第2話 霊的ロボトミー

『霊性遺伝実験録』抜粋

       ――榊貞雄


 序文

「霊の生活は血の中にあり」と旧約聖書にあるが、血の中には恐らくある種の神秘が潜んでいる。しかしそれは一切の聖餐礼が不可解であるやうに、私たちの智恵や判断ではとても解釈のできないものである。

       ――映畫『血と霊』より



 昨今の医学界には、西洋から渡来した唯物論なる思想が蔓延している。その怒涛の勢いは止まる所を知らず目叩またたく間にあらゆる学問に浸潤し、遂には精神科学も諸手を上げて無抵抗のうちにこれを歓迎した。そこでは精神は肉体からの派生に過ぎず、心は体軀からだに還元される。この調子では行き過ぎた物理主義と合理主義がヒトの心身を器械人形ロボットのように扱い出すまで幾許もないだろう。

 しかし、かように極端な一元論は全くもって見当違いの戯言たわごとである。汎霊説アニミズム、古代希臘ギリシャのプラトニズム、老荘思想タオイズム、デカルト……古来より連綿と受け継がれてきた二元論は些かも間違っていなかった。肉体と精神は不可分な関係なぞではなく、本質的に相異なる独立した存在である。ヒトは元来、実体を持たない不滅の精神体であった。或いは敢えて〝霊魂〟と云い換えてもよいだろう。それが何らかの理由から肉体に閉じ込められたのだ。われわれはこの不自由で醜い肉体という牢獄に、延いては重力という鎖に繋がれ、ここ地球という窮屈な地獄に追いやられ幽閉された宇宙の囚人なのである。肉体と精神が結合したいまの状態は、原初のカタチから乖離かけはなれた異形と云えよう。

 基督キリストの磔刑はまさにこの出来事を象徴していた。すなわち肉体に磔けられた聖霊。ヒトに内在する無限の神性は有限の物質内に磔にされ、その霊性の殆どを封じられている。原罪とは聖なる魂と悪しき肉体の混合、人類の〝受肉〟は呪咀のろいに他ならないのである。


 (略)


「脳髄は物を考える処に非ず」とは、かの誉高き医学博士の言である。ではこの皺苦茶なこぶは何の為に存在するのか。ずばり脳髄とは、精神の牢獄である。『魂は肉体のなかに文字通りすっかり縛りつけられ、接合されてしまっていて、あたかも牢獄を通し て見るかのように、実在するものを他ならぬ肉体を通して考察するように強いられる』とプラトンが云うように、脳髄は肉体と精神を強引に繋ぎ合わせ、両者の間に立って仲介役を担い、それなしにはものを考えられないようにしている。平たく云えば、基督を十字架に打ちつけた釘、或いは〝螺子ねじ〟のようなものである。この螺子が緩むと、肉体と精神の間のバランスが崩れて不調を来たし、時には常人に感知し得ぬものが見え始める。それこそが永らく狂気と見なされて来たものの正体である。

 しかしそれは真の狂気とは程遠い代物と云えよう。皮肉なことに、精神病患者は正気を失ったが故にわれのもとに送られて来た訳ではない。逆である。発狂とは「精神恢復」の最初期反応に過ぎず、彼らは正気を取り戻し、この世の嘘偽りなき真実をってしまっただけなのだ。狂っているのはこの世界のほうであって、そこで平然と暮らしてゆけるわれわれこそが狂人なのだと。肉体に支配されている以上、人類はすべからく狂気のうちに囚われているのである。

 わたしは実験の過程で、偶然にも上述の事実を発見した。肉体と精神が人為的に繋ぎ合わされたものであれば、両者の分割も理論上は可能な筈である。

 ヒトは原罪を清算せねば楽園パライソに入れない。不当に簒奪されたヒトの霊性と不滅性は恢復されねばならぬ。人類の贖罪はわれわれ自らの手で成し遂げねばならぬ。依ってわたしは当院の患者を被験体に、その肉体からの解放実験を試みる。


 (略)


 あたかも螺子で締めつけられたかの如く、精神は肉体の上にきつく固着していた。しかし幾たびもの解剖研究の末、ヒトの脳内から肉体と精神を貫く螺旋状の物質が見つかった。〝螺子〟とは只の比喩表現に止まらない。心身結合の鍵は〝螺旋〟にあったのだ。人体に隠された未知の螺旋構造。そして寸分の狂いなく回転し続ける螺旋運動。回転は上昇と下降の運動を生み、その方向が上昇か下降の差異を分かつ。螺子回しの回転方向が螺子の締緩を左右するように、つまりひとえに〝方向〟の問題に過ぎなかったのである。

 患者番号二二一八、泰道和虎たいどうかずとら。われわれは四人目の被験者にしてようやく肉体と精神の完全分離に成功した。術式の詳細は後述するとして、わたしはこの心身切截術を〝霊的ロボトミー〟と名づけた。

 次にわれわれは切り離された泰道の精神体との接触・対話にも成功した。しかし、彼の精神は次第に錯綜し始め、「嗚呼、恐ろしい、恐ろしいぞ」「醜い、醜く過ぎる」と頻りに連呼し続け、遂には意味不明な言語を喚くばかりとなった。

 それと前後して、院内で原因不明の怪死が相次いだ。その死体は一様に白目を剥き、何か恐ろしいものでも目撃したかのようにかおを大きく歪ませていた。やがて泰道の精神体がわれわれの前から完全に姿を消すと、怪死事件もパタリと途絶えた。「泰道の霊が生者を取り殺しているのだ」などと一部の施験者が噂するが、両者の因果関係は不明である。

 勿論これは仮説の域を出ない話だが、独立した精神体は、この世界に順応できずそのカタチを保てなくなり、やがて彼らが元来いた場所、肉体と結合する以前にいた何処かへと戻ってしまわれたのではなかろうか。今度とも更なる研究が求められる。


 (略)


 肉体と精神の分離に成功したわれわれは、早速新たな実験に着手した。心身の分離が可能ならば、再度の結合、謂わば〝再受肉〟もまた可能な筈である。抽出した精神を他者の肉体の中に定着させるのだ。

 しかし、この目論見は悉く失敗に終わった。他人同士の肉体と精神が拒否反応を起こし、精神が崩壊してしまうのである。

 そこでわたしは観点をガラリと改めた。何者かが設計した、ヒトをヒトたらしめる驚異の性質を利用することにした。ヒトにかけられた呪いを子々孫々に継承せしめ、未来永劫にかけて全人類を肉体に閉じ込め続ける自己複製機構システム……〝遺伝〟である。その神の如き働きは生命現象の根幹……いや、生命現象そのものと云い切って差し支えないだろう。

 術式の絡繰は至って単純である。先ず、体軀から分離させた精神を遺伝情報に組み込み、次世代に遺伝子発現させる。子孫の細胞に宿った霊能の種は、細胞分裂とともに複製コピイ、増殖し、やがてその肉体を〝依代よりしろ〟へと変える。然るべきときが来れば、子孫の意識を無意識の深淵に追いやり、肉体の統治権を乗っ取るのだ。そうすれば肉体の寿命が尽きたあとも、その血を絶やさぬ限り、子々孫々の間を半永久的かつ意のままに行き来できるだろう。老いた体軀を脱ぎ捨て、その都度新しい肉体に着替えるのである。

 われわれはこの輪廻転生の如き方術を〈霊性遺伝〉と呼んだ。精神意識や記憶といった元来は遺伝し得ない後天的な獲得形質さえ後世に残すことができる唯一の方法である。これぞまさに「先祖がえり」……究極の隔世遺伝と云えよう。

 勿論〈霊性遺伝〉はれっきとした科学的作用に他ならないが、常人の目には超常現象の類に見紛うかもしれない。それも道理で、目に見えぬものが他者の体軀に入り込み自在に動かすその様は、前時代的な迷信を連想させるからだ。その手合いの言葉を借りるならば、〝憑依〟。子孫代々に流れる己が血を媒体とする憑霊、まさに血に取り憑いた霊である。

 既存の科学は何者かが規定した物理法則の壁を超えられず、何世紀にもわたって足踏みを強いられてきた。われわれがその分厚くも薄い皮膜を突き破ったとき、科学は限りなく怪力乱神オキュルチスムに接近する。

 この実験が成功すれば、ヒトは死を克服し、永遠に生き続けられるであろう。


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