第2話 天使拾われる

 別に猫を拾って帰ったことなどないし、そもそも猫を飼うほど生活に余裕がある訳でもない。だから少年がアルクドプラナロと名乗る天使を家に連れ帰ったのは、気の迷いでも慈悲でもない。


「……お前、意外と力持ちなんだな」

「アルクドプラナロの馬力はやや人間の三倍に相当する」

「めちゃくちゃ強いじゃねーか。なんで俺見て泣いたんだよ」

「見知らぬ土地で殺意を向けられびっくりした。涙腺および膀胱の弛緩は避けられなかったとアルクドプラナロは主張する」

「ゆるすぎるだろそれは」


 今日の丘には、三体の天使の死骸が落ちていた。アルクドプラナロを入れて四か。

 少年の体格では、天使の死骸は一人分を運ぶのが限界だ。いつもは丘と自宅を往復しているが、今日は違った。

 何しろ、四体の天使のうち一体には頭がついていて、言葉も喋るし、荷物も運ぶ。彼女は一人で二体分の骸を軽々と運び、息一つ切らせていない。


「怖くないのかよ。仲間の死骸だろ、それ」

「アルクドプラナロに恐怖する理由はない。これらは単なる残滓。アルクドプラナロはその鋭利な金属片の方が怖いと思う」

「俺の短剣のこと? 妙なものが怖いんだな」

 ボロボロの短剣を鞘に収めて、夕闇の森を抜ける。

 天使は機嫌よく喋った。学のない少年には難しい言葉も多かったが、これだけうるさく話していれば獣も寄っては来ないだろう。

「アルクドプラナロはアルクドプラナロという個体名を所有する。アルクドプラナロはやや人間の個体名を知りたい」

「名前か。名前はないよ」

「アルクドプラナロは納得する。そういう文化が存在することはデータベースで学習済み。だがアルクドプラナロは疑問に思う。個体識別に不便ではないだろうか」

「いらないんだよ。俺、一人だから」

「アルクドプラナロは否定する。今は二人になった。個体識別に不便だと、アルクドプラナロは主張する」

 ふっと、少年が破顔した。

 この天使は、まったく何も分かっちゃいない。


「……カラスだ」

 空が茜色のうちに、家に着いた。森のほとりのぼろ小屋だ。

「森の向こうのやつらは、おれの事をカラスって呼ぶ。天使を啄む、骸漁りだ」

 その場に天使の死骸を降ろして、アルクドプラナロに向き直る。

 自由になった両手で、腰の短剣を抜き放った。

「首のついた天使は売れないんでね。ここまでご苦労様なこった」

 錆び果てた刃を見て、びくりと天使は首をすくめる。

「なんで、って聞きたいんだろ。気が変わったのさ。この二対羽が金貨4枚、そいつとそいつで金貨6枚。お前の羽は小さいが、いくらかにはなるだろう――俺の飯のために死んでくれ、アルクドプラナロ」

 ひどく不器用に、少年は威嚇して見せた。あるいは、彼の方がよほど怯えていたのかもしれない。

 天使は死骸をその場に降ろして俯いた。

「……カラス。カラスというのか」

「どうした。逃げないのか」

 綺麗な黒の瞳が揺れていた。少年――カラスは、尚も刃を突きつける。

 少年の孤独は長すぎた。泣きそうな顔で、その手は微かに震えている。

「お前は人間に興味があるんだろ。お前の言う通り、俺は“やや人間”だ。俺はお前の興味の対象じゃない。どっかいっちまえよ」

「アルクドプラナロは理解しない。カラスの発言は矛盾している。それと」

 天使の少女が、すっとカラスの背後を指さした。


「そこの四人は、カラスのともだちか?」


 振り返ると、そこには巨大な毛玉が迫っていた。

 黒い毛皮に、反り返った牙。人間のように二足で立つが、赤い目玉に知性の光はない。涎を垂らして、しかし音もなく忍び寄っていたのだ。


「樹獣!? なんでこんなところに……」

 森の深奥に棲む怪物だ。こんな場所で出くわす筈がない相手が、四体も。

 カラスの身体が恐怖で固まる。樹獣を前に生き延びた人間はいない。


 だが逆に、今度は彼女が冷静だった。

「ともだちではないんだな」

「ばか、逃げ――」

「そうだと思った。アルクドプラナロは攻撃衝動を感知している。生体魔獣の分岐体と推測。アルクドプラナロの性能で対処は」

 天使の少女は、悠然と樹獣の群れに歩を進めた。

 彼女の背中の奇怪な翼――否、翼というにはあまりに醜い。白い羽毛に覆われた触手めいたそれが、めきめきと音を立てて開かれる。

「可能だ」

 風が吹いた。

 一瞬にして樹獣の一体が血煙に変わった。ばしゃ、と真っ赤な水たまりが出来上がる。

 何が起こったのか分からない。分からないが、それを為したのが、目の前の美しい天使であることくらいは分かる。


 天使。天上の御使い。

 かつてこの世界を創造し、そして一度は滅ぼした、神造兵器。

 頭の悪いカラスでも、その伝説くらいは知っている。だから丘には誰も近づかない。

 思い知らされる。目の前のあどけない少女もまた、その一種なのだ。


「少しの間で構わない。アルクドプラナロは、カラスと一緒にいたい。アルクドプラナロはカラスを気に入った」

 森の奥へと逃げていく残りの樹獣を見送りながら、彼女は背中越しに語りかけた。

 両腕の長さより広く開いた醜い翼が、するすると元のしわくちゃに戻っていく。

「あんしんするといい、カラス。アルクドプラナロはよく働くし、アルクドプラナロは賢いし、アルクドプラナロは可愛いし、つよい」

 言って、彼女がくるりと振り向いた。

 見れば、その大きな瞳にはいっぱいに涙が溜まっていて。

「めちゃくちゃ怖かった。また膀胱が弛緩した。アルクドプラナロは洗浄を要求する」

 腰を抜かしてへたりこんだカラスなんかより、よほどひどい顔をしていた。

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