それでも世界は進み続ける
ジノ・ラスカスガベ 1
それから二週間後、A・ファーレンハイトはマスターTの下を離れて一人で他の部隊に派遣され、後方支援で戦闘任務に同行するようになっていた。
以前のように前線で戦えるようになるにはまだ時間がかかるものの、現場に出られるようになったということは彼女にとって大きな前進だった。
ただ一つ……彼女がいない間、マスターTにはマスターRがつくということが不安だったが、任務の最中は気にしないようにした。
今回A・ファーレンハイトが参加する任務は、北方の盟主F国の国境付近における邪悪な魂の掃討作戦。ここで彼女は第二線部隊の援護を任じられていた。
◇
邪悪な魂は血と涙が崩壊後、明らかに勢力拡大の動きを鈍らせたが、依然として裏社会で大きな影響力を保持したままだった。
邪悪な魂が勢力を失わなかった理由には、やはり超人たちの存在がある。血と涙から邪悪な魂に合流した超人たちは、自ら攻勢に乗り出さなくなった代わりに、拠点の防衛を担うようになった。
これの切り崩しにどの国も組織も手こずっていた。数年後には超人は全滅するとはいえ、その事実を知らない者もいたし、知っていても邪悪な魂がそこに根づいてしまうのを防がなくてはならない。
厄介なことに邪悪な魂は国家の
どこの国も過去に内戦を経験しているか、あるいは現在も内戦を継続中で、とくに国境付近は混沌としている状態。政府が強引に邪悪な魂の排除に乗り出せば、地元勢力との対立はますます深刻なものになる。
そこで部外者の黒い炎の出番というわけだ。政府の関与を伏せて、表向きは闇の組織同士の抗争ということにしてしまえば、角は立たない。
黒い炎が邪悪な魂を叩く理由は腐るほどある。
◇
邪悪な魂の拠点は街中にある三階建てのビルで、住民を巻きこまないように戦うのは難しかった。
黒い炎はマスターGを中心とした少数精鋭で第一線部隊を構成し、夜の闇にまぎれてビルに強襲をしかける。第二線部隊はビルを取り囲むように、ビルから半径200m以内で5つの班に分かれて待機し、後から現場に駆けつける構成員を排除する。
この作戦でのA・ファーレンハイトの役割は、その第二線部隊が攻撃を受けないように、ビルから南方に1km弱離れた地点にある街を見下ろす小高い山の中腹に築かれた小陣地で援護射撃することだ。
天候は晴れ。夜空には白鳥座がはっきりと見える。秋も深まり気温は低く、肌寒さを感じるほど。待機中のファーレンハイトは遮蔽物の陰に身を隠しながら、グラスに映る情報で戦況を把握する。
初めの内は黒い炎が優勢で、彼女の出番はなかった。
邪悪な魂の構成員はうろたえて、ビルに駆けつけては第二線部隊の餌食になり、待ち伏せに気づくのにも時間がかかったぐらいだ。
しかし、ビルの中から四足歩行の巨大な影が飛び出してきて状況は一変する。
ファーレンハイトはそれに見覚えがあった。その正体はJ国のカジノで謎の女性が従えていた巨大な犬。
巨大な犬は夜の街を恐ろしい速度としなやかさで駆け抜け、黒い炎の第二線部隊に向かっていく。まるで全てが見えているかのように。
通信機から後方部隊の指揮官A・ラジアンの指示が飛ぶ。
「A・ファーレンハイト、東に向かう一頭を狙え!」
ファーレンハイトはスコープを覗き込み、今こそ腕の見せ所だと集中した。
狙うは体の大きさに比べてあまりに小さな目。それ以外の部位は金属の装甲で守られている。威力の高いスナイパーライフルであっても、装甲の上からでは効果があるか疑問だ。
J国では拳銃で比較的近距離からの射撃だったが、今回は狙撃銃で遠距離からの射撃になる。さらに建物の隙間から姿が見えた瞬間を狙わなくてはならない。
姿が見えない間、どのくらいの速度で動いているかイメージして、上手く命中させられるように計算する必要がある。
巨大犬の走行速度からして時間の猶予は十数秒しかない……。
この困難な試練をファーレンハイトはわずか5秒で片づけた。彼女が放った銃弾は、第二線部隊に向かって猛進する巨大犬の右目を撃ち抜く。
それでも巨大犬は即死しないが、平衡感覚を失って駆けながら倒れこんだ。
その巨大犬の最期を見届ける前に、彼女は次の指示を受ける。
「A・ファーレンハイト、南のも頼む!」
巨大犬は一頭ではないのだ。
もちろん狙撃手もファーレンハイト一人ではないのだが、なかなか当てられるものではない。当てることができても装甲の上では意味がない。
1kmもの遠距離から、移動している標的のニワトリの卵ほどしかない目玉を狙撃して命中させるなどという離れ業ができる者はファーレンハイトだけ。
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