第26話 「今ならまだ間に合います!」
車には九重も同乗しており、彼自身もまた重症を負った。
飲酒運転による玉突き事故に巻き込まれ、完膚なきまでに潰された両足は、二度と地面を踏むことは叶わなかった。
わずか5歳にして、九重はろくに交流のなかった親戚夫婦の元で、車椅子生活を強いられることとなったのだ。
最初こそ狂ったように泣き喚き、疲れては気を失うように眠る日々が続いた。
一度スイッチが入れば引き付けを起こすほど泣く九重を親戚たちは持て余し、半年で三度も保護者が変わった。
膝下から無くなってしまったはずの足が疼く夜、見る夢はいつも両親との幸せなそれだった。
両親のところに行きたいと思い詰める日もあった。それでも、なんとか九重は踏み堪えた。足がなくなっても、手は動くし目も見える。耳も聴こえるし声だって出る。
新しく引き取ってくれた親戚夫婦は相応によそよそしかったが、だからこそ罪悪感なのか、九重に何かを買い与えることを惜しまなかった。九重を引き取ることで、彼らが得た両親の遺産や、障害児に対する手当てもその要因の一つであったのだろう。
そうであれば、できることは思いの外たくさんあった。テレビを見ること。ゲームをすること。工作すること。本を読むこと。歌を歌うこと。聴くこと。
彼らの元へ引き取られたことで、幼稚園の頃の友達とは学区が離れてしまったが、その春入学した小学校でも九重は比較的すんなりと受け入れられた。
いわく、”ゲームの天才”で、”物知り博士”の九重。
暇にあかせてやり込んだたくさんのゲームソフトと、寝食も忘れて
特別構われはしないが、仲間外れにもされない。一学期が終わる頃までは、平和だった。このまま全てがうまくいくかもしれない、そんなことを思ってしまうほどに。
どんな学校にも、しかし悪ガキというものは存在する。控えめな性格である九重は、それまで彼らといつでも慎重に距離を置いて付き合っていたし、それは概ね上手く行っていた。昼休みには校庭に出て行ってしまう彼らと、図書室に籠ってしまう九重は、ある種の住み分けに成功していたのである。
結論から言えば、他でもない九重が彼らに喧嘩を売る形で、あっけなくその関係は崩れた。
その日、悪ガキたちは傍目にもわかるほどイライラしていた。後で聞いた話によれば、集団で何かいたずらをして、それぞれの親にこっぴどく叱られた後だったらしい。ぞろぞろと登校してきた彼らが、苛立ちに任せて椅子を蹴っ飛ばした時点から、今日は彼らに関わるまい、と九重はひっそりと心に決めていた。
「マジ、むかつく! 小遣い減らすとか言いやがって、あのクソババア!」
「親なんて居てもウザいだけだよなー! いなくても別に困んねえし!」
などと聞き捨てならない会話が聞こえてきたときも、だから九重は聞こえないふりに徹した。
しかし、「九重んちは良いよなー! 親居なくて!」と肩を抱いて絡んできた少年の言葉に、瞬間九重は、我を忘れた。
「あんな奴ら、九重んちみたいに、事故にでも合って死んじゃえばいいのに!」
ゲラゲラと笑いながら言う少年の胸ぐらを掴み、気がつけば九重は、その顔面を力の限り殴り飛ばしていた。
その後のことは、さながら坂を転がる石のよう。
悪ガキたちの命令により、翌日から九重に話しかけるクラスメイトはいなくなった。九重が他所の子どもに暴力を振るったと聞き、手のひらを返すように親戚夫婦も冷たくなった。
その結果九重を待っていたのは、逃げることも隠れることもできない完全な孤独だった。
どこにも所属できない。どこにも行く宛がない。どこにも頼る場所がない。
寂しい。悲しい。悔しい。怖い。人に嫌われるのが怖い。無視されて居ないもののように扱われるのが怖い。愛してほしい。誰かひとりでもいい──愛してほしい。
***
夢うつつに思い出した断片的な記憶は、決して楽しい記憶ではなかった。伏せた瞼の下からノアの頬を伝い、ころり、ころりと涙が転がる。その涙を、拭うものがあった。
「あ、起きた」
反射的にがばりと飛び起きたノアの目に最初に映ったものは、萌え出ずる春の若葉を思わせる明るいグリーンの瞳だった。ハンカチを片手に、心配そうに覗き込んでくる大きな瞳には見覚えがある。まるで初めて顔を合わせたあの時のようだ。けれどもう彼女は幼い少女ではなかったし、ノアもまた何も知らない少年ではない。水晶でできた天井を見上げて、気を失って倒れたことをノアは思い出した。
「大丈夫? どこか、痛いところある?」
「大丈夫。ヒルダさんたちは?」
「もう行っちゃったよ」
片手で髪を掻き上げながら気だるげに起き上がったノアに、杖を抱えてしょんぼりしながらルチアが答える。水晶宮はシャーロットの四季の森とは違いそこそこ賑やかな場所だったが、ルチアの言う通り誰の気配も今はない。
あの中の誰かが、今日死ぬのかもしれない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。
「ヒルダが、おばあちゃんに迎えに来るよう書簡を送ったから、あたしたちはちょっとここで待ってなさいって」
「そっか……俺が倒れたせいだね」
頑固者のルチアが、こういう場面で大人しく引き下がるわけがない。恐らくは倒れたノアの面倒を見るために残れとでも言われたのだろう。悔しそうな表情で唇を噛むルチアに、「ごめん」と謝りながら、ノアはベッドから下りて立ち上がった。
「でも俺は……行かなくちゃ」
「ノア?」
「ルチアは、魔王様に会ったことある?」
立ち上がったノアを不安そうな目で見上げて、椅子に座ったルチアが首を横に振る。
「すごい人なんだ。優しくて……絶対戦争なんか起こす人じゃない。きっと、何か事情があったはずなんだ。俺はそれを知りたい。だから……行かなくちゃ。ルチアはここで、エルザさんを待ってて」
「ダメだよ。ノアもここで一緒に、おばあちゃんを待とう」
部屋のドアから出ていこうとするノアの手首を慌てて掴み、ルチアも椅子から立ち上がった。ノアの前に回り込んで杖を掲げ、「
「ルチア!」
閉じ込められたことにカッとなって、ノアは咄嗟に怒鳴ってしまった。
基本的に穏やかなノアがここまで怒りを露にすることは滅多になくて、杖を持つルチアの手がびくりと震える。それでも果敢に杖を握り直し、「行かせないよ!」とルチアはノアを睨み付けた。
「だって、今のノアは、全然冷静じゃない!」
「俺は冷静だよ! 頼むから行かせてくれ!」
「じゃあ聞くけど、魔王様の城まで、どうやって行くつもり? どのくらいの距離があると思ってるの? あたしの箒の方が断然早いに決まってる! でもそれより、おばあちゃんの転送魔方陣の方がずっとずっと早いんだよ!」
ノアが眠っている間、ルチアも色々考えて、その上で大人しく待っていたのだ。涙目のルチアからぴしゃりと叩き付けられた現実に気が抜けて、ノアがふらふらとベッドに戻る。ベッドの端に腰かけて、両手で顔を覆ったノアは、「ごめん……」と蚊の鳴くような声で謝った。
「そう……そうだよな……ごめん、ちょっと混乱してる」
「……何か、思い出せたの?」
「小さい頃の記憶……かな……残念ながら、この世界に来るきっかけのようなことは、何も」
隠しても仕方ないのでノアは正直に打ち明けたが、あまり話して楽しい内容ではない。短く話を打ち切ったノアに、「そう……」とルチアの方が気落ちした様子で俯いてしまう。
そうこうしているうちに、ひゅるる、と目の前に光の渦が巻き起こった。渦は次第に丸く大きくなり、魔方陣の形を作る。光の色は、薄緑。エルザの到着だった。
「な~に~を~二人して落ち込んでいる! リュカのところへ行くぞ!」
転送魔方陣から出てきたエルザは、すぐさま新たにリュカの元へと繋ぐ転送魔方陣を描きながら、般若の形相で二人を怒鳴った。
***
エルザも全容を把握したかったのだろう。転送魔方陣を出た先は、魔王の城の上空だった。咄嗟に空中を蹴り飛び上がったノアを、エルザが箒ですくいあげる。魔王の城の天井部分には、大きな穴が開いていた。王座の間と、向かいにあるリュカの政務室が、ほぼ
王座の間でオデットの亡骸を腕に抱き、リュカは一人床に座り込んでいた。全身から負のオーラを撒き散らしながら、
「オデット!」
オデットの腹に空いた風穴と床の血溜まり、生気のない肌を見れば死んでいることは明らかだったが、駆け寄らずにはいられなかった。半円状に浮かび上がった薄青い光のドームが、バチッと音を立ててノアを弾き返す。
「魔王様! 俺です! 入れてください! オデット! オデット!!」
両手から血を流しながら、その都度浮かび上がる光のドームを、拳で何度もノアは叩いた。
「無駄だ、ノア。今のこいつには何も聞こえちゃいない。リュカの魔術防壁は硬いぞ。おいルチア、お前もやれ」
ノアの肩を掴んで引かせ、解放されたままの杖をエルザが大きく振りかぶる。ルチアとともに何度も物理で殴り続け、ようやくドームに空いた穴をばりばりと手でこじ開けて、つかつかとエルザはリュカの元に歩み寄った。耳と尻尾の毛を逆立て、オデットを守るように抱き寄せて、フーッとリュカが威嚇する。
「おい起きろ! クソじじい!」
「オデット! オデット!」
ひゅんっと手首をしならせて、容赦なく平手で、エルザはリュカの頬を打った。防壁を無理矢理こじ開けたため血の滲んだ手で、そのままリュカの胸ぐらを掴んで、ゆさゆさとエルザが揺すぶる。その後ろからオデットに駆け寄り、完全に息絶えていることを確認すると、ノアはその場で泣き崩れた。
「こんな……こんなことって……!」
オデットは、ノアに剣を教えてくれた師匠だった。小さい頃からエリアスが大好きで、時には剣術そっちのけで恋愛相談を受けることもあった。似合わない高飛車な口調をしていて、でも時々見せる素の顔が無邪気で、可愛くて──
「ノア!」
傷の癒え始めた拳を今度は床に叩きつけ始めたノアを見て、ルチアは慌ててその手を受け止めた。優しい腕に抱き寄せられて、子どものように泣きながら、ノアがそのやわらかい胸に身を委ねる。
ノアが落ち着く頃になって、ようやくリュカが正気に戻った。さんざんエルザにひっぱたかれて腫れた頬に、ルチアが回復魔法をかけている。ノアはオデットを床に寝かせて、せめてもと胸元で指を組ませてやった。
「……すまない、エルザ」
もう十分だと片手を上げてルチアを下がらせ、ぺしょんと耳を伏せてリュカが己の醜態を恥じる。
「謝罪はいらない。何があったんだ」
その前に仁王立ちになって、エルザは状況説明を求めた。
「……わからない」
「は?」
「本当に、わからないんだ。空を飛んできた乗り物から、何か筒型のものが飛んできたのはわかった。それがちょっと触れるだけで、私の結界が破れてこの有り様だ」
柔らかそうな髪を片手でぐしゃりと握り潰し、まだうまく現実を受け止められずに、蒼白な顔でリュカは首を横に振った。
「今ならわかる。あれは
らしくもない乱暴な口調で悪態をついて、リュカが拳で床を叩く。
「馬鹿な……エレクトラムは条約を結んだときに使用を禁止させたはず! 引き換えにお前の
リュカの言葉に信じられないと目を見張り、エルザも憤って声を荒らげた。エレクトラムは金と銀が混ざりあった特殊な金属で、魔力を一切通さないのが特徴だ。エレクトラムの武器でつけられた傷には回復魔法も効かず、小さな傷ひとつが致命傷になることも少なくない。支払った代償は大きくても、条約に使用禁止の旨を盛り込むのは当然のことだった。
「講和条約は破られた、ということだ。人族は簡単に嘘をつく。魔族と交わした約束を破ることなど、やつら何とも思っていないのさ」
「王様……」
リュカとエルザの話の合間を縫って、「オデットは……」とノアは訊ねた。訊ねる合間にもまた新しい涙が溢れて、そこで言葉が途切れてしまう。
「……オデットは、エリアスを庇って戦死した。私の責任だ、全て……」
「エリアスは? そのエリアスはどこに行ったんです」
放っておけばまた後悔と自責の渦に取り込まれてしまいそうなリュカに、重ねてノアが問いかける。最悪の事態は避けられたようだが、オデットに庇われて命を繋いでいるのなら、魔王の側近であるエリアスが今ここにいないのは不自然だ。近衛兵にしても、倒れている人数が少なすぎる。うめき声のひとつ聞こえてこない。
「エリアスとは……決別したんだ。行ってしまったよ。魔王城に残った全ての民を率いて」
声を震わせながら、「今回の戦の指揮を取っているのは、エリアスだ」とリュカが教える。魔王城を後にするとき、またすぐに会えるさと朗らかに笑っていたエリアスの顔を思い出し、ノアは愕然とした。
「誰にも言っていなかったが、私には約束があった。イーディスが亡くなる直前に彼女と交わした、不殺の約束。その約束に縛られていつまでも争いに踏み切れず、悩んでいる私を、あやつは見限ったのだ」
外壁がなくなってしまったため、晴れた空がよく見える。それを虚ろな目で見上げて、「ああ……全て、失ってしまったな」とリュカは呟いた。
「全て、終わってしまった。100年ごときで、確執は埋まらんということか」
できれば一生見たくなかった弱々しいリュカの様子に、涙ながらにリュカの手を握って、「まだです」とノアが懇願するようにひざまずく。
「まだ何も終わってません。きっとみんなまだ生きてる。今ならまだ間に合います!」
「ノア……」
「前々から考えていたんです。俺は……戦争はしたくない。そのためにこれから、戦争を止めるための、第三勢力を作るつもりです。でも俺には、そのために必要なものが何もない」
戸惑いの目で見られて「あなたがリーダーとして立ってください」とノアはリュカを説得した。
「人と魔族の戦争を終わらせるんです! 不可能じゃない! 一度はできたことでしょう! 今度こそ、あなたがやるんですよ!」
「……間に合うと思うか?」
眉は下げたまま口の端だけで切なげに笑って、空気を薙ぐように片手を払い、血まみれの玉座の間をリュカが示す。
「既にこれだけの血が流れた。何よりオデットを殺されたエリアスの怒りは、そう簡単には収まるまい」
遠見の水晶で、ノアも戦場の様子を見た。既に戦端は開かれている。難しいことは承知の上で、それでもノアは頷いてみせた。
「誰も殺さず、誰にも殺させない。イーディス様との約束を、守りましょう」
俺が異世界でアンデッドになった話をしよう 仁科 @nishina503
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