2番目に残る記憶と
なるゆら
2番目に残る記憶とこれから
別にいいんだけどさ。……バカみたい。
部屋の空気が乾燥していて、喉がイガイガする。呼吸がし辛いから息苦しい。
一日中、パソコンの画面に向かってる。
お気に入りのヘッドフォン。新しいモノ好きの和翔が、なんか可愛らしいレトロな感じのを使ってるなって思ってたから聞いてみたら、前の彼女にもらったんだとか平気な顔して言ってくるし、無神経じゃない? なんかもう我慢できない。
「夜中でもないのにずーっとヘッドフォンしてさ、わたしの話とか聞くつもりないんでしょ!」
聞こえるようにって思ったら、声が大きくなった。柔らかい色のヘッドフォンを少しずらしてこちらを向くと、和翔がガラスのように透明にすました顔で応える。
「前に、音がうるさいって言ってたじゃん」
そう、うるさかった。小刻みに急かされてるようなゲームのBGMに、耳に刺さって焼けるような効果音。和翔がヘッドフォンをしてるのは、わたしへの配慮なんだって。もう、ほんっと……。
「和翔って、そういうとこあるよね」
「ん……どういうとこ?」
「そういうとこだよ!」
わたしは何怒ってるんだろ。なんか悔しかった。何を言っても届かない感じがしたから、わたしは適当に言葉を投げて拾って、和翔のウチを飛び出した。
ガードレールの向こう側に夕日が沈もうとしていた。バス停の影に夕日の赤が遮られる。笹野の山々が落とすシルエットに市街の方は覆われいって、町ではもう夜なんだろう。スマートフォンで時間を確認すると、メッセージがひとつ。
――気をつけてな!
なんにもなかったみたいに、シンプルに言葉がひとつだけ。なんかずるいって感じてしまう。
――ありがとう
整理しきれない気持ちはため息をついてひとまず後回し。わたしも余計なものは込めずにシンプルに返信した。
和翔は無神経で、未練がましいなんて考えている自分の気持ちは、嫉妬なんだと思う。そんなふうに思うと余計に悔しい。わたしだけが振り回されているような気がして。でも、振り回してるのはわたしの方なのかもしれない。
隣にいても、目の前にいても、近くにいる気がしない。わたしの方が好きになって始まった関係じゃないことは覚えているけど。声をかけた和翔の方だって、実はほんとはどちらでもよかったんじゃないかって思う。ただ、そこに、たまたまわたしがいた…ってだけ。たぶん、はずれてないと思う。
休みの日に押しかけて、和翔が大切にしてるものを奪ってる気がする。大事にしたいことや人が、たくさんいるんだ。わたしはその中にも入れてないのかなって思ってしまうと、悔しい気持ちを通り越して、わたしを引っ張っているなにかがプツリと切れてしまいそうになる。
でも、大事だから。それが切れてしまわないように、ずれ落ちてきた肩紐を直すと、来るときよりも重くなってしまった身体を、両方の足に力を込めて、またゆっくりと動かしていく。
未練がましいのは、実はわたしの方だっていうことは、自分だけが知っている。
部屋の隅に置いたまま、蓋を開けることもない箱の中には、わたしの2番目の携帯電話が入っている。自戒のために残しているなんて嘘。中を確認するどころか、それを見ることも怖いんだから。
お揃いにした電話には、最後のやり取りが残っていて、きっとわたしは、あのときからなにも変わってないんだ。相手の痛みがわからないことがわかっただけ。
――もう、ついていけない。
――一緒にはいられない。
いつもそう。気が付くのは後になってから。
浮気されて捨てられたんだねって言った友だちがいた。その子にとってわたしが友だちだったのかは、もうわからない。でも、そのとき、わたしはちゃんとそれは違うって言えなかった。ずっと前から愛想を尽かされていて、距離も気持ちも離れてて、わかってたのに、悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて本当のことが言えなかった。
そのとき、わたしは自分がなにを守ろうとしていたのかをわかってなかった。してきたことが間違いだって認めたくない……それだけだって気付いたとき、また悔しくて、情けなくて……。わたしは、大事にしていたものまで全部、嘘にしてしまった気がしたんだ。
本当は今すぐ和翔に電話して、謝りたい。ただの八つ当たりだったって。いっぱい言い訳もして、仕方なくなってしまうって説明したい。でもそんなことしたら、一緒だって思う。わたしは自分のしたことをなかったことにして、また同じことを繰り返すんだ。和翔はいつも「わかった」って言うしかなくて、そんなふうにすら言えなくなったとき、わたしとはもう一緒にいられなくなってしまう。
スマートフォンのアプリをずっと見つめていて、操作しなかった時間が長くなって画面が暗転した。酷い顔をした情けない自分が映る。でもそれは、ずっと許せなかった自分じゃなくて、今のわたしだから。
和翔のヘッドフォンが変わっていた。
「あー、無線の方が便利だしさ。音楽聴いてるわけじゃないし」
前の彼女にもらった柔らかい色のヘッドフォンは、実はとても高価なものだって聞いていた。わたしにはその違いが十分にわからないけれど、和翔は、もったいないから使っているんだって言っていた。どのくらい本当なのかは今でもわからない。
「前のはどうしたの?」
和翔は視線でわたしの背後を示した。
「どうもしてないけど、なんか、線が切れてる感じでさ」
スチールラックの上のヘッドフォン。いい加減にケーブルを束ねられて、まるで寝起きで欠伸をしてる猫みたいに見えた。
ゆっくり立ち上がった和翔は、わたしの見ている前でそのヘッドフォンを無造作につかむ。非難してるみたいに思ったのかもしれない。だけど和翔は、そのヘッドフォンを仕舞うわけでもなく、手にしたままわたしの隣までくると立ち止まった。
「使わないなら、まあ、いいか」
和翔の言葉とともに寝起きのヘッドフォンは、ゴミ箱へとぼとりと落ちた。その瞬間に、わたしはやっと気が付いた。
――違う。違うって、和翔。
今ここで言わなきゃいけない。でも、なにを、どうやって……?
「――燃えないゴミは分けなきゃだめでしょ?」
咄嗟ににゴミ箱からヘッドフォンを取り上げて、出た言葉はそれだった。違う。そんなことが言いたいんじゃない。言えない。わたしはまた……。
「あー、まあそうか、燃えない方か」
応えた和翔は素っ気なかった。でも、ぼんやりしたその目が、わたしにはとても恐ろしくて、冷たい表情に見えた。
「……違う、和翔。これはゴミじゃない」
何をいっているんだろう。そう言ったのは、わたしなのに。どうしてなのか、声が震えた。また、こんなことさせて。それに……。
何か言わなきゃ変だと思うのに、言葉が出てこない。わかってる。和翔が捨てようとしたのは、使わなくなったヘッドフォンで、いらなくなったわたしじゃない。取り上げたヘッドフォンが、急にボロボロで弱々しく見える。わたしは和翔にとって、ほんとにこのヘッドフォンよりも価値があるっていえる?
思い出を捨てることを強いて、わたしもいつか捨てられる未来が見えた気がした。握りしめた優しい色のヘッドフォンが、力を入れた分だけたわむ。胸が熱くて息が苦しくなって、行き場がなくなったものがこみ上げてあふれてくる。
和翔がわたしを見る。そして、ため息をついた気がした。
「……うん、大丈夫だって」
和翔はそう言った。何が大丈夫なのか。そんなわけ……。
「大丈夫」
わたしの肩を、和翔がたたいた。動物でもなでるかのようにそっと。でも、わたしには自分の両足で、自分の身体を支えているだけのことができなかった。
うずくまったわたしのそばに、和翔はなんにも言わないでいてくれている。膝をついて、こちらを向いたまま。惨めなヘッドフォンと情けない自分を抱えたまま、俯いたわたしにもそれがわかった。
パソコンの向こう側には待っている人がいるはずで、わたしにだって言いたいことはあるはずなのに。
人付き合いが苦手で、わがままで、どうしようもないわたしにできた2番目の彼だけど、わたしにとっては気付いたら他とくらべられないくらい一番になってしまってる。わたしだって和翔の一番でいたいって思ってしまう。気持ちを確かめることなんてできないのに、どのくらいなのかを知りたいって思ってしまうから、わたしは大切な人といられない。
知らない間に気持ちに振り回されていて、大事な人ほど振り回してしまう。
それでもそばにいられるのかな。この先だって、わたしはずっと和翔と一緒にいたいって思う。そう思ってるのに。
2番目に残る記憶と なるゆら @yurai-narusawa
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