The flame
THE FLAME
翌日、霧が丘高校。
紅香、静馬、翔悟、雪乃の四人は今後の行動について話し合っていた。
「とにかくまずは、紅香を無事に取り戻せたことについて感謝しなきゃだな。あれから、体調に変化はないか?」
「うん、今のところは特に何もないよ」
すでにすっかり普段どおりの紅香だが、ただひとつ、疑問があった。
「ただちょっと気になるんだけどさ……シュヴァイツェってのにとりつかれた時、私の背中に羽根がはえてたって、ほんと?」
「ああ……確かにはえてたよ。こうもりの羽根みたいなのがね。『邪神の力を増幅させた』って、あのシュヴァイツェって奴が言ってたから、本来は邪神の力なんじゃないかな」
怪訝そうな紅香のセリフに、静馬が答える。
「それがどうかした?」
「ん……いや、なんでもない」
気のせいか、体をのっとられて静馬と戦ったという割には、紅香は妙に体が軽いような気がしていた。体をのっとられていた間の体力の消耗はしないということなのだろうか。
「だいじょうぶですか? 少しでも変だったら言ってくれていいのです」
「ううん、だいじょうぶ。ありがとう、雪ちゃん」
少々、心配そうな雪乃に、紅香はにっこり笑って見せた。
「……ところで、僕もひとつ、気になったことがあるんだけど、いいかな?」
腕を組み、何か考えのある様子で静馬が言う。
「ああ。なんだ?」
「昨日戦った、シュヴァイツェって奴が言っていたんだ。『神代の者は許さない』って。だからこれはもしかして、うちの家系と関係があることなのかもしれない……。そう思ったんだ」
とうとうと言う静馬に、翔悟も腕を組む。
「神代家には、静馬のような特殊な能力を持つ人間が多いんだったな、たしか。無関係ではないかもしれん」
「うん、だから、僕の家を調べてみたい。もしかしたら、なにかヒントが見つかるかもしれない」
その言葉に、翔悟がうなづいた。
「そうだな。調べてみるか……。他に当てもないしな。よし、それじゃ車を回してくる。紅香と静馬はすぐ出られるようにしといてくれ」
「雪はどうするのですか?」
「雪ちゃんは今日は留守番だ。化け物がここに来ないとも限らんし、結界だって定期的に修復しなきゃならんからな」
そう言うと、翔悟は車を取りに行った。
「……静馬のうちって、確かお父さんと二人だけだったんだよね」
「ああ。僕が生まれた頃は、実家で他の家族と暮らしていたんだけど、僕が三歳くらいの時に父さんの仕事の都合で、前崎市に引っ越してきたんだって、父さんは言ってた。僕は全然覚えてないんだけどさ」
そう話す静馬の表情は、あまりすっきりとしない。
「あのさ……聞いていいのかわからないけど、そのお父さんの実家って、行ったことないんだよね。お盆とか、お正月でもさ」
「うん。帰るどころか、実家の人と会うこともなかった。だから中学校くらいまで、お盆やお正月は親戚で集まることが多いってことさえも知らなかった。……今から思うと、なにか隠していたのかもしれない」
静馬がそこまで言った時、車に乗って翔悟が現れた。
「よし、それじゃ雪ちゃん、後のことは頼んだぜ。二人とも、乗ってくれ」
静馬の家は、決して大きくもなく、小さくもない、いたって普通の民家だ。かつては静馬とその父親が暮らしていたが、今は空き家になっている。静馬が死んだ後、残った父親も『葬儀は実家で親類のみで行う』と姿を消したまま、戻らなかったのだ。
「今回の件と絡んでるかはわからんが、たしかにくさいな。その実家の親類とかあたりが特にな」
「ところで翔さん、空き家って言っても、管理してるとことかがあるんでしょ? 鍵、閉められてるんじゃない?」
珍しく賢明な意見を言う紅香に、静馬が笑う。
「そこはほら、紅香がそのクソ馬鹿力でぶち破るなり、蹴破るなり、引きちぎるなりすればいいんだよ。ドアを」
「なによそのクソ馬鹿力って! 私はホラー映画の化け物かっ!」
「逃げ惑い、部屋に隠れて鍵をかける雪乃。しかし怪物紅香はその怪力でドアを破って部屋に侵入……そして響き渡る悲鳴……うーん、ありそうなシチュエーションだね」
「ないわっ!」
怒りまくる紅香と彼女から飄々と逃げる静馬に辟易しつつも、翔悟はふところドライバーとヘアピンを取り出す。
「ぶっこわす必要はねえぞ。こういう時はな、スマートにやるもんだ」
そう言って、ヘアピンとドライバーを鍵穴に差し、しばらくの間、探るようにヘアピンを動かしていたが、やがてかちゃりという小気味のいい音とともに、鍵が開いた。
「おし、いっちょあがりィ」
「翔さん、探偵の癖になんて特技持ってんのよ」
今度は紅香が翔悟にあきれたような視線を送るが、翔悟が意に介する様子はない。
「こちとらどこぞの国家権力と違って、令状持って家宅捜索なんてできないからな。塔に閉じ込められた少女を救い出し、金庫の中の悪事の証拠たちは白日の下に晒してあげる。これもみんな、探偵の仕事なんです。うん」
「……それ、某怪盗のセリフの真似だけどね。ていうか、塔の中の少女って誰よ……」
芝居がかった口調で言う翔悟を無視して、紅香は静馬の家のドアを開けた。中は静馬が死んでから誰も足を踏み入れていないらしく、一年分の埃が積もったままだった。
紅香はそっと中を覗き込んでから、家の中へ上がる。当然ながら、なにもいないようだ。少し警戒心を解いて、一番手近なドアを開いた。
「……あれ?」
そこはリビングルームだった。こちらも床一面に埃がつもり、なにかいる様子もない。が、おかしなところがひとつあった。
「家具が、そのままだ……」
そうだった。テーブルやテレビ、カーペットなどがすべてそのままになっている。近所の噂では静馬の父はそのまま実家に帰ったと言われていたが。家財道具もすべて家と一緒に売ってしまったのだろうか。
だが、その考えを翔悟が打ち消した。
「テレビの台座に、撮りためたDVDが入れられてるな。家具付きってことで売っぱらったにしても、自分で撮ったものをそのまま置いてくってのも妙な話だな」
翔悟の言葉に、静馬がうなづく。
「……父さんは恐らく、僕が死んだ後、実家には帰ってない。何かに巻き込まれて帰ってこられなくなったか、ここにいられなくなってこの家を放棄したかのどちらかのような気がする」
「……なぜだ?」
「父さんは……実家を恐れていた。実家の親類、誰のことも話さなかったし、聞いても答えてはくれなかった。……聞かせてくれたのはただ一つ。『神代の人間には、魔が宿る』」
ぽつりぽつりという静馬に、紅香がはっとする。
「魔が宿る……って、まさか……」
「ああ。今から思えば、邪神のことなんだろうと思う」
うなづく静馬に、翔悟が腕を組んであごを撫でる。
「……となると、怪しいのは親父さんの部屋、か。それはどこだ?」
「父さんの部屋は、地下にあるんだ。父さんは古文書みたいなやたら古い書物をたくさん持ってたから、地下の方が保存するのにいいからって」
静馬の案内で、三人はその父の部屋へと向かう。普通のフローリングの床から、地下へ降りる階段に移るに従い、壁や床の材質が打ちっぱなしのコンクリートへと変わっていく。地下は階段と件の部屋へ続く通路、そしてその部屋のみで、それほど広い空間ではなかった。壁の材質のせいか、それとも地下という位置のせいなのか、奇妙にひんやりした空気が紅香の肌をなめていった。
その部屋のドアを開けると、そこは個人用の部屋というよりは書斎のような空間だった。それほど広くはないが、背の高い本棚が壁一面に並んでおり、蔵書の数はかなりの数だと思われた。
「こりゃ、全部調べるのは骨だな。……なんかヒントでもありゃいいんだが」
「とりあえず、片っ端から調べてくしかないね」
言いながら、紅香はとりあえず手近な本棚を見る。
『日本の土着の宗教』『聖地と呼ばれる場所』『冥界の系譜』……。どうやら宗教に関する本が多いようだが、なんと言うか……正直、ちょっと怪しい感じのものが多い。
その中で、少し気になるタイトルの本を見つけた。『煉獄に住まう者』。ひどく古い本で、表紙の所々が破損している。煉獄……最近、どこかでその言葉を聞いたような気がする。紅香はその本を手に取ってみた。
「あれ?」
ふと、妙なことに気づいた。あまり厚くはないその本には、同じページに数枚のしおりがはさんであった。まるで、絶対にこのページだけは忘れまいとしているかのようだ。
紅香はその本を開いた。
そのページには、罫線の引かれた文章が書かれていた。だが、中身もひどく破損しており、所々、読むことができない。
『その村で信奉されているのは、神や○ではない。天国や地○でもない。煉獄とそこに住○ラプラスの魔という存○だ。これは人がその罪を○う煉獄こそが○なるという考え方からきている』
「ラプラスの……魔?」
これも、どこかで聞いた言葉のような気がした。ごく最近……どこかで……。
「あ……思い出した! ジルだ! あいつがたしか、最期に『ラプラスの魔』って……」
紅香の出した大声に、静馬と翔悟が歩み寄る。
「何か見つかったのか?」
「これ……ジルが最期に私たちに向かって言った言葉について書かれてるの。『ラプラスの魔』って」
紅香の言葉と差し出された本に、翔悟が怪訝な表情を見せる。
「ラプラスの魔……? たしかそいつは物理用語じゃなかったか? 一秒後の物体の動きをもしも、すべて計算できる者がいたら、それは神に近いとかなんとかっていう」
「……とにかく見てみよう。私、よくわかんないから二人で解説して」
「……お前な。なになに……」
『ラプラスの魔は元々、決まった名はなく、邪神とだ○呼ばれ○いた。それは非情なる神であり、どのような軽い罪の者でも、その炎によって焼きつくすためであり、そのためか、西洋のドラゴンのような姿で描かれる』
その一文の隣には、地獄のような場所で、人々に向かって炎を吐き出す竜の姿が描かれていた。
その絵と読み上げた一文に、静馬が反応した。
「……これだ。間違いない」
「静馬?」
「僕は死ぬ直前に、確かにこいつを見た。一瞬だったけれど、間違いなくこいつだ」
その言葉に、翔悟が再び、本のページに目を落とす。
「……おいおい」
そして、絶句した。
『もしもこのラプラスの魔が、何らかの事態によりこの世界に現れれば、世界は遠からず、この者の炎によって焼き尽くされるだろう』
「……………え」
紅香が、小さくつぶやく。
「私の中にいるものが……世界、を?」
額に手を当て、呆然とつぶやく。自分の中にいるものは、そこまで巨大なものだったのか。なら、もしも、自分がなにかしら下手を踏めば、世界が……。
突然のしかかった重圧に、冷や汗が出る。口の中はカラカラで、呼吸は浅い。そのくせ鼓動は早く、膝は震えた。
「紅香……ちょっと休んだほうがいい。調査は、僕と翔さんでやるから」
「……う、うん……」
静馬に指された椅子に、紅香は力なくぺたんと腰掛けた。
「……だめだ。どこを調べても、肝心のラプラスの魔とやらが信奉されていたって村の名前がどこにも載ってない」
静馬が先ほどの本を閉じる。
「うーん、結局ここで手詰まりか……? ま、その村とやらの場所がわかっても、この街からでられなきゃどうしようもねえが……」
翔悟も渋い顔で、腕を組んだ。
二人の様子を、紅香はぼんやりと見ていた。その頭の中は先ほどの本の内容がぐるぐるとまわっている。もしもラプラスの魔とやらがこの世に出れば、世界は焼き尽くされる……。よくよく考えてみれば、いったいどうなればその怪物が復活してしまうのかも、自分はわからない。自分を狙う連中の目的がその復活ならば、奴らから身を守らねばならないのはわかる。
しかし……その存在もやっと分かりかけてきた自分にとっては、どうすれば身を守れるのかがわからない。
――――わからないということは、怖かった。もしかしたら、なにも知らずに、自分がラプラスの魔を復活させてしまうことだってあるかもしれない。その意思の是非に関わらず。そしてそれは……世界の破滅を意味する。
――――もしかしたら、自分というものは、世界にとって、あまりにも危険な存在なのではないか――――?
「……紅香?」
「……え?」
気がつくと、静馬が自分の顔をのぞきこんでいた。
「だいじょうぶ? ……顔色が悪いよ」
「あ、あはははは、だいじょうぶだいじょうぶ! ちょっと疲れちゃっただけだからさ」
両手を振りながら、紅香は作り笑いでごまかした。
「……ならいいけど」
怪訝な顔を見せながらも、静馬が言う。
「あー、だめだ。他にそれらしいことが書いてありそうな本はねえ。これ以上のことは、ここじゃわからなさそうだぜ」
二人から少し離れた位置で本棚を調べていた翔悟が、大きく伸びをしながら呻いた。
「仕方ねえ、学校に戻るか。いつまでもここで本とにらめっこしてても埒があかん」
「……そうだね」
うなずく静馬が、不意にこの地下室への入り口を見た。
「……どうした?」
若干の緊張感を帯びた声で、翔悟が聞く。
「……誰か来る」
「……さすが、いい勘してるねェ」
ぱちぱちぱち、という拍手の音ともに現れたのは、水葉の守護者――――アンセムという男だった。
「……こいつ、いつの間に!?」
反射的に身構えた紅香を、アンセムはまあまあと手で制するジェスチャーをしてみせる。
「落ち着きなよ。やりあうために来たわけじゃーねぇんだ。少なくとも今は、な」
だがその表情には、どこか底の知れない含みがある。
「どういうことよ?」
「お嬢の使いさ。あいつが、いい加減、決着つけようとさ。まったく、血の気の多い女の子ばっかで困っちまうよ、なあ?」
アンセムのそのセリフに、静馬が表情を曇らせる。
「……街がこんな状況だって言うのに、教会の使いは私闘が優先なのかい? 他に優先するべきことが山ほどあると思うけどね」
暗に、事態の収拾が先だという皮肉を、しかしアンセムはつかみどころのない笑顔を崩さない。
「だから、言ってるだろ? 困っちまう、ってな」
「……話にならないな。紅香、こんな話、受けることは……」
「……わかった。水葉は、どこ?」
静馬の言葉をさえぎって、紅香が言う。
「……紅香?」
その瞳には、どこかこれまでの紅香と違う、暗い光が宿っている。
「おいおい、こんな話に乗るってのか? らしくないんじゃないか?」
「翔さん……いいの。行かせて」
翔悟を振り返らず、紅香が言う。その声にかすかに影が落ちていることには、静馬でさえも気づくことがなかった。
水葉のいる場所に案内されたのは、夜になってからだった。
前崎市の郊外にある、公園。木々が植えられ、芝生が敷かれたその広い空間は、普段は人々の憩いの場となっている。しかし、今その場を支配しているのは、殺気。それも、たった二人の少女が放つ殺気だった。
「……よくきたわね、邪神の運び手」
「……………」
静かに言う水葉に、紅香は答えない。感情を見せないその表情は、自身を示したその言葉を反芻しているようにも見えた。
「紅香、どうしたんだ? こんなことをするよりも、街を何とかするほうが先じゃないのか?」
「……………」
静馬の困惑した声にも、紅香は答えない。
「……水葉、あなた……知ってたの? 私の中の邪神が、世界を滅ぼすものかもしれないって」
不意に、鋭い瞳で紅香が水葉を見る。
意外そうに水葉は紅香を見返し、その瞳に対するかのように眼光を強める。
「そういうあなたは、知らなかったのね。自分の中の存在が煉獄の炎の竜……『ラプラスの魔』だと」
「……知ろうとしなかった。ある日、突然、自分の中に現れたそれが――――そんなものだったなんて」
うつむく紅香は、歯を食いしばっているように見える。
その表情に、静馬が戦慄した。
その表情は、見たことがあった。
いや、見たことがあったというよりは、体感したことがあった。
自分の中に宿ったものの恐怖。自分が人間ではないものになってしまったかのような絶望。そしてなにより――――自分が世界を焼き尽くすのではないかという、たとえようのない不安感。
「もしも……もしも、私が死んだら、邪神も死ぬの?」
「そうだとしたら、どうする?」
水葉が、ゆっくりと剣を構える。
「……だとしたら……私は……」
「だめだ! 紅香ッ!」
うろんげな表情で水葉の剣を見る紅香に、静馬が叫ぶ。
刹那、静馬の姿が消え、紅香の表情が変わる。
「……紅香ごと邪神を倒すというならば……」
不意に、紅香が言う。その口調は、静馬のものだった。
「僕を、倒してからにしろ!」
紅香が――――いや、紅香に乗り移った静馬が、腕を異形化させながら、構えた。
「……結局はこうなるのね」
それを見た水葉が剣を構え、駆ける。一瞬でその間を詰めると、駆け寄る勢いのままに剣を振り下ろす。
静馬は両手でその斬撃を受け止めると、即座に剣を振り払う。
「アンセムッ!」
「はいよッ!」
水葉の号令で具現化したアンセムが、距離を取った静馬に光の矢を放つ。
「くっ!」
静馬は反射的に後ろへ飛びのいてそれを避ける。
「そらッ! まだまだッ!」
さらにアンセムは断続的に光の矢を連発する。
静馬は横へ後ろへとなんとか跳んでかわす。
「甘い」
だがその動きを読んでいたのか、そこに水葉が斬りつける。
「なっ!」
完全に虚を突かれた形の静馬だが、仰け反ってなんとか直撃は免れる。が、右腕に鋭い痛みが走る。ちらりとその袖口に目をやると、浅からぬ傷ができているであろう量の血が流れ出ていた。
「……紅香ッ! 聞こえるか!」
出血する腕を押さえながら、静馬が叫ぶ。
「この二人の波状攻撃は僕だけじゃ押さえられない! 紅香も戦ってくれ!」
だが、紅香からの返事はない。体が紅香の意思で動く気配もない。先ほどもそうだった。静馬が水葉とアンセムの攻撃を避けなければ、そのまま彼らの攻撃を受けていただろう。
……間違いない。紅香は、死ぬ気だ。自分に宿った邪神が世界を滅ぼすものと知って、自分ごと消え去ればいいと。
「……紅香ッ! だめだ! それだけは……ッ!」
紅香を説得しなければならない。一度死んだ自分だからこそ分かる。それでは、なにも救われない。
「何を、ごちゃごちゃ言っている!」
攻撃に転ずることのできない静馬に、水葉が迫る。その斬撃を再度かわすが、アンセムの矢が肉薄する。
「くっ、くそっ!」
今度は矢が静馬の頬を斬り裂く。
「いつまでそうしてられっかな!?」
すんでのところでかわす度、二人の攻撃は徐々に適確になっていく。この二人も、紅香と静馬のようにコンビで戦ってきたのだろう。その息はぴったりと合っている。戦いだけに関して見れば、場慣れしている分、静馬たちよりもコンビネーションは上かもしれない。
だが、こちらは今はコンビプレイどころか意志の疎通もままならない。圧倒的に不利なのは、火を見るより明らかだった。
「……守護霊さん。本人は、死ぬことを受け入れているようだけど?」
再び静馬の前に迫った水葉が、剣を突きつける。
「だとしても、それをさせるわけにはいかない」
その切っ先に対抗するかのように、静馬が鋭い目で水葉を見返す。
「紅香……君は、僕に約束を破らせる気なのかい?」
「……え?」
静馬の言葉に、紅香がやっと反応を示した。
「約束しただろう。もう絶対、一人にさせないって。ずっと僕がいっしょにいるからって。君が死んだら、僕も消える。一人では、君の体に封じた邪神の封印はもたない。そうすれば、僕の魂は恐らく、邪神に喰われる」
「そ、そんな!」
焦った紅香の声が聞こえる。恐らく彼女の心も揺れ動いているのだ。自分が死ぬこと。静馬が消えること。そして、邪神の復活。世界の崩壊。なにが正しいのか、自分は何を望んでいるのか、様々な事象の中で迷っているのだ。
「いいかい。そうなれば、邪神の封印も解ける……つまり、君が死んでも、邪神は消えない。むしろ、君が死ぬことで復活するんだ。誰かが犠牲になることでは……何も救われない」
紅香が、息を飲んだ。
「紅香――――僕からも言わせてくれ。僕の体は無くなってしまったけれど、僕も――――もう一人ではいられない。君と一緒に生きていたい。一緒にいたい」
すっ、と、涙が一筋、流れていった。それが紅香のものなのか、今、彼女の体を動かしている静馬のものだったのか。あるいは、紅香と静馬、二人のものだったのか。
「……君が、君だけが……好きなんだ。だから……死ぬなんて、言わないでくれ……っ」
押し殺したような嗚咽とともに、発された静馬の言葉が、紅香の心に刻まれた。その言葉は……紅香がずっと、静馬が生きている頃から、言えなかった言葉だった。
刹那、静馬が動かしていた紅香の体が、自然と動いた。
「……ばか。ずるいよ、こんなときにそんなこと言うなんて……」
紅香の口から発されたそのセリフは、紛れもなく紅香自身の言葉。
ゆっくりと、紅香は拳を構える。うつむいていた視線を徐々に上げていく。
「死ねない……死なないッ! たとえどんな形であっても、愛してる人が側にいるから、死なないッ!」
叫びとともに、目の前に突きつけられた剣を振り払う。その拳の軌跡が炎を上げ、水葉の剣を吹き飛ばした。
「なっ……!?」
すさまじい炎に狼狽した水葉が飛びすさる。瞬時に吹き飛んだ剣へ駆け寄り拾い上げるが、その表情は驚きを隠しきれていない。
「炎を操った……!? 邪神の力を、制御しているの? 乗っ取られることもなく……?」
「紅香……」
静馬が、そっと紅香の体から離れる。その表情はこれ以上ないほどの安堵に包まれていた。
「ごめん、静馬。私……ばかだったね。『一人にしないで』なんて言ったくせに、私の方から一人になるところだった。もう……自分で死を選んだりしないから」
「ああ……僕もだ」
うなずきあうと、二人は水葉に向けて構えなおす。
「さあ……いくわよっ!」
紅香が駆ける。その勢いのまま、水葉に右ストレートを放つ。その拳を水葉は剣で受け止めるが、追い討ちをかけるように炎が襲い掛かる。
「くっ!」
「お嬢っ!」
炎にたじろぎ、バランスを崩す水葉をフォローするように、アンセムが矢を放つ。
「おっと!」
だがそれも、紅香の目の前で静馬がかき消した。
光の矢が霧散する中を紅香が走る。再び右腕を大きく振りかぶり、たたきつけるように振るう。水葉はもう一度それを剣で受け止めようとして――――できなかった。
紅香の拳が、水葉の剣を叩き折っていた。
「そんな……馬鹿なっ……!」
がくり、と水葉が膝を着く。
「お嬢、しっかりしろ!」
宙を漂っていたアンセムが、狼狽した様子で水葉の側に下り立った。
「……勝負あり、だね」
紅香が、静かにその腕を元に戻した。
「ふ……ふざけるな! まだだ! まだ私は負けてない!」
いまだ立ち上がれないまま、水葉が叫ぶ。
「私はまだ……あなたを倒して、邪神を殺すまでは止まれない! あの日の……あの絶望を奴に味あわせるまでは……っ!」
その時、公園内の道路に、一台の車が現れた。翔悟の車だ。
慟哭に任せ、叫び散らしていた水葉が、そこから降り立った人物に、言葉を失った。
「……雪乃、お姉さま」
紅香がその視線の先に目をやると……その言葉通り、そこにいたのは如月雪乃その人だった。
「……………」
雪乃は無表情で、言葉もなく、水葉の前にかがみこむと――――。
バチン。
「……………っ!」
勢いよく、その頬に平手打ちを食らわせた。
「……この、大馬鹿者!」
「お、ねえさま……」
頬を押さえ唖然とする水葉に、雪乃が怒りに満ちた視線を投げつける。
「邪神を復活させて復讐……ですって!? ふざけるのも大概にしなさい! そのために無関係な人を巻き込んでもいいって言うの!? そんなのは復讐でもなんでもない! 一人よがりで自分勝手な、ただの暴力よ! あなたがただ暴力を振るうのを……母様たちが喜ぶとでも思っているの!?」
普段の落ち着いた雪乃の姿はそこにはなかった。その言葉に、水葉ががっくりとうなだれる。
その様子に、雪乃が紅香を振り返った。
「……紅香、学校へ戻りましょう」
「う、うん……」
さっさと歩き出す雪乃について、紅香と静馬も続く。
「……あの子、いいの?」
小さな声で聞く紅香に、雪乃は首を横に振った。
「……いいのよ」
ただ端的に、一言だけのその言葉に、突き放すような冷たさはないように、紅香は感じた。
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