ。


「……っ」


 故に誰も、その男たちの会話に水を挟まない。数年努めていた看板娘が職を辞すことになってしまった今も、そうであった。

 林檎が空から地へと落ちるように、人が空を飛べぬように、この世には厳然とした法理がある。

 法理が故に、誰も彼らに異を唱えられない。

 ……否、


「お兄さんたち、景気が良さそうだねぇ……いやあ、あやかりたいねぇ……そうも愉しそうにしてるなんて。なんだったか――戯曲にもそういうの、あったよなぁ」


 一人――。

 長身を猫背で歪めて、咳に引きつるような奇妙な掠れた笑いを漏らす男が、彼らへと声をかけた。


「なんだ、お前……なんか文句でもあるってのか? オレたちに喧嘩でも売りに来たのか? あ?」

「はは、おっと、落ち着いてくれよ。……知ってるかい? 暴力ってのは良くないんだぜ?」

「あ?」


 じろりと、荒くれ者たちは男を睨んだ。

 飄々としつつも、何ともみすぼらしい。腰に剣を佩いてこそいるが、気勢も風情も薄い野良犬のような男である。

 気に食わないのは渋い緑色の髪の下、ニヤニヤと目を細めて薄笑いを浮かべていることだけだった。

 酒に酔いすぎた酔漢なのか。気でも触れているのか。杞憂にしても、不気味だと……頭目に目配せをしたときだった。


「兄貴! こ、こんなもんが――!」


 仲間の一人が血相を変えて持ってきたのは、整った字で書き殴られた『糾弾状』――否、の立て札。

 彼らの所業を記し、光の大神と雷の神の決闘神話を引用しながらも痛烈に罵倒し呼びかけるその糾弾状に、仲間たちはすぐさまに沸き立った。

 やいやいと怒号が飛ぶ。

 その間に――いつの間にか、野良犬のような男は消えていた。


 ◇ ◆ ◇



 触手の持つ基本的な権能は『十』。

 その形状を変化させる『吸盤』『突起』の生成。

 小刻みに震え、対象に振動攻撃バイブレーションを与える『振動』。

 蓄えた電子を放射し、対象の自由を奪う『電撃』。

 対象の肉体に同化する――そして性感帯を増設もできるらしい――『寄生』。

 ……この辺はまだいい。良くないかもしれないがまだいい。

 交感神経や副交感神経に作用し、栄養価も高く肉体を昂ぶらせる『興奮剤』。同じく神経系に働きかける『幻覚剤』。同じく神経質に……アレコレして意識を奪う『麻酔液』。

 ある程度の粘度操作の効く『粘着液』。そして、アルカリ・酸性の切り替えができて気化もさせられる『溶解液』。

 あとは触手自体の強度を変化させられるという


(……)


 あからさまに

 しかも当人たちは「淫魔と戦う為の技術だ」と言い張っている。淫魔なんて存在しないのに。


(改めて最悪な魔法だ……なんだこれ……)


 嫌うなという方が無理がある。

 自分に娘や妻が居たら、おそらく触手使いのこの世からの根絶を支持しているとシラノは思う。

 そんなもの自分の代で終わらせた方がマシかもしれない。触手使い自身がそう思ってしまうあたり、かなり呪われた魔法だ。

 ……ちなみに物理的な方法以外で現実に干渉するものを魔法と呼び、その中で広く普及している理論立ったものを統一魔術や魔術と呼ぶらしい。

 なので触手は魔術ではなく魔法だった。


(そりゃあ、教えねえよな。俺に……こんなのは……)


 この世界の母に当たる人物とは、あまり打ち解けていたとは言えなかった。シラノも前世の記憶というものを抱え、母というのもその仕事から含めてどこか謎めいていた。

 お互いに何か隠し事をしているような奇妙な親子生活。

 必要最小限しか言葉を交わさない。もしも外から見られたなら何とも冷え切った家庭であったろう。その理由がまさかこれとは――


「さて、じゃあ触手道を学ぶにあたってこれだけは言っておくね」

「触手道」


 なんたる卑猥な単語だろう。

 すっかりと気を取り直した――アレから狂った笑いを続け、それから泣き出し、世の中に対しての恨みを飛ばし、シラノの隠し持っていた取っておきの菓子を食べた――フローが、威風堂々と胸を張る。

 身長もあまり大きくない上に、先程の醜態を見てしまうとなんか若干健気に思えてくる。


「ボクに教えられるのは触手の使い方だけだ。この力を神にするのも悪魔にするのも、全てはキミの意思一つってことを忘れないで欲しい」

「神は神でも邪神っスよね」

「この力を神にするのも悪魔にするのも、全てはキミの意思一つってことを忘れないで欲しい」

「……」

「忘れないで欲しい。いいね?」

「あ、はい」


 顔と顔の距離が近かった。

 烏の羽のような艷やかな黒髪。冥界の水晶の如き紫色の瞳と長い睫毛……フロランスはなまじ美形なので、張り付いた笑顔をされると物凄く迫力がある。

 ……爪先立ちでギリギリバランスを取っている、ということを除けば。さっきのこともあるし……。


「さて、これから修行を始めるにあたって……」

「あたって?」

「言葉の前と後には必ず! 絶対に! なんとしても『師匠』をつけるように! それか先輩でもいいし、なんならお姉ちゃんでもいいよ」

「師匠、ハイわかりました師匠」

「なんだよぉ……そんなに先輩って呼びたくないのかよぉ……」

「なんでそんなに呼ばせたがるんスかね」

「お姉ちゃんって呼べよぉ……ボクのことが嫌いなのかよぉ……」


 本当に大丈夫なのかこの人。いや、何となく仲間ができて嬉しいのは判るけど。

 正直なところ内心で不安を隠しきれなかったが、それでも今のシラノは触手ニュービー。触手の達人には敬意を払わなければならない。

 暴走。

 どうあれこの異世界で身を立てるに当たって、触手との付き合い方というのは重要だ。


「それじゃあ早速やりたいけど……召喚には詠唱チャントが必要だね。ちゃんとした詠唱チャントが」

「……」

「……う、うん。ごほん。あとは初級ぐらいなら発声シャウトでも大丈夫だよ? 思い当たるものはあるかな?」

「『いあ』とかですか?」

「そうそう、それそれ。やってみよっか」

「うす」


 フロランスからやや距離をとり、シラノは息を大きく吸い込んだ。

 大丈夫だ。やり方は判っている。悪夢で見た通りに――というかおそらくあれは過去の体験だろうが――やればいいだけだ。

 自分はできる子だ。できる子である。そう強く念じて拳を握る。

 森で摘んだ花を添えた母親の墓は近くにある。何故彼女が自分に触手を教えなかったのかは今となっては判らないが、こうなってはできるだけ自分の勇姿を見せるのみだ。

 それが手向けになろう。……なるのか? 触手で?


「さあ、それじゃあやってみようか! 大丈夫! 凄く好みの女性を見てムラムラした衝動に駆られたときみたいに叫べばいいよ!」

「いや、ムラムラしても叫ばないです」


 「えー?」とフローがコートの裾を持ち上げたが無視。

 かなり際どいところまで持ち上げたけど無視。殆ど太ももの付け根近くだけど無視。

 かなり肌が白くてふっくらとしていて意外と女性らしさを感じるが無視。コートの下に服を着てるのか気になるけど無視。コートの上からでも意外にかなり胸の膨らみがあるけど無視。

 ……でもこの人、残念な人なんだよな。


 ……。

 ここは集中一番。スゥと息を吸い、


「イアーッ!」


 おぞましい! なんたる冒涜的な召喚発声シャウトだろうか! キモイ!

 我ながら冗談ではなく凄まじく頭痛がしてきた。気が狂ってる。

 だが、ずわあ……と。

 おお、虚空から出てくるではないか。ペットボトルほどの太さの紫色の触手が。


「……結構素早いんですね、これ」


 召喚のままに十歩強の向こうまで一秒で伸びる触手。秒速にして十メートルほどだろうか。

 話に聞くプロボクサーの拳より若干遅いぐらいだろう。そう思えば使い勝手は悪くない。


「まあね。うん、それにしても初めからこの太さは悪くない。大きさも調整できるけど、何も考えずにやるのが一番自分にあってる太さなんだ」

「へえ……」

「無意識に召喚した触手は、最も操作に向いてる太さだ。いわばキミの精神が形になって発現したものだね」

「こんな形で精神を発現したくなかったよなぁ……」


 お前の精神のイメージは触手だ。

 そんなこと言われたらイジメとしか思えない。バトル漫画なら間違いなく敵の側である。それもかなり雑魚の。


「いやあ、それにしてもキミのは太いんだねぇ……凄く立派だよ。いや、少し太すぎるって気もするけど……これはすごい。大きいよ。力強いね。こんなの見たことないよ……太くて大っきいねぇ」

「……」

「あれ、どうしたんだい?」

「いえ……言葉には気をつけた方がいいと思っただけっすよ、師匠」

「うぅん? なんだい変な顔して。ボク、そんなにおかしなこと言ったかなぁ……?」


 首を捻るフローに合わせて三つ編みが揺れる。動物の尻尾みたいだった。

 自覚なく言えるあたり、彼女も異性に影響を及ぼす触手使いとしての素質が十分なのだろう。触手使いの素質が何かは知らないが。


「まぁ……でも実際初めから太いのは悪くないんだよ。普段より太いのを呼ぼうとすると、その分遅くなっちゃうからね。直径を倍にしたら四分の一、三倍なら九分の一って……」

「なるほど……逆に細くすると?」

「速くはなるけど、操作が殆ど自由にできなくなる。元の大きさから離れれば離れるだけね。んー……例えるなら、大木を斬る為の斧で小枝に名前を掘ろうとするようなものかな」


 それなりに召喚の法則もあるらしい。

 なるほどなぁ、とシラノは頷く。

 最初は触手なんて勘弁してくれと思ったが、こうして始めてみると以外にも奥深くて興味深い。


「よし、じゃあドンドンやってみようか」


 どんどんやるしかないらしい。




 ◇ ◆ ◇




「喉と頭が痛え……」

「うんうん、お疲れ様。頑張ったね……ハイ」

「あ、ども」


 フローから手渡された金属杯には、蜂蜜色の液体が並々と注がれていた。何が入っているのか解らないが、蜂蜜なら多分喉にもいいだろう。

 あれだけ声を連続して張り上げていたら、まぁ、喉も痛くはなるだろう。冒涜的な外見の触手を呼び続けていたら頭痛もしてくる。


「どう? 触手には慣れた?」

「……言っとくけど、俺は本当に触手使いになる気はありませんよ」

「むぅ……あれだけ熱心に修行してたのに」

「触手がどんなものか判りたかっただけですよ。暴走されても困るし」


 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。中国の伝説的な兵法家、孫子の言葉である。

 あまりにもおぞましい触手であるが、知らないことには理解も納得できない。まずは分かり合う為にも、知ることから始めよう……ということだ。


「……うぅん? なんだい、ボクの顔に何かある?」

「いえ……」


 さて、纏めてみるならこういったところか。


 ――――ひとつ、触手とは召喚者の精神のイメージ。頭で思うだけで簡単に動かせる。

 ――――ひとつ、一度に召喚し続けられる触手の総量は決まっている。太さや長さによって本数が大きく変わり、十メートル級ペットボトル太さ触手に換算して十本分。

 ――――ひとつ、呼び出す太さによって速度が変わる。だが元の大きさから外れれば外れるだけ上手く動かせなくなり、細かいものの方が難しい。

 ――――ひとつ。射程距離というものがある。およそ五メートル。それが触手の召喚陣を展開できる距離だ。

 ――――ひとつ、呼び出すとすごく頭が痛い。割れるように痛い。


 ……最後はおそらく酸欠か、あまりにも冒涜的な発声シャウトのせいだろう。


「……普通にこれ、戦いに使えそうなんスけどね」


 プロボクサーの拳並みの速度で撃ち出される十メートルの長さを持つ鞭。しかも操作は自由自在で数も多い。

 単純に考えてそこらの三下には遅れを取らないだろうし、相手が武器を持っていても早々やられはしない。集団で来られてもそうだ。

 いや、シラノの知る現実においてはかなりの強者にあたるだろう。銃や戦車でも持ち込まれない限り、おおよそ負けはないと言ってもいい。

 別に何もイヤらしい技に拘らなくても、普通に生きていけそうだ。その生き方が好きなら仕方ないが。


「……シラノくんはね、知らないから言えるんだよ」

「知らない?」

「魔術とか魔剣とかさ……あれ本当凄いよ。うん、一流の剣士とか人間やめてる……アレね……うん……本当にさぁ……」

「……」

「凄いよねぇ……アレは人気者になるよねえ……凄いなぁ。竜とか倒しちゃってさ……凄いよねえ……」


 また目が荒んでいた。

 先程の言葉からするに、彼女も一時はそういうものを目指していたのだろう。

 その辺に踏み込むのはよろしくない。

 軽々と人の心に入り込めるほど、白野孝介――いや、シラノ・ア・ローは偉くないのだ。


「あー……師匠、ところで師匠」

「何かな?」

「その……いやこれ、なんで一刀流とか名付けてるんスか? 触手ってウゾウゾいっぱいいるし、別に一刀じゃないですよね?」

「あー、それは……」

「……それは?」

「触手使いに両刀使いってのが中々いないからね」

「最低の理由だった」


 両刀使い。つまり両性愛者。

 一刀流とは……ああ、そういう意味で……。

 そうなったら触手使いで二刀流とか名付けている人間が居たら逃げねばなるまい。頭の片隅で固く決意した。


 さて。

 残念ながらいつまでも休んではいられない。こちらの世界の保護者もなくなってしまった以上、自分で身を立てねばならない。

 触手使いはナシとしても、暴走させない為には学ばなければならないし……何より食料の残りも少ない。早々に習得して他に職を探さねばならないのだ。

 大人しくそう判断して腰を上げる。努力も練習も好きではないし得意ではないが、ここまで来たら必要経費という奴だ。


「うす、ご馳走さまです」

「どうもどうも……えへへ。ふふふ……」

「……何笑ってるんですか?」


 杯を受け取ったフローが、何故だか花が綻ぶように頬を崩した。

 コートの裾を余らせて口元を覆って、何とも実に楽しげだ。

 こうして見ていると年頃の少女にしか見えず、シラノもどうにも変な心地を覚える。


「ずっとこうやってね、触手のことも合わせて雑談とかしてみたかったんだ……うん。まさか、こんな日が来るとは思ってなかった」

「師匠……」

「今までそうしてくれる友達なんていなかったし、父さんも母さんも『淫魔を倒す為の大事な修行だ』って修行中の余計なお喋りは禁止してたから……家でもあんまり話はしないしね。そう思うと、凄いなぁって」

「……」

「ありがとうね、シラノくん。こうやってくだらない話もできたし……触手液を振る舞えるなんて初めてだよ」

「いえ先輩、俺は…………、――――――え?」


 いや、待て。待ってくれ。何か聞き捨てならない単語が聞こえた気がした。

 気のせいであってほしい。

 いや、気のせいであってくれと願うシラノの目線の先に飛び込んできたのは先程の金属杯だ。


 触手液。

 触手。

 液体。

 しょくしゅえき。

 いやまさか――――――


「ふふ、触手には十の権能があるんだ! 勿論液体を出すなんて得意中の得意だよ!」

「ぐわあああああああああああああああ――――――――――――――ッ!?」

「どうだい、触手って便利だろう! これでキミもまた一つ触手の魅力に目覚めてくれるかな!」

「おわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ――――――――――ッ!?」

「キミの身体の中からだ! 馴染む! ほら、触手に馴染むぞ!」

「ぬわああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――ッ!?」


 今後ともよろしく。

 触手がそう囁いた気がした。

 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る