The trooper
THE TROOPER
紅香たちが水葉をやぶった、その頃。前崎市北部、廃工業地区。
黒いロングコートに身を包んだ男が一人、佇んでいた。
「郁真様」
その男に恭しく頭を下げながら、声をかける一つの影があった。シュヴァイツェというあの少女である。
「例の仕掛けの準備が整いました」
「……そうか」
郁真と呼ばれた男が、静かに言う。その目は、深く暗く、一筋の光さえ差さない深海のような澱みを湛えている。
「邪神が……煉獄の『ラプラスの魔』が目覚めるまで、あとわずかか……。それさえ……それさえ目覚めれば、私の目的は達成される」
その目と同じく、男の声は、すべてのものを拒絶するかのごとく暗い。
「神代の……縛鎖を断ち、その血筋に、復讐の刃を下す……。その時こそ……ようやく私は……忌まわしき神代の名を、捨てることができる……」
「はい……」
夢物語を語るかのような、郁真の鬱蒼とした言葉に、表情もなくシュヴァイツェが答える。だが、その黒い瞳にはどこか、かすかに憧憬の色が混じっている。
「……少々、神経が高ぶっているよ。このような気持ちはお前とはじめて会ったとき以来だ、シュヴァイツェ。覚えているか? あの時のことを」
「……もちろんでございます」
珍しく饒舌な郁真に、シュヴァイツェも少し高揚する。
「あの神代家の闇の牢獄で、貴方様はずっと一人でいらした。暗く永い時を、一人で……。それは私も同じでした。この世に生まれてからずっと一人だった私に、あの時――――貴方様が初めて気づいてくださったのです」
「――――そうだ。私はその存在を隠され、お前はその存在を気づかれず、絶望の澱みに沈んでいる時に出会ったのだ。そして……互いの傷を癒しあった。もう少し……もう少しだ。『ラプラスの魔』さえ目覚めれば、私たちの復讐は成就する……」
暗く響くその声に、シュヴァイツェは薄く微笑みながら、うなづいた。
紅香と静馬が霧ヶ丘高校へとたどり着くと、そこはまるで災害時のようだった。そこかしこに避難してきた人たちがあふれ、中にはケガ人の姿もある。だが、街に怪物が現れるなどという、尋常でない事態のため、混乱はいまだ収まっていないようだ。
「ひどいね……まるで災害だよ」
「ああ……ケガ人も結構、多そうだ」
ざわめく人々の中を、二人は歩いていく。その目に入るもの、耳に入る音、すべてがぴりぴりとした緊張に満ちている。
「紅香! 静馬!」
喧騒を裂いて響く声に目を向けると、そこにはこちらに駆けてくる翔悟と雪乃の姿があった。
「よかった。遅いので心配していたのです」
「ごめんごめん。実は、水葉に見つかっちゃって」
「おいおい、大丈夫かよ」
頭を掻きながら笑う紅香に、翔悟がじっとりとした視線を送る。
「うん、こっちはケガないし、向こうのスキをついて逃げてきたから、あっちも大丈夫。怪我もしてないと思う」
「頭突きかまして、その間にとんずらしてきたんだよね。お説教しながら」
雪乃に言う紅香に、静馬があっけらかんと笑う。
「なんかその言い方、ひっかかる……。私一人でめちゃくちゃ暴走したみたいじゃん」
「違ったっけ?」
「違うわ!」
口を尖らせる紅香に、さらに輪をかけてのほほんと言い放つ静馬。少々緊張した面持ちだった雪乃が、その様子に安堵の微笑みを浮かべた。やはり、姉としては心配なのだろう。
「さて、とりあえずはなんとか凌いだわけだな。問題はここからだ」
不意に、翔悟がまじめな声になって言う。
「とにかく、この街の状況をなんとかせにゃならん。だが、ここまで展開しちまった術式を解除するには……ジルの時と同じようにするしかない」
「術者本人を倒すこと……だね」
静馬の答えに、翔悟がうなずく。
「そうだ。恐らくそれが、一番手早くカタを着けられる。そのためには情報が足りん。奴らが何者か……。それを知らないとな。それもあの時のように、雪ちゃんに見てもらうのがいいだろう。ま……今度の奴はそうすぐに尻尾を出すとは思えないがな」
確かに、前回とは被害を受けた地域の規模が違いすぎる。その術式とやらがどういったものなのかわからない紅香にも、今度は一筋縄ではいかないであろうことは、容易に想像がついた。
「とにかく、俺はまず結界の強化を図る。その間に雪ちゃんに怪しい場所のめぼしをつけてもらう。二人はその間、体を休めていてくれ。本来なら、もう夜になる時間だからな」
「でも……私もなにかできることをしたいよ。怪我してる人もいるし……」
渋る紅香に、翔悟は一つ、息をつく。
「気持ちは分かるが、少しは休まないといざって時に力が出ないぞ。お前にしかできないことだってやってもらうことになるんだからな」
「うん……わかった」
渋々、といった感じで紅香がうなずく。
「よし。俺と雪ちゃんはこれからそれぞれの作業に移る。二人はとにかく休んで体力を回復してくれ」
そう言い残すと、翔悟たちは現れた方向へ戻っていった。
「静馬……」
「ん?」
「休むなら、屋上で休まない? ここにいると、どうしても色々と考えちゃいそうだしさ」
屋上には、誰もいなかった。昔から、紅香は静馬とともに屋上へ来ることが多かった。それは、小学生の頃――――二人が出会って間もない頃からそうだった。特になにをするでもなくぼんやりしてみたり、高校に入ってからはお弁当を食べに来たり。二人がなんとなく日常を過ごすのがここだった。
「ひさしぶりだね。二人で屋上に来るのって」
思わず紅香が言うと、静馬はおかしそうにくすくすと笑った。
「そりゃあ、僕がずいぶん長いこといなかったからね」
「そ、それもそうか」
照れ隠しに、紅香は頭を掻いて笑う。時々、静馬がすでに死んでいることを忘れそうになる。普通に考えてみればとても重要なことなのだが、一年会えなかったことを考えると、話ができるだけでも幸せに感じてしまう。
「ねえ、覚えてるかい? 屋上って言えばさ。初めて会ったのも屋上だったよね」
めずらしく、静馬がそんなことを言い出す。
「……うん。覚えてる。小学校に入りたての頃だったよね」
「そう。最初、僕がいじめられっ子でね。紅香がいじめっ子たちを追っ払ったのが最初だったよね」
静馬が柵にもたれかかりながら、笑う。
そうだ。あれは小学校に入って間もない頃。数人の男子が屋上に上がっていくのを見たいぶかしんだ紅香がその後をついていくと、上級生数人に囲まれて泣く静馬の姿があったのだった。
「あの時の紅香は今にも増して暴走機関車だったね。なにしろ、問答無用で突進してきていじめっ子のリーダーに頭から突っ込んで来るんだもん」
「あははは……って、なによ、暴走機関車って」
笑う静馬に、紅香が頬を膨らませる。
「あの時の紅香のセリフ、今でも覚えてるよ。『弱いものを守ることができるのが、本当の男なんだって、うちの母さんが言ってた!』だもんね。自分、女の子なのにさ」
「そういう静馬の失礼なセリフ、私も覚えてるよ。少し前まで泣いてたくせに、『君は男の子なのに、なんでスカートはいてるの?』って」
ぶうたれる紅香に、静馬はただにこにこと微笑んでいる。
幼い頃から、静馬には普通ではない力があった。当時はそれがうまく押さえられず、奇妙な現象を起こしてしまうことも稀にあった。それがいつしかあることないこと噂となって広まっていた。そのため、友達らしい友達は皆無と言ってよかった。
その彼に唯一、普通に接してくれていたのが紅香だった。孤立していた静馬は、紅香と接するうちに、徐々に学校に溶け込むことができたのだった。もしも紅香と出会っていなければ、自分はずっと一人でいたろうと思う。素直に、彼女に出会えて本当によかった、とも。
だがそれだけに、静馬にはずっと心にひっかかっていたことがあった。
「紅香……ごめん」
「えっ?」
突然の静馬の言葉に、紅香は困惑したようだった。
「君に何も言わずいなくなったりして……ごめん」
紅香の顔は見れなかった。遠く、赤い空を見ながらでなくては、涙が落ちそうだった。
「……許さない」
珍しく重い紅香の声が、静馬の胸に突き刺さった。うなだれるように下を向く彼女に静馬がその瞳を向けた時、紅香がばっと顔をあげた。
「絶対許さないから、罰としてずっといっしょにいること! わかった?」
そして、そう言って輝くような表情で笑って見せた。
「……わかったよ」
つられるようにして、静馬も笑う。
だが、その直後、静馬の笑みが驚愕へと変わった。
「あれ……? 頭が……」
突然、紅香が頭を抱えて、ふらふらとくず折れた。
「どうした? 大丈夫?」
静馬が、思わず紅香の顔をのぞきこむ。その顔色は真っ青で、額には大粒の汗が浮かんでいる。さらに、紅香の腕はあの邪神の形態の時よりもさらに大きく、どくどくと脈打つその鼓動は早い。
これは、どう見てもただごとではない。
「紅香……紅香!」
呼びかけてみても、答えることすらできないようだ。
翔悟か雪乃を呼びに行くべきか、静馬が迷い始めた時――――ふと、紅香が静馬に背を向けて立ち上がった。
「……く……く」
「……紅香?」
怪訝な表情の静馬に、紅香がゆっくりと振り向く。
「そうか……お前がいたんでしたね。あまりに邪神の力がすばらしいので、失念しておりました」
振り向いたその顔は、普段の紅香のものとはまったく違っていた。目は白目の部分が血のように真っ赤に染まり、口元からは小さな牙のようなものが覗いている。そしてなによりも――――さきほど見た、まぶしい笑顔と同じ顔の少女とはとても思えないほど、嘲りに満ちた、歪んだ笑顔。
静馬は確信した。これは、紅香じゃない。さっきまでは確かに紅香だったが、今は違う。邪悪な何かが、彼女にとりついている。
「お前――――紅香じゃないな。彼女に何をした」
これまでにないような、鋭い瞳で紅香だったものを見る静馬に、それは相変わらずの歪んだ笑いを返す。
「くくく……知ってどうするのです? 知ったところで、この少女はもう邪神になるだけです」
「何をしたと聞いているんだ!」
刹那、静馬の怒号とともに、周囲に衝撃が走った。空気がびりびりとした波動とともに駆け抜け、風を巻き起こす。
「ほんの少し……この少女の中の邪神を活性化させただけです。私が憑依することことによってね。あと数時間もすれば、この少女は邪神として復活する」
「なにっ……!」
狼狽する静馬に、紅香にとりついたそれは静かに笑って見せる。
「お前……何者だ」
「私は郁真様の使い魔にして妾。闇の子、シュヴァイツェ=メートヒェン」
静かに名乗ると、それはふわりと手すりの向こう側へと移動する。と同時に、紅香の背中から、こうもりのような翼が出現した。あれも、邪神の力だとでもいうのだろうか。
「少女の守護者……彼女を救いたくば追ってくるとよいでしょう」
その言葉を残し、紅香に憑いたそれは、背中の羽根で赤い空へと飛び立っていった。
数分後、校庭。
「紅香が、さらわれた?」
翔悟が驚きに目を見開いた。
紅香がさらわれて数分後……。静馬は雪乃と翔悟に相談していた。
「しかも、あと数時間で邪神が復活するって……マジかよ」
ぼりぼりと頭を掻きながら、翔悟が呻く。
「とにかく、早く! 雪乃、紅香の居場所を!」
狼狽した様子で、静馬が叫ぶ。
「もうやっています……紅香さんの気配は、速いスピードで西へ向かっています。恐らくは、商業地区です……」
それを聞いた瞬間に、静馬が駆け出した。
「おい、待て!」
「のんびりなんてしてられない! こうしてる間にも……紅香が……紅香が……!」
翔悟の声に、静馬が叫ぶように言う。
その胸の中を、さっきまで微笑んでいた彼女の顔が巡っていた。彼女がいなければ、自分はもっと卑屈な人生を送っていた。彼女が、自分を助けてくれたのだ。今度は……自分が彼女を守らねばならない。たとえ、この魂と引き換えでも。
「誰がのんびりしろなんて言った? 走っていってもまにあわねえよ。……こいつで行ったほうが早い」
そう言って翔悟が取り出したのは、彼の車のキーだった。
「この学校の結界は、恐らくもう大丈夫だろう。俺と雪ちゃんがここに来るのに使った車がある。そいつで行けば十分ほどで着けるはずだ」
翔悟のその言葉に、静馬がうなずき、頭を下げた。
「……お願いします!」
「おいおい、やめてくれ。頭下げられるような柄じゃねえよ。すぐに、車回す。待っててくれ」
数分後、車に乗った翔悟がタイヤを軋ませながら現れた。
「よし、二人とも乗ってくれ! 行くぜ!」
翔悟の声に、静馬と雪乃が車に飛び込んだ。ドアも閉まるか閉まらないかのうちに、校庭に土煙を吹き上げながら、車が発車する。
「ところで、敵はどんな奴なんだ? あのおてんば娘がおとなしく連れて行かれるとも思えないがな」
「そもそも、学校は翔様の結界が張ってあったはず。どうやって侵入したのでしょうか?」
「どうやって入ってきたのかは分からない……。ただ、敵は紅香の意識をのっとったらしい。邪神の力を活性化させることによって」
うなだれながら呻く静馬に、翔悟が疑問の表情を浮かべた。
「もしや……使い魔じゃないか? うちの事務所で襲ってきた」
「そういえば……闇の使い魔って言ってた」
合点がいったという表情で、翔悟がうなずく。
「それで結界をくぐったり、紅香に取り付いたりできたってわけか……くそっ、厄介なのが相手だな」
「どういうこと?」
怪訝な顔の静馬に、翔悟が言う。
「相手は恐らく……人間じゃない。静馬にこういうことを言うのも変だが、霊にもいろいろいてな。お前さんみたいな守護霊に、悪霊に浮遊霊……。これらは普通、人間や動物の霊だ。しかし、それらの他にも霊は存在する。自然霊といわれるものがそれだ」
翔悟が片手でタバコを取り出しながら言う。
「これはわかりやすく言うと精霊みたいなもんでな。木や水、火などの霊だ。ただ、これらはよほどの数が揃わないと霊として存在できない。だから、滅多にお目にかかれないんだが……今回はどうやら例外らしいな」
「そいつは……どんなやつなの?」
「闇の使い魔ってことは、恐らく闇の精霊だろう。こいつは、闇に紛れて忍び込んだり、人に取り付いたりすることができる。また、当然霊体だからな。物理的な攻撃は効かない」
器用に片手でタバコに火をつけながら、翔悟が言う。が、すぐにそのタバコを灰皿に押し付けた。
「……くそったれ!」
その視線が前方に見える、大きな橋に注がれている。それにつられるように静馬が目を凝らす。
そして静馬の目が捉えたのは、まるで橋を封鎖するかのように集まっている怪物たちだった。
「あの橋を渡れなきゃ商業地区には行けねえ……回り道をしている時間もない……」
「翔様、任せてください!」
雪乃が突然シートベルトを外すと、車の天窓から上半身を乗り出した。
「そのまま突っ込んでください! 私が蹴散らします!」
「雪ちゃん、紅香と知り合ってから、ずいぶんクレイジーになったよな!」
野生的な笑みを浮かべながら、翔悟がアクセルを強く踏み込んだ。静馬が思わずつんのめるほどの勢いで車が加速する。
その轟音に、橋を塞ぐ怪物たちも気がついたようだ。その姿は、まさに死霊というべきものだった。骸骨や半分腐った人間……だが、その体躯は人間のそれを遥かに超えている。
「鬼門の死者よ……。それほど地獄の炎から逃れたくば、氷結の地獄を見るがいい!」
雪乃が腕を一閃すると、宙に巨大な氷塊が出現する。
「行け!」
雪乃の叫びとともに、氷塊は一本一本の氷の刃と化し、死霊たちを襲う。放たれた氷の刃は死霊を地に縫い付け、その体を凍らせていく。あるものはそのまま動かなくなって塵へと還り、あるものは地に縛られたまま、悪あがきを続けている。
「これで大方は片付いたのです。塵は塵へ、灰は灰へ、還りなさい」
雪乃が車内に戻ると、静馬が思わずため息をつく。
「まったく……うちの女性陣は怖いね」
「激しく同意、ってやつだな。よし、突っ込むぞ!」
翔悟が再びアクセルを踏み込み、車は死霊たちの屍の間を突破した。その勢いのまま、一気に橋を駆け抜ける。
「翔様……橋のこちら側に、何者かの気配が多数あります。どうやら商業地区側は奴らに占拠されているようです」
雪乃が言い終わるか終わらないかのうちに、道の左右の物陰から、死霊が数体、顔を出す。
「おいおい、まるで戦場だな。この事態を治めたら、勲章でも頂きたいね」
左右にハンドルを繰り死霊の手をかわす翔悟に、雪乃がじっとりとした視線を送る。
「殉職で二階級特進かもしれないですよ」
「……やっぱ柄じゃねぇや」
紫煙を吐き出しながら、翔悟が言う。
「で、どっちに行けばいい?」
「このまままっすぐです。昔、商業地区の中心だった辺りに反応が多数あります。紅香さんのものらしき反応もそこです」
「よしきた!」
もはや高速道路でもこれほどのスピードは出さないだろうという速さまで加速した車は、そこかしこに現れる死霊たちを強引に振り切っていく。
「翔様、反応のある場所が見えました! あのビルです!」
やがて、雪乃があるひとつの建物を指差した。
「あれは……以前あったデパート跡か」
雪乃の指す方向には、周りの建物より一際背の高いビルがあった。しかしそのどこにも灯りは点いておらず、建物自体もボロボロだ。それはかつてデパートだった建物だが、数年前、郊外型のショッピングモールに押される形で閉店。そのまま解体もされずに、現在に至っている。
そのビルの周囲を巨大なこうもりや、翼の生えた死霊、山羊の頭の悪魔など、異形のものたちが飛び交い、咆哮をあげている。すでにボロボロになっている建物自体とあいまって、それは文字通り地獄の様相を呈していた。
「……くそ、周りに敵が多すぎるな。突破は無理か……」
翔悟はなにか考えている風だったが、突然、車を止めた。
「静馬、お前、ここで降りてくれ」
「ここで?」
廃ビルまではまだ百メートルほどの距離がある。
「ああ。俺と雪乃はこれから車で派手に突っ込んで奴らのお相手をする。その間に静馬、お前が紅香を助け出すんだ。作戦なんて呼べないくらいの大雑把な策だが、それしかない」
「でも……あれだけの数を二人で相手するなんて……」
「大丈夫だよ。さっきの橋での雪ちゃん見たろ? もう一発ぶっ放せばいいだけさ。それに……さっきも言ったが、紅香に憑いてるのは霊体だ。俺たちみたいな物理的な攻撃は効かない。目には目を、って策で行くしかない」
翔悟の言葉に、静馬は考えあぐねている様子だったが、やがて大きくうなづいた。
「わかった……その代わり、もし無事に帰ってこなかったら、許さない」
静馬が言うのを見て、翔悟は笑って見せる。
「あたりまえだろ。ったく、お前も紅香みたいなこと言うのな。……そっちこそ、無事にお姫様を救い出してこなかったら許さないぜ、王子様」
強い瞳で、静馬は再びうなずく。
黙ったまま、静馬、翔悟、雪乃の三人は軽く拳をあわせた。
「よし……行くぞ!」
静馬が車から降りたのを確認し、翔悟が急発進した。
「なあ……雪ちゃん」
不意に、翔悟が囁いた。その声は、普段よりもかすかに低い。
「俺って……馬鹿だよな。君を失い……禁呪に手を出し、邪神に復讐しようと見つけ出してみれば、それが憑いた奴らの手助けを必死になってやってる。まったく、どうしようもない馬鹿、だな」
その低い声は、雪乃にはもちろん、翔悟本人さえ気づかないほど小さく、幽かに震えていた。
「そうですよ、馬鹿も馬鹿、大馬鹿です」
雪乃の声は、一見、突き放すような冷たさを持って響いた。だが、次の瞬間、雪乃はその冷たさなど忘れさせてしまうほどの暖かい笑みを浮かべ、言った。
「でも……そんなあなただから、私はいまだ、あなたと一緒にいるのです。そして、そんな私といるから、あなたはその時、正しいと思えることを必死にやってくれるのです。私たちは……きっと、それでいいのです」
翔悟は、珍しく饒舌な雪乃に少々驚き――――そして、笑った。
「……だな、おし。馬鹿は馬鹿らしく、ひと暴れするか!」
その言葉とともに、翔悟は車のタイヤを激しく軋ませながら、廃ビルの前に止まった。
タイヤの巻き上げた砂塵を、さながら舞台のスモーク演出のように纏い、翔悟が車から降り立つ。その右手にはすでに、刀の姿となった雪乃が握られていた。
突如現れたその姿に、怪物や死霊たちが一斉に矢のような視線を向けてくる。
「それじゃあ一発かまそうかい。こっちのバカップルは、一筋縄じゃあいかねえぜ」
正眼に構えた翔悟が、彼を取り巻く怪物たちを鋭く睨んだ。
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