Cry for the dark
CRY FOR THE DARK
「ふう。やっと戻ってこれたな」
鬼門を使い、廃工場に戻ってきた途端、翔悟がため息をついた。
「もうすっかり夜になっちゃったね」
紅香もさすがに疲れたらしく、大きく伸びをする。
「とにかく、一旦、学校へ戻るのです。今日はさすがにもう、休んだほうがいいのですよ」
「そうだね。今日はちょっといろいろありすぎたよ」
静馬と雪乃も疲れた顔を見せたその時だった。
「……あれ?」
紅香はふと、違和感を感じた。
「どうした?」
「今……地面が、揺れなかった?」
思わず腰を落とす紅香に、翔悟が耳を澄ます。確かに、人のいないはずの廃工場のあちこちから、カタカタという物音がする。それは徐々に激しくなっていき、突如、足元から突き上げるような衝撃へと変わった。
「気をつけろ、でけえぞ!」
「うわわわわわっ……」
翔悟の注意を促す声よりも先に、その揺れに紅香は立っていることができなくなる。膝と手をついてやっとバランスを取りながら周囲を見渡す。
廃工場のさびかけたトタン屋根の一部が崩落し、朽ちかけた鉄柱もわずかに傾いている。
「やばっ……やばいって!」
かといってこの揺れる中を移動することもできず、とにかく建物が崩壊しないように祈るしかなかった。
どれくらいそうしていたろうか。やがて、突き上げるようなその揺れは収まった。
「……ふう。なんだったの、今の? 地震?」
「……違うな」
紅香のセリフに、翔悟が剣呑な響きを帯びた声で答える。その視線は、今の揺れで崩落した壁の向こうの景色――――本来ならば、街の中心部である辺りを鋭く睨んでいる。
そこには、普段ならば煌々と灯りが灯っているはずのビル群がある。今はもはや電力の供給も途絶えているらしく、のっぺりと黒いそのシルエットは、闇に浮かぶ墓標を思わせた。
その屋上――――そこに現れた、もの。それを見たとき、紅香は翔悟が揺れを地震ではないと断定した理由がわかった。
「――――あれ、は」
それはまるで、映画の世界のできごとだった。そこにいたのは、まるでファンタジー映画からドラゴンだった。こうもりのような巨大な羽。鋭い牙と、角。硬いうろこに覆われた体。その口からは、時折、試すように炎を吐き出している。
「まさ……か。そんな……あれは……」
静馬が動揺を隠せない表情でうなった。
「邪神……だ」
「うそ……。あれが……? でも、ちょっと待ってよ! 私たちの封印がある以上、邪神は復活できないんじゃないの!?」
思わず叫んだ紅香の言葉に、翔悟がその姿を指差す。
「よく見てみな……。あいつの体を」
紅香は再び、邪神に目を移す。
よく見てみると、邪神の体は上半身しかない。下半身があるべきその場所は、奇妙な紫色の闇に包まれている。
「恐らく、紅香と静馬の封印はまだ生きてる。だが――――それが効力を発しているのは下半身に対してだけなのだろう。郁真に封印されていた残りの上半身――――その封印のみが、解き放たれたんだ」
「……どうすればいいの?」
唖然とする紅香に、翔悟もかぶりをふる。
「……わからん。上半身に再び封印を施すしかなかろうが……」
考え込む翔悟だが、眉間のしわが深まるばかりで名案の浮かぶ様子はない。
「……とにかく、一度、学校へ戻ろう。ここで考え込んでいても始まらん」
学校は、まさに阿鼻叫喚の図だった。ここの校庭からでも、邪神の復活は見えたようだ。その姿に絶望の表情を浮かべるもの、逃げ出そうと準備を始めるもの、呆然と立ち尽くすものと、辺りは騒然としていた。
「……お姉さま」
その中に、見知った姿があった。
「……水葉!」
思わず紅香が駆け寄ると、水葉は露骨にいやな顔をして見せた。
「……気安く呼ばないでいただきたいのですが」
「……ううー」
水葉は若干消沈している紅香を無視して、雪乃の元に駆け寄る。
「水葉! なぜここに……。それに、あれはどういうことです?」
疑問をぶつける雪乃に、水葉は渋面を作る。
「神代郁真が……邪神の半身を復活させました。鬼門が街中に広がったことによって、郁真と静馬……二人が揃わなくとも、半身を復活させることに成功したようです。そして彼は……復活した半身を使って、残った静馬に封印されている邪神を復活させるつもりです」
「なるほどな。半身を使って紅香と静馬を倒し、残りの封印を解く気か。……で、水葉。お前はなんでここにいる?」
やはり若干、苦手としているのか、少々苦い顔で翔悟が聞く。
「……………」
その言葉に、水葉は顔を伏せる。
「……フ、フン。こうなったからには、あなた方とは敵対するよりも、協力態勢を作ったほうが賢明と判断しただけです。それに、私の復讐は、なにも邪神を殺すことだけで達成されるわけではありません。邪神の復活を阻止することでも、復讐足りえると考えを改めただけです」
その顔は、頬が少々、赤く染まっている。
「つまりだ。お嬢は、あんたらと一緒に戦いたいって言いたいのさ」
水葉の守護者、アンセムがふわりと現れて言う。
「あ、アンセムっ! 余計なことを……」
ますます顔を赤くする水葉に、紅香は思わず微笑んだ。
「それじゃあ、仲直りの握手しよっ」
にっこりと笑う紅香が、右手を水葉に差し出す。
当の水葉は、しばらく困惑したように、その右手を見つめていたが、やがてそっぽをむいてしまった。
「……馴れ合いはしない」
「……むうー」
口を尖らせる紅香に、ますます顔を赤らめる水葉。翔悟と雪乃も、事態の深刻さを一時忘れて、思わず微笑んでしまった。
「さて……じゃあ協力態勢の証ってことで、ちょっと情報交換でもしようじゃねえか。ついでに、今回の件の整理もな」
翔悟が腕組みをしながらいう。
「まず、今回の件の発端は、バスの事故だ。その時に、ジルの使い魔に紅香が教われたことが始まりだったわけだが……」
「……ジルは、教会の調べで神代郁真に雇われていたらしいことがわかっています。一月ほど前、郁真が、ジルが潜伏していたと思われるロンドンを訪れていたこと、それとともにそちらで起きていた連続通り魔事件がぴたりと収まっています」
水葉が資料を読み上げるような調子で言う。
「恐らく、ジルの役目は紅香を殺し、邪神の力を持つ静馬を引っ張り出し、それを倒すことだったのだろう。それによって、まずは静馬の邪神の半身の封印を解くはずだった」
翔悟は、タバコに火を着けながら言う。
「だが、ここで計算外のことが起きた。紅香が、ジルを倒しちまったってことだ。邪神の力があるとはいえ、戦いなれてない人間が、怪物化した殺人鬼に勝つとは思わなかったんだろうな」
「……それで、シュヴァイツェを使って紅香の体を乗っ取ろうとした」
静馬があごに手をやりながら、言う。
「……が、これも失敗。それで、自らの邪神を先に覚醒させ、目的を達成しようとしている……そんなところ、か。筋は通るな」
「で、それはいいとして……これからどうすればいいの?」
腰に手を当てながら、紅香が言う。
「こうなった以上、手は三つ。邪神に再封印を施すか、煉獄へ送り返すか。……あるいは、倒すかですが……」
水葉の言葉に、翔悟が眉間にしわを寄せる。
「どれも、一筋縄じゃあいかねえな。再封印はやり方は心当たりがないでもないが。……元々、郁真に封印されていたものなわけだから、恐らく人間を使わねば封印はできない。それも、普通の人間じゃだめかも知れん。そもそも、その人間に、なにかしら犠牲を払ってもらうことになるだろうしな」
「とはいえ、他の手も簡単ではないのです。煉獄へ送り返すにしても、その門を開くのは容易ではありませんし、倒すのは……紅香さんのことを考えると問題があります」
雪乃もめずらしく難しい顔をして考え込んでいる。
「……ねえねえ」
それぞれが考え込んでいる静寂を、紅香が破った。
「普通の人間に邪神を再封印するのは無理って……それなら、どういう人間になら封印できるの?」
「『神代の血には魔が宿る』」
不意に、静馬が言う。
「そういう風に言われていたの、覚えてるかい? 僕も詳しくはわからないけど、神代の人間だから、邪神を宿すことができたってことじゃないかな」
「……あるいは、逆に言えば、神代の血筋は邪神を宿すことができる、特殊な才能を持つ人間が現れやすかった、ってことかもな」
翔悟が携帯灰皿に、すっかり短くなったタバコを押し付けた。
「邪神を宿すことができる、人間……」
紅香があごに手をやりながら、考える。
「だが、その人間を今から探したってそうそういないだろう。だからこそ、神代の人間はその血に固執したんだろうしな」
「となると……煉獄へ送り返すことが良策、ですか」
水葉が一つうなずくと、腕を組む。
「ならば、こちらには専門職がいますよ」
「専門職?」
聞き返す紅香に、水葉はうなずいて見せる。そして、ちらりと自分の後ろに浮かぶ、己の守護者に視線を送る。
「あ? は? ……って待てや、お嬢! そりゃー俺様のことかァ!?」
マイペースな姿勢を崩さず、どこかぼんやりと成り行きを見守っていたアンセムが、自分の顔を指しながら、素っ頓狂な声を上げた。
「他に誰がいると? あなたは堕天使……天から地獄へ堕ちた天使なのだから、地上へ出てくる時に、煉獄も経験済み。そこにアクセスする方法もわかるはず」
「そりゃそうだがよォ……しんどいんだぜェ? あれ。めっちゃ疲れっしさァ」
あからさまに嫌な顔をするアンセムに、水葉の視線が鋭くなる。
「……それとも、あなたから先に煉獄に還る?」
「……へいへい。わかった、わかりましたヨォ。やりゃーいいんだろ、チクショウ」
なかばあきらめたように、アンセムはため息をついた。
「だが、そのためにはあのバケモンのところまで行かなきゃなんねェ。封印の解けかけたアイツのとこが、今この辺りでもっとも煉獄に近い場所だ。儀式もしねーでそこにつなげるにゃ、それしか方法がねェ」
「そりゃ問題ない。どっちにしろ、あそこに神代郁真もシュヴァイツェもいるだろうしな。奴らとのケリもつけなきゃならん」
翔悟が腕を組みながら言う。
「……ということ、は」
紅香がふと、遠くに見える、煉獄の竜の姿を見据える。
「これが……最後の戦い……だね」
その言葉と眼差しに導かれるようにして、各々がその紅い邪神を、遠くに見据えた。
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