01章:Sakura Side[009]

[Sakura-009]


 まぁ、いいや。確かに馬鹿なことに時間をとられている自覚はある。

 こんなおじさんに関わっている場合じゃない。元気なんであれば、何よりだ。犯罪者を王族が内包してるというなら、あとで所属元を捻り上げればいいだけだし。

 何の問題もない。

 彼には悪いが早々にこの場は切り上げ、先を急ごう。

「まぁ。外野の言う通りなのが癪だけども」

 言ってもいられないわけで。

 それならば早速と、天来のダメージからやっと起き上がってきた剃髪騎士を指さし、置き去り宣言と洒落込もうじゃないか。

「今は先を急ぐのを優先したいんで、君のことは後回しにさせてもらうよ。

 怪我しているのか知らないけど、それならなおの事、タイアドロンがウロチョロしているこんなところさっさと離れたほうがいい――」


「タイアドロンはどちらへ向かいましたかな?」


 ―――。

 なんだこいつ。

 急に「変な反応」をするじゃないか。

 先ほどまでの落ち着きのない中年像は鳴りを潜め、その表情は「無」。

 居直ったというには随分堂に入ったその姿勢。

 なんだいそれ。気に入らないね。

 おっさんそんなキャラじゃなかっただろうに。

 その急すぎる変わり身をまずは問いただそうと、口を開いたけれど、別の声に遮られた。

「安心するがよい。奴は僕ちゃんたちが来た方向に走っていったわ」

 冗談のように無傷な姿で答えたのは、馬鹿皇子。

 もう慣れたけどウィンドショットを受けてからの復帰が早すぎるよ。

 というか、僕が聞かれたのに何で君が答えるのさ。

 そう不審な視線を飛ばしてやると、気が付いているだろうに反応も返さず、けれど少し後ろに下がった。

 呼応するように剃髪騎士は前に出て、突然失われた顔面の感情がやはり突然弾けて、そこには怒りが溢れる。

 そうして、まるで殺しかかるように、オッサンは唾棄するが如く叫びをあげた。

「騎士のォっ――!

 意地汚くまだ生き永らえておったかぁっ!!!」

 おいおい。

 一国の皇子になんて口の利き方だろう。常識を疑うね。

「―――」

 口がきけなくなる程戦慄しているところ悪いけど変態君。

 僕らは今少し端の配役のようだよ。


「『騎士の』て。

 己自身は一旦何のつもりなのよ? およそ騎士戦士に名を連ねる者の口上とは思えんなぁ?」

 相対する馬鹿皇子は、何が面白いのか愉悦に歪んだ口許を嘲るように見せつけ、分かり易く相手を煽る。

 それに一つも抗わないオッサンは短気も短気に腰の獲物を抜き放つ。

 なんとまぁ。

 再三彼の皇子に天来を喰らわせた僕が言っていいのかわからないけど、国の中枢に近い人間が他国の重鎮に刃を向けるっていうのは、そんな気易くていいんだろうか。

 あんまり政治を知らない人間から見ても、戦争でも始める気? って思うわけだけど。

 傍らにいるウィンド娘の眼を剥いた様を見ても、そうそう一般論から外れた考えでもないようだし。

「笑止千万!

 吾輩は騎士等という獣に非ず! 

 誇り高き王族親衛隊である! 貴様らに名を連ねているような侮辱は許さんぞ!」

「あっそう。別にいいんだけど。

 その親衛隊さんというのは、そのモンキーを馬鹿みたいに死んだふりして待ち伏せするのが仕事なんかの」

 ニヤニヤ。

 音が聞こえるよう。全力の煽り。なんなの君たち。

「なにぉっ――」

「誰の指示か知らんが、誇りある仕事に見えんの。

 怨敵に同情を乞う真似をしてまで、卑屈な隙を突き手にする成果とは何なのだ?」

 ギリぃ…

 軋む奥歯は勿論中年親衛隊のもの。

 やり取りはもうひたすら一方的なものに。この先覆る様子も見受けられない。

 この茶番も、もうあと一往復かな。

「貴様ここを自身の庭か何かと勘違いしておるのではあるまいなぁっ」

「ええ――?」

 ああ、あの顔。

 止めを刺す気だな。

「そうか、すまんなジェントル――いや。

 ――自分の犬小屋の場所もわからん馬鹿なワンコには、難しい話だったのう」

 次に中年親衛隊から聞こえたのは勿論。

 ブチリ

 という理性が引きちぎられる音に違いない。


 だけれど聞こえてきたのは。



「はいストーップ」

 

 

 という軽薄極まりない、かつ不愉快極まりない少女の声だった。


 ◇  ◇  ◇


 林道の傍らの茂みからにゅっと現れたその少女は、ひどく奇抜な格好をしている。

 ライトグレーのつば付き帽子の上から装着しているあれ。あれはイヤーマフだろうか? その割には耳を覆う防寒部分はいやに硬質的であまりあったかくなさそうだ。

 青というよりは群青色したその髪はざっくり短く肩に届くかどうかで、切り揃え方も少女がするには乱暴すぎる散切りカット。

 甲高い声からして少女と思っていた通り、背格好もチマっ娘に迫る低さで、その辺りはある程度想像通りだけれど、その眼。

 目が、ずっと瞳孔を開いている。

 何が面白いのか、ずっと口許はニヤついているし、なんか左目真っ黒だし。

 雨も降ってないのに山吹色のレインコートを被っているのもまた異様。

 とにかく、なんだか気持ち悪い娘だった。

 正常な性格は、正直期待できない気がする。僕の直感がガンガンと告げているし。


【システムメッセージ:サクラさん。その子は刺激しないようにお願いしますね】


 なんて、疫病神が警戒してくるし。

 ワイバーンやタイアドロンにさえなんも言わないのに、随分な扱いじゃないか。

 

【システムメッセージ:ごめんない。あの子は「こちら側」なのです】


 それはそれは。

 つまり。

 敵ってわけだ。


【システムメッセージ:バッサリ過ぎますし、それだと私も敵になってしまいますよ】


 ラスボスが何言ってるんだ。

 とにかく警戒は最大でよさそうだ。傍らの変態君やウィンド娘とチマっ娘の首根っこやらを掴んで、後ろに飛び退りさっさと後退する。「ぐぇぇぇっ」 失礼。

 それはともかく、その中ボスっぽい娘は何だか今は中年親衛隊をしげしげと見つめ、その周りをぐるぐるしている。

 激高げっこうただ中にいた彼からすると、勢い余って殴り飛ばされそうな暴挙だけど、オッサンは特に何もアクションを起こさない。

 起こさな過ぎていた。

 さっきまでの怒り心頭となり表情が割れそうなあの感情は何処に行ったのか、また唐突に彼の顔には「無」が落ちている。

 先ほど馬鹿皇子に向けて抜剣し、横ざまに振りぬこうとしている直前のポーズで、脱力したように停止したその姿もまた彼女の在り様の様に異様だ。

 周りもそれに釣られるように動きが取れずにいる。

 だから、その中でここが自分の家のように何の遠慮も警戒もなく、ぐるぐると、たまに奇怪な踊りを交えながらオッサンの周りを回りまわる彼女の挙動が、既に怪談の域に達する不気味さを醸し出す。

「んー。うまくいかな胃っすねー。

 きちんと調整したのに、なんでいう事聞いてくれないんでしょう加?

 煽り耐性なんてステータス亜ったっけぇ?」

 そして言葉のイントネーションが、おかしいというか。怖い。

 何であんな調子外れにできるのか。人間じゃないの?

 そのまま、中ボス娘の「んー」の連呼を聞くだけで時間が過ぎそうになっていると、意外と普通に話しかける奴が現れた。

「案の定出てきおったな。モンスターガール。

 そのワンコのような恰好をした奴はガールの操り人形だと見当がついて居ったんでな、思った通りで何より」

 馬鹿皇子が気持ちよさそうに喋り始める。

 言われてこちらの存在に初めて気づいたかのように、こちらに向き直った中ボス娘は、こちらに眼を剥き――いや眼は初めから剥かれてる――向き、そしておもむろに一般人みたいな仕草で、何かを思い出すように上向きに思案を始める。

 そして思い立ったように、人差し指をピンと上に延ばし、そのままその指をこちら、馬鹿皇子に向けた。

「おおっ。

 エロ皇子さん! 先ほど振りで素ねぇ!

 死んだものとばっかりぃ!」

 そして面白そうに、ギャハハと笑う。

 ギャハハて。

 山賊か何かなのかい君。

「ざーとらしいことを、ようゆーわい。

 そこのワンコを通してこちらの事は見て居ったのだろ」

「いぐざくとりぃ!

 正解ですよエロ皇子さん!」

 再びギャハハ。

 とりあえず年ごろなのは間違いない。年頃は何はともあれ笑うからね。

 しかし、何だろうね、これは。

 何回目だか、分からないけど。


 なんなの君たち。


 こちとら急いでいるわけだけども。

 微動だにできないじゃない。どうしてくれるのさ。

 そうして状況と外的要因と、この先起こるだろう事態の良くないパターンを想起して、一番頼りになる対応を妄想してみる。必死に考えよう。ちょっとこれは多分、いわゆる一つの絶体絶命だ。

 何となくだけど、この中ボス娘。中ボスのくせにというか、中ボスらしくなのか、多分この状況をどうにでもできる制圧力を持っていると思われる。

 この場を喜劇にも、悲劇にも、惨劇にも自由自在に、好きも勝手に気紛れに振舞うだろう。

 こういう凶器的な天然は嫌いだよ。

 そうこうしていると、恐れていた事態――彼女がこちらをぐるりんと首を回して見てきた。

 別に首が360度回ったわけではないけれど、それくらいのキツイ衝撃が彼女の挙動にはある。

「いやいやいやいやいや!

 勇者だー! 勇者!

 ま差か自分のようなのが勇者とご対面なんて、いやはや!

 世界ってホントぐるぐる回ってるぅ!」

 酔っぱらってるのかい。そのまま酔い潰されててくれれば世界は平和だよ。

 さあ、何か知らないけど正念場の雰囲気だ。気張っていこう。

「『大丈夫』かい? 僕は君の言う通り勇者だね。

 念のためお願いするんだけど、どっか行ってくれないかな?」

 後ろから「ドストレート!」と叫びが上がった。

 多分変態君とウィンド娘の声だけど、だって遠回しに言ったってしょうがないじゃないか。

 で、向こうの反応と言えば、ぱちくりとまた普通の反応をしたかと思えば、口角を人の限界を超えて上げ始めた。ああギャハハだね。

「ギャハハハハハッハッハー!

 すごー! 勇者おも死っれー!

 出来損ないもいい仕事じゃないっすかぁ!」

 ハッハー。

 それはどうも。

 何だこいつうっとおしい。

「勇者ガール」

「何エロ皇子」

「そこは流してたもれ」

 そんな呼称をされた経緯が気持ち悪いけど、何だい。

「あれが出てきてしまっては、ちょっと固まって行動するのは具合が悪くなってしもうた。ちょっと別行動と行きたいのだが」

 そんなこと言われてもね。先にマリアさんの居場所を連携してたもれよ。

 彼女は今どうなってるんだ。

 死に至る呪術ってなんだ。

 巫山戯ふざけないで欲しいんだけど。死にたいのかい君。

「このタイミングで怒りを再燃させないで欲しいのだけれども。

 僕ちゃんなんで内外で追い込まれてるの」

 日頃の行いだね。

「ティル様」

「従僕は喋らんでいいよ。百パー勇者ガールに乗っかる気だったろ、汝」

「ちっ」

 どんな関係性なんだい君ら。

 舌打ち許容の主従のNGラインが逆に気になるけれど、どうやらこの程度は手のひらひらひらさせて下げさせるに留まるらしい。

 そうしたヒラヒラの最中に、小さな白い何かがこちらに飛ぶ。

「勇者ガール。細かいことはさすがにここで説明してられんが、場所は連携しておく」

 掴んで手の中で感触を確かめる限り、何かの紙片を折りたたんだもの臭い。

「こっちのやばげなガールは僕ちゃん管轄でひとつ頼む」

「エロ皇子」

「ここは名前呼ぶとこよ、きっと」

 名前知らなくて。ごめんね。

 しかし、まぁありがたい話なことは間違いない。「いや、数秒前に従僕が名前呼んでたよガール?」ここでこれ以上足止めを喰らってると、最悪身動きがしばらく取れなくなることもあり得そうだから、ここはお言葉に甘えさせてもらおう。ありがとうエロ皇子。「ガール?」


 一連の会話は囁き程度だったが、何となく中ボス娘には聞こえている気がする。聞こえている上でニヤニヤしている気もするけど、気にしてないなら都合が良くって仕方ない。

 僕は傍らにいる冒険者ズと向こうにいる帽子に素早く目配せをして、離脱の態勢を促し、自らも足のバネの伸縮を最も縮めるイメージで待機する。チマっ娘とかには通じてない可能性もあるのでついでに拾っていく余裕も考えておかなきゃね。

 そうして場がしばらく不自然な静けさに包まれ慣れた頃、同時に高まっていた緊張の糸のピッチが。


 切れた。


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