第17話 「誰でも簡単にウサミミを生やす薬の研究をしてたんだ」

 ウィリアムの部屋は、応接間とは違い生活感があって、確かに落ち着いて話せそうな雰囲気の部屋だった。デスクの引き出しとベッドの枕元から、うっすらと薄緑色と赤色の光が漏れ出している。閉じた鍋のほんのわずかな隙間から、薄く漂う湯気のような光だった。


「…………」

「…………」

「あっ、そうだ。これ見てください。サラマンダーの鱗なんです。この前にうちに来た商人から買ったんですよ。キレイでしょう。あっ、どうぞ、好きなところに座って下さい」


 ウィリアムが枕元からウキウキ赤色の光を持ってきたことで、引き出しの中身がドリアードの種だとほぼ確定してしまった。どっと力が抜けて、近くにあったベッドにありがたく腰かけさせてもらう。見ればルチアもどこか気が抜けたような様子で、件の引き出しがあるデスクの椅子に腰掛けていた。

 これでもう後は、シャーロットの家から持ってきたドリアードの種とこっそり入れ換えるだけでいい。


「いやあ、こんなに楽しいのは、何年ぶりだろう。二人ともすごいなあ。魔王様や、吸血鬼にまで会ったことがあるなんて、うらやましいな」

「ウィルも、ドリアードにまた会いたいですか?」


 目をキラキラさせながら二人の話を聞くウィルに、洞窟の家で本ばかり読んでいた自分を、ふとノアは重ねた。まだ見ぬ他種族に思いを馳せ、いつもわくわくして楽しかった。

 だからだろうか。並んでベッドに座るウィリアムに、こんな質問をしてしまったのは。


「……そうなんだ」


 ノアの問いに、面食らったように一瞬動きを止めたウィリアムが、それまでの勢いを無くして項垂れる。

 実の母親から厭われることになっても、ウィリアムがその原因となった種を手放さなかったのは、きっとそれが彼に取って良い思い出だからだ。二人は既にそう検討をつけている。ノアとルチアに取っては、聞く必要のない話だ。それが良いエピソードであればあるだけ、聞いてしまったら、奪いづらくなる。


「小さい頃の私には、不思議なものが見れた。名もないピクシーや、ニンフたち」


 ウィルとドリアードの思い出のエピソードは、そんな衝撃の告白から始まった。


「でも、普通の人には実体でないもの エーテル は見えない。それどころか、見えたりしたら魔族呼ばわりされて人族の世界から追放されてしまう」


 そうやって人族の世界から追われてきたひとつが、魔女の血統である。魔女は人族から派生した魔族なのだ。


「私が小さい頃の母上は、体が弱くて、私が大人になるまで見守れるかどうかわからないといつもピリピリしていた。そんな中、私が妖精が見えるなんて言い出したものだから、もう母上はカンカンさ。どこで誰に喋るかわからない、と、庭から出ることも許されなくなった。庭に植わっていた木の妖精ドリアードは、僕の唯一の友達だったんだ」


 広いけれど一緒に遊ぶ者が誰もいない庭と、その心細さを思いだし、項垂れたウィルの瞳に陰がさす。


「ある日ドリアードは、母上の病気を治すための薬を取りに行こうと言った。行方不明の原因さ。3日くらい、かかったかな。そんなことをしている間に、外では10年も経っていたのにね」


 母親の病気を治すのだと、わくわくしながら見知らぬ世界を走り抜けた自分は今思い出しても愚かで、ウィルは唇に自嘲の笑みを乗せた。


「母上はまだご存命だったけれど、私の言うことは何一つ信じてくださらなかったよ。せっかく集めてきた霊薬も、胡散臭いと飲んでくださらなかった」


 母を想っての行動に対する仕打ちがあまりにも悲しくて、ノアとルチアは何も言えない。


「悲しくなって、私は毎日木の下で子どものように泣きわめいた。図体ばかり大きくなった私を、ドリアードは一生懸命慰めてくれたよ」


 大きくなった体を丸めて泣きわめく少年の背中が見えるようで、想像の中の背中にそっと手を添えてやりたくなる。


「毎日木の下で独り言をいう私は、さぞかし不気味だったんだろうね。私を魔族と呼ぶ周囲の声が大きくなってきた頃、母上は庭師に命じて、ドリアードの木を切り倒してしまった。何てことするんだ、と私は母上に食ってかかったよ。母上は大きくなった私の剣幕に怯えて、この子は私の子じゃない、どこか遠くへやってくれと……」


 ひくりと喉がひきつって、ウィリアムの声が掠れる。知れていることなので続きは言わずに、ウィリアムは落ち着こうと深く息を吸った。


「お別れの朝、私はこっそり母上のスープに霊薬を混ぜてやったよ。それから母上は、別人のように元気になったと聞いた。何でもっと早くに、思い付かなかったんだろうね」


 強引にでも薬を飲ませて、もっと早く病気が治れば、母はウィリアムの話を信じてくれたかもしれない。そうしたらウィリアムの涙は止まり、ドリアードの木も切り倒さずに済んだのかもしれない。考えても仕方のないことと思いつつ、ウィリアムはもしもを考えずにはいられなかった。


「私は、またあのドリアードに会いたい。母上の病気を治してくれたお礼が言いたい。甘えてばかりだったことを謝りたい。木を切り倒してしまったことを詫びたい。そしてもし許されるのなら、また友達になってほしいんだ」


 ああ~これだめなやつ~と事情を聞いたことを心底後悔してノアは思った。ルチアも案の定向こうで、頭抱えたりしている。

 とりあえずウィリアムの就寝後に話し合うことにして、夕食を貰って風呂に入り、二人はそれぞれベッドを借りて眠りについた。


 その夜のことだ。

 ウィリアムの部屋の前でルチアを待っていたノアは、中からカシャンと硝子の割れるような音を聞いた。小さな音だ。息をひそめていなければ、気がつかなかったかもしれない。ウィリアムが起きているなら、もうすぐ来るであろうルチアを待って、出直さなければならない。こっそりとドアを開けて、部屋の中の様子をうかがい、ノアは息を飲んだ。


「何してるんだ、お前ぇぇ!!」


 後先考えずにドアを開け放ち、今まさにウィリアムにナイフを振り下ろそうとしている何者かに、走っていった勢いのままノアがドロップキックを決める。

 吹っ飛ばされた侵入者の撤退は早かった。二、三秒ノアと睨み合い、ウィリアムが「何事だい!?」と飛び起きた瞬間の隙をついて、音もなく窓から飛び出していく。


「ノア!? 何があったの!? 今の音、何!?」


 遅れて駆けつけたルチアの声を聞き、ほっとしてノアは床に膝をついた。

 何だかもう全然、ドリアードの種どころではない。

 ウィリアムの屋敷は、しばらく村のみんなで警備に当たるらしい。

 二人は、何も持たずに帰ることにした。


 ***


「すいませんっしたぁ!! あたしには無理でした!!」


 シャーロットの家に入るなり、床に頭を打ち付けんばかりの勢いで、ルチアは華麗な土下座を決めた。


「合格」


 短く言い捨ててグッと親指を立てるシャーロットは、風呂に入ったのか妙にこざっぱりとして、何故か頭にウサミミを生やしている。


「シャーリー、その格好は」


 できればルチアから真っ先にツッコんでもらいたかったのだが、ルチアは今絶賛土下座中だ。

 さっきまでシャーロットの家の前でどうしようどうしようと青ざめてうろうろしていたので、もしかしたらシャーロットの姿もろくに見ていないかもしれない。

 自分がツッコんでやるしかないのかと、無視するにはあまりにも大きな存在感を放つウサミミに、恐る恐るノアは言及した。


「帰ってくるなり、うるさいねえアンタたちは。研究が終わったから、ちょっと風呂に入っただけだよ」

「いや、俺が言いたいのはそのことじゃなくて……」


 舞い戻ってきた喧騒に顔をしかめながら、ノアの言葉は無視して、「ルチア、顔を上げな。アンタは合格だよ」とシャーロットがさっさと話を進めようとする。


「えっ、だってあたし、ドリアードの種……って何その頭の、ふわっとしてもこっとしたやつ~!?」

「アンタもかい。見ればわかるだろ。誰でも簡単にウサミミを生やす薬の研究をしてたんだ」

「大事な研究ってそれ!?」

「思いついちまったんだから、仕方ないだろ。ウサミミだけじゃなくて、ネコやイヌミミも生やせるぞ」


 顔を上げたルチアの脇を通って、壁の蛇口の横にあるレバーを上げ、マグカップにコーヒーを注ぎながらシャーロットは言った。


「思いついちまったら、作らずにはいられない。本当にそれが理論上正しいのか、試したくて仕方なくなる。それが私たち魔女の性だから。そうだろ、ルチア?」


 見た目はウサミミ少女である。けれどそばかすの散った頬を歪めてニヤリと笑うシャーロットの目には、あの日のルチアと同じ光があった。

 ──この力、使いこなせたらきっとすごい力になるよ。すごい魔女になれる。

 ノアが魔王の城に出かけることになった日のルチアと、同じ目だ。

 知的好奇心の塊。目的も手段も問わず、自分の見たいものを、ただ見たいように見る瞳。

 これが、魔女の血統──

 一瞬南の魔女の風格に飲み込まれそうになった二人は、シャーロットのウサミミを見て正気を取り戻した。ウサミミってすごい。


「でも、合格って、何でですか? あたし、ドリアードの種、持ってこれなかったのに……」

「だから要するに、ひっかけ問題・・・・・・だよ。うまく人族に馴染めるか、必要な情報を引き出せるか、集めた情報に対し、どのような選択をするか……。適応力と、情報収集能力と、人間性。この試験では、その三つを判断した。アンタは合格だ」

「そんなあ! じゃあ初めからドリアードの種、いらなかったんですか!?」


 家の前で悩んだ時間は何だったのかと、コーヒーを持ってテーブルに戻るシャーロットの後ろを追いかけながら、ルチアがキャンキャンと子犬のように吠える。


「別にいらなかったわけじゃない。後で説明してやる。それよりも、わかってるのかい。アンタは合格したんだよ?」


 テーブルの端にコーヒーを置いて、不意にシャーロットは足を止めた。振り返ったシャーロットにぶつかりそうになって、慌てて足を止めたルチアが、「あ……」と小さく声を上げる。


「望みの報酬を言え。私がそれを、叶えてやる」

「あ……あたし、杖が欲しい! シャーリー、あなたの森の木で作りたいの! 作るのに協力して下さいっ!」

「やっぱり、それかあ……」


 魔女の杖は、作成時に一人前の魔女が一人以上つかなければいけない決まりがあるらしい。ある程度予測はしていたが改めて言われると面倒くささが先に立って、けれど断るわけにもいかずシャーロットは口をもにょもにょさせた。


「うーん、仕方ない。ちょうど研究が終わったところだしな。やるかあ。私は凝り性だから、そういうDIY系ってあんまり手を出したくないんだけど……こうなったら、腹をくくって最高の杖を作ってやろうじゃないか」

「やったあ!」


 やっと杖を作れるのが嬉しくてたまらずに、ルチアがぴょんぴょん跳び跳ねて回る。それを横目に見ながら、「ノア」と唐突にシャーロットが声をかけてきた。


「ウィルを助けてくれてありがとう」

「え?」


 親しげにウィリアムをあだ名で呼んだシャーロットに、「もしかして知り合いだったんですか?」とノアが訊ねる。


「知り合いじゃあない。色々事情があってな。だが、そろそろ顔くらいは売っておくか。紹介は頼んだぞ」


 そう言い、シャーロットは自分の箒に乗せて、二人をウィリアムの屋敷に連れていってくれた。

 驚くウィリアムにシャーロットを紹介した上で、事情を説明し、ドリアードの種を庭に埋める。植物学の権威だというシャーロットの魔法で、木はたちまちのうちに腰ほどの高さまで成長した。ほわっと緑色の光が木の中心に灯り、そこからぴょっこり、緑色の髪をした少女が顔を出す。

 少女は嬉しそうにくるくるウィリアムの周りを回って、正面で止まると、膝をついたウィリアムの両目にキスをした。間近で見る魔法に腰を抜かしていたウィリアムの目が、そこで初めてまっすぐ女の子に焦点を絞る。


「ドリアード!」


 待ちわびた感動の再会だった。


「良かった! 戻ってきてくれたんだね! 俺、もう、二度と会えないかと……」


 言いながら泣き出したウィリアムの嗚咽がおさまるのを、少しの間、何も話さず三人が待つ。

 やがてウィリアムが落ち着くと、当然のように三人とドリアードの視線はシャーロットに向かった。


「薄々気付いていたかもしれないが、アンタには微弱だが魔力がある」


 説明を求める四対の目に、ずれた眼鏡を指先でくいっと上げて、シャーロットが説明を始める。


「いつかまた芽吹くことができるように、いつかまたアンタと再会できるように、ドリアードはその魔力を、長年少しずつ吸っていたんだ。昔は見えていた不思議なものが、ドリアードの種を拾ってから見えなくなったろう。今アンタがドリアードを見ることができるのは、魔力を少し返してもらったからだよ。この姿になったドリアードには、もうアンタの魔力は必要ない。大地の魔力を吸えるからね。魔力がまた溜まれば、そのうち元の視界も戻るだろう」


 シャーロットの説明に何やら納得するものがあったようで、「そうだったのか……」とウィリアムが頷く。


「ちょっと前にね、アンタに種を土に埋めるよう言ってくれと、そのドリアードが直接私のところまで来たんだよ。よりしろから離れて行動できるくらい魔力を溜めたのに、これじゃあいつまで経っても芽吹けないってね。引き出しの中にしまいこまれて、かわいそうに……植物は土に根差してこそ……むぐぐ」


 性格なのか文句をつけずにはいられない性悪魔女の口を、「まあまあ、いい場面なんだから、その辺で」と苦笑いしながらノアは塞いだ。「離さんか、ばかたれ」とその手をつねって、シャーロットが本題を切り出す。


「ドリアードは木に宿り木を守る妖精だ。根が届く範囲で、近付くものを感知する。今しがた私の魔力をやって、根っこで家の周りを囲ませた。侵入者が来ればわかるはずだ。せいぜい気を付けろよ。最悪、ドリアードの木の中に匿ってもらえ。またぞろ何かがあって、アンタに死なれては困る」

「私に……? 私とあなたは初対面のはず。何故あなたが困るんです?」

「決まっている。アンタがやがて、この世界の全てを統べる王となるからだ」


 腕組みをしてフンと鼻を鳴らし、いつものようにふてぶてしく、シャーロットはそう告げた。

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