第10話廃墟突入の心得
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目がしょぼしょぼする。もちろん原因は昨夜の心霊現象だ。
廃墟特集を見た後、僕は深呼吸をして体を落ち着かせた。興奮したままだと眠れない。少しでも心霊現象を体験する時間を短くしたかったのが理由だ。
キッチンの物に取り憑いていれば良かったのだが、事はそう上手くいかない。当たり前のように声を発する赤子の霊。また少し成長したのか、今度は何かを引きずる音が聞こえてきた。朝になって確認すると、引きずっていたのは昨日まで着ていた僕の上着。霊が触れた服だ、これはもう捨ててしまおう。
はぁ……と溜息をついてゴミ袋に服を入れる。数年前に買った服だから良いが、新品だったら一週間は立ち直れなかっただろう。今度から床に物を置くのはよそう。
ともかく、キッチンにある物には憑いていないことがわかった。次はリビングだ。引っ越す前の家だったら僕や好美の趣味の物でいっぱいだったが、今はしっかり整理整頓されている。これなら楽にすべて外に出せる。
手をつけるのは早くて明日。今日は寝不足だから好美の実家に帰ってゆっくり休む。キッチンの物に取り憑いていないのは残念だったが、今は心霊現象の根本的な原因を見つけられそうなので、気持ちはだいぶ軽い。
物置にあるキッチン道具を家の中に入れて、出勤するために車に乗る。ああ、早く五郎さんに廃墟について知りたい。
いつもより早めの出勤は車や人が少ない。駐車はスムーズ、着替えは腕を伸ばしても大丈夫。これなら毎日早く来ても良いかもしれない。
「あれ、今日は早いじゃないか」
「五郎さんに聞きたいことがあって早く来たんです」
「俺に?」
僕は基本的に五郎さんより遅くに出社することが多いから、驚かれるのは当然の反応だ。
「昨日の廃墟特集を見ましたか?」
「ああ、あれね! 良い番組だったよなぁ。特に最後の廃墟はぜひとも行ってみたいね」
「ええと、その最後の特集の前に、日本各地の廃墟ってコーナーがありましたよね。そこに僕が貰った例のガラガラが転がっていたんです」
「おや、そうなのか。でも、ガラガラが同じだからなんだって言うんだ?」
「倒産しても中が片付けられていない廃墟……そこに霊が住み着いて、残されていたおもちゃに取り憑いたのではと思いまして」
「もしかして調査に行きたいのかい」
「はい。それで、廃墟に行くので何か気を付けることはないかと聞きたくて……」
「なるほどな。廃墟探索のレクチャーを受けたいわけだ。じゃあ仕事が終わった後で大丈夫か? 飲みながら必要な準備を教えよう」
止めることなく教えてくれるのはありがたい。しかし、五郎さんは廃墟内には入らないと言っていたが、本当にそうなのだろうか。実は若い頃に入った経験があるのでは?
まあ、五郎さんは人に対して深入りすることはないし、それに習って僕も聞かないでおこう。必要であれば話してくれるだろう。
「ありがとうございます。あ、でもちょっと寝不足なので途中で寝るかもしれません」
「よし、布団も用意しておこう。奥さんには連絡しておくんだぞ」
「はい」
五郎さんの許可を頂いたところで、作業用の靴を持って出入口へ向かう。今日の勤務は気合を入れて乗り越えなければならない。体はつらいけど、ここを乗り越えられれば平穏に一歩近づくのだ。
テーブルにはお酒とおつまみが大量に置かれていた。
「すまんなぁ、これしかなくて」
「いえ、ごちそうになります」
好美に五郎さんの家に泊まると電話した後、どこかに寄り道することなく五郎さんの家の呼び鈴を鳴らした。出迎えた五郎さんの手にはビール瓶が握られており、これで一杯やろうと僕を誘った。
まずは乾杯、そしてグッと一気に飲む。この時の喉越しがたまらない。やはり最初はビールに限る。おつまみは定番の枝豆、からあげ、スルメだ。これを食べながら飲むのは人生の楽しみだと言って良い。
良い感じに酔っ払ってきた頃、ここに僕を招いた理由を思い出しのか、五郎さんは急に廃墟探索の注意点を話し始めた。そろそろ聞こうと思っていたので良いタイミングだ。
「まずはなぁ、服装だ。動きやすい服を着るのはもちろん、長袖を着ると良い。植物の棘や虫などで怪我をするからな。併せて救急セットも嵩張らない程度に持っておけよ」
急いでメモを取り出して忘れない内に書く。多少字が汚いが、自分さえ読めればそれで良い。
「行くのは昼間が良いな。夜だと周りが見えなくて危険だ。廃墟内には穴が空いてる場所もある。うっかり落ちて怪我をしたら大変だ。打ち所が悪ければ命にかかわる」
誰もいない廃墟で死ぬのは嫌だなぁ。夜に行けば誰にも見られないと思ったが、そんなことよりも自分の身の方が大事だ。ここは五郎さんの言う通り昼に行こう。
「あとは、廃墟に置いてある物には触らない。怪我の元になるし、誰も手を付けないからこそ風情がある。ああ、それと騒がないこと。誰かに見られたら不審人物で通報されちまう」
騒ぐのも駄目か。でも幽霊を見たら絶叫してしまうかもしれない。口にガムテープを貼っておくか? メモに小さくガムテープと書く。うーん……口で呼吸できなくなるのはつらい。走った時に鼻でしか息ができないのは苦しいな。マスクにしておくか。
五郎さんから話を聞いた後は当日の服装や持ち物を考えることに専念した。しかし、眠い目をこすりながら考える案はどれも非現実的だ。全身タイツで廃墟に行こう、心臓が止まった時のためにAEDをリュックに入れようなど、寝惚けたことばかり書いてしまう。それを見た五郎さんは大笑いをしている。
「植田、もう寝よう。明日も仕事なんだから体力がないとぶっ倒れるぞ」
「うう~ん……まだ、もうちょっといけますよぉー……」
「俺から見たらだいぶヤバいぞ。ほら、毛布だ。これ被って寝ろ」
あと五分ぐらいなら大丈夫だ。しかし、五郎さんは僕の言葉を無視してバサッと毛布をかける。
暖かい。なんだか眠たくなってきた。もう、何も考えられそうにない。
「ああ、当日は俺もついてくからな……って寝ちまったか? ま、明日また言えば良いか」
「う~ん……?」
五郎さんが何か言っているが、残念ながら眠気と酔に支配された頭では理解することができない。
そういえばあまりお酒を飲むなと、付き合ったばかりの頃の好美が言っていた。判断力や理解力が低下して支離滅裂なことを言うし、自分が話した内容すらも覚えていないから、らしい。今は言われないから諦めたのかもしれない。
僕自身はは酒には飲まれたことないと思っている。しかし、相当酷い酔い方をしていると聞かされたことがある。
控えるべきか、欲望のままに飲むか。そんなことをぼんやりと考えている内に、だんだん意識が遠のいていく。
もちろんその流れに抵抗はしない。ほどなくして僕は夢の世界に引きずり込まれていった。
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