天地が返る 2

 マスターTが借りている部屋の前に着いたA・ファーレンハイトはドアチャイムを鳴らす。


「はい!」


 中から返事が聞こえドタドタと足音がした後、楽な格好のマスターTが玄関のドアを開けて姿を現した。彼はバイザーもかけておらず、右手にだけ白い軍手をはめており、両足ともはだしにサンダルだ。

 彼が記憶喪失だった時のことを思い出してファーレンハイトはぎょっとしたが、彼の対応はいたって普通。


「あ、ファーレンハイトくん! どうしたんだ? こんな所まで」

「どうもこうもありません。とりあえず中に入れてください」


 ファーレンハイトは彼の答えを待たず、彼を押しのけて室内に踏み入った。


「おっと、待って、本当にどうしたの?」

「早くドアを閉めて、鍵をかけて離れてください!」

「何、何ごと?」


 マスターTはとりあえず彼女に言われたとおりに、ドアの鍵を閉める。

 ファーレンハイトは彼の質問には答えず早足で室内を一通り見て回り、全ての窓に鍵をかけてカーテンを閉めた。


「どうしたんだい? 何があったのか」


 マスターTは彼女を追ってLBリビングベッドに入る。

 勝手に部屋に上がりこまれて困惑している彼に、彼女は真剣な表情で告げた。


「何があったのか私にも分かりません。しかし、組織は今までの組織ではなくなってしまいました」

「えー……どういうこと?」

「とりあえず服を着替えて、いつでも外出できるようにしてください」

「あ、ああ」


 彼はいつものスーツをクローゼットから取り出す。

 ファーレンハイトはDKに移動して彼の着替えが終わるのを待ちながら、今の状況をどう説明したものか考えた。



 いつもの格好に着替え終えたマスターTはDKに出てきて、改めてA・ファーレンハイトに尋ねた。


「それで一体何があったんだ?」

「今日は私が新しいマスターに任命される日でした」

「えっ……任命式って今日だったの? 旧本部から新本部に移転完了するまで忙しかったし、その後も邪悪な魂との戦いが続いて、決着したのがついこの間だから、延期するかもって聞いてたんだけど……」

「誰から?」

「マスターRから……。事前に何の連絡もなかったし……。あぁ、知っていれば出勤したのに、普通の日のつもりだった。何で誰も連絡してくれなかったんだ……」


 一人でショックを受けているマスターTを見て、ファーレンハイトは疑問に思う。

 マスターFが任命式を急いだのか、それともマスターTが騙されていたのか、あるいはか?

 彼が任命式に不在だったのは、どうやらマスターRのせいらしいが……。


「とにかく私以外の5人の任命は終わったと聞きました」

「誰に?」

「マスターFです。彼がマスターBに代わって任命式を執り行っていました」

「……マスターBはどうしたんだろう?」

「ええ、おかしいんです。あの場にいたマスターはE、F、I、L、N、O、P、Q、Sの9人だけでした。他のマスターの姿はなく……。彼らは怪しんだ私を攻撃してきたんです」


 そう言いながらファーレンハイトは上半身を捻って、ナイフが刺さった上腕部をマスターTに見せた。

 マスターTは彼女の腕を凝視するが、黒いコートの上からでは傷口が目立たない。


「どこ……?」

「ここです、ここ! 分かりにくいですか?」


 ファーレンハイトはコートとスーツの上着を脱いで、改めて彼に負傷した部分を見せつける。

 彼女の白いシャツの上腕部には二つの細い切れこみが入っており、その周りには円形に赤黒い血の染みが広がっている。負傷したことは一目瞭然で、マスターTは大げさに驚いた。


「わっ、手当しなくて大丈夫かい!?」

「はい。傷は深くありません。それよりも……今は組織が敵に回った状況です」

「何でそんなことに……」


 ここに来てようやくマスターTも事態の深刻さを理解して、難しい顔になる。

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