Burning oath

BURNING OATH



「ぶえっくしょ!」

 一方、地下牢では、その紅いのが緊急時だというのに派手にくしゃみをしていた。

「……風邪かな?」

 ずびっと大きく鼻をすすりながら、紅香が言う。

「……無事に帰れたら、紅香にはいろいろ勉強してもらわないとだね。緊張感とか、女の子らしさとか」

 心底あきれた顔の静馬に、紅香はにかっと笑って見せる。

「いらないいらない。こういう時、緊張でがちがちだったらなんもできないでしょ! ほら、肩の力抜いて!」

「……つっこみどころ満載なんだけど、今はきりがないからやめておくよ。肩の力どころか、全身の力が抜けてへたりこみそうだけど」

 紅香の笑顔に静馬もふ、と笑って見せた。

「それじゃ、行くわよ!」

 紅香が狂骨の正面から突っ込む。

 狂骨はそれをいぶかしげに見てから、虫を払うように、軽く片手を振るう。

「なめん……なあっ!」

 紅香は避けようとする気配すら見せず、前のめりになりながら、そのまま狂骨の手のひらにショルダータックルをぶちかました。

「ごおおおおおっ!?」

 一見、普通の人間に見える……しかも特に体格が大きいわけでもない少女のタックルの、予想をはるかに超えた衝撃に、その手が弾き飛ばされる。

 すばやく体勢を立て直した紅香は、身軽なステップで狂骨の懐に飛び込むと、その勢いを乗せた右腕を巨大なあばら骨にたたきつけた。ごきっという耳障りな音とともに、骨の破片がさながら返り血のように紅香の周囲を舞う。

「がああああああああっ!」

 途端、痛みに我を忘れたように、狂骨が暴れだす。その、紅香の身長ほどもありそうな拳をがむしゃらにたたきつけ始めた。

「おおっと!」

 身軽なバックステップで、紅香は舞うようにそれをかわす。

「紅香、格闘技してたわけでもないのに、うまく避けるよね」

「バスケの経験かな。ドリブルと視野の広さは自信あったからね」

 バスケ部に在籍していた時、静馬のような身長があるでもなく、体格がいいわけでもない紅香の武器は、まさにそれだった。相手の一瞬の隙をついてドリブルで切り込み、フリーになっている味方を見定める。

 戦いにおいても、相手の攻撃をステップでかわし、できた隙に攻撃をする。紅香にとって、戦いのリズムはバスケのそれとよく似ていた。

「……それを、戦いに活かせる人もそうそういないと思うけど」

 ため息をつく静馬の顔には、言葉とは裏腹に笑みが浮かんでいる。

「しず……まああああ!」

 狂骨が叫びとともに紅香へと手を伸ばす。

 単純なその一撃を紅香は右足を軸に体を半回転させてかわす。そのまま回転の勢いを活かし、スピードを上げて狂骨の元へと再び踏み込む。

 だが先ほどと同じパターンと読んだのか、狂骨がもう片方の腕をすばやくなぎ払う。

「あ、やばっ……」

 が、瞬時に双方の間に割って入った静馬が狂骨の片手をなぎ払った。

 その隙に紅香は再び敵の間合いから退避する。

「同じパターン使いすぎて、相手に読まれるのも、あの頃と同じ」

「うっ……うっさいなあ」

 穏やかに微笑む静馬に文句で返しながらも、紅香が思い切って攻めることができるのは、静馬がいるおかげだった。

「お……のれ……」

「うわ! しゃべった!」

 攻撃のリズムも防御のリズムも握られている狂骨が焦ったか、突然叫び以外の声をはじめて発した。

 刹那、紅香たちの周りを、いくつもの紫色の火球が取り囲む。

「なに!?」

「貴様ら……静馬、郁真。我は、貴様らを喰らい、我自身が、邪神となる……」

 それは確かに、珀真の声だった。だがそこには、一片の理性も感じさせない。ただ執着と、怨の念が満ちているだけだ。

 その声に、静馬の瞳が、ふと壮絶な威圧感を帯びた。それは、一瞬、紅香でさえもはっとさせるほどの、情動を湛えていた。

「……邪神となって、どうする」

 そしてその声に、瞳以上に込められているのは……静かな、だがそれ故にその深さを感じさせる、怒り。

「しれた……こと……。神代の……数百の年月の……栄華をとり……もどす……この国・・・…を我が……手に……」

 空っぽの眼孔が、嫌らしい笑みのように歪む。しわがれたその声は、もはや人間だったものと思うことすらおぞましく感じる。

「そんなことのために……あさましい」

 狂骨の声を切り裂くような凛とした声で、静馬が言う。

「きさ……まなどにぃっぃいぃ……わかるかあああああっ!」

 刹那、周囲に浮かんだ火球が狂ったように動き出した。やがて、ぴたりとその動きを止めると、その一つ一つが紅香めがけて飛翔する。

「死ねええええええぃィィっ!」

「うわわわっ!?」

 あわてて右へ左へとかわす紅香だが、いくらかわしても火球はまたすぐに飛来し、きりがない。

 目の前に飛来したそれを反射的に、バックステップでかわしたその時。

「紅香、だめだっ!」

 踏み切る直前に、静馬が叫んだ。

だが間に合わない。紅香が、跳んだ。

「え?」

 次の瞬間、車にはねられたかのような衝撃が紅香の全身を襲った。

「うぐ……っ!?」

 なにが起きたのかわからない。ただ視界が反転し、再び全身を何かが打つ。その感触が地面の岩肌だということはすぐに分かった。

 やがて気がつくと、紅香は地面に倒れこんでいた。そのことに気がついて、あの巨大な拳をまともに食らってしまったのだと理解した。火球をかわすのに夢中で、狂骨の接近に気がつかなかったのだ。

「ぐ……う……」

「紅香!」

 静馬の声がなぜかやけに遠く聞こえる。だがそれが遠ざかる意識をつなぎとめる楔のように、紅香の心を覚醒させた。

 ずきずきと痛む全身をおして、立ち上がる。頭がくらくらする。口内は呼吸を吐き出すたびに、火でも着いているかのようにひりひりと痛んだ。

「紅香、しっかりしろ!」

 すぐ側に、ふわり、と静馬が舞い寄る。痛みは未だ引きはしないが、なぜかそれだけで少し安心できた。

「だい……じょうぶ。負けない……からっ……」

 やがて徐々に痛みが引くとともに、周囲が見渡せるようになる。

 狂骨は今の一撃が入ったことで余裕を持ったのか、火球を己の周囲でくるくると飛来させながら、ゆっくりとにじり寄ってくる。

「ひひ、ひひひひひっ……殺す、ころす、喰らう、喰らううっ……」

 それをまっすぐに睨みながら、静馬がすっと、紅香の横に立った。

「紅香、今から話すことを、よく聞いてくれ」

「……静馬?」

 そのどこか重い決意のこもった声に、紅香の鼓動が跳ねた。

「……合図と同時に、一瞬だけ、僕の引き出せる邪神の力を、限界ギリギリまで引き出す。君は何があっても、あいつの元まで突っ込んで、思いっきり一撃食らわせてくれ」

「……え、でも、そんなことしたら……静馬……」

 不安に満ちた瞳で、紅香が静馬を見る。

「だいじょうぶ」

 その先の言葉を読んだかのように、静馬が微笑んで見せた。

「バスケだってそうだったろ? 最終的には、僕がなんとかして、君が突っ込む。いつものことじゃないか」

 珍しく、静馬の言葉に、紅香がぽかんと彼を見ていたが、すぐにその表情が笑顔に染まった。

「……さっき、バスケを戦いに活かせる人なんてどうとか言ってたくせに」

「そうだっけ?」

「言ったじゃん! ……でも、そうだね。それが私たちのいつものやり方。よし、乗った!」

 紅香がぐっと握りこぶしを作るとともに、静馬が目をつぶって集中する。

 狂骨がその様子の変化を察したか、這い寄る速度を上げる。

「遅いよ。そうやって、自分の力に溺れて、油断していたのが、あんたの敗因」

 囁く紅香の両の拳に、真っ赤な炎が宿る。その瞳が、髪が、普段力を使うときよりもなおのこと紅く、輝く。

「……行けっ、紅香!」

 紅香が駆ける。

 その行く手をさえぎろうと、狂骨の火球が飛来する。

 それが紅香に触れる刹那――――。

「うおおああああああああああああっ!」

 紅香の咆哮とともに、その背に竜のような翼が出現した。シュヴァイツェが紅香の体をのっとったときに使いこなした、邪神の翼だ。

 その翼が巻き起こす旋風が一瞬で、ことごとく火球を消し去った。

 次の瞬間には、紅香は狂骨の直前まで踏み込んでいた。

「これで……おわりだあああああっ!」

 その拳が、狂骨――――神代珀真の、髑髏を砕く。

 ぐらり、とその巨体が傾いた。

 静馬が、紅香の拳を握り、さらに力を注ぐ。

「お前を、肉親だなんて思わない。ましてや、おじいさんなんて、言わない。……さよなら、化け物ッ!」

 刹那。

 紅香の拳が、火を噴いた。爆炎がとどろき、その先にあるものを……怨念も、野望も、妄執も……そして、神代珀真だったものも、すべて吹き飛ばした。


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