第22話 「花なんて、咲いてたっけ?」
「私とお姉さまは、知り合いなんかじゃありません~!!」
おばあちゃんの昔からの知り合いと聞いて訪ねてきました、と言ったルチアに、北の魔女ヒルデガルドはそう言ってわっと泣き伏した。
通名を、水晶宮の魔女。彼女は名前の通り、シグルートの北端にある水晶の森に住む魔女である。水晶の森とは、メートル単位の大きな水晶の群晶がひしめく一帯を、森に見立ててつけられた名前だ。水晶宮は、そのなかでもひときわ大きな水晶を削り出して作った、天然の宮殿であった。四季の森と違って草木はなく、どこか寒々しい印象を受ける。
水色の髪に水色の瞳をしたヒルデガルドからも、最初二人は同じ印象を受けた。水晶宮の
それが、ちょっとエルザの名前を出しただけでこの有り様。
「私がちょっと泣き虫だからって面白がってぇ! いつもいつもいじめられてぇ! 鬼大蛇の群れに放り出されたり、大蜘蛛の背中に突き落とされたりぃ! お姉さまのばかぁぁ!」
色んなトラウマを思い出しているらしく、ぷるぷると肩を震わせながら、ヒルデガルドが絶叫する。
「いくらお美しくて、何でできるからって……私に何も言わず先に結婚してしまうなんてぇ~! 私はすっかり『お友達』のつもりだったのに言うにことかいて『知り合い』だなんてぇ! ここ数百年は全然かまってくれないし、お姉さまのアホー!」
「ええと……? ヒルデガルド、落ち着いて。その、おばあちゃんが何か、ごめんなさい……」
愚痴の雲行きがちょっと怪しくなってきたのを感じて、やや引き気味にルチアが軌道修正をはかる。
「そんな! ヒルデガルドだなんて他人行儀な呼び方! お姉さまの孫なら、私の孫も同然! どうぞヒルダとお呼びください!」
散々文句を言ってはいたが、エルザが結婚してかまってくれなくなったことに対する不満が爆発したもので、言うほどの悪感情はないらしい。ルチアの声に一転、涼しい顔に全く似合わない人懐こい笑みを浮かべて、ヒルデガルドが無い胸を張る。
「なら……ヒルダ。あたしあなたに、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……いいですか?」
「どうぞ、何でもお聞きください!」
「あなたは魔道具の作り手として名を馳せているけれど……
ルチアの言葉に、さっきまでにこやかだったヒルデガルドの顔から表情が消える。
「あなたは水晶宮の力で、
「さすがお姉さまの孫ですね。踏み込んではいけない領域に易々と足を踏み入れる……お姉さまによく似ていらっしゃいます」
ゆっくりと時間をかけて、ヒルデガルドは唇に弧を描いた。
「ルチア。確かに私は個人的興味で未来を見ます。でもその未来は、うたかたの夢のように
「でも、魔王様には……」
同じフォーリナーを探しているノアを思ってか、ルチアがなおも食い下がる。
「ええ……お話しましたわ。そこは同じ先見同士ですもの。ちょっとした身内贔屓ね。思い付くところを、片っ端から当たったみたい。本当に、仕様のないお方。でもさっき言った通り、未来は容易く変わってしまうもの。いくら起こることがわかっていても、その身分の
同じ憂いを知っている目で語って、ルチアの問いにはとうとう答えず、ヒルデガルドは口をつぐんでしまった。
「そんなことより、ルチア。あなた、私の試験を受けに来たのでしょう」
「えっ? その通りですけど……受けさせてもらえるんですか?」
「ええ、もちろんですよ。試験を乞われたら、先輩魔女に断る権利はありません。それに久しぶりのお姉さまからのお願いですもの。張り切って試験内容も考えてあります」
「本当ですか!?」
エルザの知り合いということで期待はしていたが、思っていた以上にすんなりと話が進み、ルチアが歓喜の声を上げる。
「あなたたち、南東の
「あの岩山のどこか?」
ヒルデガルドの向かいに隣り合わせで座っていた二人は、その言葉に顔を見合わせた。
ヒルデガルドの言う南東の岩陵は、ここへ来るまでの最大の難所だった。岩が針のように突き立っており、寝床にふさわしい平地を探すのにも苦労したほどだ。上空を通ってきた限り、苔すら生えなそうな土地だったが、そういえば花の咲いているところもあった気がする。
「花なんて、咲いてたっけ?」
「あったよ、途中で見かけた。珍しいなーって思ったから覚えてる」
「そうね。今回は、あなたにも着いていってもらわなくちゃね」
テーブルに両ひじをつき、顎の下で指を組みながら、ヒルデガルドは訳知り顔で頷いた。
「えっ? ルチアの試験なのに、着いていっちゃっていいんですか? 俺、ほんと、どの辺かも覚えてないんですけど……」
ヒルデガルドの笑顔に途端に怯んで、自信のない声をノアが聞かせる。
「いいのよ。ちょうどいいことにシャーリーが前例を作ってくれたしね。今回の件はね、ちょっと急ぎなの。間に合わなかったら困るし、ルチア一人じゃちょっと難しいかなって思うから。あなたの力も借りたいの」
ヒルデガルドは意見を翻さない。詳しく語ってはくれないが、何か理由があるようだ。とりあえずルチアと一緒に行ってもいいようだ、ということだけ飲み込んで、ノアは頷いてみせた。
とにもかくにもそうなれば、行かないことには始まらない。着いたばかりだが、二人はその足でとって返すことにした。
果たして、千数百キロにも及ぶ殺風景な岩陵の中から、花一輪探すことの難しさといったら。
一日目の夜。カボチャハウスで地図を眺めながら、二人は今後の進路を確認していた。ノアの記憶を頼りにまっすぐ来た道を戻ってきたが、まだ半分も来ていない。
来る途中は何も思わずに通った道だが、今度は花を探すために、ルチアは前、ノアは後ろを担当して、見張りながらゆっくりと飛行していた。
「いい人だったね、ヒルダさん」
「いい人だったね~ちょっと変わった人だったけど」
シャワーの後の濡れた髪を丁寧にタオルで拭いながら、そう言ってルチアがきゃらきゃらと笑う。
「今までに、会ったことがあるわけじゃなかったんだ」
「うん。実は、今回が初対面。魔女は基本自分の研究が何より大事な
「シリーズとかあるんだ」
「飛行型とか、自立歩行型とかね。これは一番シンプルなハウス型」
シンプルとルチアは言うが、その機能は半端ではない。
両側にベッドが並び、後ろ側にはバスとトイレ、前側にはキッチンとテーブルセット。キッチンのそばには食べ物を保存しておける冷蔵庫があり、床下には荷物を放り込める保管庫がある。ちなみに、上にある蓋型の扉を開けて入るタイプのハウスだ。
夕食には岩陵に入る前に捕まえた魚を焼いて、パンと一緒に食べた。秋ということで脂がよく乗っており、塩をかけてパンに挟むだけで立派なご馳走になった。
「それにしても……花なんて全然見つからなかったねえ」
タオルで拭いた髪に最近よく使っている薔薇のオイルを丹念に塗り込みながら、そう言ってルチアが疲労の滲む声を聞かせる。薔薇のヘアオイルはシャーロットに教えてもらいながら作った特製品で、髪をつやつやにするのとは別に、心を癒す作用があるという。
「疲れちゃった? ルチア」
「ただ飛んでるよりはね。でも、自分の杖ができたから、大分楽だよ」
「杖があるとないとで、そんなに違うもの?」
「全っ然違うよ。箒のときはすぐ向きが変わっちゃうから、まっすぐ飛ぶようずーっと力入れてなきゃならなかったけど、
暴れるユニコーンを押さえつけるかのような苦労がとうとうなくなったのだ、と拳を握って身振り手振りにルチアは力説した。
「やっぱり杖が優先度一番で間違ってなかった!」
その手に握られているのは、直径10センチほどのミニチュアになった杖だ。発奮するルチアの髪を、
「後ね~魔力のロスがすごく少ない。前は箒全体を魔力で覆わなきゃいけなかったけど、今はシャフトの下の部分……絨毯なら四隅かな。それだけでいいんだもん。快適すぎてひゃっほー! って感じ」
「頼もしいね。そういえば、次は何を報酬に貰うつもりなの?」
疲れから来る妙なハイテンションで騒ぐルチアを宥めるために、ノアはやんわり話題を変えた。
「え~? 今はまだ内緒!」
にっこりと笑って、ルチアは話をはぐらかしてしまう。
「それにしてもヒルダは、あたしたちに何をさせる気なんだろうね」
「花を取ってこい、っていうのも、多分そのままの意味じゃないよね」
「結局、未来のことについても教えてくれなかったしな~。あーあ」
そう言ってルチアは、意外と寝心地のいいベッドにぼすんと倒れ込んだ。「あ~気持ちいい~」などと言いながらごろごろしている。
「魔王様も、ヒルダも、単独で動くには影響力が強すぎる。だから魔女試験にかこつけて俺たちを動かして、未来を少しでも変えようとしてるのかも知れないよ。シャーリーのときも、もしかしたらそうだったのかも」
長いこと考え込んで、ノアは言った。ルチアからの返事はない。気になって覗き込むと、ルチアは倒れ込んだ姿勢のままでくうくうと寝息を立てながら眠っていた。ルチアの靴を脱がせ、ちょうどいい場所まで移動させてから、布団をかけてやる。
二日目の朝。
ドンドンと扉を叩く音で、ノアは目を覚ました。正確には、半覚醒といったところだ。眠ってからどれくらい経ったか知らないが、昨日あれこれと作業をしていたせいでまだ眠い。二度寝を決め込もうとしてあることに気付き、ノアはぱっちり目を開けた。
ドアを叩く音。ドアを叩く音だって?
海抜1000メートルはあろうかというこんな岩場に人族が来れるはずはないし、ハウスには対人族用の隠蔽魔法がかけてあるのだ。
となると来訪者は人ならざるものを置いて他にはない。だが、警戒心の強い彼らが、そう簡単に身を表すだろうか。
いつの間にかルチアも起き上がって、不安そうに上を見ている。
目を合わせて頷き合い、慌ててルチアとノアはフル装備を整えた。
ナイフを構えたノアが「開けるよ?」と確認し、杖を構えたルチアが頷く。
「た、た、助けて~~!!」
ドアを開けた瞬間、悲鳴と共に飛び込んできた一体の妖精に、ノアとルチアは言葉をなくした。体長15センチ程度の、淡い虹彩が美しい羽を持つ妖精──ピクシーだ。
妖精はぐるんぐるんと落ち着きなく部屋の中を二、三度飛び回り、二人の前でホバリングしながら、もう一度「助けて!」と叫んだ。
「あなたたち、魔族よね? お願い、イーサンを助けて!」
「イーサン?」
「とにかく、一緒に来てほしいの! んぎぎぎぎ」
そう言って妖精は顔を真っ赤にしながらノアの袖を引っ張ったが、何分小さいのでノアを動かすほどの力はない。その様子からただ事ではない気配だけは察して、「行くよ。行くから、そんなに引っ張らないで」とノアは妖精をつまみあげた。
「キャー! 変態!」
「へ、へんたい!?」
化け物と呼ばれたことはあっても変態と呼ばれたことはなく、地味にショックを受けて、妖精を解放したノアががっくりと地に膝をつく。
「わたしの体を触っていいのはイーサンだけなんだからね! っていうか、来てくれるなら早く! すぐそこだから!」
顔も洗っていないが、幸いフル装備だったので、すぐに出れる状態にはなっている。ハウスも片付けないまま、二人は妖精に導かれるままひた走った。岩場の間をひょいひょい飛びながら渡っていくと、やがて二人にも、まだ若い青年が倒れている様子が見えてくる。その周囲は血まみれで、手遅れなのではないかという想像さえ頭を
近くに寄っても、うつ伏せで倒れた青年はぴくりともしない。顔面は蒼白で、かろうじて息はあるが虫の息だ。手首の動脈も触れない。血圧が下がっているのだろう。体を調べてみると、腹に大きな風穴が二つ空いていた。
青年の服をあるだけ千切って何重にも重ね、傷痕に押し付け圧迫止血を試みる。雑菌が入ってのちのち高熱が出るかもしれないが、今は血を止める方が優先だ。
「ハウスに連れて帰ろう。できる限り動かさないようにしたい。ルチア、頼める?」
「まっかせて~!」
小さく縮めてベルトに差していた杖をルチアが取り出す。ぽんと音を立てて絨毯に変化した杖に青年を乗せると、ルチアはそれをふわりと浮かせた。
ハウスに戻っても、青年の血は止まっていなかった。止血帯の締め付けは緩んでいない。それより出血量が上回っているのだ。
「くそっ、まさかこんなに早く使うことになるなんて」
シャーロットに貰った手術器具一式を自分のトランクから出しながら、焦りからノアは悪態をついた。
「えっ、何するの!? その刃物はなに!? 助けてくれるんじゃなかったの!?」
妨害を受けるのはなんとなく予想がついていたので、騒ぐ妖精をあらかじめトランクの空いたスペースに詰め込んでおく。
「ルチア、解剖学覚えてる?」
「覚えてる。助手は任せて。手順はどうする?」
「まずは魔法で眠ってもらう。それから、傷口を消毒して切開。これだけ血が止まらないってことは……多分、どこか大きな血管に傷がついてるんだ。その血管を縫い合わせて、腹を閉じる。いい?」
「了解、ノア」
クロエとレオの手術中に、シャーロットから二人は異世界の医学について教えてもらっていた。逆に言えば、その程度の付け焼き刃の知識しかない。シャーロットは滅菌したクリーンルームを使っていたが、あいにくそんな設備もない。
見よう見まねですらない、初めて行う開腹手術だ。緊張して震えるノアの冷たい手を、ルチアがぎゅっと握ってくれる。
「あたしたち、旅に出ると行き倒れを拾う運命なのかな?」
真面目な顔してルチアが言った冗談に、こんな時なのにノアはちょっと笑ってしまった。不思議なもので、笑うとうまい具合に力が抜けて、手の震えが止まる。
「メイリー、元気かな。探し物、見つけられてたらいいけど」
「そだね……
ルチアの杖が光り、既にない青年の意識を完全に眠りへ落とし込んだ。シャーロットから貰った水でばしゃばしゃと患部を洗いながら、二人が一番出血の多い傷口を探す。
「ここだ! 切るよ」
自分たちの手と傷口の周りを消毒して、メスと呼ばれる薄刃のナイフで、傷口をざっくりと切開する。びしゃっとノアの頬に血が飛び散った。腹の中が、溢れた血液でいっぱいになっている。
「
ノアの頬と、腹の中の血をルチアが取り除いてくれた。すぐに出血元を突き止め、破れた血管を繋ぎ合わせる。後は細々した血管や筋肉を繋ぎ合わせ、腹を縫い合わせて終わりだ。簡単に説明しているが、ここまで軽く4時間はかかっている。出血量が心配だ。手首の脈もまだ触れない。
「お疲れさま、ノア。ごめんね、ノアばかりにやらせちゃって。あたしが回復魔法をもう少しちゃんと使えてれば……」
「そんなことないよ。フォローありがとう。ルチアの出番はこれからだから大丈夫」
血まみれになってしまった二人の服をシャワールームで洗いながら、ノアは横でしょんぼりするルチアを励ました。ノアもエルザも傷や病気とは無縁だったので、どうもその辺ないがしろにしてしまっていたらしい。ルチアが習得している回復魔法は、せいぜいが自己治癒力を上げて傷の治りを早めたり、痛みを取ったりするくらいもの。けれど、手術後の回復には役に立つ。つまり、慰めでも何でもなく、ルチアの出番はこれからなのだ。
「……イーサンは……?」
トランクの中で、妖精はずっと泣いていたらしい。トランクはそれ自体が魔法のアイテムなので、エーテル体になってもすり抜けられないのだ。ノアを見上げる目が真っ赤に腫れていた。最悪の想定もしていたようで、文句を言うより先に怖々と容態を聞かれる。トランクの中から妖精をすくい上げ、ノアはイーサンの元に連れていった。イーサンの隣では、今も休まずルチアが回復魔法をかけ続けている。
「とりあえず傷はなんとかしたよ。出血が多いから心配だけど……後は本人の回復力次第。この褐色の肌は、
「……イーサンが無事なら……そんなこと……」
殊勝なことを言って、妖精が力なく笑ってみせた。けれど表情とは裏腹に、ぽろぽろと目から涙が落ちる。
「……イーサンが生きてて、安心した?」
「だって……だって絶対死んじゃうと思ったから……」
安心と同時にぶり返した恐怖に、妖精は小さな羽を震わせた。エーテルの涙は、落ちる前に小さな光の粒となって、霧のように消えてしまう。
「一体何があったの?」
「イーサンが傷を負ったのは、わたしのせいなの……」
深い自責と悲哀の念を声に滲ませながら、妖精はゆっくりと事の成り行きを語り始めた。
「彼はイーサン。そしてわたしは、妖精王オベイロンとその妻ティターニアの10000番目の娘、フローラ」
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