第14話 「絶対合格して、あたしだけの杖を作るんだ」

「お前にも、ついていってもらいたいのだよ。ノア」

「? ついていくって、だってさっき明日って……ええええええ!?」

「だから大声を出すなというのに」


 理不尽にも立っているノアの脛を蹴って黙らせると、エルザは「私だって、こんな手は取りたくなかった」と嘆息して経緯を語り始めた。


「何て言ったって、私の孫だからな。一生に一回の魔女試験、最高の思い出にしてあげたいじゃないか。先に行った者たちがほっと胸を撫で下ろすような……後に続く者たちが恐れおののくような……歴史に残る超超高難易度の試験を演出しようとして、それこそあの子が産まれたときから、本当はいけないんだが裏から手を回して、試験官として最高に性格悪そうな魔女を何人かピックアップして話をつけてだな──」

「最高に性格悪そうな魔女なら、少なくともここに一人いますけどね……エルザさんに育てられたんだから、大抵のことは大丈夫なんじゃないですか?」

「うーん、お前、なかなか神経太くなったな。頼もしいぞ。だが、私はダメだ。世界最高の魔女だって、孫には勝てない。綿菓子のようにあまーく育ててしまった。かくなる上は魔女試験でぎったんぎったんに叩きのめされて、現実を知り強くなってほしい」

「なんとも複雑な親心ですね……」


 ノアには全くわからない心境だが、一般的な親心でないことだけは確かだ。理解しようとしたが全くわからず、「続きをどうぞ」とノアが促す。


「うん。魔女試験は原則一人で行うものだが、今回のこの騒ぎだろう? 仕方ないからルチアのための最高の試験は諦めたが、しかし、できるだけのことはしてやりたい。だからほうぼう頼み込んで、色んなものを右から左に動かして、特例を作った。一年早く試験に臨むということで、一人だけお供をつけていいことになったんだ。もちろん、お前が魔力のまったくない人間ということが前提で」

「それはわかりましたが……俺は何をすればいいんですか? ていうか、魔女試験で、なんか俺の出番ってあります……?」

「試験そのものは、ルチアが一人で行うものだ。お前が何か特別に手を出すことはない。ただ道中の安全だけ守ってくれればいいんだ。何なら試験のときは、人間の村に・・・・・遊びに行ったっていい・・・・・・・・・・ぞ」


 ルチアのためではなくノアのための特例だと、その一言、その一瞬でノアは悟った。それを踏まえて先ほどのエルザの台詞を反芻すると、前半はルチアの話だが、後半はノアの話になっていることがわかる。

 エルザほどの魔女がほうぼう頼み込んで色んなものを動かして、ルチアのための最高の試験を諦めてまで特例を貰ったのは、お供ルチアつきの安全な旅をノアにさせるためだったのだろう。

 いつぞやのリュカのように「ああ~~もう~~」とノアは頭を抱えた。


「好きです~~もうちっちゃい頃からめちゃくちゃ好きです~~」

「知ってます~~何回目の告白だ? それ。勢いの力を借りずに言えるようになったら、出直しておいで。でも、ありがとうな」


 どさくさで告白したノアに、にやにや笑いながら大人の対応をして、「ところでさ」とわざとなのかエルザが話題を変える。


「トランクの中身、それ、なに?」

「そう言えば、魔王様から必ずエルザさんに渡すよう言われたものがあるんです。魔王様からのお土産? かな?」


 しゃがみこんで、足元に置いてあったトランクをノアは開けた。待ちきれないのか、エルザが何かを手繰るようにひょいっと手を動かして、その中から木箱と例の手紙を手元に引き寄せる。

 そして手紙を上から下までものすごい勢いで読んだかと思うと、「なるほどな!」と頷き、フラムの指輪を使っておもむろにエルザは手紙を燃やした。


「な、何で!?」


 メラメラと音を立てて燃え落ちていく手紙の燃え滓を見ながら、ノアが悲鳴を上げる。


「だってお前、これもう国家機密みたいなもんじゃん?」


 などとわけのわからないことを供述しながら、ゆらりと怪しい動きで、エルザは椅子から立ち上がった。


「ノア、これ書くの見てたか? 見てない? ああ、もうどっちでもいい。とりあえず明日早いから、もうそろそろ休んだ方がいいぞ。おやすみ、ノア」

「うっ、なにか話を逸らそうとしている気配……!」


 エルザがおやすみを言う頃には、猛烈な眠気が込み上げてきて、たまらずノアは膝をついた。エルザの中指で、眠りソメイユの指輪が、薄緑色の光を放ちながらきらめいている。


「明日から楽しい冒険の始まりだぞ~~!」


 目を閉じる寸前に見たエルザの、唇をつりあげた楽しそうな顔といったら。


 ***


 目が覚めたとき、ノアは自室のベッドで眠っていた。久しぶりの自室、今日には発ってしまう自室だった。

 何だかやけに眠たい体を無理矢理に布団から引き剥がし、顔を洗って、昨日と同じ服に着替える。朝食の後で一度シャワーを浴びて、新しい服に着替える算段だ。

 ノアがいない間も気にかけていてくれたようで、部屋はきれいに整っている。クローゼットの中の服も、今のノアの体に合ったサイズになっていた。トランクの中から、小さくなってきた服を取り出して中身を入れ換える。小さくなった服は、隅に置いておけば、また直してくれるだろう。これくらい、最後に甘えても許されるはずだ。

 少し遅くなってしまったが、ノアは四季の庭に向かった。そこで、二人の魔女が待っている。


「ノア!? うわあ、ノアだ~! おかえり~!」


 庭に現れたノアに気付き、白いワンピース姿のルチアが、満面の笑みで如雨露を放り出し駆けてくる。


「ルチア! ただいま~!」


 勢いをゆるめず飛び込んできたルチアを、昔と違ってよろけることもなく、ノアは軽々と受け止めた。華奢で柔らかいルチアの体を、昔の癖でぎゅっと抱き締めてしまう。


「あたた、ノア、痛いよ~~!」


 腕の中で身をよじるルチアに我に返り、「あ、ごめん」とその体に回していた腕をノアは解いた。


「久しぶりに会えて、嬉しくなってつい。大丈夫?」

「大丈夫。ノア、背すごく伸びたね!」

「うん。ルチアも……おっきくなったね。髪も伸びたんだ」


 エルザの血統なのだろうか、どこがとは言わないがものすごく育っている。さっきから身長差を測ろうとしているルチアがぺたぺたとんとん背伸びしたり飛んだりする度に、目の前でたゆんたゆん揺れてどうにも目が離せない。


「あっ、もう! バレてるからね! ノアのえっち!」

「男なら誰でも見ちゃうんだよ! まさかその格好で行くわけじゃないよな?」

「うん。この後ごはん食べたら、シャワー浴びるつもり。お風呂なんかしばらく入れないかもしれないしね。なんなら、ふふ、ノアも一緒に入っちゃう?」

「勘弁してよ……」


 さっきから感じるエルザの視線が痛くて、ノアはひきつりそうになる頬でなんとか笑顔を浮かべてみせた。


「おはよう、ノア」

「おはようございます、エルザさん。昨日、寝る前の記憶がちょっと抜けてるんですけど、俺に何かしました?」

「ああ、ちょっと野暮用でな」

「ふうん……? あ、俺、魔王様からのお土産渡しましたよね?」

「貰った、貰った。ありがとな」


 作物に水をやり終え戻ってきたエルザと、軽いやり取りを交わす。具体的にはトランクを開けたくらいからの記憶がない。常日頃から思い立ったら即行動の人なので、今回もちょっと調べたいことがあったのだろうと、あまり気にせずノアは流した。

 魔王城での思い出話に花を咲かせながら朝食を摂り、ルチアと順番にシャワーを浴びると、いよいよ出発の時間になる。

 トランク一つ持って四季の庭に上がると、ルチアは先について黒猫スキャンダルを撫でていた。ノアと、その後ろについてきたエルザを見て笑顔で立ち上がり、「こっちこっち~~!」と手を振ってみせる。

 エルザ譲りの癖っ毛の一部を三つ編みにして、ルチアは、金色の羽飾りのついた黒い三角帽子を被っていた。

 幅広のレースのチョーカーと、胸元の大きく開いた白いトップス。胸のすぐ下を金色のベルトでぎゅっと締め、そこから深い緑色のミニスカートがふんわりと広がっている。

 腰までしかないローブはやや丈が短めで、手首までの長さの手袋も、指先の出るデザインだ。黒いハイソックスに、ヒールが高めの黒いショートブーツ。


「「うわ、かっわい~~!」」


 エルザと声を揃え、本人よりもはしゃいでノアは言った。

 全体的に動きやすそうな格好の中で、ところどころ散りばめられている飾りは、祖母エルザの遊び心なのだろう。「さすが私の孫~~」とエルザは隣でデレデレしている。


「かわいい? そう?」


 誉められた本人もまんざらではないのか、ルチアもくるっと回って、仕立ててもらったばかりの新しい服を御披露目してくれた。

 照れたように頬を薔薇色に染めて、「にへへ」とおかしな笑い声を上げる。


「二人とも、準備はいいか?」

「はい」

「いつでもいいよ~~! ねえ、でも、おばあちゃん」


 元気に拳を振り上げた後、少し声のトーンを落として、「あたしとノアがいなくなったら、さびしくない?」とルチアはエルザに訊ねた。

 ノアとルチアがいなくなったら、エルザはスキャンダルと二人っきり。息をのんで、ノアもまたエルザを見つめる。


「大丈夫さ。スキャンダルもいるし。久しぶりに、リュカのところへ遊びに行ってもいいしな」


 そう言い、エルザは腕に抱えていた黒猫の背中に頬擦りした。大人しくエルザの腕の中におさまっているスキャンダルが、タイミング良く「ニャン」と鳴く。


「そっか~。スキャンダル、おばあちゃんをよろしくね」


 ルチアに撫でられてフンと鼻を鳴らしたスキャンダルが、いいから早く行けというように顎をしゃくった。

 桃の木に立てかけてあった箒をルチアに渡して、「こっちのことは心配するな。私を誰だと思っている」とエルザが嘯く。


「じゃあ……うん、行くね。ノア、箒の後ろに乗って。こうやってまたいで乗るの」

「え、でも」


 どこからどう見ても普通の箒に乗れと言われて、ノアはちょっとためらった。ルチアはもう箒にまたがって、ノアが乗るのを待っている。

 眠れない夜、エルザに何度か乗せてもらったのは、箒に似せたエルザの杖だった。対してこれは、普段から枯れ葉を掃いたりするために使っている本物の箒である。


「見習いは本物の箒を使うのさ。さ、乗りなさい」

「えっ。なに、それ。ノア、もしかしておばあちゃんの箒に乗ったことあるの!?」


 焼きもち焼きのルチアに知られると何だか面倒くさいことになる気がして、「ないない、ないよ」と言いながら、ノアは箒にまたがった。

 ルチアの後ろで、エルザも『黙っていろ』とジェスチャーしている。


「ちょっと見せてもらったことがあるだけ」

「え~! ほんとかなあ?」


 ルチアは疑うような目を向けていたが、やがて「まあ、どっちでもいっか!」とからりと笑った。その瞬間、箒がぶわっと浮き上がって、「うわっ」とノアが首をすくめる。


「ごめん、ごめん。もっとゆっくり上がろうと思ったんだけど、媒介つえがないと、やっぱり魔力の方向性が定まらなくて……っとと」


 言葉通りグラグラと揺れる箒の先をなんとか進む方向へと向け、「おばあちゃーん!」と眼下に見える四季の庭に向けてぶんぶんルチアは手を振った。


「行ってきまーす!」

「エルザさん! 行ってきまーす!」


 合わせて手を振りながら、同じように下で手を振っているエルザに向けて、ノアも大声を張り上げる。

 その途端また箒がぐらりと揺れて、「もう!」とルチアは頬を膨らませた。


「こうなったら、全開で行くよー! しっかり掴まっててね、ノア!」


 自転車しかり、飛行機しかり、何でも高速で動くものの方が安定するものだ。

 びゅんびゅん風を切る音と共に、周囲の風景がどんどん移り変わっていく。ルチアが、高速移動に切り替えたのだ。言葉もなく、ノアはただただ箒を握り締めて耐える。

 やがて蜃気楼の森を飛び出した頃になって、「ごめんっ」とルチアはいきなり急ブレーキをかけた。


「あたし、姿を消す対策するの、忘れてたっ!」

「……ああ、今まさに助言しようと思ってた。自分で気付いてくれて良かったよ」


 思い切りつんのめってルチアの背中に顔をぶつけたノアが、鼻を押さえながら情けない声を聞かせる。

 箒はひゅるひゅるとゆっくり降りていって、森の中の原っぱのようなところに着地した。四方2メートルくらいが拓けていて、小さな白い花がところどころに咲いている。

 まだ森から出たばかりだがちょうどいいので休憩することにして、二人は各々箒の柄に通していた荷物を下ろした。


「行き先は大丈夫なんだろうな?」

「うん、行き先はちゃんと決めてるの」


 地図を広げて、ルチアが「この辺だよ」と教えてくれる。

 地名も書き込まれていて、不思議な力で現在地も表示される、いつか見た地図より詳細な地図だった。

 ルチアの指は、ど真ん中にある大陸の南端辺りを指している。


「ここに、何があるの?」

「四季の森の魔女に会いに行くの。植物学、薬学その他諸々の権威なんだって。四季の庭は、そこをモデルにして作ったんだっておばあちゃんが言ってた」

「植物学に薬学? ……魔女試験大丈夫?」


 にわかに不安になって、ノアは訊ねた。ルチアは座学が苦手で、本のページを開くとすぐ寝てしまうと本人も言っていた。そんな人の出す試験テストをクリアできるのだろうか。


「だって、どうせ挑むのなら、難しい方がいいでしょ? わくわくするでしょ? 絶対すごい人だもん! 会ってみたいよ~!」


 草むらに足を投げ出して空を見上げながら、ルチアはきらきらした目でそう語った。

 エルザは当初最高の魔女試験を演出しようとしていたらしいが、とんだ杞憂だったようだ。この子は放っておいても、困難に進んでいくように出来ている。


「絶対合格して、あたしだけの杖を作るんだ」

「杖を作る?」

「最低一つは試験をクリアできないと、杖を持っちゃいけない決まりなの。魔女の杖には、鉱物系とか、金属系とか、色んな杖があるんだけどね。あたし、おばあちゃんの持ってる木の杖に憧れてるんだ。なんか、あったかい感じがするんだよね~~」


 木々の間から差し込んでくる光が心地いいのか、目を細めて間延びした声をルチアが聞かせる。


「試験で出される課題をクリアできたら、報酬が貰える。あたし、この人の森から木を貰って、杖を作ろうと思ってるの。杖があると移動も楽だし、早めに作っておくに越したことはないでしょ? だから、座学苦手だけど頑張ってきたし! 旅の合間に予習しようと思って、本も持ってきたしね!」


 意外としっかり展望を考えているルチアに感心して、「すごいね」とノアは褒めた。


「俺……はどうしよう……ぶっちゃけルチアより何にも考えずに来ちゃったからなあ」

「仕方ないよ。昨日の今日だもん。ノアは、人間の生活が見たいんでしょ?」


 肩を落としたノアを励まして、「ちょうどいい国も近くにあるんだよ」とルチアがまた地図に指を走らせる。

 太い線で区切られているのは国境だろう。四季の森があるという地点から歪な扇形に、大陸の五分の一くらいの広さの国がある。


「エフェメラルデ王国。この国は魔王様の城から一番遠いから、最も安全な国として移民の数も多いの。結構人の出入りがあるから、怪しまれないと思う。人魔戦争のときもあんまり関わらなかったから備蓄も多いし、積極的に領土戦争に乗り出さなくてもいい。安全な国だよ」

「そうなんだ。じゃあ、魔女試験の間、ちょっと見てこようかな」

「うん。じゃあ、そろそろ行こっか。レグザンド、早く抜けちゃいたいしね」

「レグザンドって……この国だよね? 何か問題あるの?」


 大陸の右下には、尻尾が生えたようにひょろんと突き出した土地があり、蜃気楼の森はその先端にあった。

 地図の国境を表す線から見て、恐らく蜃気楼の森はレグザンドに属している。

 蜃気楼の森から、大陸の半ばまでがレグザンドの土地だ。一部はエフェメラルデ王国と接している。


「レグザンド皇国は元々国土のほとんどが森林だったの。あたたかくて、雨が多い……熱帯っていうんだっけ?」

「ああ、そういえば歴史書で読んだよ。面積は広いけど、逆にそれだけって感じの、取り立てて何もない国だったんだよね」


 ルチアの言葉に、ノアは洞窟の家で散々読んだ本の記憶を紐解いた。

 レグザンド皇国は、エフェメラルデとは違い、人魔戦争を利用してのしあがった国だ。何しろ、400年も続いた戦争である。終戦時は、人的被害だけでは無く、建物や土地への被害も尋常ではなかった。特に被害をこうむったのは、魔族が陣取っていた大陸の左側の土地だ。

 その時の皇帝はそれに乗じて、レグザンドの豊かな森の木々を積極的に切り倒し他国に売り捌いた。そして拓いた土地を耕して、領土を急激に広げたのである。


「そうそう。でも、その時に森を丸裸にしちゃったせいで、一気に土地が痩せちゃったみたい。元々雨が多い土地だから、残ってた豊かな土壌もあっという間に流されちゃって。今はあちこちで水害とか時崩れとか起こって、作物の収穫にも影響が出てるみたい。ノアも知ってるでしょ?」


 知ってるもなにもまさしく土砂崩れに巻き込まれた身であるノアは、ルチアの言葉に万感の思いを込めて頷いた。

 そうでなくとも毎日畑を耕していたのだから、土地が痩せていたのはルチアよりもよく知っている。


「皇帝一族は今もあの時の豪華な暮らしが忘れられなくて、戦争を起こして他の国から補填する気でいるの。国民から税を巻き上げて、武器にするための金属も没収して、そのせいで国民たちはピリピリしてる。貧富の差も激しくって、辺境では盗賊も出るから早めに抜けなさいって、おばあちゃんから言われてるの」

「そうなんだ……じゃあ、やっぱり早く抜けたいよね」

「そうなの。『隠者レルミトの水』、かけるね」


 そう言って、ルチアはトランクの中から硝子の小瓶に入った虹色の水を取り出した。シュッシュッと箒やトランクなどの小物類にスプレーしてから、ノアと自分にも振りかける。

 物の輪郭がぼんやりとしてきたら魔法が効いた証拠だ。隠者レルミトの水は、一定時間振りかけたものの姿を消す魔道具で、効き目はおおよそ6時間。声や物音は消えないが汎用性は高い。ちなみに、夜のカーテンは夜限定である。


「じゃあ、休憩しながらまずは6時間。ゆっくり頑張ろう」


 ノアの言葉に、「箒で6時間かあ~~」とルチアの方がつらそうな声で嘆いた。


「途中で魔族の隠れ里とかあるといいんだけどな~~なかったら今日は野宿だよお」

「耐久箒の旅から野宿か~~結構ハードだよね」


 薄々とわかっていたが、魔族の隠れ里など、そうそう見つかる物ではない。

 果たして6時間後。ルチアがちょっぴり腰を痛くしてしまったので、回復の早いノアはひとり野宿の準備をしていた。

 まずは優先度の高い順から、焚き火の準備、食材の確保、テントの設営だ。


「ごめんね、ノア~~」

「気にしないで休んでて。ちゃんと薬塗ってね」


 エルザがルチアの鞄に塗り薬を入れてくれていたので、少し時間を置けば問題なく回復するだろう。

 野宿の準備は、遅くても日が暮れるまでにやらなければならない。暗くて何も見えなくなってからでは遅いのだ。

 エルザとリュカの英才教育のおかげで、ルチアもノアもサバイバルは別段苦手でもない。

 周辺に人間の村がない岩場の洞窟に場所を定め、獣と虫除けの香を焚く。

 間違っても洞窟の中に煙が充満しないよう風向きを確かめてから火を起こし、その火で木の枝をしならせて、ノアは即席の弓を作った。

 薪を集めながら獲物を探し、途中で見つけた野うさぎを仕留めてその場で絞める。

 近くの小川で皮を剥いで内臓を取りだし枝肉にすると、ノアは洞窟に一度それらを持ち帰った。

 その頃には、ルチアも大分回復していたので、調理はルチアに任せる。

 続いてはテントの設営だ。

 夜のカーテンリドー・ド・ニュイは、広げて振れば振るだけ面積が大きくなる。畳むと戻る。

 火でしならせた長い枝をテントの形に組んで、夜のカーテンをかけるだけで外側は完成だ。

 後は眠るためのベッドを作る。

 リアリスの木は、外来種ではなく、この世界の固有種だ。外皮の中に、水分を蓄えるためのふわふわの綿がたっぷりと入っている。外皮は少し切れ目を入れると簡単に外れるので、剥がすとそのまま小船型のベッドになる。掛け布団として、ちょっと綿を多目に拝借してきた。

 後は火の近くに置いて綿の中の水分を飛ばせば完成だ。ちょっと煤臭くなるが、そこは我慢するしかない。

 小川で汲んできた水を沸かして一度冷まし、ルチアと共にノアは白湯をすすった。


「はあ~~疲れたねえ~~! あんなにぶっ続けで箒に乗ったのはじめてだよ~~! あれがもう本試験でいいんじゃないかな!」

「お疲れさま、ルチア」


 言うことを聞かない箒を乗りこなすのは実際大変そうだったので、ばったりと背中から大の字で倒れるルチアを、心の底からノアは労った。


「今この辺まで来たから……この調子なら明日には多分レグザンドを抜けられるよ」

「えっ、ほんと?」


 がばりと飛び起きたルチアが、ノアが広げた地図の元に膝でにじりよってくる。

 そして現在地を確認すると、「よっしゃ! 頑張った! あたし頑張った!」とにわかに元気になってガッツポーズを決めた。


「あ~~ほっとしたらお腹すいてきちゃった~~ごはんにしよっ、ノア」


 ルチアの提案で、弱火で保温していた野うさぎの肉と、持ってきたパンをあたためて食べる。

 捕ってすぐに血抜きはしたが、熟成もしていなければ旬でもなく、生態上脂の少ない赤身肉だ。

 それを加味して、ルチアは甘辛いソースで濃いめに煮込んでくれたようだ。よく煮込んであるので、肉がやわらかくておいしい。特にソースは絶品で、パンですくってきれいに食べた。

 満腹になると、眠くなる。

 こうして一日目は何事もなく終わった。


 二日目。

 昨日のダメージが抜けきっていないルチアは辛そうだったが、根性でなんとかレグザンドを越えた。

 ここから先はエフェメラルデ王国領だ。

 荒野の向こうに、段々と緑が見えるようになってくる。

 当初遭遇の可能性があると言われた盗賊にも、隠者レルミトの水のおかげで遭遇せずに住んだ。遭遇したところで大人しくどうこうされる二人ではないのだが、魔族が国境付近こんなところを飛んでいては大問題になる。他の仲間たちに迷惑をかけるわけにはいかない、とルチアは心配していたが、杞憂で済んで何よりである。

 そして盗賊の代わりに、行き倒れの吸血鬼を見つけた。

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