後編

 大学の二年生以降がかかる年齢的な病に、「自分を探したい」というものがある。急に広くなった世界に本来の自己像が掴めなくなる人間がかかる一種の精神病である。それにかかると


 1) ふとした瞬間に無性に旅立ちたくなる。今自分のいる場所から少しでも離れたく なる。

 2) ベストセラーの旅行本と、亀山郁夫訳の『罪と罰』、あるいは『人間失格』を購入する。

 3) 実際に旅立つ。海外、とりわけタイやベ トナムといった東南アジア諸国にバックパック一つで飛んでいく。金のある人間であればアメリカやヨーロッパを転々と巡る。いずれにせよ、外貨と観光客にまみれたスポットであることに違いはない。

 4) 雄大な景色を背景に自分の写真を撮り、それらをFacebookあるいはInstagramに投稿する。島崎藤村やエズラ・パウンドも驚く感傷的なポエムを添えて。

 5) 帰国後、自分が一回り大きくなったという自己催眠にかかる。安直な感化である。『罪と罰』を開くことはもはやなく、BOOK・OFFへ売りに出す。そしてまたいずこ。


 なお、この病は流感性である。有害である。ボクもタイへ旅立った。駅近の四ツ星ホテルに四連泊出来るツアーでタイへ旅立った。ドストエフスキーではなく、スタニスワフ・レムを連れて。楽しかった。それだけ。旅行はただの旅行であり、自分探しなどを旅に求めるべきではない。外国に自らの居場所などないのだから。それは観光客向けのインスタントな代物なのだ。私たちは私たちの生きる土地で自らを求めるべきである。ほんとに。

 というわけで帰国後、新しくできた親友のM君と大阪はミナミの古着屋を巡ったが、そちらの方がよほど楽しかった。アメリカの古い服を漁っては買い、買っては売りを繰り返した。そしてそこに安らぎを得た。


 お洒落かどうか、似合っているかどうかは置いておいて、好きな服を着て好きなことをすることが大切だったのだ。僕の失敗は恐らく、他人の靴に自分の足をつっこむような生き方が原因で、それじゃあ指先が痛いよね、痛いよ、かなり。

 自分の好きなことに時間とお金と精神のコストをかけていると、次第に女のことはどうでも良くなった。毎日が楽しかった。そして三年生の終わりに初めての恋人が出来た。

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