第二節 死を待つ日々
本を読み終わり、集中が切れると、珈琲の心地よい匂いが鼻腔をくすぐった。
手に持っていた本から、視線をテーブルの上に移すと、金色の模様があしらわれているコーヒーカップが置いてあり、中に入れてある珈琲には、もう湯気は立っていなかった。
カップの取っ手を掴み、口に運ぶ。
────うん、美味しい。
猫舌である僕は、この冷めている珈琲が大好きなのである。
「…………えっと?」
珈琲を煎れてくれた人を探す為周囲を見回すと、僕の隣にある書架から、幼馴染であるローゼがひょこっ、と顔を出した。
目が合った僕はいつも通り「美味しい珈琲をいつもありがとう」と礼をする。
目が合ったローゼはいつもと変わらず「どういたしまして~」と返答してくる。
「今は何時何分かな?」すぐ後ろに時計があるのだから、見れば聞かなくても済むのだが、なんとなく首を動かすのが面倒になったので、聞くことにした。
「今は三時二十六分だよ~。いやぁ、それにしても本当に凄いね、六時間もずーっと集中して本を読むだなんて」
目の前にいるローゼは、腰あたりまである金髪を揺らしながら、僕を褒めてくる。もっとも本心で言ってるかどうかは分からないが……。
というか六時間も集中していたとはな。どうりでいつも以上に疲れた感じがするわけだ。
「私も休憩しながら読書してたけど、珈琲を煎れに来るときびっくりしたよー! だって朝図書館に来た時から、一度も姿勢が変わっていないんだもの」
言いながら、ローゼはぴょんぴょんっと、飛び跳ねるように移動し、僕の隣の椅子に座った。
「こんな時なのに、いつもここに来てくれて、本当に……ありがとうね。この図書館の『館長』としても『私』としても、嬉しいよ」
こんな時、とは多分塔の事で国中が大混乱を起こしているのに、ということだろう。──そう言った少女の表情は少し、陰っていた気がする。
……無理もない。ローゼは『鐘の音』で両親を失ったのだから。
元々、この図書館はローゼの両親が建設・運営していたものである。
両親が死んでしまったことによって、この図書館も消える筈だったのだが、僕は馴染みのあるこの場所が消えてしまうのは絶対に嫌だったので、一時期真剣に僕が後を引き継ごうと思っていたのだが、ローゼがある日急に「私がこの場所を守る!」と言って父親の後を継ぎ、館長となったわけだ。
「ていうか、塔が出現してから本当に僕以外誰も図書館に来ていないのか?」
城壁から塔が出現してから、国民の生活は混乱の一途をたどっていた為、娯楽施設等は殆どが潰れてしまった。しかし図書館は娯楽施設ではないと思うし、なにより『魔法』の事を調べる為に一人や二人、
「うん、レン以外は誰も来てないよ。……ほら! うちの図書館は魔法書はあんまり取り扱ってないし。それに、この図書館は結構住宅街から遠いからさ、多分みんな、
はあ、とため息を吐くとローゼは机に突っ伏してしまった。機嫌が悪そうな、トゲトゲしい感じがする。
「レンは中央図書館の方に行かなくていいの? あっちの方がいっぱい本あるでしょうにー」
子供が拗ねてしまったような声で言う。
まあ、確かに中央図書館の方が、本の種類は多いし、失礼なことを言ってしまうと、ここより設備はいい。だけれど、
「ここがいいんだよ。小さい頃からのお気に入りの場所だし。それに、ローゼの事も少し心配だからさ、だからここに来て様子を──」
読み終わった本を閉じて、もう一度ローゼの方を見ると、猫のような二重まぶたの目を剥いて、こちらをじっと見ていた。
「な、なんですか……、僕なんか変なこといいましたか?」
「い、いやぁ別になんにも~」
それだけ言うと、彼女はまた机に突っ伏す。でも、さっきみたいにトゲトゲとした感じがしないのは一体なぜだろうか?
◇ ◇ ◇ ◇
その後、七時ぐらいまでローゼと適当に雑談をし、帰路についた。
頼りない街灯の光に照らされながら、黒い石レンガでできた坂道を、二十分程度上ると、いつもの十字路に辿り着いた。正面の道は、まだ坂が続いていて、左右の道はずっと奥のトンネルまで、真っ直ぐに続いていた。十字路を左に進んで、五番目に建っているのが、僕の家だ。
一般的なレンガ造りの家に赤い屋根、壁には少しツタが張っていて、少し洒落た玄関前の扉がある。その横には赤いポストが付いており、中身があふれる程、手紙が突っ込んであった。
「………………………………はあああ」
重く深いため息が出た。
どこからか冷たい風が吹く。
「さっさと家の中に入ろう……」
一人ポツリと呟き、僕は玄関前の扉に手を置いて、奥に押した。
キィィ……、と扉が軋んで不気味な音を立てる。
玄関前扉の間に体を滑り込ませるようにして入り、少し進んで玄関のノブに手を掛けて、回し、奥に押す。
「……………………!」
玄関の鍵がかかっていなかった。
おかしいな、出かける前はちゃんと鍵を掛けたはずなのに。
まさか『あの人』が家の外に出たのか? ……いやそれはないな。
僕は顔を左右に振り、靴や新聞などで散らかった玄関で靴を脱ぎ、薄暗いリビングに足を踏み入れる。
……相変わらず酷い有様だ、と思った。
リビングは窓とカーテンを閉め切っており、酒と煙草の臭いが充満して、あちこちに酒瓶やらなんやらが転がっていて足の踏み場もなく、小さなテーブルの上も、開いた酒瓶と煙草の吸殻が入ったグラスで埋め尽くされている。
「遅かったじゃない。何処へ……行ってたんだ」
リビングの中央に設置された大きめのソファ。
そこに寝転がっていた『僕の母』が起き上がった。
……くそう。起こさないために、慎重に家の中に入ったってのに。
「まぁあ、いいわぁ……。酒は自分で買ってきたし……、あぁ? このクソ息子、母親に何の土産も持ってこなかったよ! この無能が!」
八本の酒瓶を両手で持ちながら、僕に罵声を浴びせてくる。
母は酒瓶を床に置くと、空の酒瓶を一本左手に持ち、あろうことか僕に投げてきた。
「────!」
咄嗟の判断で少し右に移動し、向かってくる酒瓶を回避した。
すぐ後ろでガシャン! と硝子が砕ける音が耳に直接響く。
「──あっ……ぶないだろ、……それに酒の飲み過ぎは良くないって──」
ここで僕は一つの違和感に気づく。
母に酒を購入できるぐらいの金があっただろうか?
何かを質に入れたのか? しかしこの家に金になるものはもうないはず。
「ねぇ、お酒を買うお金、まだあったの?」
ぼうっと天井を見ていた母は、そのぎょろりとした目で僕を見てきた。
背筋がぞっとする。
「ないわよ、そんな金」
さらっと一言。
じゃあ一体どうやって──と聞こうとした瞬間。
「隣の家のクソババァを殺してね、お金を……とったの」
母が、まるで異国語を喋ったかのように何を言ったのか、僕には一瞬理解ができなかった。
僕の、母、が、お隣さん、を、殺し、た? ─────え?
その上、お金、を、とっ、ただって? ────は?
お金の出どころの真実を聞いた僕の顔は、多分、今までで一番間抜けな顔をしていたのだろう。
「ほぉらぁ、今日ワタシ機嫌いいからアンタに小遣いあげる」
顔に何かが当たった。
それは床に落ちて、無音に等しいカサッ、という乾いた音を立てた。
これは──お金だ。
僕は黙って二階の自分の部屋に上がった。
もう、憤りとか呆れとか殺意とか悲しみとか、そんな感情は浮かんでは来なかった。
ただ一つ。
二階に上がった時に気づいたのは、僕は、そのお隣さんのお金を左手に握りしめていた。
そのことに、僕は、自分に、失望した。
もう嫌だ……、この家は耐えられない。
そうだ、家出をしよう。
たとえどこでくたばろうとも、僕なら、心配する人はもういない。
その時だった。
二階の窓から一人の人影が見えた。
その人物は、
なにより特徴は、街灯の光に照らされて、きらきらと輝く腰まであるだろう金髪。
猫のような、二重の目はこちらをすっ、と見据えていた。
僕は、彼女を知っている。
彼女も、僕を知っている。
そう……、彼女の名は──ローゼ・フレメア
この世でたった一人、僕を心配してくれる人。
短編魔導書から始まる塔攻略 結城 奏者 @Naegi-Yoki2741
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