蒼天の二番手

第1話 

 1943年某月某日、ラバウル陸軍航空隊にて――


 真珠湾奇襲が成功してから、日本軍は南方へと進撃を行い、日本の致命的な弱点であった石油を制圧することができた。


 初めの数ヶ月の間は良かった。


 だが、ミッドウェー海戦で正規空母4隻を失うという壊滅的な大敗を喫したのが運の尽きで米軍の反撃はその時から熾烈を極めていき、占領した南方の島国はどんどん奪還されていった。


 ラバウルにある陸軍航空基地には、一式戦闘機隼の他に、海軍の彗星艦上爆撃機と並んで液冷エンジンを搭載している数少ない機体の三式戦闘機飛燕が20機ほど並んでいる。


 この飛燕は空輸されてきたばかりであり、この機体には珍しく、ドイツから輸入してきた20ミリマウザー砲が搭載されている。


 空輸と共に基地にきた航空兵達数名の中の一人の、精悍な顔つきの男に、陸軍航空部隊少尉の真鍋時夫(マナベ トキオ)は脳細胞に染み付いている筈である昔の記憶を手繰り寄せて、思い出したのか、その男の元へと歩み寄る。


「神木沢……か?」


 神木沢慎之介(カミキザワ シンノスケ)は、一瞬時夫が誰かと戸惑ったが、これもまた、ほんの数年前の記憶が鮮やかに蘇り、あっ、と口を開く。


「俺を覚えているか? 甲子園で決勝戦で負けた……」


「あぁ、覚えている、鋭いカーブが持ち味だったな」


「お前は豪速球とフォークボールだったな」


 二人はニヤリと笑いながら肩を組む。


 その様子を、周りにいる者達は不思議そうにみている。


「あれっ? お前階級は……?」


「少尉だ」


 時夫は慎之介の階級を知って安堵の表情を浮かべる。


(こいつに階級だけは抜かされたくはないぜ……俺はこいつに全く手が出ないまま負けた、この戦場で俺はエースになるんだ、こいつに負けたまま終わるつもりはない……!)


 慎之介はタバコに火をつけて、滑走路に並ぶ飛燕を見やる。


 🕊🕊🕊


 戦時中により高校野球は無くなる方向になり、時夫達は最後の甲子園を迎えることになった。


 炎天下の中、時夫は必死の形相をしている慎之介を睨みつける。


 1対0、ツーストライク、スリーボール、3塁……ここで、慎之介が時夫を抑えれば慎之介達の高校の優勝、時夫が一発逆転でホームランでも打てば逆転優勝である。


 この甲子園が終われば、彼らは予科練に行くことが決まっており、当面野球はできない。


 慎之介が腕を上げる。


(フォークボールか!? ストレートか!? 来るなら来い!)


 時夫はバットを強く握りしめる。


 慎之介から放たれた球は、一直線にキャッチャーミットに吸い込まれるように向かう。


(ここだ)


 動体視力1.5の時夫の目は、球がはっきりと見えており、バットを振り抜く。


『ズバン』


 キャッチャーミットに、球が小気味好い音を立てて吸い込まれる。


「な!? 畜生!」


 悔し涙を流す時夫を、慎之介はニヤリと笑いながら見つめている。



 雲の谷間をかいくぐるかのようにして、時夫達飛燕部隊は97式爆撃機部隊を護衛するかのようにして飛んでいる。


 彼らは山脈を越えたところにある米軍基地に爆撃を行いに行くのである。


「ワレ敵機発見ス! 全機戦闘態勢に入レ!」


 海軍の無線とは比べ物にならないほどに整備された空中無線からは、隊長の声が時夫達の耳に聞こえてきて、時夫は周囲を見渡す。


 時夫の眼前には、慎之介が操縦する飛燕が飛んでおり、敵に気がついたのか上昇を始めていく。


(こいつには死んでも負けん!)


 時夫は慎之助の乗機を睨みつけて、敵を探す。


 野球で鍛え上げた裸眼視力2.5の時夫の目には、600メートル先を飛ぶF4Uの姿が見える。


 時夫はスロットルを絞り、F4Uの後ろに着こうとするのだが、向こうが気がつき離脱しようと降下を始めていく。


(残念だな、三式戦は850キロまで耐える、逃さない……!)


 急降下を始めるF4Uを追うようにして時夫の乗る飛燕は急降下を始め、電光照準器にF4Uが映り込み、時夫は弾丸発射ボタンを押す。


『バンッ』


 何かが炸裂する音が聞こえて、時夫は周囲を振り返ると、主翼に大きな穴が空いていることに気がつき、慌てて機首を上げる。


(クソッタレ、筒内爆発か……!)


 戦闘機の機銃の弾丸は、当たった時に爆発するように先端に火薬が詰まっており、何かしらの拍子で引っかかった場合、当然の事ながら爆発する事を筒内爆発という。


(だが、機首の機銃だけでも落としてやる……!)


 時夫は先程狙っていたF4Uを探すが離脱してしまい遠く離れた場所にいる。


(逃がさないぞ……!)


「真鍋! 離脱セヨ!」


 時夫の耳には無線が入り、慌てて周囲を見渡すと、1機の飛燕が時夫を護るかのようにして近づいてくるのが時夫の目には飛び込んでくる。


 風防越しに見える顔から、慎之介だなと分かり、こいつには負けたくはないなという気持ちに時夫は襲われる。


 雲の谷間から、弾丸が時夫の操縦する飛燕を捉え、主翼に穴が空き、時夫は上空を見やると二機のF4Uが時夫を狙って弾丸を放っている。


(俺の命はここまでなのか……?)


「真鍋、逃げろ……!」


 慎之介の声が聞こえ、時夫は後ろを見やると、慎之介の機体が時夫の機体を覆いかぶさるかのようにして飛んでいる。


「神木沢、お前は逃げろ! 俺に構わず!」


 時夫の声は、慎之介の機体の爆発音で掻き消された。



 時夫が基地に戻った時、戻ってきた人間は時夫だけである。


 時夫の機体の主翼には、筒内爆発の跡の大きな穴が空いている。


「真鍋少尉殿、よくお戻りになりました……!」


 中年の整備兵は、時夫に向けて敬礼をする。


「このマウザー砲は、欠陥が多いのか? 新型なのに爆発してしまった……」


「ええ、何せ我が軍のものとは勝手が違うので、故障が多いと……」


「……」


 時夫はタバコに火をつけて、滑走路をトボトボと歩く。


 目標にしていた相手が目の前からいなくなり、時夫にあるのは喪失感だけである。


(神木沢、貴様は戦死してしまった、前の基地で撃墜数40のお前でも戦死するのか……。俺は、貴様の分まで生きて、この戦場でエースになるからな……!)


 時夫は、このままではいかんと空を睨みつけて、タバコを地面に投げ捨てて歩み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼天の二番手 @zero52

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ