第11話 「かつて私の、妻だった人だ」

「やれやれ、やっと来たか」


 城がある島から海を挟んで、少し行った先の小島でリュカは待っていた。大きな岩の陰で釣糸を垂らし、水の入った桶をかたわらに、呑気に釣りなんかしている。地べたに腰を据えてだらしなく足を崩し、とても一城の主とは思えぬだらけっぷりだ。


「あんまりお前たちが遅いものだから、ほれ見ろ、2匹も釣ってしまったぞ。腹が減ったから、そろそろ食べようと思っていたところだ」


 言葉通りリュカのそばでは、串を打たれた大きな魚が二匹、焚き火の上で炙られていた。ぱちぱちと音を立てて、いい具合にこんがり焼けている。


「ふふ、興味があるか。おいで。この釣竿をな、こうやって持つんだよ」


 体よくノアをおびき寄せ釣竿の番にしてしまうと、リュカは串の一本を取って荒塩を振りかけ、あんぐりと魚にかぶりついた。


「魔王様! 子どもをいじめるのはおよし下さいませ!」


 オデットに怒られて、「少し悪ふざけが過ぎたか」と笑いながら、リュカが片手に魚を持ってやってくる。差し出されたもう片方の手に釣竿を返そうとした瞬間、釣竿に当たりが来た。


「あっ」


 ちょうどお互い力を抜いたタイミングだったため、たちまち釣竿は海にひきずり込まれてしまう。岩でできた島は、ぐるりと周りを潮に削られてきのこ型になっており、取りに行くのも戻るのも難しい。寸でのところで細い釣竿を掴み損ねたノアは、「すいません」と恐縮して謝った。


「なんの」


 ひょいと後ろを向いて、リュカが海の中に尻尾を差し入れる。エリアスの翼と同じで普段は見えない、髪と同じ白銀色をした狐の尾だ。

 尻尾でぐるぐると海をかき混ぜたリュカは、「あ、痛、いたた」などと言いながら、すぐに魚を一匹水揚げした。


「……尻尾、初めて見ました」

「ん? そうだったか? 実は九本あるんだぞ」


 魚に噛みつかれた尻尾を抱き寄せ、ふーふーと息を吹き掛けながらリュカが言う。

 リュカが、千年生きた狐の化生けしょうなのだと聞いたことはあった。あったが、初めて見る片鱗がこれとは如何なものか。


「尻尾ならわたくしだって、ほら!」


 先端がハート型をした細い尻尾をヒュンっと鞭のようにしならせて、オデットが海に突き刺した。串刺しになった魚が、陸に放られてピチピチと跳ねる。


「何の勝負をしてんだよ……そもそも、弁当があるんだろ」

「そうでしたわ!」


 呆れたような顔で言いながら、そう遠くはない場所に、エリアスがどっかりと座り込んだ。嬉しそうに駆けていったオデットが、どうやら手作りらしい弁当の包みを広げ、サンドイッチをエリアスに取り分けている。

 オデットが置いていった魚に見よう見まねで串を打ちながら、「王様。オデットってもしかして……」とこっそりノアは聞いてみた。


「うむうむ、かわいかろう? 私くらいの年になると、あの年頃の色恋沙汰というのは、孫世代のままごとを見るようで、まこと微笑ましい。全く想いが通じてないところが、見ていてもどかしくもあるがな」


 もどかしいと言いつつ完全に楽しんでいる目で、ころころと笑いながら、リュカがどこかから取り出した酒を煽る。


「完全に酒の肴にする気満々じゃないですか……」

「ふふふ。オデットのやつめ。エリアスの好みが淑やかな女だと知って、口調だけは改めたんだがなあ」

「ああ、それであんな口調なんですね……」


 何だか努力が斜め上にから回っているが、とにかく、今後あの二人の喧嘩は真面目に受け取らなくて良さそうだ。今度からみんなに混じって野次でも飛ばしてみようかと迷うノアの裾を、足の下からちょいと、引くものがあった。


「あのー、もしかして、釣竿、落としました?」

「えっ? うわあ!」


 何気なく足元を見ると、なんと海の中から裸の女の子が生えている。そのあまりにも非現実的な光景に心臓が縮み上がるほど驚いて、バランスを崩したノアは派手に尻餅をついてしまった。


「こけた!」

「こけたわ!」


 いつの間にこれだけ集まったのか、何人もの男女が身を乗りだし、転んだノアに好奇の目を向けてくる。次から次へと岩肌に押し寄せてくる波を物ともせず、キャッキャッと声をはずませて、彼らは楽しそうに笑い転げていた。


「ふふふ、かーわいい。ねえ、この釣竿、あなたの?」

「私のだ。わざわざ拾って届けてくれたのか。そんな大層なものでもないのに、ありがとう」

「気にしないで、魔王さま。だってわたしたち、人間の男の子を見てみたかったの」


 最初に話しかけてきた女の子から釣竿を受け取りながら、「セイレーンの子どもたちだ」とリュカは紹介した。言われてみれば、みな一様に長く伸ばした髪の毛の先が、魚のヒレのように硬質化している。興味津々なノアに気付いたのか、「見て見て!」と陸に乗り上がってきた女の子が、ぱたぱたと尾びれを振ってくれた。腰から上は人間と変わらない外見だが、腰から下が魚になっている。白羽立つ海の中まではよく見えないが、髪の色も尾びれも色とりどりで、こうして集まるとまるで海に花が咲いたかのように華やかだ。


「セイレーンたちは、日中海の激流の下で眠っていて、夜になると歌を歌いに陸へ上がってくる。歌うのが何より好きな種族なんだ。そしてその歌には魔力が宿る」

「本で読みました。言葉でその魔力を操り、『言霊』という不思議な力を行使するのが、セイレーンだと」


 セイレーンとは、人魚マーメイドが魔性を帯びたものだ。つまり魔族と呼ばれ、迫害される側である。こんなに美しい種族までもが、夜に閉じ込められている。


「親に黙って抜け出してきたんだろう。今起きていると夜に起きられなくなるぞ」

「ごめんなさい、魔王さま。気をつけるわ。でも、今度はイーディス様と違って女の子じゃないのね。わたし、女の子も見てみたかったな」

「馬鹿。それ以上言っちゃだめ。じゃあ魔王さま、おやすみなさい」


 一瞬動きを止めたリュカを見て、一番年上らしい女の子が、慌てて友人の口を塞ぐ。そしてどことなく気まずそうにそそくさと尾びれを翻し、とぷんと海の中に消えていった。


「ああ──おやすみ」


 水面を覗き込んで、優しい声でリュカがセイレーンたちを見送る。うつむいた拍子にさらりと髪が頬に流れて、その横顔を隠した。来たときと同じように音もなく、セイレーンたちが海の中に消えていく。イーディスという名前が出た瞬間リュカが動きを止めたのを、もちろんノアも見逃していない。


「……イーディス様って誰ですか?」


 いつまでも振り返らないリュカに焦れて、ノアは直球で攻めてみた。


「俺の他に、人間がこの城にいたことがあるんですか?」


 そのことばかりが気になって、ノアの口を走らせる。何故リュカが振り返らないのか、いつもなら考えて身を引けるその一線を、何の準備もなくノアは飛び越えてしまった。城の方から吹いてきた強い風が、ゴオゴオと音を立て、リュカとノアの髪を揺らす。

 長い沈黙の後、ため息をついて振り返ったリュカは、「この城に人間が来たことはない」とどこか寂しそうな顔で告げた。


「この城は、イーディス様が亡くなられた後に建てたものだ」


 いつの間にか背後に立っていたエリアスが、ノアの肩を掴んで、あるじの代わりに説明した。分厚い手のひらから、何故だかこれ以上踏み込ませまいという意思を感じて、少し高いところにあるエリアスの顔をノアが見上げる。


「フォーリナーでも何でもない、普通の、人間の女の子でしたわ」


 リュカとノアの間に立って、オデットが教えてくれた。オデットもまた、どこかリュカを庇うような位置に立っている。何か良くないことを聞いてしまったのだと、ようやく我に返ってノアは言葉を飲み込んだ。


い。二人とも、そう恐ろしい顔をするな。ノアも、そうかしこまらんで良い」


 表情のかたい部下たちを片手を振ってたしなめながら、「悪かった。別に、隠していたわけではないのだ」とリュカは謝った。


「ただ、イーディスは100年も前の人間だからな。あのセイレーンたちだって、話に聞くばかりで会ったことはない。説明する必要を感じなかったのだ」

「ご、ごめんなさい……王様、俺……」

「気にするな。お前は、もう何年も人間との交流を絶っているからな。久方ぶりに人間に会えるかもしれんと思って、気がはやったのだろう。あの様に言われれば、お前が気になってしまうのも無理はない」


 ノアの心の動きをノアよりも正確に読み取って、しょんぼりと項垂れた頭を、ぽんぽんとリュカが撫でてくれる。

 混乱していたノアの頭が落ち着くのを待って、「イーディスはな」とリュカは教えてくれた。


「かつて私の、妻だった人だ」


 驚いて顔を上げたノアに「人魔戦争を終わらせたのは、私ではなく、彼女なんだよ」と真剣な目でリュカが続ける。


「っと……魚が丸焦げになってしまうから、続きはまた今度な」


 そんな話をしたかと思えば、薪のはぜる音を聞いて慌てて話を切り上げ、リュカは魚番に戻ってしまった。「ああ、最初の一匹はもうすっかり黒焦げだ」と嘆き、「残った魚をあげるからおいで」と何事もなかったかのようにノアを手招く。


「リュカのやつはああ言ったがよ……下手なことは聞かんでやってくれ」

「イーディス様のことは……とても悲しい出来事でしたの」


 なにかと衝撃的な話を小出しにされた上、説明もなく放置されて、疑問ばかりが残る。けれど寂しげなリュカの瞳を思い出せば、今はもう、何も聞こうとは思わなかった。みんなの心に波風を立てるつもりもない。こっそり耳打ちされた二人の言葉に頷いて、リュカの元へとノアは戻った。近くに広げていたお弁当を持って、後ろから二人もついてくる。

 みんな揃ってから始めた食事は、空腹も手伝って、意外にもおいしい昼食になった。


「そう言えば俺、魚ってあんまり食べたことありません」

「言われてみれば、エルザの住んでいる辺りは森だからな。わざわざ遠い海に出ずとも、獣の肉には困らなかろう。食べたことがないのなら、さあさ、味見してみるが良い」


 目の前に突き出された串をおっかなびっくり受け取って、リュカに言われるまま、ノアが焦げた皮を少し削る。

 皮を剥ぐと、中から湯気とともに、ふかふかの白身が現れた。

 リュカに分けてもらった目の荒い塩をぱらぱらと振って、思いきってかぶりつく。


「はふっ、はっ、熱っ」


 骨にそって歯を滑らせ、たっぷりと太った身をこそぎ取ると、真っ先に潮の香りが口から鼻に抜けていった。

 ちょうどいい具合の塩気と、じゅわっとした魚の甘い脂が、口の中いっぱいに広がる。思わず夢中になって、ノアは魚にがっついた。


「この辺りは激流だからな。魚の身も締まって旨かろう。秋になればまた、脂が乗って旨いんだがなあ。もっと食べるか?」

「いいんですか? 食べたいです!」


 それぞれの胸に残ってしまったであろう澱みを振り払うように、わざとはしゃいでノアが言う。


「うーん。若者の食欲は好ましいな。このサンドイッチもおいしいぞ。ほれオデット、もっと魚を取っておやり」

「わたくしが取るのですか!?」


 子どもらしくない気遣いに大人たちも乗ってくれて、どっと場に笑いが溢れた。ぎこちない雰囲気も、食事を進めるうちに段々と元に戻っていく。


「ところで、リュカよう。お前、わざわざ俺たちを呼んで、何しに来たんだ? やることあるだろ、色々さ」


 部下二人にノアを任せ、この時間は大抵政務室に籠っているリュカに向けて、ふと今更感のある問いをエリアスは投げた。


「うん? ノアがそこそこできるようになったとオデットに聞いて、視察に来たんだよ」


 どうやらサボり癖のあるらしいリュカを気安く肘で小突いて、「嘘つけ」とエリアスが笑う。


「他にも何かあるんじゃねえの?」

「うーん……」


 本当にサボる口実だと信じて疑ってなかったのか、言葉を濁すリュカに、「おいおい、マジで何かあるのか?」とエリアスが顔色を変えた。


「あ、いや、別に大したことではないのだ。また今度で構わぬ」

「大したことないなら言えるだろうが」

「もしかして、人間たちに何か動きがあったんですの? フォーリナー ノア がここにいるのがバレたとか……」

「いやいやいや。本当に大したことないのだ。ちょっとした助言をと思っただけで……」

「じゃあ尚更聞かせてもらわねえと困るだろうが」


 逆に大事だいじに取ってしまった部下二人と一通り押し問答を交わし、「そうは言うが……そうは言うがな……」とリュカがほとほと困り果てて肩を落とす。


「このタイミングで言わねばならんのか……うう、嫌じゃのう」


 そう言いノアを見るからには、ノアに関連するちょっと言いづらい何かなのだろう。先程一悶着あったばかりなのでリュカは先送りにしようとしたが、二人がおおごとにしてしまったので今更なかったことにもできない。そんな構図だ。

 特に薮をつついてしまった形のエリアスはうっと息を詰まらせて、気まずそうに黙り込んだ。隣ではオデットがエリアスを睨みながら、その腿をきつくつねっている。


「俺、大丈夫です。何でも言ってください」


 元を辿れば先程の一悶着も自分の浅慮が原因なので、これ以上被害者側リュカに気を遣わせるわけにはいかない。覚悟を決めて、ノアは申し出た。特に戦闘への助言アドバイスと言うなら、早めに聞いておくに越したことはない。ここにいられる時間は有限なのだから。


「うむ。こうなっては仕方ない。ただ、本当に大したことではないので、楽にして聞くが良い」


 コホンと咳払いをして、リュカは言った。


「ちょっと殺しに来たんだ。お前を」

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