01章:Sakura Side[002]

[Sakura Side-002]


 よりによってなんでこんなところにワイバーン…


 僕らが悲鳴の現場に駆け付けた時には、ほぼ『事』は行われ終わった後で、襲われた彼らの移動手段であっただろう、馬車は横倒しになって、その周りに護衛と思われる鎧装備の男たちが物言わぬ体で倒れていた。


 『ワイバーン』

 竜種に近い姿かたちではあるけれど、実際は飛行魔物の一形態でしかない。

 ただし、その飛行形態の魔物としてなら、(竜種は魔物扱いではないので)最強に君臨する巨大な魔物だ。

 しかもこいつはその中でもかなりでかいと思う。翼を広げたら30mくらいあるんじゃないかな。多分群れの長をしてるやつだ。

 僕も正直一人で対応するのは避けたい。

 まだ正直じゃなかった――絶対避けたい。


 いくら人として身体能力が常識外れで、魔法と剣を操る勇者と自慢したところで、そもそもの存在から圧倒的に違う生き物に対抗するには、やはり人類の最大の武器「数の暴力」しかない。

 今回その「数の暴力」はといえば――例えテロリストの皆さんが助けてくれたとしても、勇者一人を何とか拘束できるかも、程度の「数」では話にならない。


「逃げの一手だろうな」


 そう、オレイルが馬車の側で腰を抜かして動けなくなっている、おそらく親子だろう二人を眺めながらつぶやくのが耳障りだった。

 とても理知的な判断だと思う。特に集団のリーダーを任されている人間としてはそれ以外の選択はないだろう。

 そうは知りつつも――

「逃げてどうするのさ。まだ、生きている人がいるみたいじゃないか」

 そう言わずにはいれないな。

 たとえ、言った相手に迷惑そうな顔を――いや、それは流石に嫌がりすぎじゃないか。白目をむいて口を下にひん曲げて――オレイルさん男前なことにこだわりないみたいだね。


 そういえば、ここについてきた一団は全体の一部みたいだけど、さっきの男の子もついてきてるね。既に拘束は解かれているように見えるけど。そもそも拘束されていたのかも怪しい。


「あ…あ…」


 囁くように、口から漏れ出るように――森の枝を揺する風の音にも負けそうなその声を捉えたのは、ちょっと人間やめかけてる僕くらいだったろう。


「ぃや…逃げ…なきゃ…逃げ…いゃ…」

 ほとんど言葉になってない、もはやか細い「悲鳴」と化したその声と共に、親子のうちの娘の方が、覆いかぶさっている母親の下から這い出ようともがいている。

 --それはだめだ。相手に自分の存在をアピールして死期を早めてるだけだよ。


「今行くから! そのまま動かないで!」


 気が付いたらそう叫んで飛び出していた。

 なんか、相手にしたくないとか言ってた気もするけど、大して思い入れもない話だから一旦おいておこう。


 案の定、親子に気が向いてしまったワイバーンの興味を、まずはこちらに逸らさないといけない。

「こっちだよ、そこのでっかいの!」

 先ほどオレイルに向けた突進はだいぶ手加減していたけど、今回は遠慮なしの全開の勢いそのままにワイバーンの鼻先へヤクザキックをお見舞いした。前から思ってたけど、ヤクザって何だろ。

 何とか効いてくれたか、ワイバーンの上半身(?)が若干ぐらつき、直後長い首をぶるぶる振り始める。

 それを見届けることなく、僕は地面に降り立ち親子と真反対の方向に飛び退りながら、叫ぶ。

「助けに来たよ!」

 目線も親子に向けない。僕の視線でワイバーンの思考を親子に誘導しないようにするためだ。

 ワイバーンに言葉は通じない。声の方向さえ気を付ければ、一人で勝手に何か叫び散らしていると思ってくれるだろう。

「安心していい! 一回深呼吸してみようか! そしたら立ち上がれるようになるから、きっとそのまま逃げることができるはずだよ!」

 細かい指示はしてられない。こっちだって命の危機だ。

 丁度その言葉が終わるタイミングで、ワイバーンが魔力の塊を口から飛ばすようにこちらに咆哮を上げてきた。

 威力が伴っているかわからないけど、わざわざ当たってやる義理もないよ!

 不必要で無駄な挙動はこの局面では即命取り。思考を集中し、最低限の動作で飛んできた魔力塊をよけ、ワイバーンに目を――

 ――いないっ!?


「グッ」


 呻いたのは、どうやら僕だ。

 瞬時に滑空してきた奴の翼から繰り出される単純な殴打で、僕は咄嗟に前に突き出し防御した剣ごと空中を吹っ飛んでいた。

 ――やばい…平衡感覚がめちゃくちゃだ。うまく着地できる可能性はほぼないよこれ。

 受け身も取れないこの状況で、この勢いで地面なりに叩きつけられて――僕はどうなる。


 ――死ぬかも――


 暗くて寒い気配を背筋に感じた。何度か経験した中でダントツに今、死を感じてる。

 指の先さえうまく動かせない。何の回避策も考えられない。

 纏まらない思考が恐怖でかき混ぜられる。

 呆気ない――怖い――死ぬのなんでちくしょう――


 ――死にたくないっ!


 目と歯を食いしばり、それでも何とか死に至る衝撃に耐えようと身構えていると、空気と僕の間にあった高速に擦れる風の音がーー

 ――唐突に止まった。

 と思ったら「ぽすん」なんて気の抜けた音で僕は地面に落ちる。


 え? なんで?

 吹っ飛んでたよね。僕。

 とりあえず、「何かを」お尻の下に敷いてる感があったので、飛び起き辺りを見回した。

 ワイバーンは、いる。周りは変わらずの森の中。あの世ってわけじゃない。状況続行だ。


 ――しかし何だろう、この衝動。


 僕は勇者だ、別にそれ自体の役割の責任は大して感じてない。

 でも人を助ける力をこの身に宿している。僕が動くことで誰かが助かり、それが自分の大好きな人の幸せにつながっていれば。とても嬉しい。助からないことで喜ぶ人より、助かることで喜ぶ人を僕は基本好きになるから、だから僕は基本人を助ける。

 ――基本人には助けてもらわない。

 そんな僕が、今ドキドキしている。

 だって今、僕は、助けられたんじゃないだろうか?

 別に普通の女の子みたいな、お姫様願望でドキドキしてるんじゃないことはすぐ分かった。

 多少はあるかもしれないけど、これはそれと違う。

 ――背中を預けて、一緒に歩んでくれる期待感。

 マリアさんにも似たような信頼感はあるけど、これはちょっと違う。

 絶対の安心感。「この人なら大丈夫」。なぜかそれを感じさせて、期待させてくれる。

 僕は、全く抑えきれないドキドキに突き動かされ、下に視線を向けた。

 そしてちょっと前までお尻に敷いていた、まだ仰向けでうずくまっている「何か」さんを見る。


 それは何となく予想してた。

 この状況で、僕のこの期待に応えてくれそうな、出来そうな人が居たとしたら、それはきっとオレイルじゃない。

 ――この男の子だと思った。


 そう『この人』だ。

 僕の中で思考が発火した。こんな表現が正しいのか知らないけど、無数の思考の渦が自分を襲っているのを感じた。

 ――この人だ。探してた。間違いない。ずっと待ってた。嬉しい! 遅いよ! 前から知ってたみたいな。名前は? 年は? どこから来たの? 好きなものは? もう――


「ぐるぅぅぅぅ…」

 強制的に思考がぶん戻される。

 ダメだダメだ。色々後にしよう。さっきも自覚したはず。「状況」は「続行」してるんだ。

 それでも男の子から視線を外さない僕は、気持ちを切り替えるため、今一番自分の感情に近い表情に切り替えた。

 後は、今思っていることを確認するように、讃えるように『彼』に告げる。


「君、何かやったね」


==


 彼が何をしたかは知らないけど、助けてくれたこと――それさえ知れば充分。

 それさえあれば、ここで万が一別れてもまた会いに行く口実になる。

 そして改めて、僕が無事な姿を確認してから、ずっとこちらを唸るように観察していた『奴』を見れば、いつでも飛び出せる準備を整えていることが見て取れる。

 ワイバーンの攻撃手法は、結局ただの威嚇だったのかわからない咆哮を除けば、基本的にはその自重を利用した滑空での特攻攻撃。あの図体と翼で細かい徒手空拳なんてあるはずがない。

 だから、対処方法は特攻前に特攻するか、特攻の後の先を取るか。

 先ほどまでは「攻撃は最大の攻撃」戦法だったけど、今は彼の側を不用意に離れていいか判断つかないので、「カウンター」一点に集中する。

 彼はおそらく僕かそれ以上の「常識外」の存在と思うけど、どういう方向でそれを発揮しているのかわからない。

 それに、「ほっといて大丈夫か」を確認している暇はない。


 ほらきた。


「ジャギャギャギャギャギャギャァァァァァァッ!!!」


 さっきの滑空の倍くらい早い! ――やっぱりさっきのを無効化された事で警戒してるな。

 じゃあこっちも気合入れますか!

「腰にしがみついて!」

 おそらく今から自分と離れるほうが危ない。正直しがみつくのも間に合うか微妙なラインだったけど、全く迷いなしにしがみついてくれる。

 それで正解だけど、僕女の子だからね。――そんな際どい所触られたら、責任取らせるよ。


 剣を振り上げ――

 ――さぁ行こう!


 振り――「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉっっっっっ」降ろしーーーっ!


 今度は姿勢も、気持ちも、魔力も全て剣に乗せられた! 吹っ飛びはしない――

 吹っ飛びはしてないけど、完全に押し負かされてるっ。ちょっとは減速したけど、ほとんどワイバーンの勢いのまま自分の足が、体験したことのないスピードで後方に向けて地面を削り続けてる。

 しかもコースがよくない。

 確かこのまま後退し続けたら、岩山にぶつかる。しかも緩やかな斜面ならまだいいけど、ここから見える景色はまさに絶壁。

 風にのって飛んでくる草や礫が刃と化す世界で、防具のない頬や腕の先がそれらに切られ、次々現れる裂傷を煩わしく思いながら、思考を加速させる。

 んー! いい案ないかなぁ!

 手持ちのスキルを思い浮かべるけど、今すぐに発動できるいい案は思い浮かばない。雷もこの状態じゃ出せない。

 ちらっと彼を見ると、その表情は意外と落ち着いていて、ずっとワイバーンを見て何かを考えているみたい。

 顔はかわいいけど、そういう淡々とした思考の仕草はかっこいいな。

 ああ、でも。

「ごめんねっ」

「はい?」

 初めて聞く彼の声。もしかして割と年上なのかな? 思ったより低い声。

「せっかく助けてくれたんだと思うけど、もうお礼するのも無理かも!」

「…そうですね」

 いや、でもそんな簡単に諦めるのも無責任かな。今すぐできることを探さないと。

 でも、今なにも持ってないな…

「今できることであれば、するけど何かある!?」

 希望も聞いてみる。普段僕が与えられるものって、勇者方面では武力行使くらいだけど、今はそれがそもそも及んでないし、後は女の子方面だけどそれこそあんまりないんだよなぁ。まぁ、男がよく僕の胸をジロジロ見て、たまにストレートに「触らせろ」とか言われる時は生まれてきたことを後悔させてるけど――あ。

「おっぱいとか揉む?」

 噴き出された。失礼だな。鎧で見えないかもだけど、背の割には結構あるんだよ。

 あ、鎧してた。それでもいいか改めて聞くと悲しそうな顔をされた。

 なるほど。僕にそういう興味は持ってるんだね。なるほどなるほど。

 

 状況が全く改善されない中、腰にしがみついたまま彼がごそごそし始めた。

 諦めずに鎧を脱がそうとしてるのかな? さすがに難しい気がするけど――と考えていると、どうやらアイテムを取り出したかったみたいだ。

 一つの緑色の巾着。アイテムボックスだ。

 それをワイバーンに向け――いやいやいや。

 無理だよ。まずあんなでかいの格納するアイテムボックスなんて、国宝級のやつだし、そもそも、

 ――生き物は格納できない。

 いわゆる「女神機構」というやつで、人が誤って入って次元の狭間に落とされる事故を防ぐ、安全弁が施されていて、人間ではそれを解除できない。出来たら意味ないもんね。

 それを彼に伝えるけれど、気にも留めない。この状況で、すがる思いで考えたのであれば、もっと落ち込むかなと思ったけれど、この人本当に何にも動じないな。何したら動揺するんだろう。あ、さっきおっぱい触るか聞いたら動揺してたな。


 でもそうじゃなかった。

 ――うまく行くことを疑ってないだけだったんだ。


 まず、ワイバーンの輪郭がぼやけるように見えた。

 魔力を急激に消費したことで目が掠れてきたと思い瞬きを――する直前に、お陽様が落ちてきたと錯覚する程の光量が目の前で爆発する。

 ――これ、ワイバーンが光ってる!? そう思いついた同時、彼がアイテムボックスを使おうとしていたことを思い出す、けど、

 ほ、本当にやっちゃった…勇者の自信なくすなぁ…

 唖然とする僕に、彼からの、意外と切羽詰まった声。

「勇者さん! 横に飛んで!」

 ――っ!

 このガリガリ足元を大ボリュームで削られる騒音の中、彼の声は良く聞こえ、最優先で頭の中に響いた。

 そして、その声の震えと顔の緊迫感で悟るーー

 何とかなるのはワイバーンだけでこの勢い自体までは対応間に合わないってこと!?

 

 ――そういうのは早く言ってよね!


 無茶を心中に毒づきながら、腰にしがみついていた彼を改めて抱き上げ、包むように頭を抱えたまま、僕らは彼の言葉通り無理矢理真横の方向へ急速離脱――なむさんっ。


 飛ぶなんて上等なもんじゃない、吹き飛ばされる方向を気合で捻じ曲げただけ、もちろん無事に着地できるなんて保証はない――!


 そこからの数分は轟音と土煙と激痛の連続。


 最初は――叩きつけられるように地面をホップし、

 次に――土を掘り起こすように地面を横滑り、

 最後は――高速に地面を転がり続け土煙で辺り一面を覆い隠し、


 どれくらいの後か、感覚もないままに、僕らは停止した。

 最初は彼の頭を抱きかかえて守っていたはずだけど――最終的には僕が彼を下敷きにしていた。まぁ、うん。きっと身を挺して守ってくれたんだろう。男の中の男だね。


「…どいてください…潰れます…」

 失礼な人だな。


==


 彼の名前は「ソウタロウ」というらしい。

 名前を聞いたときに想像してたけど、一時期世界を席巻していた異世界からの召喚人だった。 

 彼らが世界から一部を除き唐突にいなくなってから十数年経つって聞くけど、まぁ、いなくなった理由が分からないんだから、唐突にまたやってくることもあるよね。


 あのあと、結局立ち上がれないまま震えていた親子を、もう役に立たない幌車をから切り離した馬に乗せてあげて――乗馬は二人ともできるらしい――二頭のうち一頭をお礼に献上するという二人の申し出を適当に断ってから、彼女らを見送った。

 例のテロリストはもう影形も無い。手際のよいこと。この国には手が余りそうだね。

 そして、僕はソウタロウ君を、いや、

「長いから『ソウ』ってよんでいい?」

「おそらくそういう提案は本人が言うのを待った方が世界平和に繋がると思いますが、構いませんよ」

 ごちゃごちゃうるさいけど、いいらしいので、そうしよう。

 そんなソウ君を今は町まで案内している。


 さて。

 色々あって我慢してきたけど――彼にやっと言える。

 ちょっと緊張する――でも言わないなんて選択肢はない、僕の気持ちを『思い知ってもらおう』!

「ソウ君!」

「はい?」

 呼ばれてこちらに向く彼に、僕は万感の思いを持って、お願いした。


「一緒に魔王討伐にいこう!」


 速攻で断られたけど。なんでだ。

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