第9話 「……本当に? 一度も?」
「さて。腹も膨れたし、さっそくだが、お前の今の実力が見たい」
朝からボリュームのある肉料理をぺろりと平らげ、ナプキンで口元を拭いながら、リュカは突然そんなことを言い出した。
「エリアス。お前、頼めるか」
「無論です。魔王様のお言葉であれば」
サクサクほわほわの焼きたてクロワッサンにかぶりついたところだったノアを置いて、話はどんどん進んでいく。
「じゃあ、大広間で軽く打ち合いをしてもらって……」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
急いで口の中のものを飲み込むと、ノアは大声で待ったをかけた。食堂にいた、少なくはない数の視線が集まるのを感じる。この城にはあんまり序列意識はないようで、リュカも普通に他の者達に混じって食事をしていた。側近の二人も、傍らに武器を置いて同じ朝食を取っている。この城防衛的に大丈夫か、とノアは思ったが、今問題はそこではない。
声が震えそうになるのを何とかこらえ、努めて平静に、ノアはもっともな疑問を投げた。
「どうもお互いの認識に食い違いがありそうなので早急に確認したいんですが……俺の実力って、一体何の実力ですか?」
ノアの言葉に目を丸くして、側近二人と交互に視線を交わし、「何って……」とリュカが言い淀む。そして自らの中で何か良くない結論に行きついたのか、「まさか」と苦みばしった顔で眉を寄せた。
「お前、あの魔女から何も聞いていないのか?」
「
「ああああ~~」
ノアの返答に急に頭を抱えてぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、何とも言えない声を上げて、「丸投げか~~!」とリュカが叫ぶ。「あの魔女はこれだから~~!」と憤るリュカに、場違いな親近感をノアは覚えた。対等な立場であれば、肩を抱き合い海に向かって『バカヤロー!』と叫びたいくらいの気持ちである。
「要するに、喧嘩の実力さね」
進まない話に焦れたのか、はたまた
「いくら人間の姿をしていても、どこでお前が
「まあ、喧嘩だなんて。野蛮人はこれだから嫌だわ」
魔王を挟んだ反対側から、もう一つの声が上がった。肩まである豊かなブルネットの髪に、アメシストの瞳を持つ艶やかな美女。魔王のもう一人の側近、オデットである。
「何だあ? 朝っぱらから穏やかじゃねえな。腹ごなしに一戦やろうってのか?」
「そっちがその気なら、わたくしは構いませんわよ。ええ、ええ、そのバカ面もいい加減見飽きたところでしたの!」
「随分と威勢がいいが、勝てると思ってんのか? お前を拾って鍛えてやったのは誰だと思ってる」
「いくらあなたでも、年には勝てませんわ! その
バチバチと火花を散らして、リュカを挟んだ二人の言い合いは、段々とヒートアップしていく。おろおろとノアは助けを求めて辺りを見回したが、どうやらこの二人の喧嘩は日常茶飯事のようで、「やれ~!やっちまえ~!」と楽しげに囃し立てる者しかいない。口笛を吹く者や野次を投げる者、果てはテーブルの隅で賭け事をする者まで出て来て、一瞬で食堂が騒がしくなる。
「二人とも、落ち着け」
とうとう二人が椅子を蹴って立ち上がったところで、ようやくリュカの制止が入った。周りからのブーイングを視線一つで黙らせ、「話が逸れてしまったが」と咳払いをする。
「大体のことは、エリアスが今説明してくれた。フォーリナーは一人いれば国勢が変わるとまで言われる貴重な存在だ。人里近くに出現することが多く、その国に多大な影響をもたらすため、神の使いとまで言われ神聖視する者も多いと聞く。よって、その周りには常に誘拐や暗殺などの陰謀が渦巻く。そのために敷かれた厳重な警備は並ではない。辿り着くことすら困難な上に、それで自分が捕まってしまえば元も子もないのだ。最低限、行って戻って来られるだけの実力がいる。ここまではわかるな?」
「……魔法で、こっそり行って帰ってこれないものですか?」
乱れた髪を直しもせずに、真面目な顔してリュカは説明した。戸惑いながらノアが提案する。例えば、今ノアが持っているブーツや、
「俺は姿だけ見れば人間なんでしょう? 昼間は人に紛れて、人の少ない夜になったら姿を消す。警備をかいくぐって中に入りさえすれば……」
「そう言えばお前、カーテンを持っているんだったな。全く、本来なら子どもが気軽に持っていい道具ではないんだぞ。じゃあな、侵入経路については、魔法で何とかできたとしよう。では、もし部屋の前に罠が仕掛けられてあったとしたら? 鍵がかかっていたらどうする? そのフォーリナーが昼夜問わず常に誰かと一緒にいたら? 何とか二人で話ができたとして、そのフォーリナーがお前に協力的でなかったら?」
言われてみればもっともで、そういうことを何も考えないままここまで来てしまった自分の浅はかさを、ノアはただ恥じ入るしかない。
「わかっただろう。前提条件が一つひっくり返るだけでお前の身を危険に晒す計画など、許可できるはずがない。お前には魔力がないんだ。いざというところで魔道具の魔力が切れたら何とする。魔道具を使っている時点で尋問は避けられまい。魔族と繋がりがあると知れたら、極刑もあり得る。そこで不死のフォーリナーと知れたら、お前、二度とここへは戻って来れないぞ」
答えられず俯いてしまったノアの頭の上から、容赦なくリュカが脅しをかける。
「我らとしても、ようやく終わった戦争に新たな火種を落とすつもりはない。協力者はつけられない。お前がひとり、行くしかないのだ。子どもに荒事を教えるのは心苦しいが……できる限りのことはしてやりたい。そのために、今あるお前の実力を知りたいのだ。質問に答えてくれるだけで構わない」
子どもの浅知恵を
「今までに武器を扱ったことはあるか?」
「ありません」
ここで一瞬辺りがシンと静まり返った。恐らく今後指南するにあたって、最低限ここまではクリアしておいて欲しいラインだったのだろう。そんな雰囲気が垣間見える。
「……本当に? 一度も?」
「本当に、一度も。触ったこともありません」
ノアの返事に、リュカの口端がひくりとひきつる。
それを隠すように、またひとつ咳払いをして、「まずは武器選びからだな」とリュカは取り繕ってみせた。先ほどまでなんか良いこと言っちゃってた風の面影はそこにはない。
リュカに連れられ、ノアは城の武器庫を訪れた。
書架の向かいにある武器庫には、大小さまざまな剣や短剣、槍や薙刀、戦斧、弓など、ありとあらゆる武器が保管している。
整頓などはされていないようで、空の酒樽に無造作に突っ込んでいるものがほとんどだ。
もう何年も使っていないのか、隅っこで埃をかぶっている武器もある。
武器に興味はないけれど、乱雑に積み上げられた武器を見ると、他人ごとながら破損しないか心配になってしまう。
武器が要らないということは平和の証でもあるため、一概には何も言えない。
「一通りやってはもらうつもりだが……一番扱いやすいのは剣だろうな」
壁にかけてある剣のひとつを手に取り、手慣れた仕草で、リュカはすらりと鞘から抜いてみせた。
「おお……かっこいいですね」
「お前が持つんだぞ?」
まるで他人事のような褒め方をするノアに苦笑しながら、その胸元にリュカが剣を押し付ける。
「剣をまっすぐ前に突き出せ。腕も伸ばして。そうだ、そのまま」
「えっ。これ、結構きついです」
リュカがノアに渡したのは比較的細く短めの剣だったが、普段剣を持ち慣れていない手にはそれでも重たい。ずっと構えていると、段々とその重量が手にのしかかってくる。そのまま、とリュカに言われてはいたものの、腕が震えて、ノアは早々に腕を下ろしてしまった。
「うーん。どう思う、二人とも」
リュカと側近二人は、何やら横で顔を見合わせ思案中だ。
「オデットの小さい頃と変わらんな! はっはっは!」
「小さい頃のわたくしの方がまだ力がありましたわね!」
笑い飛ばすエリアスと、胸を張るオデットの声が重なって、また二人が睨み合いになる。
「
いつも傍にいるぶん仲裁し慣れているのか、睨み合う二人の間に、リュカはさらりと入り込んだ。本気で争う気はなかったようで、ちょっとごめんよ、くらいのノリで入ってきた魔王に、大人しく二人が引き下がる。
「エリアスはまず基礎体力の向上。どう見てもパワータイプには見えんので、スピード重視で下半身を主に鍛えてやってくれ。上半身は体幹をある程度鍛えてからだ。ある程度できるようになったら、まずは剣から教えてやってくれ、オデット」
さすがは為政者と言うべきなのか、ノアの実力を見るなり、リュカはてきぱきと役目を割り振った。「了解致しました」と側近二人の声がまた被る。
「改めてよろしくな! 気軽にエリアスと呼んでくれ」
「よろしくお願いします、エリアス」
ノアの言葉に、ニッと朗らかに笑って、エリアスが右手を差し出してきた。硬くて分厚い手のひらを握り返し、「がんばります」とノアが笑顔を浮かべる。初日の酒宴で聞いた話だが、リュカとはまだ戦争をやっていた頃からの付き合いで、いくらかリュカより年下らしい。
その日から、ノアの筋トレが始まった。
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