第18話 「何であなたが私を助けるの!?」

「決まっている。お前がやがて、この世界の全てを統べる王となるからだ」


 シャーロットの言葉にぽかんとして「私が、王になるですって?」とウィリアムは言った。困ったような目でノアとルチアを見るが、訳がわからないのは二人も同じだ。ウィリアムに向けて首を横に振り、ノアたちもまた、不安げに話の行く末を見守る。


「それは、王位継承権がまた手に入るということですか?」


 言いながら王都にいる弟妹きょうだいたちを思い出し、「まさか、妹や弟に何か……」とウィリアムは青醒あおざめた。


「この国の王位継承権? そんなちゃっちいものじゃない。アンタが手に入れるのは、この世界そのものさ」


 その大きさを示すように、シャーロットが両腕を広げてみせる。


「やがて全ての種族が、アンタの前にひさまずくことになるだろう」

「そんな荒唐無稽な話……。私は、考えたこともありません。一体どうしてそんなことに?」

「私に聞くんじゃないよ。先見さきみ星読ほしよみに聞いとくれ」


 不安そうなウィリアムの問いをばっさりと切って捨て、「これはもう決まっていることなんだ」とシャーロットは言った。


「でかい嵐が来る。風の流れには逆らうな。お前はここでじっとしているがいい。やがて国が、世界が、お前を王座へと押し上げるだろう」


 ***


 ルチアの杖作りが始まった。

 キタリの木は大陸の東の方の固有種で、深い紫色が特徴の、硬くて衝撃に強い木だ。木の削りだしから研磨、ニスの塗布まで、シャーロットの指導を受けながら、ルチアが一人で行わなければならない。


 その間、シャーロットに気兼ねして、というわけでもないのだが、ノアはウィリアムの元へかよっていた。ドリアードはウィリアムとの再会がよほど嬉しかったのか、最近ではウィリアムの肩の上が定位置になりつつある。ノアがいないときは、喋ったりもするようだ。体長は木の大きさに比例するようで、昔は1メートルくらいあったそうだが、今は30センチくらいしかない。絵本で見たような羽はないが、エーテルの体に重力は関係ないらしく、ウィリアムの肩にいない時はふよふよと中空を漂っている。

 衝撃的だったのは、ドリアードがウィリアムとノアの二人にしか見えないことだ。

 ここは触れておかなければならない。

 今までノアが当たり前のように見てきた魔力の光──例えばエルザの薄緑色の光、リュカの薄青色の光、ルチアの薄桃色の光など──や空間の歪み、なんてものが、普通の人族ヒューマンにはまるっきり見えないのだ。今まで見える人ばかりに囲まれていたので気付かなかった。みんな見える前提で話していたし、誰にも指摘されなかったので、何となくここまで来れてしまったのだ。フォーリナーだからなのか、別の理由があるのかはわからないが、ノアには魔力が見える。早めに、しかもこんな平和な村で気付けてよかったというべきなのだろう。

 道理でメイリーの結界があんなに目立ちやすいところにあるわけだ。初対面のときのウィリアムが易々と私室に招いてくれたのも、ただの人族に魔力が見えないのなら合点がいく。見えなくなって十数年経つので、すっかり忘れていたとウィリアムは語った。


「魔女とか、魔術師とかはやっぱり普通に見えるんだなあ。油断してたよ。今となっては、ドリアードの話ができるのってノアとルチアくらいだし、俺は嬉しいけどね」


 政務室のデスクで山のように積まれた書類を片付けながら、ウィリアムが言った。最初のしっかりした大人の顔はどこへやら、すっかり口調が砕けている。


「あのメイドさんたちにも黙ってなきゃいけないんだ。大変だね」


 応接用のソファでこちらもすっかりくつろいで、あたたかい緑茶を啜りながら、ノアが相槌を打つ。

 見てくれは20台後半に見えるが、ウィリアムは時間を10年くらいスキップしているので、精神的にはこの二人、大体同じくらいの年なのだ。苦労人同士、なんとなく馬が合っちゃったやつである。


「話すとまた心配かけちゃうと思うから、黙ってる。領主がいきなり魔族として引っ立てられたら、町の人たちだって困るだろうし。でも本当は話したいんだ。自慢したい。俺のドリアードがこんなにかわいいって……イテテテテ」


 ふよふよウィリアムの肩口辺りに浮かんでいたドリアードが、頬をふくらませてウィリアムの耳を引っ張る。普段表情の変わることが少ない彼女が怒っている気配を感じて「冗談、冗談だって」とウィリアムは弁解した。


「町の人っていえば、護衛の件はどうなったの?」

「それが、なかなか決まらなくてさあ。もうすぐ秋だし、みんな収穫に力を入れたいだろ。そんな時期にゴリ押しも、申し訳ないじゃん。こっちは税を納めてもらう側なんだし」


 ぷりぷり怒っているドリアードを宥めながら、お人好しのウィリアムが苦笑する。

 この屋敷に、人は少ない。

 ずっと補佐として勤めてくれていた男性が母親の病気で長期休暇を取っているため、今は仕事のほとんどをウィリアムがやっているような状態だ。

 警備の人間は折悪く最近腰を痛めたのがいるらしく、今は三人しかいない。家を切り盛りするメイドたちの他には、料理番が二人と、非常勤の庭師が一人いるくらいだ。人の少ない村だから何とでもなるとウィリアムは言うが、オーバーワークは否めない。

 そこへこの間の、暗殺未遂である。朝晩二人ずつの警備が今までどれだけの抑止力になっていたのかは不明だが、空いている方を突かれたのは確かだ。早く新しい警備を雇えとみんなでせっついているのだが、肝心のウィリアムがこの有り様ではどうしようもない。

 侵入者は、あの後ノアとルチアで形跡を追ったが見つからなかった。常人ではあり得ない跳躍をする足跡から、獣人アニマである可能性が高いということがわかっただけだ。


「シャーリーは、誰かに雇われた獣人アニマだろうっていうんだけど……首謀者に心当たりとか、ある?」

「……父上、かな」


 書類に印璽を押す手をピタリと止めて、少しの沈黙のあと、言いにくそうにしながらウィリアムが言う。

 あまり人を疑わなさそうなウィリアムが心当たりがあると言ったこと、それも自分の父だと言ったことに、ノアは驚いて目を丸くした。


「……何でそう思うの?」

「うーん。まあ父上は元々、出来の悪い俺のこと嫌いだったしな」


 長くこの話題を続ける気はないようで、短くそう言って話を終わらせると、ウィリアムは書類を片付ける作業に戻ってしまう。


「シャーリーは、一週間以内にもう一回来る可能性が高いって言ってたよ。あれから三日経つから……後四日かな」

「……いざとなったら、ドリアードに匿ってもらうから、大丈夫だよ。もうこれ以上、年は取りたくないけどな。ははは」


 力なく笑うウィリアムをどうにも放っておけず、「……多分、来るなら夜だと思うんだよね」とノアはため息をついた。


「ん? 暗殺者の話?」

「うん。それでさ、提案なんだけど──」


 その夜正式にルチアとシャーロットから許可を貰い、ノアは夜の間だけ、ウィリアムの家に泊まり込むことになる。

 果たして暗殺者は、シャーロットの言う通り、一週間以内にやってきた。

 五日目の夜のことだ。暗殺未遂があった後なのに警備が一人も増えていないと逆に警戒してしまうかもしれない、というシャーロットの助言を受け、四日目からあえて屋敷の警備を増やしている。大半は、シャーロットが魔法で作った木の案山子に、幻惑エブルイの魔法をかけて人間に見せかけたものだ。一体だけ、ノアに似せたものも置いてある。本物の警備兵には、少し隙ができるように動いてもらっていた。そして当日の夜、作られた隙をかいくぐり、何者かが警備を抜けてきたのをドリアードが感知する。

 その時、ノアは金髪のかつらを被ってウィリアムと入れ替わり、彼のベッドで眠っていた。昨日は空振りだったので、少し疲れていたのだ。ウィリアムは念のため、メイドたちと同じ部屋で休んでいる。『来たよ』というドリヤードからの精神感応テレパスを受けて、ノアはぱっちり目を覚ました。ノアがいるときはツンとして、ちょっと構おうものならそっぽ向いてしまうドリアードから、精神感応テレパスとはいえなんと初めて聞いた声であった。だが感動してばかりもいられない。この間と同じ手口で、窓から何者かが入ってきた気配がある。

 不意をついてこの後の展開を有利にするため、ノアはあえて一発目を暗殺者にくれてやることに決めていた。暗殺者がナイフを振りかぶり、思いっきり振り下ろす。心臓と肺を続けざまに刺されて、「うっ」とノアは息を詰まらせた。真っ白い布団が、じわじわと血で染まっていく。痛みはそうでもないが、肺気胸を起こして、思ったより息が苦しい。喘鳴ぜんめいがおさまるのを待って、やれやれとノアは苦笑した。最後の確認のため布団を剥いで、ノアと目が合った暗殺者が、「ひっ」と短い悲鳴を上げる。


「いたたたた……普通、確認って最初にしませんか? 今度からした方がいいですよ」


 刺された胸を押さえながらベッドから起き上がったノアに、深く被ったフードの中で、暗殺者は目を剥いた。


「お、おまえっ、おまえ、はっ」


 頭から金髪のかつらをむしり取ったノアが、前回の失敗の原因になった少年だとようやく気付いたのだろう。警備の中にノア──に見せかけた案山子──がいたのも気付いていたのかもしれない。こちらが仕掛けたこととはいえ、かわいそうなほど動揺して暗殺者は一歩下がった。


「あなたは、この間のかたですね。ちょっとお話を聞かせてもらいたいんですが……」


 ノアの言葉に我に返り、「くそっ」とフードのついた服を放り投げると、暗殺者はナイフを逆手に構え横薙ぎに払った。「おっと」と体を反らすことでそれを交わし、勢いつけて後ろに飛んだノアが、2、3度バク転して着地する。

 暗殺者は、12歳くらいの黒髪の女の子だった。背丈もシャーリーと変わらない。髪の間から、同じ色の耳がふたつ、ぴょっこりと生えている。猫の耳だ。臀部からも、同じ色の尻尾が飛び出していた。袖のないトップスにショートパンツというひたすら動きやすさを追及したような服の隙間からも、ところどころになめらかな猫の毛皮が見える。

 懐から短刀を抜きながら、初めて暗殺者と同じ線上に立ち、「子ども……?」とノアは少しばかりためらう様子を見せた。

 対する暗殺者は、ノアと2、3度切り結んで後ろに飛びながら、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。確かに刺したはずだ。布団や服には今も血がついているし、肉を断つ手応えも感じた。しかし今の少年の動きは、刺されたものの動きではない。不死身の化け物か、はたまた曲芸の類いなのか――戦闘の中で暗殺者は考える。やけに懐が重い。そこには爆弾が入っている。いざというときは命をもって償うようにと『御主人様』に持たされたものだ。暗殺者とて死にたくはない。仮にこの少年がターゲットであればこの爆弾を切り札として仕留めることも考えただろう。しかし現実にはこの少年はターゲットではないし、物音を聞いてすぐに他の警備兵も駆けつけてくるだろう。いくら獣人とはいえ、子どもにあの数を相手どるのは難しい。

 万が一にも情報は漏らせない。暗殺者は命を諦めた。一緒に死ぬなら、怖くない。


「!! いけないっ!」


 懐から爆弾を出して火をつけた少女の前に、怯むことなくノアは体を投げ出した。少女の手から爆弾を奪い取り、腹で抱え込むようにして、体を丸める。間髪開けず、すぐに爆弾はノアの体の下で爆発した。爆風がノアを中心に吹き荒れ、壁の一部が吹き飛び、ガラスが衝撃に耐えきれず弾け飛ぶ。爆風に圧された少女もまた、部屋の壁に叩きつけられた。


「なっ、何で!?」


 直接爆弾を食らったのならいざ知らず、爆風程度の威力なら、獣人には大したダメージではない。訳がわからず、飛び散った肉片を避けながら、暗殺者はノアに駆け寄った。


「何であなたが私を助けるの!? 領主の護衛なんでしょ!?」


 ノアの髪は一瞬で焼け焦げ、肩の前の方にはひどい火傷を負っていた。近くで見ると、肋骨が露出しているのも見える。腹の方はもっとひどいことになっているだろうと、想像して暗殺者は青ざめた。


「だって爆弾を受けたら、きみは死んじゃうでしょ。でも、俺は死なないんです。内緒ですよ?」


 駆け寄った暗殺者を見上げて、ノアがシィーと人差し指を唇の前に立てるジェスチャーを見せる。実際には、唇など残っていない。手の指などは軒並み吹き飛んでおり、上げた手首からは骨が見えている。歯列の間からそのような音が鳴ったので、少女が勝手に想像しただけだ。


「ちょっとそこのドア、押さえといてもらえませんか?」


 不意にそんなことを言われて、思わず半歩下がりながら、「えっ?」と暗殺者が声を上げる。部屋のドアは爆風で凹み、蝶番が外れて傾いているが、かろうじて原型を保っていた。


「後できれば、俺にそこの燃え残りのシーツをひっかけてもらえるとありがたいです。ここからの先の光景はその……ちょっと刺激が強いので」

「な、何を言って──」

「すぐに警備の人が来るはずです。こんなところを見られると俺も困るし、あなただって困るでしょう」

「ば、バカ言わないで!」


 さっきから訳のわからないことばかり言われて、とうとう暗殺者はぶちギレた。


「わ、私は逃げる! 逃げさせてもらうから!」

「どこへ逃げるんですか? 二回も失敗したあなたには、もう、行くところはないはずです」


 感情のまま喚き散らす暗殺者を、冷静にノアが嗜める。図星を突かれて消沈した暗殺者は、ぐすぐすと泣きながら結果的にドアによりかかった。肉片が血のように溶け、ずずずと床を這ってノアに戻っていく様子を見て、「ひぃぃっ」と息を飲む。頭をかかえてずるずると座り込みながら、ぎゅっと少女は目を瞑った。


「も、もうやだぁ……! 助けて……! 誰か私を……私とレオを助けてよぉ!!」

「もう少し……もう少し待っててください、クロエさん。そのあとで、レオさんと一緒に逃げる算段を立てましょう」


 今は他に、かける言葉がない。泣きわめく少女の向こうにドアを叩く音を聞きながら、一秒でも早く体が治るようにノアは祈った。

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