「表現したいという欲」、たとえ勝ち負けを争うものであっても、その気持ちを忘れてはならないだろうなと感じます。
しかし“詩のボクシング”と銘打っているのに、今回のような見た目のパフォーマンスに重きを置いたやり方でもOKというのはなんか不思議な気もしますね。
作者からの返信
サンダルウッドさん、コメントありがとうございます!
鷹岡含めた高校生って、試験の数字で測られる生活をしている分、彼らにとっての表現はテストの点数という数直線上の優劣でしか無いのだと思いますね。完全に相対評価の世界。
それと比べて、詩のボクシングは上下の無い言葉の殴り合い。評価基準は自分が好きかどうか。絶対評価。
僕が、檜山先生に感謝しているのは、相対評価の世界に飽きていた自分に、絶対評価の世界を教えてくれたこと。恩師です。
実は鷹岡達が出ているのは、詩のボクシング団体戦『声と言葉のボクシング』なので、厳密には詩のボクシングとは違うんですよね。
声と言葉のボクシングは、詩のボクシングよりも良くも悪くも自由です。自分の声や体のみでの表現。作中でも解説回を挟みますかね。
発表する詩をそこねるようなパフォーマンスは、良くないと思いますが、合っていれば、自己表現の方法として面白いですね。
作者からの返信
風梨さん、コメントありがとうございます!
言葉だけではなく体全体を使った表現方法と言うのは遊び心と頭をフルに使って行う最高のパフォーマンスだと思います。
大人になってから、体全体を使った表現と言うのはしなくなりますが、本来人間と言うのはボディーランゲージを含めた交流を行ってこそ人とのつながりが生まれるんだと思います。