第16話 「ドリアードの種?」

 エフェメラルデ王国、セニア領。

 シャーロットに言われて二人が向かった先は、耕作地がおもな辺境の地だった。人口も100人程度の、小さな町だ。少ないながらも住民はみな明るく朗らかで、飢えも乾きもない。冗談でなく、みんながみんな顔見知りのような土地柄で、お互いに助け合いながら日々を暮らしている。

 事前にルチアが言っていた、『移民が多く怪しまれにくい』のは王都のことらしく、ここはその限りではないようだ。

 二人は事前にこの国の服を入手し(シャーロットが快くくれた)、遠い親戚に会いに来たという設定まで作ったのだが、そんな村だったのであっさりとバレた。見た目が人族に近かったからか、割とすんなり受け入れられた二人である。なお、住民の中ではノアも魔法使いということになっている模様。


「ここの領主さまはなあ、元々エフェメラルデの王族につらなる者だったんだ」


 領主の館へと向かう道すがら、親切な住民が教えてくれた。畑作業があるということで、途中まで送ってくれるという。親子三代、瓜みっつ。中年の男性と、30歳くらいの男性と、6歳くらいの少年がいる。昨夜泊まるところもないノアたちを、快く家に泊めてくれた一家の男性たちだ。

 驚くべきことに、彼らはノアたちの状況を知るや、領主に目通りがかなうよう取り計らってくれた。話はすぐに通ったようだが昨日はもう遅かったので、一夜明けた今日、というわけである。


「へ~! でもそれが何でこんなところに?」


 バレた時にはパニックになって右も左もわからず遁走しようとしたルチアだが、今やご覧の馴染みようだ。元々人懐っこく好奇心の強い彼女は、人族と話すのが楽しくて仕方ないらしい。


「おれにもよくわかんないけど、領主さま、小さい頃に神隠しにあったみたいで、帰ってきたら10も20も大人になってたんだって!」


 少年の言葉に、「へ~! それでそれで?」なんて相槌を打ちながら、ルチアがこっそりとノアにアイコンタクトを送る。ドリアードは木の妖精だが、まれに気に入った者を木の中に引きずり込むことがある。そして取り込まれた者は、妖精たちの国ティル・ナ・ノーグで人と違う時間を過ごして戻ってくる。場合によって、早かったり、遅かったりする。ノアは、わかっている顔して頷いた。


「それで、この子は私の子じゃないなんて女王様が発狂してさ。そんでも、体裁上殺すわけにはいかないから、王位継承権を剥奪されて、ここへ送られてきたんだと」


 息子の教育に悪そうなことを言って、「王都は物騒だねえ」と父親の壮年男性がため息をつく。


「どんな過去があったか知らねえが、私らに取っちゃ、良い領主様さ。あの人が来てから、税も軽くなったしなあ」


 領主の移り変わりを見てきた一番年かさの中年男性が、やんわりと話をまとめた。


「あ! 見えた! この丘を越えると領主様の館だよ! 見える? 姉ちゃん」


 自分より年上の女の子に何かを教えられることが嬉しくて仕方ないのか、ルチアの手を取って、丘の向こうを見ようと少年がぴょんぴょん跳ねる。


「こらっ! 畑までって約束だっただろうが」


 今にも領主の館まで走っていきそうな少年を叱り、「じゃあ私たちはここで」と父親がぺこぺこ頭を下げた。


「いえいえ。こんなところまで送ってもらって、助かりました。ありがとうございます」

「これが坊やの家の畑? 広いね! すごい!」


 父親に叱られて不満そうだった少年が、ルチアの言葉一つで、とたんに胸を張って指で鼻の下を擦る。

 手を振りあって、一行は和やかに別れた。


「……みんないい人だったね」

「うん……そだね」


 昨日は二人とも男女別の部屋で寝たので、二人きりになるのは、村に入ってから初めてだ。

 色々言いたいことがあるはずのに、短くそんなことを言い合い、黙り込んでしまう。お互いに、自分の持っていた『人族』のイメージを、昨日今日見たものと擦り合わせる時間が必要だったのだ。

 そうこうしている間も足は進み、領主の館に着いてしまう。


「とりあえず、言うだけ言ってみる? 種下さいって」

「よく考えてみたら魔女の試験じゃん。今回はルチアに任せるよ」


 そんな風に作戦にもならないような会話を交わして、二人はドアのノッカーを鳴らした。すぐにメイドが出て来て、「お話は伺っていますよ」とにこやかに応接間まで案内してくれる。


「やあ、初めまして。ウィリアムと申します。どうぞ、ウィルとお呼びください」


 中で待っていたのは、30歳手前ほどの金髪碧眼、物腰やわらかな青年だった。わざわざ扉の前まで出てきて、笑顔で一人一人握手までしてくれる。

 お互いに軽く自己紹介を交わすと、三人は応接間のソファに向かい合って座った。すぐにメイドによってお菓子やお茶が運び込まれ、まるでお茶会のような雰囲気で話が始まる。


「君たちは、魔女と魔術師なんだってね」


 ウィリアムの言葉に頷いて、「はい」とノアは答えた。

 実際にはノアは何の魔力もないフォーリナーなのだが、そっちの方がバレるとまずいので、あえて間違った認識のまま話を進めている。


「色んな人が君たちのことを教えに来てくれたんだけど、昨日は少し忙しくて体が開かなかったんだ。今日も迎えを寄越そうと思ったのだけど、間に合わなかったようですまないことをしたね。君たちには是非、いろいろと話を聞かせてほしいと思ってたんです」


 何故だか最初から物凄く好感度が高いが、その理由がわからない。

 メイリーに危機感がなさすぎると指摘されたことを思いだし、これはもしや何かの罠なのかと、出されたお茶に手がつけられずノアたちは迷った。


「……毒が入っているとお疑いですか?」


 首を傾げ、それを察したウィリアムが、少し切なそうに笑ってノアのティーカップを手に取る。「失礼」と前置きして、ウィリアムはそれを一息に呷った。そしてにっこり笑うと、「うちのメイドが淹れるお茶はおいしいですよ。大丈夫」とそばで控えているメイドに新しいお茶を用意させる。

 レグザンドではあまり見ない鮮やかな緑色の茶を、まずは毒では死なないノアが飲み、その様子を見てルチアもおそるおそる口をつけた。


「あ……おいしい!」

「うん。おいしいね。俺、これ好きかも」

緑茶グリーンティーです。僕もこれが好きで、是非飲んでほしくて」


 顔を見合わせて笑いあう二人を見て、安心したようにウィリアムは胸を撫で下ろした。さっきから何度も見るウィリアムの笑顔は、大人なのにどこか子どものような無邪気さがある。

 飲んだこともない緑茶にふと郷愁のようなものを感じて、ノアは首を傾げた。もしかしてフォーリナー由来の茶葉なのかと聞こうとして、ルチアに先を越されてしまう。


「いきなり本題に入っちゃってごめんなさい」


 ウィリアムの目をまっすぐに見つめて、先に謝ってから、ルチアはティーカップを置いて話を切り出した。


「あたしたち、あなたの持っているという種が欲しくて来たんです。ドリアードの種です。心当たりはありますか?」

「ドリアードの種?」


 きょとんと目を丸くして、「さあ……ちょっとわからないなあ」とウィリアムが困ったように眉を下げる。控えているメイドたちに「君たち知ってる?」と聞いて、首を横に振られると、やれやれとウィリアムは肩をすくめた。


「どうやら、間違った情報を掴まされたようだね。こんな子どもを騙すだなんて、悪い人がいるものだ。力になれなくてすまないね」


 そう言いながら、ティーカップを持つウィリアムの手が震えている。

 クロだと二人は目星をつけたが、この後の出方がわからない。これでウィリアムが悪徳な人族であれば、愉快痛快撃退劇が待っていたのかもしれないが、目の前にいるのは善人を絵に描いたような無害な青年なのだ。

 手荒なことは避けたいとルチアも思ったのだろう。ここは大人しく「そうですか……残念です」と引いておく。


「そのドリアードというのは、どういう妖精なんだい?」


 話してもいないのにドリアードを妖精というウィリアムに、「木に宿る妖精です」とノアもまた深く追及はせず説明した。スムーズな会話だったため、メイドたちも特別違和感は抱かなかったようだ。


「時折、人を木の中に引きずりこむと言われています。そして妖精の国に連れていき、一緒に遊ぶ、と。妖精の国はこちらの国とは時間の流れが違うので、戻ってきた人族はひどく年老いていることもあるとか」


 自らの主人の境遇を知っているのだろう、メイドたちがざわめく。それは予想していたことだったので、ノアはウィリアムの反応だけを見ることに集中した。


「ああ……それで納得した。小さい頃の私をさらったのは、ドリアードだったんだな」


 町の人々ですら知っている出来事なのだ。肝心の種のこと以外は隠さないスタイルで行くことにしたらしく、ウィリアムはぺらぺらと喋ってくれる。


「実は、まだほんの幼い頃に行方不明になったことがあってね。6歳くらいの頃かな。私からしてみれば、綺麗な女の子とちょっと遊んでいたくらいの感覚なのだが、外の世界では10年も経っていたんだ。驚いたよ。もちろん驚いたのは私だけじゃない。それはもう大変な騒ぎになったよ。母上なんかショックで倒れてしまって、母上をそれ以上興奮させないよう私はこちらにやってきたんだ」

「それは……寂しかったでしょうね」


 子どもに聞かせる話ではないと思ってか、暗殺だの王位継承権だのの血生臭い話は避けて、ウィリアムはそこまで語ってくれた。精神年齢6歳の子どもが母親から離れて暮らすのは辛かっただろうと、少し同情してノアが言う。冗談めかして、「わかってくれるかい?」とウィリアムは笑ってみせた。


「優秀なメイドや執事たちがいてくれなかったら、どうしていいかわからなかったかもしれないね」


 そう言われてよく見てみれば、この家のメイドたちは随分と年を取っているように見える。本で読んだばかりの知識しかないが、この世界では、若い女性が結婚前に奉公に出たものをさしてメイドと呼ぶ。単純に掃除などの重労働が多いため若者の方が向いているのと、婚前に花嫁修業を積むという意味合いもある。


「結婚もせず、ずっとそばにいてくれた。民の目線から、政治を教えてくれた。見てくれだけ大人な私を捕まえて机に縛りつけるのは大変だったと思うよ。こんな機会でも無ければ恥ずかしくて言えないけど……みんなを母親のように思っている。いつも感謝してるんだ」

「まあ、まあ、坊ちゃまったら」


 一番年上らしいメイドが、涙ぐんで目頭を押さえた。一人だけ違うヘッドドレスを身に着けているため、メイド長なのかもしれない。

 ノアとルチアも釣られてほだされそうになったが、そういうわけにもいかなかった。ドリアードの種をどうやって探すか、またはどういうやり取りをしてウィリアムに在り処を吐かせるか。今は考えなければいけないことがたくさんある。


「良かったら、今日は私の家に泊まっていかないか。実はそんなことがあってから、妖精や亜族に興味があってね。実物の魔女や魔術師に会えるなんて感動だよ」

「どうする? ノア」


 渡りに船なウィリアムの言葉に、考え込む振りをして、ルチアがノアにアイコンタクトを寄越す。

 夜までウィリアムと話し、在り処を吐かせられなかったら、みんなが寝静まるのを待って家探し。

 一緒に育ったので、ノアとルチアの思考はよく似ている。恐らくルチアも似たような考えだろうと、ノアはルチアに向けて頷いてみせた。


「そうさせてもらおうよ、ルチア。他に泊まるあてもないし」

「本当ですか? 嬉しいなあ! そうだ、私の私室に行きましょうよ」


 ノアの言葉に子どものように喜んで、「その方がくつろいで話せます」とウィリアムは提案した。

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