第16話 美しい満月だ


「喧嘩してきましたね?」


 宿屋に帰り、アレクシアに外套とステッキを預けた後、開口一番にそう言われた。


「なぁに、ただの殺し合いだよ。安心したまえ、わたしも生きているし、相手も生きている。しかし、見事な慧眼だ。傷を作った覚えは無いがね」


「このステッキです。刃こぼれが酷かったので。これ以上負担かけると壊れちゃいますよ?」


「なるほど、刃こぼれからわかったのか。アレクシアには隠し事はできないな」


 しかし、そろそろ限界か。

 奴隷商人、暗殺者、ギルドマスター。三回の戦闘でよく耐えた方だろう。特にギルドマスターとの戦闘は一撃受けるだけで致命傷になるため、自らの身体で受ける事はできず、全てをステッキで受け、避けなければならなかった。ステッキの刃に受ける負担は相当大きいだろう。


 本来ならば一度の戦闘で一回は手入れをいれなくてはいけないほど刀というのはメンテナンスが大変なのだ。自分でもある程度はできるが、やはりプロとでは腕が違い過ぎる。一度王都の鍛冶師に見せた方がよいだろう。


 私は今後の武器のメンテナンスのことを考えながら床に座る。リエルは相変わらず寝ている。ルリエはまだバイト中だろう。今は夕食時だし忙しそうだ。

 アレクシアとマリエは私を出迎えた後、夕食作りの手伝いに行っている。

 テオルドはニヤニヤしながらお風呂に入りに行った。


「あー、やっぱりジェームズは別枠だったか。もしかしてとは話してたんだよな」


 先程の入団テストの事について話すとジークは納得したように頷いた。


「まぁジェームズがいなくても入団テストはクリアしてやるよ。コッチも毎日馬鹿みたいに走ってたわけじゃねぇしな」


「技を磨く前に先ずは基本を熟す。ジェームズさんが教えたのですよね?最近は模擬戦をしても押されるようになってきたので焦ってます」


「確固たる意思と目標があるものとそうでない者では成長に差が出るのは仕方のないことだ」


 特にジークはこちら側に立つと決めた。どんな事をしても強くなって彼らを守ると決意した男となった。


「若き新芽が大木へと成長するか、はたまた内なる業火に焼かれて消えるか、楽しみだねぇ」


「おい、その悪どい顔やめろ、腹立つ」


 しばらくするとテオルドが風呂から帰ってきて、四人で話し合っているとお盆を持ったアレクシアとマリエが帰ってきた。

 待ってましたと言わんばかりにリエルが布団から這い出てくる。


「飯、きた」


「夕食の用意ができました」


「ようやく飯かー、腹減ったなー」


「今日は説明会や市場調査、訓練と、何かと忙しかったですね」


「市場調査は完全にお前のせいだからな。短剣買うのにどんだけ店回るんだよ」


「どの店が安くて性能が高いのか調べる必要がありますので」


「いいから装備片付けなさいよ。料理置けないじゃない」


 マリエがテキパキと皿に盛り付けられた料理をテーブルの上に置いていく。パンがメインでスープやサラダなどバリエーションは豊富だが日本食が食べたかったところだな。まぁ、ないものねだりしても仕方がない。


「あ、ジェームズさんお酒いりますか?」


「あぁ、貰おう」


 そう言ってアレクシアに出され物は日本酒だった。


「これは…」


「魔国で作られたお酒みたいですね」


「この宿屋といいお酒といい、変わった文化してるよなー、魔国って」


「魔国は島国で、今は鎖国してるみたいで魔国の物は入って来ませんからね。もしかしたらこの宿屋は魔国に住む人と特殊なコネクションがあるのかもしれませんね」


 魔国、島国か。本当に日本と同じような文化を持っているのだな。一度訪れてみたいものだ。

 久しぶりに飲んでみたが、本当に日本酒と同じ味だ。洋食のような飯とは合わない気もするが懐かしい味に浸れるのは心地いい。


「悪くない」


 夕食を食べ終え、風呂に入るために立つ。

 脱衣場に入り、籠に脱いだ服を入れて扉を開くと湯気が私の全身を包む。

 風呂場には誰もいない。そういう時間帯を選んだのは、誰にもこの体を見られたくないからだ。人様に見せられるものでは無い。


 身を綺麗にしてから露天風呂へと向かい肩まで浸かると全身に満ちていた疲労が削ぎ落とされる。起きているのか寝ているのかわからない心地いい感覚、手放したくない、そんな麻薬のような快感に浸りながら持ち込んだ日本酒を飲む。

 空は星が輝き二つの満月が世界を照らしている。


 幻想的な世界で飲む酒。


「素晴らしいものだな」


 その美しい光景をたっぷり拝見し、満足してから風呂を出る。身体を拭いて浴衣に着替える。


 部屋と戻る廊下でアレクシアを見る。窓の外を眺めながら、頬を上気させるその姿は、とても美しい。異界に美形が多いのは何故なのか。

 ふとそんな疑問を感じてしまう。


「風呂上がりかな?」


「あ、ジェームズさん。はい、部屋に帰ろうとしたんですが、窓から見える満月が気になって眺めていました」


 満月の光を受けてアレクシアの栗色の髪が輝く。今日は麦わら帽子も被っていないので狐耳がピコピコ動いている。


「私も風呂から眺めていたよ。いつまでも眺めていられる美しい満月だ」


「はい」


 そうしてしばらく二人で満月を眺める。

 しかし異界に来て少女と満月を眺めるなど、なるほど、『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものだな。


「ジェームズさん、私は貴方と出会えて良かったです。貴方がいたから私は彼らを諦めないでいられました」


 アレクシアが静かにそう言った。そこにどれだけの心が込められているのかはわからないが決して小さなものじゃないだろう。


「なぁに、私がいなくても君は諦めてなどいなかったさ!君はそう言う人だ。アレクシア・フクス・ファルシュとは、そう言う人だ」


「…はい」


 アレクシアは複雑そうな顔をする。何かを我慢する、辛そうな顔。

 彼女が何を隠そうとしたのか聞くつもりは無い。人間誰しも一つや二つ、隠したくなる過去があるものだ。


「ジェームズさん、貴方は何故私達を助けてくれるのですか?」


 アレクシアが満月を見ながら問う。

 アレクシアはわかっている。ジェームズは善意や哀れみで彼らを助けている訳では無い事を。ジェームズという男は何処までいっても『悪』であり、目的のためなら手段を問わない男だと。

 本来アレクシア達を王都に届け終えた時点でジェームズの義務は終わっている筈なのに。


 何故なのだろうか?

 私は美しい満月を眺めながら考える。答えは簡単だ。それでも考えてしまうのは、それを否定したいからなのだろう。


「一度捨てたものを拾い直せると思ったから、だろうなぁ。まぁ、拾うつもりはないがね」


「え?」


「ふっ、今日は少し飲むすぎてしまったようだ」


 私はその場を離れて部屋に戻る。


「君も早く寝たまえ、夜更かしは美容の天敵と言うだろう?」


「ジェームズさん…」


 人間誰しも一つや二つ、隠したくなる過去があるものだ。

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