Angel of saivation

 ANGEL OF SALVATION



「……始まった」

 廃ビルから聞こえた轟音を合図に、静馬はビルを回る込むように移動する。

 死霊や怪物に、どうやら考える力はなさそうだ。となれば、単純に翔悟たちが戦っているのと反対側の入り口から入ればいい。

「……よし、誰もいない」

 割れた入り口のガラス戸から、静馬は廃ビル内部に侵入する。中は思った以上に荒れ果てていた。入っていた店が残していったらしいマネキンや、物を運ぶための台車などが無造作に打ち捨てられている。壁、柱、天井などは半ば破壊されており、崩れそうな部分も多々、見受けられる。ただ、破壊した跡が新しいことから、あの怪物たちがやったことだろう。

「とすると、中にもまだなにかいるかもしれないな」

 慎重に、一階をぐるりと回ってみるが、紅香はおろか、敵の姿もない。

「なんとか、紅香の位置が分かれば……くそっ」

 雪乃のように気配を感じることができればすぐにでも紅香のところに駆けつけることができるのに……。彼女を邪神になどさせるわけにはいかない。自分は死んでしまったが、それまでの人生を本当に自分として生きられるようにしてくれた紅香を。邪神などには――――。

「させるわけには、いかない」

 奥歯を噛みしめて、体の底から声を出した。その静馬の耳に、かすかに聞こえる声があった。

『……静……馬……』

「――――っ! 紅香!?」

 今にも消え入りそうなか細い声だったが、それが間違いなく紅香の声だと、静馬にはわかった。

「紅香! どこだ! どこにいるんだ!」

『上……高い……所……空が……見え……』

「高いところ……空……。屋上か!」

 そう思い至った瞬間に、静馬は駆け出していた。エレベーターは止まっている。静馬は全力で階段を上りだす。

 もはや霊体である自分はどれだけ走っても、息が上がることはない。だが、例え肉体があったとしても、心臓がのどから飛び出すまで走ることをやめないだろう。

 生まれた時から、自分は邪神を封じるための人柱だった。神代家には、そういった因果があった。その名の通り、神の依り代となることができる力。それはまた、神を身の内に封じる力でもあった。そのため、自分には普通ではない力があった。

 霊を見る力や操る力、取り込む力。だがそれは、決して初めから自由自在に操れるわけではなかった。そしてそんな子供に、友達などいるはずもなかった。一握りの子たちは何度か仲間に入れてくれようとしたことならあったが、親に言われたのだろう、すぐに静馬から離れていった。

 ――――このまま、ずっと孤独に生きて行くのだと、幼い頃に、すでにあきらめていた。理由も理解できないまま、自分は人の輪の中にいてはいけないのだと、そう思っていた。だが――――彼女は、静馬が物心ついてからずっと抱えていたその思いを、たった一言でぶった切った。

『ばっかじゃないの?』と。

 彼女が言うには、『本当にあきらめてるんなら、なんで私に話すの? あきらめてるんなら、だまってりゃいいじゃない。本当は一人でいたくないんでしょ?』だそうだ。

『だったら素直になりなよ。私が一緒にいてあげるからさ』。そういう彼女に、静馬はうれしく思いながらも、首を横に振った。

『だめだよ、僕と一緒にいたら、君もみんなに無視されるよ』

 そうきっぱりと言い放つことでもう、本当にあきらめるつもりだった。誰にも思いは話さない。たった一人で生きていくのだと。

 だが、その暗く重い決意を、彼女は至極あっさりと、あっけらかんと、たった一言で断ち切って見せた。

『別にいいよ。私、馬鹿だから気にしない』

 そう言って、彼女は笑った。

 そして実際、彼女はそう振舞った。彼女は静馬を一人にしなかったし、静馬と一緒でも、人の輪の中に、彼を引き連れてどんどん入っていった。初めは眉をひそめるものもいたが、紅香に引っ張られるように、自然に話ができるようになっていった。気がつけば、いつのまにか、静馬を無視するというクラスの雰囲気は、完全に無くなっていた。

 そして静馬自身も、他人を遠ざけることを、いつの間にかやめていた。

 ――――過去がどうあれ、そうなってからの自分こそが、本当の自分。孤独を抱えていた頃は、自分自身の存在を認められなかった。だが今は、紅香のためにここにいる自分を認められる。

 そのきっかけを作ってくれた紅香を。短い自分の人生を、本当に自分らしく生きさせてくれた紅香を。

「邪神なんかに……させるわけにはいかない!」

 気がつけば、そこは屋上へと出る扉の前だった。

 静馬は迷うこともなく、その扉をくぐる。

 そこは、営業していた頃は屋上遊園地として使われていたらしかった。動物や、乗り物を象った遊具や、小さなメリーゴーランドなどが、雨ざらしで朽ちかけた姿を晒している。空の光に照らされて、赤く染まったその姿には、もはや在りし頃の愛らしさはない。

「あら……こんなところまで来るなんて、しつこい子ね……」

 不意に、メリーゴーランドの陰から声が響いた。声自体は紅香のもの……だが、それを発したのは、まったく異質のもの。自らを『闇の子』と名乗ったもの――――シュヴァイツェという名の、少女の姿をした闇の精霊。

「……紅香を、返してもらう。お前たちの好きにはさせない」

 いままで発してきた言葉の中で、最も暗く、最も鋭く、そして最も殺意を込めて、静馬が言った。

「あなたにできるの? ただの守護霊ごときが、闇そのものである私を祓えると?」

「祓って見せるさ。この魂をかけてでも……っ!」

 歯を食いしばる静馬に、しかしシュヴァイツェは笑った。

「ふふふふふふ……おもしろい。やれるものなら……やってごらんなさい!」

 刹那、シュヴァイツェが駆けた。紅香のその腕を異形化させながら、静馬にその腕を振り下ろす。

「くっ!」

 静馬は反射的に両手で止める。どうやら異形化した手は、霊体でも関係なく攻撃できるらしい。それを感じた静馬はわざと両腕の力を突然抜きながら、シュヴァイツェの横に回りこむ。

 支えを失ったシュヴァイツェが大きくバランスを崩すのを確認し、そのがら空きの脇腹に掌底を叩き込む。

 だが、その体は微動だにしない。微動だにしないまま、瞳だけがぎょろりとこちらを見た。

 刹那――――。

 静馬の視界が狂った。天と地が逆転し、どこかにぶつかって、止まった。殴り飛ばされたと理解するまでに、少々、時間を要した。

「あなたじゃ……無理。あきらめたらいかがです?」

 嘲りを多分に含んだ笑みを漏らしながら、シュヴァイツェが言う。

「あきらめるわけにはいかないよ。この魂と引き換えてもね」

「……あなたはもう少し、理解の早い方かと思っておりました。どうやら見込み違いだったようです。邪神の力を使う私には、ただの守護霊である貴方が勝てる道理はありません」

 シュヴァイツェの顔から表情が消える。

 対して、静馬は笑った。

「……ふふ、僕は馬鹿だからね。勝てるか勝てないかなんて気にしてない」

 次の瞬間、シュヴァイツェが駆けた。一瞬のうちに静馬の目の前まで踏み込むと、その腹に拳を食らわせる。

「ぐっ……ぶ……!」

「追い詰められて頭がおかしくなったのですか?」

 前かがみになり、静馬はひざをつく。だが、その顔にはまだ笑みがある。

「頭が……おかしいのはそっちじゃないか? 邪神の力を使って……今ので、殺せないなんて……笑わせる……よ」

 息も絶え絶えで言う静馬を、今度はシュヴァイツェが蹴り倒す。

「ぐっ!」

「何を考えているのかまったく理解できませんが、もういいです。終わりにしましょう。その魂、消滅させてさしあげます」

 シュヴァイツェがゆっくりと右手に力を集中させていく。恐らく、炎を使うつもりだ。

「……やめ、ときなよ。火遊びは……君だけじゃそれは使えない。もっとも……君のご主人様だって、使えないのは目に見えてるけどね」

 相変わらず、静馬は笑みを浮かべたままシュヴァイツェを挑発する。その言葉の語尾に、シュヴァイツェの表情が変わった。

「……郁真様を侮辱する輩は、何人たりとも許さない。万死の苦痛を与えた上で、塵も残さず滅殺する!」

 不意に、シュヴァイツェがこれまで以上の速さで駆けた。その右手は、すでに煉獄の炎を纏っている。

「消えてしまえッ!」

 だがその右手が静馬に届こうという時――――彼の姿が、消えた。

「……なっ!?」

「こっちだ」

 静馬の冷たい声が、シュヴァイツェの背後から響いた。と同時に、静馬がシュヴァイツェの後頭部をつかみ、さらにその膝を崩す。完全に意表を突かれたシュヴァイツェは、膝をついて四つんばいの姿勢になる。

「くっ……なにを!?」

「さあて、ね」

 狼狽するシュヴァイツェに、静馬が冷淡に返す。

「この体を滅ぼすつもりですか? この娘も死ぬのですよ?」

「……その必要は、ない」

 静かに言うと、静馬はシュヴァイツェの後頭部から、右手でなにか黒い霧のようなもの――――言うなれば、闇を、取り出した。そしてそれを、無造作に投げ捨てると、紅香の体をそっと横たえた。

「ば……馬鹿な。たったあれだけで……祓われるなど……」

 シュヴァイツェの声がした。先ほど静馬が投げ捨てた闇が、黒服の少女の姿を取っていた。

「……君、挑発されて夢中になりすぎたね。本体が紅香の体から抜けかけていたよ。そうなれば、紅香の体から引っ張り出すのは簡単だった」

「しかし……術式も用具も用いず、私の憑依を祓うなど、それこそ邪神の力を使わねば……」

 狼狽するシュヴァイツェに、静馬が言う。

「……彼女に、邪神の十字架をすべて背負わせるとでも、思っていたのかい?」

 静馬の言葉に、シュヴァイツェがはっとした表情を見せた。

「彼女だけじゃない……僕も、邪神の力という十字架を背負っている。彼女だけに、すべてを背負わせたりしない!」

 きっぱりと言い放った静馬に、シュヴァイツェは鋭い視線を返す。

「おのれ……あきらめはしない。神代の者……私は、あの方を狂わせた神代の者は……許さない……」

 その言葉とともに、シュヴァイツェの姿が霞むように消えていく。

「逃げる気か!」

 その姿に追いすがろうとする静馬だが、さすがにダメージが大きく、体が動かない。

 やがて、シュヴァイツェの姿は黒い霧のようになり、霧散した。

「逃げられた、か……。でも、さすがにちょっとやられすぎた……かな……」

 それを見届けるかのように、静馬はゆっくりと意識を失った。






「静馬……静馬!」

 紅香の声で、静馬は目を覚ました。

「静馬……よかった……」

 目の前には、涙で顔をぐしゃぐしゃにした紅香の姿があった。

「紅香……元に戻ったんだね。よかった……」

 ふうと一息ついて、静馬は微笑んだ。

 その声に、散々泣きはらした顔の紅香が、さらに顔を歪ませる。

「ばか! また無茶したんでしょ! こんなぼろぼろになるまで……なんでいつもこんな無茶するのよ、ばか!」

「そんなにばかばか言わなくたっていいじゃないか。まったくもう……」

 微笑みながら言う静馬に、紅香はうつむく。

「もう二度と……一人にしないで。もう……一人じゃ……一人じゃ、だめなの」

「僕は君の守護霊だ。君を守るためにも、絶対に一人になんてさせない。……絶対に」

 決して触れ合うことができないとわかっていながら、静馬は紅香の頬に手をのばす。静かに、音もなく、その手の間を紅香の涙がすり抜けていった。触れ合うことのできないはずのその手に、その一時、かすかにぬくもりを感じたような気がした。

「……あり、がと……」

 ぐずっと一度、一際大きく鼻をすすってから紅香が顔を上げる。そこにはまだ涙があったが、その表情はいつもの輝くような笑顔があふれていた。

 やがて、静馬がゆっくりと起き上がる。

「さあ、帰ろう。翔さんたちが心配してるよ、きっと」

 その言葉に、紅香は笑ってうなずいた。


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