*隠れた喫茶店「スノウ」のとある一日*

氷葉りふ

第1話

 ここは喫茶店「スノウ」。


 レンガ造りの壁には蔦が這っており、周りの建物とは違った昔ながらのレトロな雰囲気を醸し出している。看板には木の一枚板に「喫茶店スノウ」と文字が彫られている。


 スノウのある通りは最寄り駅の改札とは反対方面にあるため人通りも少なく、そこからさらに路地に入ったところに店を構えている。そのため普段通りの日常を過ごしていたら、暇潰しに路地を散歩する変人でもない限り見つけることはできないだろう。しかしこの喫茶店で出すコーヒーや玉子サンドはとても絶品なため、人々の間では噂となって隠れた名店として地元民からは有名である。


 カランカラン


 「いらっしゃい」

 「マスター、いつもので」

 「あいよ」


 今日も常連である小笠原隆二はスノウにやってきた。目的は勿論コーヒーと玉子サンドである。マスターおすすめの細挽きのコーヒーは苦味は強いが、深いコクを味わえる。玉子サンドはふわっふわの白いパンにバターとマスタードを塗り、スクランブルエッグが挟んである。これがシンプルながらソフトな口当たりで、とても癖になる味なのだ。


 こぢんまりとした店内にはカウンターが八席と四人掛けテーブルが三つだけである。現在の客は私一人だけだ。大抵この時間帯には主婦たちが飲み物を注文し、玉子サンドを片手に雑談しているのだが、ここ三週間程その姿が見えない。


 「はぁ……」

 「マスター、どうしたんですか?」

 「いやぁ、いつも来てくれてる隆二さんなら分かると思うんだけど、最近来てくれる客が減っちゃってね。困ってるんだよ……」


 やはり店内に主婦たちがいないのは気のせいではないらしい。


 「どうやら駅前の商店街にストラバックスコーヒー、通称ストバというコーヒーの世界規模のチェーン店が出来たみたいなんだ。その店はここよりも広く、多くのメニューがあるから若い人たちや主婦たちが雑談する場として集まりやすい場所らしいんだよ」

 「あー、あそこですか」


 新しくオープンしたストバには私も行ったことがある。ガラス張りの壁に向かい、カウンターと椅子が並べられていてお洒落で清潔な印象を受けた。オープンしたのが三週間前だったはずだから、主婦たちがスノウに来なくなった期間と合致している。


 「今まで地元の人たちからはずっと愛されてきて、喫茶店としては町一番の自信があったけど、新しくオープンしたストバに客も取られてしまった。喫茶店としては二番目になってしまったよ……。もうスノウは終わりだな……」


 そう言うとマスターは項垂れてしまった。無理もない。この町ではライバルとなるような喫茶店が今まで他になかったのだ。だから新しくオープンしたばかりのストバに負けたことがよっぽど悔しいのだろう。


 私も営業職であるためその気持ちは痛いほどにわかる。私が売り込んでいたところをライバル企業に取られるなんて日常茶飯事だ。しかし………


 「マスター、人は新しいものに興味を引かれるものです。今回もそれと同じでしょう。新しくオープンしたストバに皆興味がある。だから行く。私もこの前行って来ました。確かにメニューは豊富でお洒落で清潔で、溜まり場としてもとても良い場所です。」


 「やっぱり君も……そう……感じるんだな………」


 「……ですが、やはり私はこの喫茶店スノウが大好きです。ストバとは違った昔ながらののレトロな雰囲気。周りの目を気にすることなく、落ち着くことができるこの空間。そして何より、マスターの挽くコーヒーと玉子サンドが私には大切な味なんです。」


 「隆二さん……」


 「人は新しいものに興味を引かれます。しかしずっと新しいものに興味を引かれ続けることはありません。いつかは原点を振り返り、そして思い出します。自分が何が好きだったか。何をやりたかったか。そして、どこがよかったのか。ほら………」


 カランカラン


 喫茶店の入り口のドアが引かれる。それと同時にドアに掛けられたドアベルの音がなる。喫茶店「スノウ」に声が響く。


 「マスター、いつものね」

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*隠れた喫茶店「スノウ」のとある一日* 氷葉りふ @watayuki1970

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