第6話東京の協力者

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 飛行機は墜落しそうで怖い。交通事故に遭う確率より低いらしいが、逃げ場がないから飛行機の方が怖いと思う。幽霊とは別の怖さだ。

 今、僕は余っていた有給を使って東京へ飛んでいる最中だ。この日まで、僕と好美は実家で平穏な日々を送っていた。もちろん家の幽霊探しもやっている。まず、玄関にある物を外に出したが、声の方は相変わらず聞こえる。東京から帰ったら次はキッチンとリビングの小物を確認する予定だ。

 ちなみに霊の方はまた少し成長したようで、二歳ぐらいの言葉遣いになっている。キャラキャラと笑ったり、時折赤ちゃんにしては野太い声を出したりするが、今のところ直接な被害はない。

 もちろん僕は目を閉じて朝まで耐える。一時期は姿を見ることも考えたが、幽霊なんてグロテスクに決まっている。そんなのは見たくないと思い直した。

 これは精神的に消耗する作業で、一、二週間に一回ぐらいしかできない。部屋はまだたくさんある。終りが見えないのが苦痛でしょうがない。


『皆様にご案内いたします。この飛行機は、およそ十五分で着陸します。シートベルトをしっかりとお締めください』


 機内アナウンスが流れる。これでようやく空の旅からおさらばだ。

 着陸してすぐ荷物を持ち、東京駅へ向かうバスに乗る。そして圭一くんに「東京駅行きのバスに乗ったよ」と、メールを送る。すると「了解です」と簡素な返事がきた。彼のメールはいつもこんな感じだ。余計な文章を書かないので分かりやすい。

 ただ、言葉足らずだなと思う時もある。僕は圭一くんのことをよく知っているので構わないが、身内以外だとちゃんと伝わっているか心配になる。まあ、何かトラブルがあったとは聞いたことないので、たぶん大丈夫なんだろう。

 バスが東京駅八重洲北口に到着する。圭一くんとは改札の外にある大きな書店で待ち合わせをしている。


「あっ、いたいた。久しぶり圭一くん」


 書店に入ると、新刊コーナーを見ている圭一くんがいた。以前、ミステリー小説が好きと言っていたから、新刊が出ていないかチェックしていたのだろう。

 相変わらずシュッとした顔で、かっこいい男だ。この男前の顔を少しで良いから分けてほしい。


「こんちにちは修さん。元旦以来ですね」

「そういやそうだったか。熱心に見ていたようだけど良い本見つかった?」

「いやぁ最近はいまいちです。心惹かれるものがない。修さんは何か読んでますか?」

「書店に行くのも久しぶりだよ。ちょっと忙しくてね」


 インターネットを使えばチェックぐらいはできるが、心霊現象のせいで見る気力がない。早く解決してゆっくりと本を堪能したいものだ。


「それじゃあ、修さんが来たことだし、移動しますか?」

「そうだね。冷やかしになっちゃうのは申し訳ないけど」


 ここの本屋には申し訳ないけど、今は本を読む暇などないのだ。次、東京に遊びに行った時に買うとしよう。

 本屋を出て雑談しながら由香と圭一くんの家へ向かう。東京は徒歩でもそんなに時間がかからないし、街の景色も楽しげだから疲れにくい。北海道だとどこを見ても同じ景色だ。飽きも早い。飽きがくるとなぜか疲れやすくなるから、移動はだいたい車だ。

 逆に東京だと車に乗りたくない。北海道の快適なドライブを体験してしまうと、混雑している東京は普段より神経を尖らせないと事故を起こしてしまうかもしれない。だから東京は歩いて楽しむに限る。


「由香から聞きましたよ。フリーマーケットに行くんですよね?」

「そう、ガラガラの元持ち主に会いたくて」

「……変なこと聞きますけど、あのガラガラ大丈夫でしたか?」


 大丈夫、とは。


「僕も変なこと言うけど、ガラガラを貰った日から赤ちゃんの声が聞こえるんだ」

「あ、それ! 俺も聞きました!」

「圭一くんも?」

「はい。由香は気付いていませんでしたが、あれは絶対に赤ちゃんの声ですよ! もう、あの時は怖くて怖くて……」


 やはり心霊現象は起きていたのだ。そういえば、こっちでも好美より先に僕が先に気付いたんだった。由香じゃなくて圭一くんに電話すれば良かった。それならもっと早く情報を共有できたかもしれないのに。失敗したなぁ。

 圭一くんから話しを聞き出すと、由香が誰かからガラガラを貰ってきた日、部屋の中からとても小さかったけど赤ちゃんの声が聞こえてきたらしい。僕は声じゃなくて音だと思っていたから、圭一くんの耳の良さには感心する。

 翌日、僕の家に送った後は聞かなくなったから、あのガラガラが原因なんじゃないかと考えたが、もう手元にはないし、僕達にそのことを話して変な人扱いされるのは困ると思ったから黙っていたらしい。気のせいの可能性も高かった。そして、いつの間にか忘れてしまった。


「そちらに送ってからすっかり忘れていましたが、昨日の夜に由香が修さんを迎えに行ってと言われて思い出したんです。まったく、前日まで来ることを教えないなんて……困ったものですよ」

「僕が来る理由を聞いてもしかして……って感じ?」

「ええそうです。何でフリーマーケット? と思ってすぐガラガラのことを思い出しました」

「なるほどね。僕がここに来たのはそれも理由なんだけど、もう一つあるんだ」


 圭一くんにフリーマーケットへ行く理由と、設楽さんとの話を伝える。すると、彼は感心したように頷いた。


「未来の子供のための処理ですか……修さんのそういうとこ、本当に尊敬します。俺は怖くて無理です。心霊番組すら怖くてチラ見ですから」

「僕はそんなに立派な人じゃないよ。怖がっている妻すら抱きしめられなかったヘタレさ。正直に言うと、怖いから今すぐ逃げ出したい」


 これまで何度逃げ出したいと思ったことか。今だってどこか遠くの地に行ってのんびり暮らしたいと思っている。

 でも、そんなことは家のローンや仕事が許さない。世間だって許してくれないだろう。男のくせに無責任だなどと罵られるかもしれない。僕はそれらを跳ね除けられるほどのメンタルは持っていないから、世間の目を気しながら生きていくしかないのだ。時々、こんな自分が嫌になる。


「よし、決めた! 修さん、俺も協力しますよ」

「えっ! 良いのか?」

「はい、俺も近い内に子供作る予定ですから。未来のため……良いじゃないですか!」

「でも圭一くんは管理職だろう? 忙しいなら無理しなくても」

「あー……確かに……でも、休みがないほど忙しいわけではないので、空いた時間は調査に当てられます。明日だって休日ですし。俺にできることなら何でもやりますよ」


 圭一くんにこうまで言われちゃ、断ることはできない。


「そうか、ありがとう。じゃあ、さっそくだけど明日のフリーマーケット、一人じゃ心細いから一緒に行ってほしいんだ」

「もちろんです!」


 圭一くんが来てくれるのは嬉しい。一人での調査は不安だし、不審者に間違われないかという心配もある。二人なら怪しまれにくいだろう。

 明日の行程を話し合っていると、商業施設が徐々に減って、やがて住宅街へと景色が変わった。本当に同じ東京なのかと思うぐらいの変化だ。歩いて五分、見覚えのある家が姿を現す。由香と圭一くんの家だ。


「相変わらず狭い家ですが」


 圭一くんは自宅のドアを開けて入るよう促す。「お邪魔します」と、お決まりの言葉を言って上がらせてもらう。玄関には白とピンクの造花と傘立てが置いてある。埃を被っていることはなく、ちゃんと手入れされているようだ。


「あっ、いらっしゃーい修! 掃除は完璧よ! ささ、上がった上がったぁ!」


 玄関を観察していると、リビングから由香が顔だけ出してきた。元旦にお邪魔した時もこんな風に出迎えられた覚えがある。長い髪を後ろでまとめて、ビニール手袋を持っているから、今まで掃除をしていたのだろう。


「圭一、今から買い物行くから! 夕飯何が良い? 私が着替えてる間に考えといて!」


 そう言うと由香は突風のように寝室へ行ってしまった。バタンバタンと箪笥を開く音が聞こえる。もう少し落ち着いてほしい。


「すいません。落ち着きがない妻で」

「あー……元気があって良いんじゃないか?」


 圭一くんも落ち着きがないと思っていたらしい。


「で、夕飯決まったぁ!?」

「うわっ、何でも良いよ。由香の好きな物買ってきてよ」

「よし、任せて! それじゃあいってきます!」


 由香はビュンッと僕たちの脇を通り過ぎて玄関のドアを開けた。僕達はまだ玄関にいるというのに、彼女は素早く着替えを済ませて、夕飯の買い出しに行ってしまった。嵐のような人だ。


「…………」

「あー……修さん、早いですけど。飲みます?」

「あ、ああ……うん、そうだね」


 呆れ返る圭一くんを見て思う。彼は何で由香と結婚したんだろう。どこに惹かれたのか。お酒を飲みながら聞いてみようか。

 しかし神崎家に着いてまだ十分も経ってないのに、どっと疲れてしまった。ソファに座ってお酒が出てくるのを待つ。早い時間から飲むのは久しぶりだ。好美が妊娠する前は、休日の朝から二人で飲んでいた。朝っぱらから飲むのは、いけないことをしているようでワクワクする。

 いつか、また二人で飲みたい。そんな思いを胸に秘めて、冷えたビールを飲み始めた。


「ところで圭一くんは由香のどこが好きなんだい?」

「えっ、それは……パワフルなとこ、かな? とにかく元気な人が好きなんです」


 顔を赤くして照れる圭一くん。ああ、しまった。これは惚気話に発展するぞ。言ってから気付く。

 案の定、お酒が入った圭一くんは由香との馴れ初めをこんこんと語り始めた。由香が買い物から帰ってくるまでそれは続いた。

 ああ、ビールが甘い。こんなに甘かっただろうか。

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