射撃訓練

 その日もA・ファーレンハイトは暇だった。

 マスターTの下に配属されてから三日目、まだ仕事の話はない。任務はおろか訓練をすることもないし、雑用を言いつかることもない。


 戦闘部隊を率いるマスターなら、こんなに暇ではない。

 自分が任務に出なくとも部下に指示を出したり報告を受けたりで忙しく、仮にそれらがなかったとしても訓練は欠かさないものだ。部下を放置することもない。


 それなのにマスターTときたら毎日新聞や雑誌を読んだり、クロスワードパズルを解いたり、適度にストレッチをしたり、インスタントの紅茶を入れておかしを食べたり……。


「ファーレンハイトくんもどうかな? お茶とかおかしとか」

「いえ、結構です」

「そう……」


 それより仕事をくれとファーレンハイトは言いたかったが、もう何度も要求してムダと悟っている。



 30分後、いい加減マスターTの横顔を眺めているのにも飽き飽きしていた彼女は、思いきって一つの提案をした。


「マスターT、提案があります」

「何かな?」

「射撃訓練をしませんか」

「えっ」

「何もしていないと、腕が鈍ってしまいます」

「ああ、それはいけない」

「それで……マスターTもご一緒にどうでしょう?」

「いや、私は……」


 渋るマスターTを見て、A・ファーレンハイトは怪しむ。

 戦闘員でも非戦闘員でも、エージェントは射撃を含めた最低限の戦闘訓練をする。その結果、誰でも10m先の動かない的に当てるぐらいはできるようになる。

 マスターも例外ではない――と彼女は思っていた。

 彼女は戦闘任務をこなさないマスターBやマスターCの射撃訓練を見たことがあるが、その腕前は決してエージェントに劣るものではなかった。


「銃は使わないんだ」

「しかし、任務は殺しでは……?」


 マスターTの発言に、そんなことがあり得るのかとファーレンハイトは驚いた。


「毒殺とか化学兵器とか、そういう方面ですか?」

「怖っ、そんなの使うわけないよ」


 いったい何なんだと彼女はマスターTに疑いの眼差しを向ける。

 それに怯んだマスターTは、慌ててごまかすように言った。


「ああー、射撃訓練は久しぶりだなぁ! 少しやってみようかな!」


 A・ファーレンハイトの冷ややかな視線にも負けず、彼は立ち上がって軽く体をほぐし、コートハンガーからマントを取って射撃訓練場に向かった。

 ファーレンハイトは呆れながらも彼の後に続く。



 射撃訓練場に着くと、どの銃が良いか迷いはじめるマスターTをよそに、A・ファーレンハイトは適当に11mmのリボルバーの拳銃を手に取る。

 目についたものを取っただけで、銃の種類は彼女にとって問題ではなかった。

 片手で銃を構え人型の固定ターゲットに一発試し撃ちをして、当たり前のように頭部の真ん中に命中させる。

 トリガーを引いた瞬間の体に伝わるズドンと重い発砲音と衝撃に、ファーレンハイトは集中力の高まりを自覚して、思わず笑みをこぼした。

 続けて数発同じ場所を狙いワンホールショットを成功させると、次は的を見ないで命中させ、それから動く的にも的確に当てていく。

 その見事な腕前をマスターTは真顔でただ見ていた。

 ファーレンハイトは早撃ち、二丁撃ち、曲芸撃ちと一通りの技術を披露して、満足げにマスターTに微笑みかける。


「ふぅ……どうですか?」

「すごいとしか言えない……。人間業とは思えないよ」


 マスターTは苦笑いしながら、彼女と同じ型の拳銃で新しいターゲットを狙った。

 両手でしっかりと構え、狙いすまして……まず一発。

 ドンと音はしたもののターゲットは無傷で、大きく上に外れた後ろの壁に痕をつけた。

 あまりに下手くそだったので、ファーレンハイトは唖然とする。

 マスターTは情けない言い訳をはじめた。


「うーん、久しぶりだからね。ブランクが大きい」


 彼は続けて二発目を撃つ。

 今度もターゲットから大きく逸れて、やはり後ろの壁の同じような場所に着弾。

 ファーレンハイトは見かねて助言した。


「もう少し小さい銃を選んだ方が……」

「いや大丈夫、勝手は分かった」


 意地を張るマスターTに、彼女は本当かなと疑いつつも結果を見守る。

 驚くべきことにマスターTは真っすぐターゲットを狙うのを止めた。その代わりにターゲットのやや下方に狙いをつけて三発目を撃つ。

 今度は何とかターゲットの端に命中。

 反動を計算して狙いを少しずつ変えていく方法によって、彼の命中精度は少しずつ向上していった。

 ようやく安定して的に命中させられるようになったマスターTに、A・ファーレンハイトは問う。


「満足しましたか?」

「まあね」


 どことなく誇らしげな彼を見て、本当にやっていけるのだろうかと彼女はますます心配になった。

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