Blood on your hands

 BLOOD ON YOUR HANDS



 火ノ宮紅香は、異常な気配を感じて目を覚ました。

「んん……なに? この感じ……」

 つぶやいて、すぐに思い出す。それは、先日ジルと戦う前に感じた、あの気持ち悪さだ。反射的に覚醒した意識で、ベッドから飛び起きる。

「……紅香」

 ベッドのすぐ脇では、静馬が窓の外を見上げていた。

「静馬、一体何が……」

 言いかけて、静馬の視線の先に気づく。そこには、あの赤い空があった。

「あれ……ジルの時の……」

「ああ……街中があの空に覆われてる」

「え……?」

 困惑する紅香に、静馬が向き直る。

「とにかく……翔悟さんたちと合流しよう。話はそれからだ」

 二人が一階へ降りると、そこには外から戻ってきたらしい翔悟と雪乃の姿があった。

「翔さん……あの空は何? 何があったの?」

「奴らだよ……ジルがやったみたいに、鬼門とこの街をつなげやがった。規模はあの時の比じゃないが……」

「ちょっと待って、てことは、街じゅうに怪物があふれかえってるってこと!?」

 紅香の叫びに、翔悟が無言でうなずく。

「じゃあ……なんとかして他の人を安全な場所に誘導しないと! こんなの……警察やなんかで対応できる事態じゃないでしょ!?」

「わかってる。まずはその『安全な場所』を作らなきゃならん。地震や台風じゃないんだ、ただ避難すればいいってもんじゃない。俺と雪乃は、ここから一番近い緊急避難所――――霧が丘高校へ向かう」

 翔悟の言葉に、紅香が怪訝な顔をする。

「うちの学校に?」

「ああ。そしてそこに怪物が入れないように結界を張る。紅香と静馬は、できるかぎり、人を学校に誘導してくれ」

「わかった!」

 紅香と静馬は翔悟の事務所を飛び出し、駆け出した。

「紅香、まずは駅方面へ向かおう。そっちの方が、多くの人がいるはず」

 紅香は一つうなづくと、全力で走り出した。



 如月水葉は、混乱しきった雑踏の中、ただ一人、微動だにせず、そこにいた。前崎市の中心部である、駅前。そこは普段のにぎやかさが、そのまま阿鼻叫喚へと化していた。

 まるで聖書の悪魔や鳥獣戯画の妖怪のような、人間からしてみれば怪物としか形容できないものたちが闊歩し、まるで夕食のおかずでも物色するかのように、人々を品定めしているのだから。

「……思ったより、早く動いたわね。面倒……」

「まったくだな。奴ら、こっちの目標じゃあねェが、この祭りをほっとくと、教会のジジィどもがまたうるさいぜ」

 懐に隠した剣から響く声に、水葉は幽かにまゆをしかめた。

「……本当に、面倒……」

「でも、やるんだろ?」

「……奴らは一匹残らず、殺す」

 不意に、水葉の目が剣呑な色を帯びた。刹那、水葉は人の目も気にせず剣を抜く。と同時に、そばにいた骸骨のような怪物に駆け寄ると、その剣を薙いだ。それは一撃で怪物の頭を飛ばすと、返す刃で腰骨をだるま落としの要領でたたき飛ばす。バランスを崩してひざをついた骸骨のあばらを、回し蹴りでけり落とした。すぐにその体は崩れ去り、砂塵と化す。

「消え去るがいい、悪魔ども。地獄ですら貴様らには生ぬるいというのに、地上などもってのほか……」

 一瞬で怪物のうちの一匹を倒した水葉に、怪物たちの視線が集まる。その目は、あの日……水葉の目の前で息絶える家族を見つめる、あいつの目。獲物を見つけた、歓喜の目。

「その目で……私を見るなッ!」

 叫びとともに水葉が剣を掲げると、白い閃光が怪物たちを襲う。閃光にふれた怪物たちは先ほどの骸骨と同じように崩れ去っていく。

 怪物たちを屠りながら、水葉はあの日を思い出していた。

 自分の姉が煉獄の怪物たちの餌となった、あの日。

 あの日、姉は……雪乃は、突如として現れた、煉獄の怪物『ラプラスの魔』を封じるために、その居場所へと向かった。幼かった水葉は、姉を心配して、こっそりと後をついて行き……そして、見た。

 姉が怪物たちに食われるのを。

「お前たちは……許さない……」

 狂ったように水葉は怪物たちを斬りつけながら、呪詛のように水葉はつぶやく。

 怪物の真横をすり抜けながら、その首を斬りおとす。そのつめが水葉の頬をかすめ、わずかに肉を切り裂くが、鎮痛剤でも打っているかのように痛みはない。

 痛みの代わりであるかのように、あの日の記憶が再び脳裏を走る。

 姉の死に泣き叫びながら家に逃げ帰った水葉が見たのは、炎を上げて燃えさかる自分の村と、突如として現れた怪物たちに食いちぎられる人々の姿。

「許さない……許さない……許さない……許さないッ!」

 それはまるで覚めない悪夢のように。今もここにある。

 水葉は駆ける。その度に血が飛び、腕が飛び、首が飛ぶ。まるで奴ら怪物にも、自分がかつて見せられた光景を見せてやるといわんばかりに、その剣を振るうたびに、あの日の光景を再現していく。いや、再現などでは生ぬるい。あの日の惨劇以上の地獄を奴ら全員に味あわせてやる。

 すべての怪物たちに、自分が見た以上の地獄を見せてやる。

 すべての怪物たちに、姉が感じた以上の地獄を体感させてやる。

 そのために、水葉はあの日以来、怪物たちを屠る術を学んできたのだ。

「お嬢、そこまでだ」

 水葉の振るう剣が、突如としてその動きを止めた。

「いくらなんでも熱くなりすぎだぜ。らしくねぇんじゃねェ?」

 その怪物たちを屠るための力が、水葉の武器であり、相棒でもある、この剣――――アンセムだった。

「……ええ……。そうね」

 周囲の敵を大方倒していることを確認し、水葉は額の汗を拭った。

 戦いの面だけでなく、精神的な面でも、このアンセムは水葉の支柱であった。一見、優男風の男性に見えるアンセムだが、その正体はれっきとした天使である。ただし、『元』天使――――つまりは、堕天使だが。

 気がつけば、この周囲で立っているのは、水葉一人となっていた。生きている人間はみな逃げ去り、怪物たちもすでに立っているものなどいない。ただ吹く風が砂塵と血を纏い、吹きすさぶのみだった。

 ――――否。

 その血風の向こうに、ただ一人、人間がいた。いや、半人間というべきだろうか。邪神『ラプラスの魔』の力によって生き返った少女。

「――――これ、あんたがやったの?」

 ――――火ノ宮紅香。

「……だとしたら?」

 話している相手は仇とは違うと頭ではわかっていても、どうしても語気が冷たくなる。実際、このまっすぐな瞳をした少女は、たとえ仇とは関係なくとも苦手な部類だろう。

「ここ……たくさん人がいたんでしょう? 他の人を戦いに巻き込んでも、あなたは平気なの?」

 こういうところが苦手なのだ。自分には自分の目的がある。その際に他人の心配などしていては、目的の遂行に支障をきたす。下手を打てば、自分の命すら落としかねない。なのにこの少女ときたら、いつでも他人のことが優先なのだ。周囲に人がいないのは、彼女が誘導してのこともあるのだろう。

「私の仕事は魔を滅ぼすこと。人命の救助じゃない」

 端的に言って放つと、あきらかに紅香は怒りの表情を浮かべた。

「仕事だとかなんだとかの前に、人の命でしょ!? あんただって戦えるんなら、なおさらだよ!」

 そんな言葉は、あの地獄を見たことがないから言えるのだ。家族を殺され、故郷を焼かれたあの記憶の前では、復讐がすべてに優先される。その行動原理自体を否定された気がして、水葉は紅香を睨んだ。

「だまれ! あなたに何がわかる!? そもそも、自分の中にあるものが私の復讐対象だと忘れたか!?」

 水葉はアンセムをぐっと握りしめる。

 そうだ。議論の必要などない。いまさら、目的を違えることなどないのだから。

 それは――――目の前の少女の中に巣くう、邪神を殺すこと。

「なにを言おうと無駄――――私にとっての最優先事項は、あなたを、殺すこと!」

 刹那、水葉が駆けた。瞬間的に紅香の元までたどり着くと、その体めがけて剣を薙ぐ。

「おっと!」

 その斬撃を、静馬が具現化して止める。

「どうしても、やるわけ……?」

「……当たり前。私はそのためだけに今日まで生きてきた……ッ!」

 迷いを見せる紅香に、水葉は吼える。

「この、分からず屋ッ!」

 紅香が握りしめた右腕を水葉に向かって振りかぶる。

「させるかよッ!」

 こちらはアンセムが具現化して紅香の腕を止めた。

 双方とも、がっぷり四つの体勢でつばぜり合いを演じていたが、先に水葉が剣を引いた。そのまますばやく距離を取る。

 わずかだが、アンセムが押されていた。力比べでは分が悪いようだ。

 水葉はそこから剣を空に向けて掲げる。次の瞬間、具現化したアンセムが、先ほど怪物を倒した光の矢を放った。すさまじい勢いで矢は紅香めがけて飛翔する。

 が、紅香のそれに対する反応は驚くべきものだった。紅香は自分に向かって飛ぶ矢をその両手で、つかんで見せたのだ。

「なっ!?」

 普段冷静な水葉の顔に、珍しく驚愕の表情が浮かぶ。

「だあっ!」

 さらに紅香はつかんだ矢を大きく振りかぶり、水葉に向かって投げ返す。

「お嬢っ!」

 思わず固まった水葉を、アンセムが矢を叩き落すことで守る。

「大丈夫かよ? 向こうさん……とんでもねェことしやがる。今日や昨日で戦いに巻き込まれた人間の動きじゃねェぜ」

 さすがに驚きの色を隠せないアンセムが言う。

「どう? あきらめた方がいいんじゃないの?」

 水葉を鋭く睨みつけながら、紅香が言う。

 そのセリフに、水葉は気づいた。あれは……避けられなかったのではない。わざと、ぎりぎりで矢を止めて見せたのだ。恐らく……水葉に、復讐をあきらめさせるために。

「ふざ……けるなっ!」

 水葉が再び駆ける。

 だが、今度は正面からは踏み込まない。前から行くと見せかけて、紅香のパンチをかわして横へ回り込む。そしてそのまま勢いを殺さず、紅香の重心を払った。

「くっ!」

 完全に片足に重心が乗っていた紅香は勢いを殺しきれずに倒れこむ。

「行け!」

 そこに向けて、水葉は矢を放つ。

 が、反射的に紅香は転がって矢をかわした。そしてその勢いのまま、起き上がる。

 その紅香を、水葉は殺意を込めてねめつける。

「私は……あきらめない。私の家族を、故郷を……地獄に変えたものに復讐するまで……絶対に……あきらめない!」

 再び、水葉は紅香に斬りかかる。

 その剣を紅香が両腕で受け止めた。

「だったら、私だってあきらめないから……。あなたがあきらめるまで、私だってあきらめないから!」

 叫びながら、紅香が強引に水葉の剣を振り払う。

「くっ……」

 すぐに体勢を戻そうとするも、向こうのほうが早い。

 紅香は、水葉が構えなおすよりもすばやく、水葉の襟首をつかみ――――。

「うりゃああああああぁぁぁっ!」

 がつん。

 水葉の額に頭突きをかました。

「うあっ!?」

 予想外の攻撃に、水葉が狼狽する。額に額をぶつけてくるなんて、まるで猪の戦いぶりだ。

 思わず反射的に距離を取ろうとして、ひざががくりと落ちる。頭への衝撃で脳震盪でも起こしたか、視界すら定まらない。このままでは――――。焦る水葉だったが、いつまでたっても追撃は来ない。

「殺すなら……殺しなさい」

 いまだ焦点の定まらない目で、水葉は紅香のいるであろう方向を睨みつける。だが、返ってきた答えは。

「言ったでしょ。私は、あんたがあきらめるまで、あきらめない。あんたが、ふざけた復讐をあきらめるまで、ね」

「ふざけた復讐などとッ、お前――――!」

「ふざけてるでしょうがっ!」

 激昂しかけた水葉の声を、さらに鋭く、紅香の声が制した。その激情のこもった声に、水葉は思わず身を震わせて黙った。

「まだ、あんたのお姉さん……雪ちゃんが生きてるのに、生きてる人も大事にできないのに、なにが復讐だ! それよりまず、大事な人と手を取り合うことでしょうが!」

「……あなたに、なにがわかる……」

 いつのまにかうつむいていた水葉は、やっとのことで声を出す。

「わかるよ。私も、静馬が死んだ時は、そうだったから」

「え……?」

 顔を上げた水葉の目には、血風に霞んで、紅香の表情は読み取れない。

「静馬が死んだ時、どうしてなのか……ずっと調べてた。友達に聞いたり、先生に聞いたり。もちろん、それで分かるはずもなかったけど……。もし仮に、誰か一人の人が原因で、それを私が知ったなら、あなたみたいになっていたかもしれない」

 普段と違う、とつとつと話す紅香の真意は、どこかつかめない。

「だけど……それで生まれるのは自己満足くらいでしょ。自己満足じゃ、大切な人を亡くしたっていう心の穴は埋められやしない。これ以上……彼のように、誰かを死なせたりしないことでしか、その心の穴は埋まらない。それが私の戦う理由。だから――――」

 血風の霞の向こうに、遠ざかっていく紅香の背中が見えた。追おうと立ち上がろうとして、再び眩暈が水葉を襲う。

「あなたが、どうしても復讐がしたいのなら、何度でもかかってきなさい。私もあなたの気が済むまで、何度でも付き合ってあげる」

 やがて、その言葉とともに、紅香の背中は吹きすさぶ砂塵の向こうへ消えていった。

「……くっ……!」

 水葉はかれきったのどから搾り出すようにうめき声をあげる。同時に右手の拳を硬く冷たい、コンクリートの地面へとたたきつけた。

「うう……うあああああぁぁぁぁぁっ!」

 置いてけぼりにされた幼い獣のように泣き叫ぶ己を、真っ黒く塗りつぶしていく感情が悔しさなのか悲しみなのか、それとも他の何かであるのか、それは水葉本人にもわからなかった。






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