第5話 君は、どうするかね?

 少女は馬車の方へと視線を向ける。

 そこには手足首に鎖が付けられた少年少女達が虚空を眺めていた。


「お嬢さん、私は善人ではないよ。それはお嬢さんも知ったはずだがね」


 先程行われた『殺人ひとごろし』を見ていなかったわけではないことはわかる。

 人を人とは思わぬ所業を見ておきながら、私を『無償で憐れな奴隷達を助ける英雄』と、そんな馬鹿な勘違いをしているわけではないだろう。


「そ、それでもです。貴方は私を救ってくださいました。それは事実です。では、彼らのことも同様に救って頂くことはできないでしょうか」


 私は目を閉じる。


 私が善人ではないと知りながら、それでも可能性が少しでも存在するのなら縋りたいと。


 そしてゆっくりと開く。


「お嬢さん、貴女はとても美しく綺麗な心を持っている。奴隷商人に連れ去られながらも心を折ることはなく、馬車の中でも皆を守っていたのだろう」


 馬車に視線を向ければ、数人だが目に光を宿し、私たちに視線を向けている者もいる。生き残りたい。生きていたいと願う目だ。

 彼らが今もその目に光を宿せているのは少女の存在が大きいだろう。でなければ、あんな目はできない。


「もう一度言うよ、お嬢さん。私は善人じゃない。君を助けたのは現状を知るための情報を得るためだ。そして奴隷商人を殺したのは商人達に対話の余地がなかったからだ。決して奴隷にされた彼らを救うためじゃない。それでも君を助けたのは一度助けると決めたからだ。お嬢さん、貴女の心は大きく美しい、まるで太陽の光を受けて輝く泉のように澄んでいる。それでもね。例えどんなに美しく綺麗な心を持っていようと、確かな実力が伴われていなければ、君の言葉は空虚な戯言でしかないんだ」


 綺麗事だけでは誰も救えない。逆に綺麗事を持たない人間は人であることを捨て破滅する。それがこの理不尽な世界だ。

 それに何も知らない私は彼らを助ける方法などわからない。それに相手は奴隷商人。厄介事に首を突っ込むのはゴメンだ。


「私の言葉は空虚な戯言かもしれない。救いたいと願いながら、私は貴方に救うことを頼んでいるのですから。無様で憐れ、もしかしたら貴方の目には私が駄々を捏ねる子供に見えているかもしれません。それでも、これはチャンスなんです。私は何としてでも彼らを…救いたい。わ、私は…彼に助けられました。…貴女だけでも生きて…欲しいと。商人達から鍵を盗んでくれたんです……。か、かれは…笑顔で、逃げて欲しいと、…お、恐ろしかったはず、なんです!う、うぅ…ほ、本当は、私なんかより、逃げ出したかった、はずなんです!そ、それでも、かれは…ぐすっ……お願いです!チャンスなんです、これは!も、もうかれを救うことはできませんが、わたしも、…がれどおなじように……すぐいだい!!で、でも、わたしには…かれのような、勇気も、強さも…ありません。…ないんです!わだしには!」


 目に涙を溜め、顔をグチャグチャに歪ませながら少女は叫ぶ。自分に力が無いと知った時の絶望。強い者に助力を乞うことしかできない悔しさ。彼らを助けられず1人逃げだした時、少女は何を思っただろうか。

 馬車の中を見ると赤黒い染みが付いていた。


 あぁなるほど、ようやく理解できた。

 私が奴隷商人を追おうとした時に何故少女は付いてきたのか。奴隷商人に捕まり逃げていたのなら戻ることなどできないはずだ。彼女は私に助けられた時に思ったのだろう。皆を助けられるかもしれない、と。

 それはとても細い糸だったのかもしれない。けれど、少女は1人逃がされた状況であっても皆を助けるという道を投げ出したりはしなかった。


 なんと眩しく暖かい光だろうか。


「おねがいです…。わたじの、すべてを差し上げます。ど、どうか…か、彼らを救っては…くれないでしょう…か……」


 全てを理解した。

 私は少女に対して背を向けて歩き出す。


「お嬢さん、彼らを救うなど、私にはできんよ。元来がんらい私は善性の者とは相容れなくてね」


 ▼▼▼


 少女は俯いてしまう。

 必死に保っていた心が崩れた気がした。

 最後のチャンスは絶たれた。

 これで終わり。救うことなどできなかった。


 少女はそれでも折れなかった。

 助けなどなくとも彼らを助けたい。一人だってやってみせる。どんなになろうとも……。


 涙が溢れる。心が堕ちていくのを必死に繋ぎ止める。

 大丈夫だと言い聞かせる。


 力を入れたいのに、足に力が入らない。

 身体が崩れ落ちる。両手を胸に当てる。決して苦しくなんかない。辛くなんかない。


 わたしは…「お嬢さん、早く乗りなさい」


 少女が顔を上げると老人は馬車に乗りたずなを持っていた。


「私は彼らを救うことなどせんよ。

 元来がんらい私は善性の者とは相容れなくてね。

 だから、全てを奪う事にした。馬車も金もガラクタも奴隷達も、そしてお嬢さんもね!」


 老人は片目を軽く閉じてウインクする。

 整えられた白髪と思慮深さを感じる白い口髭を生やした老人は、意地の悪い老獪な笑みを見せる。


 本当の『悪』とは何か?

 その者によって行われた所業の大きさなのか、それとも犯した罪の数か。


 老人は思う。

 それはきっと、何がなんでも自分の意志を押し通す漆黒の強さだと。


 少女は思う。

 今日、私はどれだけの涙を流しただろうか。


【逃げてくれ、僕の事なんか気にしなくていい!】


 どれだけの不幸を感じただろうか。


【君は生きてくれ!君は生きなくちゃいけない人だ。いつまでも気高くて、美しい君でいてくれ!】


 どれだけ自分を奮い立たせただろうか


【だって君は、君はこれからたくさんの人を救わなくちゃいけないんだからさ!】


 ヨハンさん。私は決めました。

 私は貴方の言う通り、気高くて美しくありたいと思います。


「…はい。はい、今、行きます。…今行きますから…」


 あの人は悪い人だ。奴隷商人を殺して笑い、金も奴隷も私も奪って笑っている。酷い人だ。

 だったら、だったら私が彼を止めよう。


「私の名前はジェームズ・マーガレル。世界最強の暗殺者にして世界最高のアラフィフ紳士さ。お嬢さん、君の名を教えてくれるかい」


「…わ、わだし、の、名は……アレクシア・フクス・ファルシュ…です」


「泣いているのかな」


「…な、ないでない、です」


 彼の『悪』を受け止められるくらいの『善』であろう。

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