第5話 天使がんばる
轟音と共にカラスの小屋が崩れる。
アルクドプラナロがほうほうの体で転がり出ると、その背中を優しく撫でる手があった。
「偉かったな、アルク。よく大人しくしてた」
ひ、と少女の喉が鳴る。
「けどもういい。やばいから、どっか行っていいぞ」
言うだけ言って、カラスは頽れた。顔も、身体も血塗れだった。
アルクドプラナロの衣が、カラスの血で真っ赤に染まる。
「カラス……? カラス!」
「愚かことだ。王国の温情で生かされていたというのに」
マントの男が二人を見下ろしていた。その背後には、肉風船のような天使が忠実に付き従っている。大鷲のように開かれた翼は、三対。
「貴様が天使だな。幼生か。綺麗な顔をしているじゃないか」
「成体天使……ッ!? どうして地上に」
アルクドプラナロの黒い瞳が、成体の天使を睨む。
丸く膨らんだ頭には、まばらに顔のパーツが散らばっていた。鼻が8つに、口が9つ。何の感情も映さない虚ろな目玉は35。
「ほう、喋るだけの知性があるのか、面白い。そうさ、これは王国が正式に所有する天使兵だ」
男は薄ら笑いを浮かべる。それは、絶対的な強者の表情。
「王国は天使の力を欲している。だが、天界との取引は高くつく。だからきみの力が必要なんだよ。幼生のサンプルは特に貴重だ。きみ、検体になりたまえ」
少女は、カラスを強く抱いた。
もはや、少年の身体は動かない。
「……アルクドプラナロは拒否する。アルクドプラナロは怒っている」
「そうかね。それはそれで構わない――死骸を回収させてもらおう」
男が手を振った。直後、成体天使が三対の翼を大きく広げる。
アルクドプラナロもまた、背中の醜い翼を広げた。触手めいた一対の翼が展開する。
天使の翼。神造兵器である天使に内蔵される、攻撃器官。それは不可視の力場を形成し、対象を一方的に破壊する。失われた魔法技術の結晶だ。
衝撃がぶつかり合った。
耳を劈く高音が響いて、周囲の木々が薙ぎ倒される。互いの威力は互角。
だが、翼の数が違う。すぐに成体側の衝撃波がアルクドプラナロのそれを貫き、彼女の身体を切り裂いた。
「ぎぃぃぃぃっ……!」
カラスだけは傷つけまいと、彼女は身を固くする。
強く抱いた少年の身体は、とうにその活動を停止していた。少女の目尻に、血の涙が溜まっていく。
「幼生が、成体に敵う筈がないだろう。きみも知っている筈だ。成体は、幼生十数体を吸収して出来ているんだよ。出力が違う」
もはや縮こまるだけとなったアルクドプラナロを、マントの男が睥睨した。
もう一撃。ただ手を振り下ろしただけで、少女の命は終わる。男はそのことをよく知っていた。
「大人しく従えば、少年ともども生き永らえたものを。所詮は人外の化物か」
「……、じゃない」
アルクドプラナロが、小さく呻いた。
「あ? なんだって?」
「化物じゃない……血液検査が、完了した」
少女が、血まみれの唇を舐めた。
全身を切り裂かれ、虫の息がいいところ。だがその視線は、力強い意思の力を残している。
「カラスは、人間だ。その遺伝情報に混入したのは、旧い天使の血だと断定する。アルクドプラナロの性能で羽化は」
少女は、カラスの腰に手を回した。
そこにあるのは、錆び果てた彼の短剣。
「何を……ッ!?」
男が目を見開く。
震える手で、少女は刃を握っていた。
「可能だ」
ひと突き。
アルクドプラナロは、己の首を抉っていた。
*
「カラス。カラス。アルクドプラナロは覚醒を要求する」
視界は真っ白だった。何も見えないような気がするし、全て見えているような気もする。
ただただ、眠たかった。このまま目を閉じてしまいたかった。なのに。
「カラス。アルクドプラナロが呼んでいる。カラスには返答の義務がある」
鈴鳴りのような声が呼んでいる。
この声にばかりは、弱いのだ。それこそ出会ったその時から。
「……なんだよ、うるさいな」
「よかった、カラス。消えてしまったのかと思った」
目を開けても、彼女の姿は見えなかった。
ただ、すぐ傍にいることだけは分かる。それに、これまでで一番、声が綺麗だ。
「早速だが、カラス。アルクドプラナロは、生殖を開始しようと思う。お前とだ、カラス」
「……は?」
起き抜けの冗談としては、少々キツイ。
「いやいやいやいや、お前な、そういうのは好きな人と……いやいや違くて。そうじゃなくて、天使は生殖しないんじゃなかったのかよ」
「アルクドプラナロは肯定する。厳密には、生物学的な生殖とは意味が異なる。しかし生命の継承という意味では、これは生殖に該当するとアルクドプラナロは信じている」
「いや全然わからんよ。おまえホントふざけんなって。あのな、生殖ってのは、」
「カラス」
強い口調が、少年の言葉を遮った。
「わたしはカラスと、生殖したい」
「い――」
変な声が漏れた。
両手で顔を覆う。絶対に顔が赤くなってると思う。
そんな動揺を知ってか知らずか、少女の声は変わらぬ調子で語りかける。
「アルクドプラナロはカラスの願いを叶える。ちゃんとアルクドプラナロの首は落としておいたぞ」
ん? 何の話だ。
「ただ……すまない。アルクドプラナロは、カラスを寂しくすると思う。アルクドプラナロは謝罪する」
ちょっと待て。どういうことだ。
「さよならだ、カラス。アルクドプラナロは、カラスと会えてよかった」
なんだ。声が出ない。
待て。待てよアルク。アルクドプラナロ!
「ああ……アルクドプラナロは、好きな人と生殖できて、幸福だ――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます