天使の降る丘
社会のクズ
第1話 天使落ちてくる
一対羽なら金貨三枚。
二対羽なら金貨四枚。
三対羽だと七枚で、それより上は見たことがない。
乾いた雲の流れる秋口の空。この時期の丘には、天使が降る。
その死骸を拾うのが、彼の仕事だった。
*
王都の外れの森の先、牧場と畑と沼とを越えて、そのまた向こうの森の先。天使の丘はそこにある。
空は能天気に晴れていて、雲はのんびり流れている。ほかに不思議なものなど一つもないのに、丘には天使が降ってくる。
どこからともなく落ちてきて、天使は丘に死骸を晒す。そういう天気なのだから仕方ない。
天使の顔は見たことがない。なぜって、顔が無いからだ。
首から上の無い天使の死骸。それが丘には転がっている。ぞっとしない光景だけど、そういう天気なのだから仕方ない。
だから丘には誰も寄り付かなくて当然で、だから彼が一人ぼっちなのも当然だ。誰もやりたくないのがこの仕事で、誰かがやらなきゃいけないので、彼がやることになっている。
ぼろ布を被った少年は、いつものように裸足で丘の土を踏みしめた。右手に握った短剣は森の獣を追い払うためで、獲物に向けるものじゃない。彼の獲物は、どうせみんな死んでいるのだから。
けれど今日は、いつもと違った。
「なんで――」
震える手で短剣を握って、欠けた切っ先を獲物に向ける。
「なんでお前は、首があるんだ」
いつもと同じ一日になる筈だった。首のない天使を拾い、持ち帰って、バラして売ってパンを買う。
その筈なのに。
パンになる筈の天使には、今日に限って、顔があった。
「――人間か」
骸拾いの少年にもし学があったなら、それを竪琴の音色や、湧き水の囁きに喩えたかもしれない。美しい声だった。
「人間……」
短剣を構えて固まってしまった少年を見て、天使は目を眇めた。
夜みたいに黒い瞳。夜みたいに黒い髪。触れれば壊れてしまいそうなほど白く透き通った頬に、赤みが差す。
「人間、こわいな」
ぶわっ、と溢れ出すように。
天使の少女は滂沱した。臆面もなく、おんおんと泣いた。整った顔立ちを涙と鼻水と涎でべちょべちょに濡らし、ついでに白く清潔な衣も失禁で汚した。
*
「……落ち着いたか」
ひとしきり泣き腫らした天使に、少年はポケットからハンカチを渡してやる。小汚い、雑巾と見紛うハンカチを、天使の少女は恐る恐る受け取った。
「いきなり刃を向けたことは謝る」
少年は胸に手を当て、頭を垂れた。金髪が秋風に揺れる。
妙な気分だった。天使相手に、獲物相手に、何をしているのだろう。けれど、泣いてる女の子を放っておけるほど、少年は大人ではない。
「俺も、驚いた。というか今も驚いてる。お前、なんなんだ」
まだ喉をひくつかせる天使の少女が、小首を傾げる。少女は、少年よりは一つ、二つは歳上に見えた。草原にしゃがみ込んだ姿は、普通の人間の子供と何一つ変わらない――背中の翼を除いて。
見たことのない翼が、少女の背には生えている。醜く歪んだ、奇形の翼だった。
「……アルクドプラナロは、天使だ」
少女が口を開いた。名前だろうか。聞き慣れない響きの言葉だった。
「天使だけど、まだ天使じゃない。アルクドプラナロは幼生だ。三齢幼生プログラム第二期試製カテゴリ。アルクドプラナロは正規の育成課程を外れて堕天した。未許可の自我だ。通常の管理ロットを離れて此処にある」
「待て、ぜんぜん分からない」
喋る言葉は王国語だ。しかし、文字も書けない少年にはその意味が理解できない。
「お前の名前は、アルク、ド。プラナロ……でいいんだな」
少女はぶんぶんと首を縦に振る。もう機嫌は直ったらしい。
「アルクドプラナロも疑問がある。人間、人間は人間か?」
「俺か」
少年が乾いた笑いを浮かべた。彼は剥き出しの生足を掲げて見せる。
「俺は人間じゃない。人間の紛い物だよ」
靴を履いていないその足には、鳥のような鉤爪が生えていた。
王国には、こういう人間が生まれることがある。それなりによくある奇形であり、それなりによくある悲劇だ。少年が一人ぼっちで丘に住んでいる理由でもある。
「人間じゃないのか。アルクドプラナロは残念だ」
そんな少年の異形を、天使は目を丸くして見つめた。
「だが、アルクドプラナロは興味深く思う。人間……やや人間か。やや人間、アルクドプラナロは依頼がある」
「やや人間って俺のこと?」
苦笑する。そんなことを言われたのは、初めてだったから。
けれど、鼻息荒く顔を寄せてくる少女の剣幕で、全部吹っ飛んだ。
「やや人間。アルクドプラナロは、人間の生殖に興味がある。人間の生殖を見せて欲しい」
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