第25話 「この世界のものじゃない」

「わたしの試験は、虹色の花フローラを連れてくること……それが、それがまさか古代の竜種と妖精王に渡りをつけて無傷で戻ってくるなんて──」


 帰って来たルチアをぎゅっと抱き締めて、「さすがはお姉さまの孫ですわ~!」とヒルデガルドは感極まったように目を潤ませた。

 そんなヒルデガルドを、ノアの手のひらの上で、やや引きぎみにフローラが見つめる。


「もう何も言うことはありません。よくぞわたしの試験をクリアしました!」

「えっ、でもあたし、全然苦労してないような?」


 前の試験はもう少し苦労したような気がして、ルチアがシャーロットの試験を思い出す。けれどよく考えるとシャーロットのほうも試験自体はすぐ終わっていたし、活躍もなんか、そんなにしてない。杖を作るための滞在期間で、色々なことに巻き込まれただけだ。


「わたしの試験で見たあなたの力は二つ。危機的状況──今回はイーサンの致命傷や、妖精王とのいざこざね。危機的状況において、自らの役目を的確に判断し、実行できるかどうか。それから、仲間ノアとのチームワーク。魔女ってどうしても個人の力で解決したがるところ、あるでしょう? でもこれは、これから絶対必要になる力なの」

「……もしかして、ずっと見てた?」


 知るはずもないことを知ったように語るヒルデガルドに、ルチアの視線がテーブルの上に置かれた水晶玉に向かう。綿わたを入れた紫色の布の上に、顔が映るほど磨き抜かれた直径15センチほどの水晶玉が乗っていた。


「ええ。わたしが作り出した魔道具の中でも最高傑作のひとつ、『遠見の水晶』」


 つるんとした丸いフォルムを指先で撫でながら、「魔力を込めた者に、見たい景色を見せる魔道具よ」とヒルデガルドが説明する。


「本来の予定では、フローラを回収したあとで、わたしも一緒に常若の国ティル・ナ・ノーグに向かう予定だったの。妖精王はとても気まぐれなお方。あなたたち、とても危ない橋を渡ったのよ」


 ルチアはきょとんとしていたが、その辺は矢を向けられたフローラや、実際に戦ったノアの方がよく知っていた。

 あの時オベイロンは、本当に『フローラを殺すつもりで矢を放った』し、本当に『久しぶりに暴れてすっきりしたから矢を納めた』のだ。万事気まぐれで生きているようなオベイロンには、なおさらティターニアのようなしっかりした妻が必要だったのだろう。


「わたしの先見は万能じゃない。今回のことで、それがよくわかったでしょう。イーサンの怪我だって予定外だったし、あなたたちだけで常若の国ティル・ナ・ノーグに行く話になったときには、本当に冷や冷やしたのよ」


 椅子に座りながらやれやれと肩を落として、ヒルデガルドがふーっと長いため息をつく。


「もちろんわたしも転送魔方陣を描いてすぐに向かったんだけど、妖精の抜け道にギリギリで入れなかった。常若の国ティル・ナ・ノーグに直接転送魔方陣で移動するのは妖精王の許可を得た者にしか無理なのよ。あちこち心当たりを当たっている間に、あなたたちが帰って来たってわけ。あなたたちに万が一のことがあったらと思うと、本当に心配だったのよ」

「心配かけてすみません」


 知らないところでヒルデガルドも色々と奔走していたのだと知り、恐縮してノアは謝った。


「なんだ~、一回帰ってきとけば良かったのか~」


 水晶でできたテーブルセットの椅子に行儀悪く足を投げ出して座りながら、ルチアが片手で顔を覆い天を向く。


「そしたら、ノアにあんな傷を負わせなくて済んだんだ」


 ぽつりとそう呟いて、「……いや。やっぱりあたしが悪い」と手を下ろしたルチアは、勢いをつけてひょいっと椅子から飛び下りた。


「ヒルダ。いや、ヒルデガルド。ほとんど何もできなかったけど……あたしはあなたの試験をクリアしたんですよね?」


 その一瞬で何やら気持ちを切り替えたらしいルチアに目を丸くした後、ヒルデガルドが「そうよ」と微笑む。


「ルチア。あなたの望む報酬は、何なのかしら?」

「あたしは今回、ノアを守れなかったことが悔しい。だから、ノアを守れる道具を作りたい。そのためにあなたの力を借りたいの。協力してくれますか?」

「もちろん──」

「待ってよ、ルチア」


 ルチアの言葉にびっくりして、恐らくは肯定的な返事をしようとしたヒルデガルドの声を、ノアは途中で遮った。その様子に驚いたのか、フローラがノアの手のひらを離れ、ふわりとくうに浮かび上がる。二人の間に割って入りながら、「自分の身くらい自分で守れるよ」とノアはルチアを説得した。


「俺は結構……多分、ちょっとは強くなったし。大丈夫だから。それよりせっかくの報酬なんだから、自分のために使ってほしい──」

「あたしのためだよ!」


 スカートの裾を両側でぎゅっと握り、何かを思い詰めたような顔で、ルチアが珍しく声を張る。一瞬だけキッときつくノアを睨んで、けれどルチアの目はすぐに力をなくした。


「ごめん、怒鳴って」


 驚いているノアの様子に、怒鳴ったことをもう後悔して、ますますルチアの肩が縮こまる。


「でも、本当にあたしのためなんだ。あたしがもう、ノアの傷つくところを見たくないの」


 もはやノアの顔すら見れずに、目線を逃がしながら、やるせなくルチアは笑ってみせた。椅子に座ったヒルデガルドは、水晶玉の上で指を組みながら、黙ってその様子を見守っている。


「ウィルのお屋敷でノアが爆弾抱えてぼろぼろになったって聞いたとき、どうしてそばにいられなかったのかって、あたしすごく後悔した。後悔したのに……今回はそばにいたのに、それでもノアを守れなかった。ノアはあたしたちを逃がすため、必死で妖精王に立ち向かってくれたのに」


 フローラを抱えて一目散に逃げた爪先を見ながら、「あたしは、逃げちゃった」とぽつり、ルチアがこぼす。


「でも、それは」

「うん。フローラを守るためにはあれが最良だったよね。わかってる。今あの時に戻れたら、きっとまたあたしはああするよ。でも」


 溢れてきた涙をグローブでぐいっとぬぐって、ルチアは一度言葉を切った。


「あたしがもっと強かったら、みんなを守りながら全員で逃げられた。ノアを置いて逃げずに済んだんだ」


 うるうるする喉を無理矢理開いたせいで、ルチアの声が少しだけ上擦る。


「……そんなに思い詰めるまで、放っといてごめん」


 声のトーンをやわらかくして言い、ノアはそっとルチアの頭を撫でた。

 たまたま今回は自分の方が殿しんがりをつとめただけだとか、相手が強すぎただけだとか、慰める言葉はたくさん浮かんだが、どれも気休めのような気がする。

 代わりにノアは、悔しい気持ちを分け合うことでルチアの気持ちに添おうとした。


「俺だって悔しかったんだよ。二人を守ろうって頑張ったのに、全然歯が立たないし、簡単に二人を連れ戻されちゃうしさ。ルチアだけ、そんなに抱え込まなくていいんだよ。二人で強くなろうよ。メイリーにも、背中を預け合えって言われただろ?」

「……ノアは優しいね。何にも考えないで、甘えちゃいたくなる」


 自分の不甲斐なさを呪って唇を噛み締め、言葉とは裏腹に、優しい言葉に慰められることをルチアは拒んだ。首を振るルチアから、ノアが頭を撫でていた手を引く。


「あたしだけじゃない。ノアが優しければ優しいぶんだけ、きっといつかその優しさにみんな甘えちゃう。でも、ノアが傷つくと悲しむ人だっているんだよ。少なくともあたしは悲しい。すごくすごく悲しいよ」


 いつからかノア自身でもないがしろにしていた傷の痛みを、その度ルチアが代わりに背負っていたのだとその言葉でノアは知った。


「……ごめん。俺が、悪かった」


 大人しく謝ったノアを、「そう言って、直すつもりなんてないんでしょ」とルチアが赤くなった目で睨む。


「そんなこと……」

「子どものときから一緒にいたんだもん。それくらいわかるよ。同じような場面に立たされたとき……クロエやフローラみたいな人が現れたとき、ノアはきっとその人たちを見捨てられない。そうでしょ?」


 そうかもしれない、と自分の心と向き合い、反論できずにノアは黙った。


「だからあたしがノアを守るの。いつでも、例えそばにいられないときでも」


 反論できないノアに、もはやルチアの決意は覆せない。逆に覚悟が決まってすっきりしたのか、ルチアの表情は晴れ晴れとしている。


「決まりね」


 ヒルデガルドが言い、二人は彼女の工房に案内してもらった。フローラもノアの肩に乗って着いてくる。ヒルデガルドの工房は、長い長い水晶の螺旋階段を下った地下にあった。部屋のあちこちから飛び出した水晶の群晶が、ヒルデガルドが持つランプの光を乱反射してきらきらときらめいている。紫水晶アメシスト紅水晶ローズクォーツなど、同じ水晶でも様々な種類がある。ルビーやサファイア、ダイヤモンドにアレキサンドライトなどの希少な宝石が、磨きあげられ整然と棚に並んでいた。フローラが目を輝かせて、「すごーい!きれーい!」とはしゃいでいる。


「さあルチア。どれでも自由に使っていいわ。あなたはこの中から、どれを選ぶの?」

「これにします」


 色とりどりの宝石の中から、少しも迷わず、ルチアは一つの石を選び取った。他の石からすると見劣りしてしまうような、何の飾り気もない黒一色の石だ。


身代わり石ヘマタイトね」


 その選択に、納得したような顔でヒルデガルドは頷いた。


「薄手のローブ型の魔道具にしようと思ってます。石は留め具に」

「いいと思うわ。ヘマタイトは、魔を払い持ち主を勝利に導く石……いざというとき、攻撃を弾く盾になるでしょう」

「常時発動型の魔道具にしたいんですけど……できますか?」


 ルチアの言葉に一転それまでの笑顔を消して、「本気なの?」とヒルデガルドが戸惑いの色を見せる。


「本気です。だから、あなたに教わりたい」

「……どういうことですか?」


 本来ならば口を出す場面ではないのかもしれないが、今ルチアが作ろうとしているのはノアのための魔道具だ。二人の会話に、横からノアは口を挟んだ。


「常時発動型の魔道具は、魔力を封じ込めて作るの。魔力を込めること自体はそんなに難しいことではないのだけれど、それが流れ出さないように封じ込めるのは大変な作業なのよ。浸透圧ってわかるかしら?」


 ルチアへの答えにまだ迷っているのだろう。間を持たせるのにちょうど良かったようで、ヒルデガルドは丁寧に説明してくれた。


「要するに、自然の摂理に逆らうようなものなの。だから本来は一人前の魔女が、数人がかりでやるような作業なのよ。転送魔方陣の巻物スクロールとかね」

「ルチア……」


 そんな大変な作業だとは思いもよらず、今からでも止めるべきかとノアが迷う。


「封じ込めるって言ったって、使えば魔力を消費するわ。その度に同じ作業を繰り返すつもり?」


 口調からヒルデガルドもあまり乗り気ではない様子がうかがえたが、「やります」とかたくなにルチアは食い下がった。


「だって、ノアには魔力がない。でも、あたしにはある。ノアを守るための力があるんです。お願いします。やらせてください」

「……いいわ。そこまで言うなら、教えてあげましょう。その代わり、長丁場になるわよ。覚悟はいいかしら?」

「そんなの、とっくに決まってます」


 ふっと笑って頷いたルチアに、「はうう……かっこいいですう……さすがお姉さまの血を引いているだけありますわ……」とヒルデガルドが赤い顔で口元を押さえる。「なんとなく調子の狂う人ね」とは、フローラ談だがノアも同じ感想だった。


 魔道具作りは、ローブを縫うところからスタートした。魔獣と呼ばれる希少種から取れる特殊な生地と糸を使って、一針一針に持ち主ノアを守るためのまじないを縫い込んでいく。新しい服を仕立てるときにエルザが必ずやっていた作業だが、魔方陣と同じ原理なのだそうだ。留め具に使うヘマタイトから、魔力を流し込むための回路にもなる。

 この回路に魔力を流し込んでいくわけだが、そこからの作業は、簡単には進まなかった。ヒルデガルドが『普通の魔女の数倍の魔力がある』と驚きながら評したルチアでさえ、魔力切れで何度もぶっ倒れた。

 一度魔力が切れると、その日はもう起き上がることさえできない。適当なところでやめておけば良いのに、込めた魔力の量に納得がいかない、とルチアは何度でもそれを繰り返した。

 考えてみれば、あのエルザですら、魔道具の小まめなメンテナンスは欠かさなかった。逆に言えば、魔力を封じ込める手間を惜しんだことになる。その度ノアはルチアを止めようとしたが、言って止まるものなら苦労はない。いつしか作業するルチアの隣で、ヒルデガルドと共にそれを見守るのがノアの役目になっていた。


「ちょっと、いいかしら」


 五度目のルチアの昏倒を寸でのところでキャッチして、いつものように隣室にあるベッドにすごすご運ぼうとしたところで、ヒルデガルドが声をかけてきた。


「あなたの目、前から気になってたんだけど……ちょっと、見せてもらっていいかしら」

「あ、はい」


 立ち止まったノアの了承を得て、ヒルデガルドがノアの前髪を指先で掻き上げる。


「やっぱり……巧妙に隠されてはいるけど、これ、賢者の石よね?」


 ノアの右目をじっと覗いてごくりと唾を飲み、「それ、どこで手に入れたの?」と目の色を変えてヒルデガルドが迫ってくる。

 もちろん何も知らないノアは、「……はあ!?」と驚きの声を上げた。驚いたはずみでルチアを落としそうになって、慌てて両手で抱え直す。


「……お姉さまの仕業ね」

「……そうでしょうね」


 しばらくの間二人で顔を付き合わせて、同じ結論に二人は行き着いた。


「あの……俺、魔力が見えるんですけど……普通の人族には見えないみたいで……」

「……その石の力のせいでしょうね。わたしもずっと探してたんだけど……まさかお姉さまが持っていたなんて」


 前々から気になっていた秘密を打ち明けたノアに、ヒルデガルドが嘆息する。


「何でエルザさんはそんなことを?」

「わからないけど……お姉さまのことだもの。これひとつとは考えられないわ。わたしは専門じゃないから解剖とかできないけど……他にも色々と仕込まれているかも」

「勘弁してくださいよ……」


 魔王の城のように魔改造されている可能性を示唆されて、冗談でなくノアは震えた。そもそも、本来の目はどこに行ったのか。エルザの部屋で瓶詰めされて飾られている自らの目と、ほくそ笑むエルザの顔を想像し、ノアが本気でげんなりとする。


「いいなあ……わたしもお姉さまに解剖とか改造とかされてみたいなあ……」


 ルチアの作業を見守る間の話題が大体エルザ関連だったので、このくらいの発言は軽くスルーできるようになったノアだ。下手につっこむと後が怖い。


 動きやすく、また身にまとうことで盾にもしやすいローブ型の魔道具を、へろへろになったルチアが仕上げる頃になって、事は動いた。


 魔王の城が襲撃され、それに伴い第二次人魔戦争が開始したというのだ。


 水晶宮の大広間で、二人はそれを、いつになく真剣な様子のヒルデガルドから聞いた。大広間には、既に水晶宮に住まう全員が集まっている。誰も彼もが緊迫した表情を浮かべていた。

 水晶玉から壁に転写された光景では、既に人と魔族が血みどろの争いをしている。


「わたしたちは行きます。これ以上人族に好き勝手はさせません」


 その手に杖を携えたヒルデガルドが、決心したような顔で言った。ヒルデガルドの杖は、水晶を磨き上げて作り、紫水晶をトップに据えた透明な杖だ。


「あなたたちはここにいなさい。子どもを戦争に巻き込むわけにはいきません。すぐにお姉さまに書簡を書きます。じきに迎えが来るでしょう」


 子どもだからという理由で種族全体の一大事に噛ませてもらえないのは納得いかず、「そんな!」とルチアが抗議の声を上げる。


「あたしたちも行きます! ただ事態を見守るなんてできない!」

「わからないの? ルチア。今のあなたはまだ魔力が戻りきってない。足手まといだと言っているのよ」


 冷たい目で見られて、下にも置かないような対応ばかりされてきたルチアがぐっと悔しそうに息を飲む。


「そんな……あの魔王様が戦争なんか始めるわけがない」


 信じられない思いで、ノアは水晶玉が映し出す光景を眺めた。竜人族が辺り一帯を炎で焼き払ったかと思えば、空を飛ぶ不思議な鉄の乗り物がダダダダダ、と音を立て、魔族がばたばたと倒れていく。


「うっ……」


 頭を抱えて、ノアはその場にうずくまった。ノア・・の知らない断片的な記憶が、話に聞く走馬灯のように、頭の中を駆け巡っていく。テレビ、ゲーム、映画、ニュース番組。

 いきなり蹲ったノアを心配して、「だっ、大丈夫!?」とルチアが駆け寄ってくる。


「気持ち悪いの!? 吐きそう!?」


 勘違いして背中をさするルチアを安心させるため、「大丈夫」と答えてから、ノアは確信を得るためもう一度壁の映像に目をやった。


「……あれは……ヘリ……ヘリコプター?」

「何か……思い出したの?」


 真っ青な顔で呟くノアに、ルチアも顔色を変える。今もなお頭に流れ込んでくる膨大な記憶の処理が追い付かず、かろうじて「全部は……まだ……」とノアは答えた。


「でも、あれは……俺の、故郷の、乗り物だ。この世界のものじゃ、ない……」


 これだけは伝えなければならないと、飛びそうになる意識を繋ぎ止めながら、ノアが声を絞り出す。それはひとつの事柄を示唆していた。ヒルデガルドが真っ先に理解し、「まさか!」と顔を青くする。


「フォーリナー! もう来たというの!?」


 その声を聞きながら、ノアは意識を手放した。

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