第4話曰く付きの玩具
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チュンチュンと雀の鳴き声が聞こえる。この鳴き声はどこからだろう。耳を澄まして声の出処を探る。外からだ。窓の方に顔を向けると、陽の光が瞼を通して伝わってくる。
「朝……?」
重い瞼を叱咤して持ち上げさせると、強い光が右目を射抜いてきた。カーテンの隙間から差す光が、ちょうど僕の右目にかかっていたのだ。眩しさに目を細める。油断しているとまた閉じてしまう。
二度寝をしないために時間を確認する。六時だ。どうやら今回は朝まで眠れたようだ。最近は熟睡できていなかったから、ぐっすり眠れたのはありがたい。
安心したところで思い出す。昨夜は現れたのだろうか。まずは耳栓を確認する。スポンジタイプだからまず外れはしないと思っていたが、枕の横に転がっているのを見つけた。寝惚けて抜いてしまったか?
耳栓がなくても起きなかったのは、疲労が溜まりすぎていたからだろう。気絶した状態に近かったのかもしれない。
次いで床を見る。昨日みたいにガラガラが落ちていることはなく、寝る前と同じ様相だった。昨日は好美と同じタイミングで寝たから、ガラガラがあったら恐怖でしかない。ホッと息をついて、隣のベッドで眠る好美を見る。まだ寝ているかな。
「んん? 好美、どうした?」
ベッドには体育座りをして、頭から毛布を被って震えている好美がいた。僕が声をかけると、一瞬ビクッとして目を大きく見開いた。
「あっ……おさむくん! 赤ちゃんが……だって、そんなこと……」
「どうしたんだ落ち着け! 大丈夫だから、一度深呼吸しよう」
好美は僕の指示に従って息を整える。スーハーと何回か繰り返して呼吸は落ち着いてきたが、震えはまだ治まらないらしく、僕の手を掴む指先はブルブルと揺れていた。こんなに取り乱すなんて、余程のことがあったに違いない。思い当たるのは、ここ数日悩まされている声に他ならない。
「好美、昨日はよく眠れた?」
「…………」
無言で首を振る。ややあって好美は口を開いた。
「あ、あのねおさむくん。信じてもらえないかもしれないけど、夜に赤ちゃんの声が聞こえたの。それと……昨日、床に落ちてたガラガラも、私じゃないの……」
やはりそうか。昨日、好美は誤魔化したようだけど、普段とはちょっと違う様子だった。親しい人じゃなきゃ分からないような変化だが。
「じゃあ、寝言も?」
「うん……最初はおさむくんの寝言だと思ったんだけど、すぐに違うって気付いたの。おさむくんに揺さぶられるまで怖くて……」
ついに好美にまで聞こえるようになってしまった。本当は昨日からだったけど、いよいよなんとかしないといけない。このままではまた流産してしまう。
「それでね、どこから聞こえるんだろうと思って、勇気を出して姿を探したの」
好美の話はここで終わらなかった。なんと僕でさえ怖かったのに、正体を探ろうとしたのだ。彼女の勇気には恐れ入る。
「で……どうだった?」
「あそこの箪笥に白く光っている赤ちゃんがいたの。上にあるガラガラを取ろうとしてたんだと思う」
「赤ちゃん見たのか!?」
「うん。箪笥の取っ手を掴んで登ろうとしてた。でも、取れなくて……消えちゃった。それで、呆然としてたら急に布団の上に現れたの。私びっくりしちゃって……思い切り足で蹴り上げて……そしたら……」
「大丈夫、僕が側にいるから」
「蹴ったら、赤ちゃんの体がグチャって潰れて、目が……恨みがましい目が私を見たの」
話していると思い出してしまうのだろう。時々、呼吸が早くなり、この世の終わりだとでも言うように震えだす。僕はそんな好美を安心させるように声をかけ、背中を優しく撫でる。
「……好美、実は僕も数日前から赤ちゃんの泣き声を聞いてたんだ」
「おさむくんも?」
言うならこのタイミングしかない。安心させるためには、好美だけじゃないと言ってあげることが大切だ。人は一人だと不安や苦しみに苛まれるが、二人だと分かち合える。
「顔色がすごい悪かった日があっただろ? あれ、夜中に聞いた声が原因だったんだ。あの時は声だと思わなかったけど、次の夜にはハッキリと赤ちゃんの声だと分かったよ」
「そっか……何でこんなことになっちゃったんだろ」
好美は自分達の状況に嘆く。せっかくマイホームを建てて、もうすぐ待望の赤ちゃんが生まれるというのに、まさかこんな事態になるなんて誰が想像しただろうか。
原因には心当たりがある。由香から貰ったガラガラだ。あれが届いた日から心霊現象が始まったのだ。それ以外は考えられない。
「由香に電話かけてみるよ」
「え?」
「たぶん、この現象はガラガラが発端なんだ。僕はあれを貰った日に声を聞いたからね」
「あっ、昨日電話しようとしてたのってそれを聞こうと?」
「ガラガラが原因なら、あっちの家でも同じ現象が起こってるかもと思ってね。ついでに誰から貰ったのかも聞くつもり」
電話は昼食を食べてからだ。昨日の夜に家を留守にしていた理由は知らないが、今日は休日だからきっと午後まで寝てるはず。僕も予定がなかったら今頃寝てるはずだから、きっと由香達も同じだろう。
午前中は気分転換に買い物に出かけることになった。家でじっとしているより、外に出た方が良い。
今の好美は相当参っている。朝食を作ることすらままならない状態だ。よし、今日は僕が料理をしよう。唯一の得意料理、ほうれん草の胡麻和えをご馳走しようじゃないか。
プルルル……プルルル……プルルル……
スーパーで買った惣菜を食べた後、僕は由香に電話をかけた。呼び出し音が二回、三回と続き、まだ駄目かと思った時『もしもし神崎です』と受話器から由香の声が聞こえてきた。
「良かった繋がった。もしもし」
『その声は修? 何かあった? もしかしてもう赤ちゃん生まれちゃったとか?』
「いやいやまだだよ。それよりさ、貰ったガラガラのことなんだけど……」
『ああ! お礼なんて良いよ良いよ。あれねーフリマで貰ったんだ。ただであげるって言うからさ、必要ないのについ貰っちゃったんだ!』
由香はマシンガンのように早口で話す。テンションが上がるといつもこんな喋りになる。今日はいつになく早い。何か良いことがあったのだろうか。
『まー貰ってすぐいらないって思ったから、その日の内にて段ボールに入れて、次の日の朝一で送っちゃったんだけどね。よく考えたらまだ生まれてないのに早すぎたね! あっはっは!』
「その、フリーマーケットの人、変な物売ってたりした?」
『うん? んーと……確か、珍しいのとか曰く付きと言われる物があったような?』
「曰く付き?」
『そう! これを持ってると呪われますってやつ! でもそれは嘘だわ。本当だったら売ってるその人が呪われてるじゃない』
曰く付きの物を売ってたなんて怪しいことこの上ないが、確かに呪われてまで所有しているのはおかしい。売り出すための宣伝文句と考えるのが妥当だ。
そして、由香の様子から察するに、あっちの家では心霊現象は起こっていないようだ。その点は安心したが、これでこちらの問題が解決したわけではない。せっかく送ってくれたのだが、僕達はガラガラを処分しなくてはならない。売りに出したら犠牲者が増える。ガラガラは捨てるのが一番だ。
「ありがとう由香。お礼はいつかするから。それと、よく知らない人からただで物を貰わないように! 何かあってからじゃ遅いからね!」
『まー次は気を付ける。最近、贈り物に盗聴器が仕掛けられてたとかニュースになってるし、自分の身を守るのは大事よね。あと、お礼はいらないからね』
「僕がしたいんだよ。とにかく、じゃあね! 風邪は引かないように!」
『修ってばお母さんみたい』
誰がお母さんだ。僕はお父さんになるんだぞ。由香との電話を切って、好美のいるリビングへ足を向ける。勢いよくドアを開けると、音にびっくりした好美が怯えた様子でこちらに振り向いた。
「わ、ど、どうしたの」
「好美! ガラガラ捨てるぞ!」
「えっ、やっぱり変なやつだったの?」
「ウソかホントか分からないけど、珍しい物や曰く付きの物を売ってる人から貰ったらしい。霊が憑いていてもおかしくない」
そう言ってすぐ寝室へ行く。箪笥の上に置いてある段ボールをリビングへ持って行き、ガラガラを取り出す。これさえなくなれば大丈夫だ。燃えないゴミの袋に投げ入れて、出てこないようぎゅっと縛る。
ついでに段ボールも捨てよう。捨てる予定の段ボールに重ねて、テープでしっかりまとめる。あとは外の物置に置いて、回収日に出すだけだ。
「家からなくなったからもう大丈夫だよね?」
「うん、だからそんなに不安がることはないよ。いつも通り、明るく過ごそう」
好美はまだ不安のようだが、元凶をなくしてしまえば心霊現象に悩まされることはない。
明日から普通の生活に戻れるんだ。
しかし、その期待は打ち砕かれてしまった。
――パパ
深夜。声が響く。
ガラガラは物置にあるのに、どうして部屋の中から声が聞こえるんだろう。
僕の疑念は尽きない。
昨日はこんなにはっきりと言葉を発していなかった。しっかりと話せているのは何故か。
予想外の事態に戸惑っていると、顔に冷たい何かが降りかかってきた。ペタペタと何回か叩かれ、おもむろにぎゅっと両頬をつねられる。
これはおそらく、手だ。赤ちゃんのような小さい手。瞼を閉じていなかったら指先が目に入っていたかもしれない。
――ママどうして
気配が消える。ママとは好美のことだろうか。
助けに行きたい。
でも、幽霊を見てしまうかも、襲われるかも、死んでしまうかも。恐ろしくて動けない。
僕にできるのは朝まで耐えることだけ。情けなくて、最低な話だが、自分の命が惜しいと考えてしまう。今にも好美は襲われているかもしれないのに。
隣のベッドからは何も聞こえない。いっそ「助けて」って言ってくれれば、僕は立ち向かえるのに。できもしないのに、ヒーローみたいな自分を想像する。滑稽だ。
結局、僕はベッドの中で近寄らないでくれと祈り続けた。その願いが届いたのか、朝まで襲われることはなかったのだが、後悔の念だけはいつまでも残り続けることとなった。
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