第8話束の間の休息

 8


 翌朝、ガンガンと痛む頭を押さえつけて飛行機に乗る。完全に飲みすぎた。このままではフライト中に酔って嘔吐してしまう。


「あの……大丈夫ですか?」

「……はい」


 隣の人にまで心配されてしまった。そっとしてくれるとありがたい。そんな気持ちが伝わったのか、最初の声かけだけであとはずっと放っておいてくれた。本当にありがとうございます。

 結局、僕は飛行機に乗っている間はずっと吐き気の心配をしていた。トイレに行って吐けば良かったのだが、席を立った途端に出してしまいそうだったから、着陸するまで外の景色を見ていた。おかげで吐かずに済んだ。

 慣れ親しんだ北海道の空気を腹いっぱい吸う。これは空港の外に出た時に必ずやる儀式みたいなものだ。新鮮な空気は頭の痛みを和らげてくれる。これなら一時間のドライブに耐えられそうだ。車に乗る前に好美に電話をかける。


「もしもし好美。今から帰るよ」

『おかえりおさむくん。お土産ある?』

「もちろん。好美が大好きなお菓子だよ」

『ほんと? 嬉しい!』

「楽しみにしてて」


 通話を切って車に乗り込む。好美の笑顔を思い出すとすぐににやけてしまう。早く顔を見て癒やされたい。

 さて、帰ったら東京の出来事を話さなくてはならないが、どこまで話せば良いだろう。あまり心配させたくない。特に怖い人に絡まれたという話は避けなければ。

 今の好美は妊娠の影響か、体調や情緒が不安定だ。なるべく明るい話題を出そうと努めているが、好美自身が暗いことを考えてしまうことがある。これは明らかにあの声が原因だ。流産したことを思い出してしまうのだろう。加えて僕の身に何かあれば、更に体調を崩すかもしれない。話す内容には気を配らなければ。

 実家に到着するまでの一時間。僕は頭の中で話す内容を仕分けするのに費やした。僕は思っていることが表情に出やすいから、とても大切なシミュレーションだ。


「あ、お帰りなさい!」


 好美の実家のドアを開けると、車の音を聞きつけたのか、笑顔の好美が出迎えてくれた。そんなに長いこと離れていないのに、懐かしくてたまらない。


「ただいま。お義父さんとお義母さんは?」

「二人で散歩。良いよねー私も老後はおさむくんと散歩したい」

「そのためにも、今できることを頑張らなくちゃね。はい、これお土産」


 好美はお菓子が入った袋を受け取ると、待ってましたと言わんばかりの顔で中身を覗き始めた。お菓子を確認すると、今度は早く食べたいといった表情に変わる。


「お茶! 淹れるね!」

「うん、ありがとう。ああそうだ、体調はどう?」

「今日は良い感じ。おさむくんが帰ってくるって分かってたからかな」


 好美は軽い足取りでキッチンへ向かう。どうやら本当に調子が良いようだ。酷い時は足を引きずるから危なっかしい。

 座布団に腰を落ち着けて、淹れたての緑茶を味わう。東京ではビールばっかり飲んでいたから、緑茶の苦味とほのかなうま味が美味しく感じる。お茶ってこんなに美味しかったんだなぁ。

 好美が自分の分のお茶を淹れて、僕の隣に座る。さっきまで笑顔だったのに、今は真剣な顔をしている。


「それで、どうだった? 何か分かった?」

「ああ、うん。調査は大変だったけど、由香にガラガラをあげた人には会えたよ。ホームレスらしき人に押し付けられたって言ってた」

「押し付けられたのを由香にあげたの?」


 好美の顔が不快そうに歪む。


「見た感じ未成年の女の子だったし、仕方ないんじゃないかな」

「あなたは人に対して優しすぎるのよ。そんなんじゃあ、いつか悪い人に付け込まれるわ。借金だけは本当に注意してね」


 返す言葉もない。甘い言葉には気を付けよう。借金が原因で離婚届を突きつけられたら立ち直れない。


「まあ、その話は置いといて、その後はどうしたの?」

「ホームレスの人を探したよ。ガラガラを持っていた人を見てないかって。見つからなかったけど」

「ホームレスを探すって……大丈夫だったの? 変な人に絡まれたりしてない?」

「大丈夫だよ。みんな優しい人だった」

「ふーん……」


 疑いの目を向けられる。好美の勘は異様に鋭い。女の勘というやつだろうか。バクバクと心拍数が上がるのを感じる。


「まあ無事に帰ってきたから良いか。それより、明日からまた取り憑いた物っていうの探すんでしょ?」

「うん、今度はキッチンの物を出す予定」

「あんまり汚さないでね」

「善処する」


 深く聞かれなくてホッとする。これ以上追求されるとボロが出てしまう。

 ホッとしていると玄関の方から「ただいまぁ」と、しわがれた声が聞こえてきた。どうやら好美の両親が散歩から帰ってきたようだ。

 僕達は話を切り上げて、好美はお茶を片付けに、僕は旅行に持っていった物の片付けを始めた。そして疲労からか、ある程度片付けをした後は泥のように眠ってしまった。

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