第20話 「縛られていたアンタたちが、夢を見ないはずがない」
シャーロットとクロエの話を要約する。
ウィリアムの母親は、ある日妖精との道ならぬ恋に落ちてしまった。男は精気を奪う妖精で、お互いそれをわかっていたが、どうしても止める気になれなかった。日に日にやつれていく友人の娘を見かねて、それを略奪したのが現国王である。
初夜を終えてもいないというのに、女の腹には子どもがいた。
赤子の髪は王と同じ黄金色だったので周囲には隠し通せていたが、年々あの男に似てくる息子に、王はいい気持ちはしないでいた。ましてや、せっかく居なくなっていたのが、ある日あの男そっくりに成長して戻ってきた時には、とても冷静ではいられなかった。
幸い母親である王妃はそれを気味悪がり、王位継承権を剥奪して遠くへやることに成功したが、今度は自分が病気で永くないことがわかってしまう。自分亡き後、間違ってもあの子どもに王位が渡らないよう、今秘密裏に始末しておきたい──。
国王は、そう思ったのだという。
「その子どもが、私ですか?」
「アンタに魔力がある理由もわかろうというものだ」
ウィリアムの問いに頷いて、相変わらず空気の読めないシャーロットが見当違いの返答をする。
「ちょ、ちょっと待っててください。そんな、いっぺんに説明されても……」
「ドリアードに好かれたり、魔力があったりするのはその体に流れる妖精の血のせい。アンタの母親の体が弱かったのは、妖精に精気を吸われたせい。そしてアンタを遠ざけたのは、王の不興を買わないようにしたせいだ。そうと知って振り返れば、見えてくるものもあるだろう?」
「そ、そんな……そんなの全然わかりませんでしたよ! だって母上と父上はいつも、とても仲睦まじくいらっしゃって──」
そこまで言って、自分を見るメイドたちの視線に気付き、ウィリアムがハッと息を飲む。いつか折を見て言おうと思っていたことをどさくさでシャーロットに全部暴露されてしまったが、メイドたちの視線は優しかった。「大丈夫ですよ、坊っちゃま」とメイド長が言う。
「坊っちゃまが何か隠していること、私たちはとーっくに知っておりました。いつか話してくれると信じて、今日まで黙ってお仕えしてきたのです。あなたが人族でも妖精でも構わない。誰にも何も話しません。あなたをみすみす、異端審問にかけさせはしませんとも」
思いは同じなのか、メイド長の言葉を、周りのメイドたちもうんうんと頷きながら聞いている。
「城を追い出されたとき、坊っちゃまは私たちが王の命令で仕方なく着いてきたとお思いですね。それは違います。我らメイド一同は、自分でそう望んで、坊っちゃまに着いてきたのです。誰もに優しく公平で、身分差を気にせず、メイドたちにも分け隔てなく接してくれたあなた。他ならぬあなたに着いてきたのですよ。そうでなければ、何故時を経た今も、私たちはここにいるのでしょう。言っておきますが、私は結構モテたのですよ」
珍しく冗談を言ったメイド長に、周りからどっと笑いが起こった。わざわざ自分で言わなくとも、その頃の面影が、にっこり笑う頬に残っている。
「国王様のことは……とても悲しいこと。ですが、今の話を聞く限り、 王妃さまにはお話する価値がある。私たちが
「……ありがとう、みんな。けれどみんなにだけ負担をかけたりはしない。一緒に考えていこう。今更王位継承権などに興味はない。私は父上も母上も愛しているのだ。どうにか友好的な道を探していきたい」
***
シャーロットの家で、ルチアに付き添われながら、レオはまだ眠っていた。時間的に薬はもう切れているので、ただ泣き疲れて眠っているだけだろうとシャーロットがクロエに説明する。その言葉もろくに聞かず、すぐさまクロエはレオに飛び付いた。
「レオ!」
「……クロエ?」
体を揺すぶられて気だるげに目を覚ました少年が、ひとめクロエを見るなり瞠目し、がばりとベッドから起き上がる。焦げ茶色の耳と尻尾を持つ、クロエより少し年上の、優しそうな少年だった。クロエと再会の抱擁をして、泣きながらレオが、「ありがとうございます!」と叫ぶ。
「本当にクロエを助けて下さったんですね! ありがとうございます! 本当に……ありがとうございます!」
「ああ、もう。うるさいね。そんなに大声を上げなくても聞こえてるよ。それよりアンタたち、これからどうする気でいるんだい」
繰り返し礼を言うレオに口元をひきつらせながら、シャーロットが今度のことに話を向けた。シャーロットの言葉に、さっきまで舞い上がっていた二人が、ぺったりと耳を伏せてしまう。
「考えたことくらいはあるだろう? 主人の元を離れられたら、何をしたいか。どこへ行きたいか。縛られていたアンタたちが、夢を見ないはずがない」
「……
随分迷って、クロエはそう口にした。
「この忌々しい首輪を外して、海を渡るの。そして
話しながら気まずそうに、クロエがレオの表情を伺う。優しく笑って、「行っていいんだよ」とレオは言った。
「君一人なら、走っていける。幸いここは海に近いし、夜の間に船を奪ってしまえばいい。海さえ越えれば、きっと何とかなるよ」
「バカだねえ、あんたは。計画性がないし、何より女心がさっぱりわかっちゃいない。クロエからしてみれば、二人で逃げなきゃ意味がないんだよ」
レオの言葉に、呆れた表情を隠しもせず、シャーロットが深いため息を聞かせる。そのままレオが俯いてしまった理由がわからず、困惑するノアに、横合いからルチアがこっそりと教えてくれた。
「レオの片足は潰されてるの。とても一人で走れる体じゃない」
レオが働けなくなった原因は病気と聞いている。潰された、という言葉に込められた意味を理解して、ノアは唇を噛み締めた。
「魔女様の言ってること、わかってます。僕だって本当は二人で逃げたい。でも、その手段がないんです。きっと、僕はクロエに迷惑をかけてしまう」
「そのままではそうだろうとも。ただのお荷物だな」
「シャーリー、あんまりもったいぶらないで。そのままって何? 二人に何をする気なの?」
面倒事を何より嫌うシャーロットが、解決策もなく家に二人を招き入れるはずがない。見かねたルチアが、話を急かした。
「交渉ごとは慎重に進めたいんだがね。まあ、いいだろう」
ニヤリと笑って、「つまり私の提案はこうさ」とシャーロットが言った。
「アンタの足を治してやる。その対価として、アンタたちの耳と尻尾を頂くよ」
「えっ……だ、だってそんなことしたら……」
「そうだ。アンタたちは、誰より憎い人族の姿になるんだ。もう大陸の外に渡ったって、仲間には受け入れちゃもらえないかもねえ」
戸惑うクロエの反応を、腕組みをして楽しそうに眺めながら、クックックと魔女のような笑い声をシャーロットが上げる。
「シャーリー、それはさすがにやりすぎ──」
「おねがいします」
横やりを入れたノアに先んじて、クロエはきっぱりそう言いきった。
「構わないわ。人族の姿になるのはいやだけど、人族の姿になれば、大陸の外に行けなくても暮らしていける。レオと一緒に、暮らしていけるもの」
「決まりだね。やっぱり女の方が度胸がある。ノアとルチア、ちょっと付き合っておくれ」
シャーロットがぱちんと指を鳴らすと、二人の首輪が弾けとんだ。随分と重い音を立てて、床に首輪が落下する。上機嫌で白衣を翻したシャーロットの背中に、「何をするんですか?」とノアは訊ねた。
「決まってる。手術の準備をするんだ。」
手術とは、
手術内容を聞いて怖じ気づいたのか、ぴいぴい泣き喚く二人を
今回ふたりが行うのは、耳と尻尾の切除術。手や足の毛皮も特殊な人工皮膚を張って隠すという念の入れようだ。まずクロエの手術を済ませ、そのままレオの手術に移る。潰れたレオの片足を切除し、代わりにつけるのはシャーロット特製の木製義足だ。あれこれ義足を調整しているうちに、朝になっていた。
今回特別に手術室として使用されたシャーロットの研究室を出て、うーんとノアは背伸びをした。シャーロットに後は私がやるから休めと言われて、休憩に出てきたのだ。
研究室から外へ出たところで、ノアは、外で待っていたクロエと遭遇した。ノアに背を向けて外へと続く階段に腰かけたクロエは、耳のあったところを触ったり、尻尾のあったところを触ったりと落ち着きがない。
「ガーゼが貼ってあるからって、あんまり触っちゃダメだよ」
驚いて振り返るクロエに片手を上げてみせながら、「おはよう。よく眠れた?」とノアは朝の挨拶をした。無理矢理魔法で眠らされたことを皮肉って、「おかげさまでね」とクロエが返す。
二人は同時に運び込まれたが、手術の都合上、クロエの方が先に退室していた。一度外に出たものは不潔とされ、再入室が禁止されている。クロエを搬出したルチアも戻ってきていない。恐らくルチアはまだ眠っていて、クロエ一人だけでここまで来たのだろう。
「レオのことが気になって来たのかな?」
「……レオはまだ手術中? どんな感じ?」
「もうすぐ終わると思うよ。今は義足の細かい調整中」
「良かった……」
ノアの言葉に、不安そうにしていたクロエが胸を撫で下ろす。
「耳と尻尾がないの、まだ慣れない?」
「尻尾でバランス取ってたから……歩くのもちょっと不便よ。暗殺者は廃業ね」
改めて見ると人族と変わらない見た目で、クロエは肩をすくめた。耳孔は小さな孔として髪の毛にほぼ隠され、人族と同じ位置に取り外し可能な人工耳がついている。
「そういえばクロエ。きみ、暗殺者時代に、ご主人さま以外に誰かに顔を見せたりしたかい?」
「そういえば……二番目のご主人様のときは、ないわね。一緒にショーを見たのは、その前のご主人さまだったから……。悪趣味よね」
「じゃあ、大丈夫だ。余計な犠牲が出なくて良かった」
「……ご主人様を、殺したの?」
「実は俺もよく知らなくて。クロエと俺がやりあってるときのことだから」
暗殺者は、クロエの仕事が万が一にでも失敗しないよう様子を見に来ていたところを、どさくさでシャーロットが捕らえていたらしい。再生能力を見られただろうノアも気にはなっているが、本当に『もう大丈夫』としか聞いていない。
「貴族のお偉い様がたは、きっとクロエのことは言わないと思う。シャーリーが言ってた」
「そりゃあそうよ。あいつらは、自分の身が一番かわいいから。それに、きっともうシグルートの貴族に関わる機会なんてないもの」
「それは、そうだね」
「こんなことになるとは思ってなかったけど……あなたには感謝してる」
想像もしていなかった展開に転んだ顛末の礼を、改めてクロエが口に出す。
「私はあの時、一度は勝手に二人分の命を諦めた。あんな仕事をしていたから、きっと、普通の人より死が身近だったのね。踏み出す一歩が軽かったの。色んなことが私の目をふさいでた。あなたのおかげで、これからは二人で生きていける」
二本の足でちゃんと立って、クロエはしっかりと未来を見ていた。
研究室のドアが開いて、シャーロットと、それに支えられたレオが出てくる。
クロエはまっすぐに、足を踏み出した。
ウィリアムの屋敷に新しい護衛が入るのは、これからもう少し後のことである。
***
杖作りは順調に進んでいる。
凝り性というのは本気を出すと怖い。立派な水晶の
「おかえりなさい。ノア。見て見て、ちょっと杖らしくなったでしょ」
「ただいま、ルチア。ほんとだね」
削り出しを済ませた杖にヤスリをかけながら、研究室に入ってきたノアをルチアが迎える。今はまだ鮮やかな紫だが、ニスを塗るともう少し落ち着いた色になると言う。シャーロットにかなりダメ出しされながら仕上げたようで、今でも十分立派な杖だ。
「はあ~~」
ため息をつきながら研究室のソファに倒れ込むノアを、ヤスリがけの手を止めて、「何かあったの?」と心配そうにルチアが見つめる。
「今日はラングレーさんのとこに、収穫のお手伝いに言ってたんでしょ? 疲れちゃった?」
ラングレーさんとは、領主の屋敷まで送ってくれた一家のことだ。季節は秋になり、日中手の空いているノアは、各家の収穫の手伝いにまわっていた。エルザの家の四季の庭で、様々な植物を相手にしていたノアは、どの家からも頼りにされている。
「そういうわけじゃないんだ。色々思うことがあって……悪いんだけどちょっと、聞いてくれる?」
「いいよ」
シャーロットの研究室の中には、レバーをひねれば飲み物が出るギミックはない。自分用に用意していたであろうティーポットから、ジャスミンティーをカップに注いで、ルチアがノアに出してくれる。
「ありがとう。ちょっと自分の中で、整理つけらんなくなっちゃってさ」
ルチアが自分用にカップをもう一つ持ってくるのを待ち、二人は並んでソファに座った。
「俺さ、この世界に来たばかりの頃、人族に村を追われて殺されたじゃん」
一口お茶を飲んでカップを置くと、ソファの上で背中を丸めて、ノアは両手で顔を覆った。「うん」と短い相槌を、ルチアが打つ。
「その後、魔族に拾われて魔族に育てられたじゃん、今まで」
「そうだね」
「魔王様の城でさ……色々聞いて。ゴブリンの話とか、生け贄として捧げられたイーディス様の話とか……したよね、俺」
「聞いたねえ」
「それでさ。知らないうちに俺、人族に対しての嫌悪感があったみたいで」
少し間を開けて、「うん」とルチアの声が返ってくる。
「でもこの町ではみんな優しくてさ。聞いたような差別も受けないし。俺、ちょっと驚いて」
「うん」
「でも、クロエとレオの身の上話、聞いちゃったじゃん」
「そうだね」
「クロエの話を聞いた上で、レオが足を潰されてたって聞いた瞬間……浮かび上がった感情、嫌悪どころか、憎悪みたいだった」
答えはなかったが、ノアは構わず続けた。昔からそうだ。ルチアは普段から騒がしくて元気だが、人の話は遮らない。黙って聞いてくれるので、話しやすい。
「ウィリアムや町の人々と仲良くなっていなければ……ちょっと会う順番が前後してたら……俺の中で人族は、一括りに悪人になってたと思うんだ」
「……うん」
「そうでなくても、何かあったときにどっちにつくか、俺の中では決まってた。もし……万が一また人族との戦争が起きたりしたら、俺は魔族側につくつもりだったよ」
「そうなんだ?」
意外でもなさそうだが不思議でもあるようで、ルチアは目を丸くした。「この町に来るまではね」とノアが頷く。
「町の人と仲良くなるたび、その決意が揺らぐんだ。笑ったり、怒ったり、誰かを大切に思ったり。人族も魔族も全然変わらないんだよ。悪い人族もいるんだろうけど、そればかりじゃないことも今はわかる。こんなに中途半端な気持ちで、もし本当に人族と争うことになったりしたら、俺はどうすればいいんだ、ろ──って、うわっ」
肩を引き寄せられてやわらかい膝に頭を乗せられ、「なに? いきなりどうしたの?」とノアはルチアを見上げた。
「ノアは、どうしたいの?」
頬に手を添えられて、エメラルドの瞳に、まっすぐ目の奥を覗かれる。
「もし本当にそうなってしまったら、どうする?」
ノアに問いかけながら、ルチアの目にも、同じ迷いの色が見え隠れしていた。
「ノアの言うこと、あたしもちょっとわかる。ずっと迫害されてきたっていうけど、あたし自身は人族に何かされたこと、一度もない。ここが田舎の町だからかな。それとも、積極的に戦争に関わったことがないから? 差別意識、あんまりないよね」
「うん」
「あたしが逃げようとしたときのこと、覚えてる?」
「大分慌ててたよね」
「それはね。ここがこういう町だって、まだ知らなかったから。多分みんな、知らないから怖いの。姿形が違うだけで、ほんとは同じだってこと。同じように笑ったり怒ったり、迷ったり悩んだりするってこと」
ノアの髪の毛をやさしく撫でながら、ルチアの目は、ノアが答えを出すのをじっと待っている。
「人に相談するときって、本当は自分の中では答えが出てるんだっておばあちゃんが言ってたよ。教えて、ノア。ノアの考えてること、あたしも知りたい」
「俺は」
ルチアの瞳に導かれて、深く息を吸い込み、ノアは答えを出した。
「俺は戦争には参加したくない。参加しないし、できれば止めたい。手段も何も、今はまだ考えてないけど……俺は中立を貫きたい。エルザさんや魔王様に、怒られちゃうかな」
「やっぱり、あたしとノアは考えが似てる」
どうやらノアの答えは魔女のお気に召したようで、ルチアは嬉しそうにきゃらきゃらと笑った。
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