第6話 「基本は早寝早起きだな」

 乙女にしか触れないと言われるユニコーンの角。燃え盛ってはいるが不思議と触れても熱くないフェニックスの尾。キャッツアイのように縦に虹彩の入ったドラゴンの瞳は、前知識がなければただの宝石にしか見えない。ルチアの母親から時々送られてくるのだというそれらは、硝子瓶に入れられて、ルチアの部屋の棚にひっそりと標本のように並んでいる。

 今日は全くルチアと話すことのない一日だった。夕食のあと風呂に入ると、ルチアは一人自室に戻ってこてんと寝てしまったのだ。よっぽど疲れていたらしい。風呂のあと、ルチアとは毎日どちらかの部屋で──時には暖炉の間でエルザも交えながら──なんとなく今日あったことを報告し合うのが最近の日課になっていたので少しさみしい。ノアはあまり話すのが得意ではないが、ルチアは話すのが好きなようで、内容はともかく、くるくる変わる表情は見ていて飽きない。


「ずっと気になってたんですけど、魔女の修行ってどういうことをするんですか?」


 暖炉の間でアクセサリーの手入れをしているエルザに、手持ち無沙汰にスキャンダルを撫でながら、ノアはたずねてみた。この家にあるアクセサリーは大体が魔道具で、定期的に魔力を供給したり、不備がないか確認したり、メンテナンスは欠かせないらしい。エルザが常用しているものは、ノアもなんとなく見知っていた。


「なんだ。ルチアから聞いてないのか。あんなに毎日毎日くっちゃべってるのに」

「うーん……呪文とか魔方陣とかは、聞いてもよくわからないですしね。薬草の煎じ方とか、鉱石の研磨なんかは俺もやってるので少しはわかるんですけど……早寝早起きとか、よくわかんないのもあって」

「大体聞いてるじゃん」


 暖炉に火をおこしたり刻み煙草に火を入れたり、いつも大活躍なフラムの指輪を柔らかい布で磨きながら、エルザは大きく頷いた。


「やっぱり、基本は早寝早起きだな」

「えっ、ほんとに?」


 ルチアから聞いたときにも言った言葉を、ノアはまた繰り返してしまう。


「それから、毎食きちんと良く噛んで食事をすること。よく運動し、よく眠ること。自分で一日のスケジュールを決めて、それを必ず守ること。基本となるのは、まずそれだ」

「改めて聞いても、にわかには信じられないんですけど……そんな簡単なことで、魔法が身に付くんですか?」

「うーん。お前はどうもそこのところを勘違いしているようだが、実のところ、ルチアはもう魔法を身に付けている」


 目を丸くしたノアに、「魔法というより、魔力だがな」とエルザは炎の指輪を脇に置きながら付け足した。


「私たちの魔力は、血に宿る。親から子へ、子からまたその子へ、そうやって脈々と続いてきたんだ。私たちに取って魔法は、血から出でて心で操るもの。心が弱いまま魔法を使えば、魔法は術者の手から離れ暴走する。魔女修行というのは、つまり、魔法を身に付けるためのものではなく魔法を操る術を学ぶもの──突き詰めて言うと、精神力こころを鍛える修行なんだ」


 別の指輪を手に取り目の前に浮かせると、エルザはその上から丸く障壁を張り、手をかざした。あんまり使用しているところを見たことがないが、中でバチバチと青白い光がスパークしているのを見ると、恐らく雷の魔法だろう。エルザはふむふむと頷き、指輪を手の中に納めると、その中に魔力を注ぎ始めた。薄緑色の光がエルザの手から指輪に流れていき、最初はくすんでいた指輪の石から、段々と曇りが取れていく。


「こころ、ですか……」

「そう難しく考えなくたっていいさ。今はまず、心を大きく健やかに育てる時期なんだという認識で構わない」

「ルチアは、その……才能とか、あるんですか? 毎日毎日失敗談ばかり聞くんで不安なんですけど……」


 失敗談ばかり聞くが真面目に取り組んでいるのはわかるので、自分が心配するようなことではないと思いつつも、日頃からノアは気にしていた。


「あー、あの子はなー。うーん。普段があんなだからお前が心配するのも無理はないんだけど……」


 エルザはニヤリと笑って、「天才さ・・・」と答えた。


「あの子は、未知数だ。素直で、与えられたものを何でもよく吸収する。失敗しても成功してもそのすべてを、ありのままに受け止めようとする。まあ見ていろ。あの子はいつか、私を超える魔女になるぞ」


 いつの間にかノアは、スキャンダルを撫でる手を止めていた。


***


 泣いたり、笑ったり、時々研究のために殺されたり。

 ワガママ言ったり喧嘩したり、ちょっと敬語が外れたり。

 そうしながら洞窟で暮らし始めて、3年が経った。ノアの正確な年はわからないが、ルチアは15歳になっていた。


「お前、今日から魔王様のところへ行け」


 エルザからそう言われたのは、本当に何でもない朝のことだった。

 朝起きて身支度をし、いつものように庭で作物を収穫して、みんなで朝食を囲んだところである。


「……は? 何ですって? 魔王様?」


 ミルクを口に含んだばかりだったルチアは盛大に吹き出し、何か言おうとして更に噎せ込んだ。その手のひらから落ちたガラスのグラスが、床の絨毯に大きなしみを作りながら転がっていく。同じくスープ皿からミルクを飲もうとしていたスキャンダルは、頭を下ろしかけた体勢のまま固まった。鍵尻尾をピンと伸ばして、まじかよ、みたいな顔してエルザとノアを交互に伺っている。サラダをつついていたノアだけが、意味もわからずアホみたいな声出して眉をひそめた。


「昨日話はつけといたから。食事が終わったらさっそく支度をしてくれ。よろしく」

「ま……待ってよおばあちゃん!」


 そこでようやく復活したルチアが、テーブルを叩いて猛抗議に出た。


「そんな、いきなりっ……な、なな、なんで? き、聞いてない! あたし聞いてないよ!」

「言ったのは今が初めてだ。それよりこぼしたミルクを」

「後で片付けるから! それより、いきなりすぎるよ! 一体どういうこと!? ノアを追い出すなんて!」

「えっ? 俺、追い出されるんですか?」


 ルチアのあまりの剣幕に、ノアもやっと我に返った。呆けている場合ではない。ノアは顔面蒼白になった。手が震えて、持っていたフォークが落下する。フォークに刺さっていたミニトマトもついでに落下していった。


「あ、そ、そうですよね……いつまでもこの家に置いてもらうわけにはいかないなって、前から思ってはいたんですけど……あの、すぐに食べて準備しますね。まずはええと、フォーク落ちちゃったんで、拾って」


 テーブルの下に頭を突っ込み、落ちているフォークを拾ったノアは、その先にプチトマトが転がっているのを見つけると迷わずフォークを突き刺した。何も考えず口に入れる。毎日ルチアと水をやって、大事に大事に育てたプチトマト。噛むと、じゅわっと甘くておいしい。


「ノア!? 何やってんの!? とりあえずそこから出て!?」


 俺、何かおかしなことやってるだろうか。椅子に座ったままテーブルの下を覗き込んできたルチアの顔を、ノアはプチトマトを咀嚼しながらぼんやりと見上げた。ああそうだ、こんなことしてる場合じゃない。


「今までお世話になりました」


 テーブルの下から這い出てきたノアは、エルザに向かって、テーブルに頭を打ち付けんばかりの勢いで一礼した。テーブルには当たらなかったものの、額の端がスキャンダルのスープ皿に当たり、スープ皿がひっくり返る。スキャンダルが素早い動きでそれを交わしたため、代わりにノアが頭からそれを派手に被った。頭にスープ皿を乗せ、髪から頬からミルクをしたたらせているノアに、今度はエルザが腹を抱えて笑いだす。


「おばあちゃん! 笑ってる場合じゃないでしょ! ああ、ノア。心配しなくていいからね。ノアを追い出すなんてあたしが絶対認めないから!」


 勘違いが飛び火して延焼し、唯一事態を収集できそうな人物は笑いすぎて呼吸困難。一言で言うならカオスである。

 しばらくして笑いの収まったエルザは、「違う、違う」と涙を拭いながら説明した。


「何を勘違いしたのか知らんが、2、3ヶ月、ちょっとホームステイに出そうと思っただけだ。可愛い子には旅をさせろって言うだろ?」

「……ノアだけ? あたしは?」

「お前は修行があるだろ。わかってるのか? あと三年もしたらお前だって……」

「……そう、だよね……」

「わかったら、片付けをして食事の続き。床の片付けは後でいい」

「……わかった」


 ノアにはわからない応酬をエルザと交わして、ルチアは口を閉ざした。消沈した様子で肩を落としながら、先ほど落としたコップを洗いに席を立つ。


「わかっただろ。お前を追い出そうなんて考えちゃいない」


 キッチンに消えていくルチアの背中を見送ると、今度はノアに向き直り、エルザは優しげな目をしてそう言った。


「お前、家にある本ほとんど読み尽くして、最近退屈してただろ。時々私たちと一緒に散歩に行くことはあっても、この森ミラージュ・フォレから出たことはない。そろそろ見聞を広げても良い頃合いだと思ったんだ」


 そこまで言って、「同じフォーリナー なかま を探したいんだろ?」とルチアに聞こえないよう、エルザは少し声量を落とした。


「それなら、いずれお前は外に出ることになる。そのために必要なことを身に付けるのに、魔王の城あそこ以上に相応しいところはない」

「でも、魔王さまって……」

「この世界の歴史は、本で読んだな?」


 ノアは頷いた。この美しい空の下にも、血塗られた戦争の歴史がある。


 遠い遠い昔、この世界の人々は、すべからく獣であったとされる。

 やがてそれぞれは、競い合うように神に似た姿へと進化していった。

 人族ヒューマン獣人族アニマ魚人族マーメイド巨人族タイタン竜族ドラゴン妖精族フェアリー魔族デーモン。七つの種族のうち、最も神の姿に近付いたとされるのは人族ヒューマンである。

 人族は短い寿命の代わりに高い繁殖力を持ち、他の種族のどれよりも早いサイクルで進化していった。やがて獣の耳と尾を落とし、火を得て道具を用いるようになった人族は、未だ獣の特徴を残し獣同然の生活を送る他の種族──獣人アニマや、魚人マーメイドを下等な生き物として蔑み、支配しようとした。物のように売り買いされ、次第に数を減じたそれらの種族は、やがて世界中に散り散りになって隠れ住むようになっていく。

 それとは別に進化の過程で、全く異質な変化を遂げた者たちもいた。神の用いるそれにも似た、常ならざる不思議な力を持つ異形の彼らを、人族は恐れ、魔族と呼んで迫害した。そして魔族と呼ばれた彼らもまた、自らの身を守るため奮起した。その後およそ400年続く、人魔戦争の始まりである。

 圧倒的に数で勝る人族と、数は少ないが力で勝る魔族との戦いは、熾烈を極めた。最終的に魔族側が降参して終わったとされる人魔戦争であるが、しかし実際のところ、そのまま戦争を続けていれば滅んでいたのは人族の方であったと言われている。人族に取って幸運だったのは、6代目に魔族を統べた王が、争いを好まなかったことである。魔族と人族は、数多の屍の上に不戦の条約を打ち立て、魔族という名も亜族と改められたが、禍根は未だ絶えない。

 その一方で、歴史上から早々と姿を消した者たちもいる。巨人族や竜族、妖精族がそうだ。元々争いを好まない、あるいは無関心な彼らは、人族が台頭し始めた頃から徐々に姿を表さなくなり、今ではとうに絶滅したのではないかと言われている。ワイバーンのような亜竜は例外として今でも見かけることがあるが、戦争が終結して100年、それらの種族は目撃情報すらない。


「6代目魔王リュカは、今も存命だ。彼は終戦後散り散りになっていた仲間たち、特に力の弱いものたちを集めて国を作った。果たして城ひとつだけの国を国と呼んで良いものかはわからんが……外界からの敵を寄せ付けないという当初の目的を考えれば、あれはあれで効率的だろう。見た目はほぼ要塞だ。まあ、行けばわかるさ」

「一応聞きますけど……、俺の意思は?」

「ない。わはは。しっかり揉んでもらえ」


 こうなるとエルザはもうどうしようもない。ノアは腹を括った。エルザはこの通り破天荒で人の話を全く聞かず、日々思いつきで生きているような人だが……更に言えばぐうたらで朝に弱く、大酒飲みで倫理観の欠如した人だが──決して無責任ではない。筋を通さなければならない場面ではきっちりと筋を通す。そう信じたい。今回のことも、ノアの未来を真剣に考えてくれた結果だと思えば、腹も立たない。せめてもう少し前から告知してほしかったなーと思うくらいで。


「……勉強させて頂いてきます」


 ノアはがっくりと項垂れて、戻ってきたルチアと一緒に味のしないパンをかじった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る