奇子の村

 奇子の村



「よう。終わったみたいだな」

 車に乗り込んだ紅香に、翔悟が声をかける。

「まあ、なんとか、ね。多分、水葉はもう襲ってこないんじゃないかな」

 その声についほっとして、紅香は表情を緩めた。

「そうか。実はこっちも、進展があってな」

「進展?」

 聞き返す静馬に、翔悟がうなずく。

「ああ。あれからもう一度、静馬の父親の部屋を調べたんだが……父親の日記を見つけてな。例の村の位置がわかったんだ」

「例の村って……邪神を信仰していたっていう?」

 紅香のセリフに、翔悟が再びうなずく。

「ああ。その村の名は……神首村」

「神首村……」

 口元に手をやり、考える仕草をしながら、静馬がつぶやく。

「これから、その村へ向かう。おそらくそこに、今回の事件を引き起こした張本人の手がかりがあるはずだ」

「でも、そこまでどうやって行くの? この街からは出られないんでしょ?」

 腕を組みながら、紅香が言う。

「問題はそれだ。神首村は、ここから百キロ以上の距離がある。まず、出られないだろう。そこで使えるのが……こいつだ」

 そう言って、翔悟が一冊の日記を取り出した。

「静馬の父親の日記だ。鬼門の中でこいつを使う。鬼門の中は、物理的な距離を無視することができる。普通は鬼門から外に出ると、まったく関係ないところに放り出されちまったりするんだが、その際にその場所と強い関わりを持つ場所に出ることができる」

「えっと……つまり……どゆこと?」

 紅香にはよくわからなかったらしく、頭を掻きながらごまかし笑いをする。

「つまり、鬼門をトンネル代わりにするような感じなのです。その日記があれば、それが可能なのです」

 普段の口調に戻った雪乃が、紅香に解説する。

「……わかったような、わからないような」

「ま、とにかくだ。工業地区からつながる鬼門の中で、こいつを使えば、結界を潜り抜けていけるってことだ」

 いまひとつよく分かっていない紅香に、翔悟が言う。

 そうこうしている間に、車は工業地区へと入っていく。

「……あ、ここ……」

 車のたどり着いた場所は、ジルと戦った後に現実世界に戻ってきた場所だ。

「よし、ここだ」

 建物の近くに車を停め、四人は工場の敷地内へと足を踏み入れる。

「それでは、鬼門を開きます」

 雪乃が懐から呪符を取り出し、もう片方の手で印を結ぶ。すると紫色の門が現れ、音もなく開いた。

「気をつけてください。ここから先は鬼門です。魑魅魍魎や悪霊の類が現れてもおかしくありません」

「すごいことをあっさり言うね」

 当たり前のことのように言う雪乃に、静馬は少々あきれ気味だ。

「まあとにかく入ってみようよ。後戻りもできないしさ」

 ゆっくりと、紅香はその中へと入っていく。一歩その中に入った途端、視界がぐにゃりと歪む。一瞬、重力がなくなったかのような感覚とともに、周囲の景色が一変した。

 そこはまるで、崩壊した後の世界のようだった。空も地面も、血のように赤い。ざらざらと乾いた地面がどこまでも続いている、だだっぴろい空間だった。

「ここが……鬼門の中……」

 紅香に続いて、静馬たちが現れる。

「よし、長居は無用だ。さっさと次に行こうぜ」

 今度は日記を取り出した翔悟が、それを片手に印を結ぶ。

 その瞬間、ただの広い空間だった場所に、暗いトンネルが現れた。

「……こいつだな。おいおい、まるで幽霊トンネルだな」

 翔悟の言うとおり、中には灯りになるようなものは何もない。翔悟が懐に手をやり、ライターを取り出す。灯り代わりにつけてみるが、あまり先までは見通せない。

「ま、無いよりゃマシか」

 四人は、翔悟を先頭に進んでいく。トンネル独特の鋭い冷気が頬を切りつけて吹き抜けていく。

「本当に、お化けでも出そうだね」

「もう出てるよ」

「どこに?」

「ここに」

 のんきに言う紅香に、静馬が自分の顔を指差して見せる。

「あ、そっか」

 あっけらかんと笑う紅香に、今度は翔悟が呆れ顔になる。

「地獄の一歩手前にいるってのに、お前らときたら、遠足気分かよ……」

「まあまあ翔様、こうやって陽の気を出していたほうが、陰のものは近寄りづらいでしょうし、いいではないですか。彼らは人の恐怖につけこんできますから」

 にっこりと微笑む雪乃に、翔悟はぼりぼりと頭を掻く。

「そりゃ、そうだが……なんつーか、緊張感がだな……」

「いいじゃん翔さん。笑う門には福来る、だよ」

「地獄でへらへら笑ってたら変態だぞ」

 眉間のしわをさらに深くしながら、翔悟が言う。が、すぐにその表情が緩んだ。

「お、出口が見えてきたぞ」

 その視線の先には、確かに一筋の明かりがある。どうやら、外の光のようだ。

 そのまま5分ほど歩くと、四人は無事に外へ出ることができた。

「ふう、全然たいしたことなかったね」

「ま、強力な半妖と邪神がいれば、そうそう手出ししてくるような奴もいないか」

 ライターの火をそのままに、タバコに火をつけながら翔悟が言う。

「ところでここ、地図だとどのへんになるの?」

 周囲を見回しながら、紅香が言う。あたりは一面、鬱蒼とした緑に包まれ、昼でも薄暗い。舗装された道などはもちろんなく、目を凝らさなければ見失ってしまいそうな獣道があるのみだ。その両脇に乱雑に立ち並ぶ木々は絡みつくツタやコケに覆われており、人の手の入っていない山奥であることは一目瞭然だった。

「前崎から百キロほど離れた、県境の山の中だ。時間と太陽の方角から見て、この獣道の先に神首村があるはずだ」

 そう言って道の先を指す翔悟の指の先には、ツタや枯れ草に絡まれた廃屋がある。

「思ったより、近そうだな」

 その廃屋の元までたどり着いた四人の目に映ったのは、どれもが廃屋と化した十数件の家々だった。それらは急勾配の坂にしがみつくように建っており、そのどれもが半ば崩壊しているように見える。

「完全に廃村なのです」

 雪乃の言うとおり、そこに人が生活している様子はない。

「……ここ、見覚えがある」

 不意に、静馬がつぶやくように言う。

「……静馬?」

「昔……ずっと昔、僕は、この村に住んでいたことがある。おぼろげにしか覚えていないけれど……間違いなく、ここに住んでいた」

 辺りを見回しながら、静馬は険しく目を細める。

「……こっちだ」

 静馬がゆっくりと、しかし確実な足取りで歩き出す。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 紅香はその後をあわてて追いかけた。

 やがて、静馬は村のもっとも高い場所に立つ、大きな屋敷の前で立ち止まった。そこは小さな小屋のような住居がほとんどの村の中でも群を抜いて大きく、豪奢な造りの日本家屋だった。ほとんどの家が半壊しているような中、この屋敷だけがほぼ損傷もなく建っていることからみても、村の有力者の家であることが見て取れた。

「こりゃ、ずいぶんとご立派なお屋敷だな……ん?」

 後からやってきた翔悟が、ふと玄関を見て何かを見つける。それは『神代』と書かれた表札だった。

「どうやらこいつだな。ご丁寧に封印まで施してある」

 翔悟の見る方に目をやると、確かに玄関の戸は奇妙な文字の書かれた札で封印が施してある。村の家々が半壊しているというのにその札だけはきれいなまま、戸に張り付いていたことから、ただの札ではないことがわかる。

「さて、と」

 指して警戒した様子もなく、翔悟がその札に手をかける。

「と、取っちゃうの? なんか出るんじゃない?」

 珍しく紅香が不安げに言う。

「だって、封印なんだから解かなきゃ入れないだろ。なんだ、お前さん、珍しくこわがってんのか?」

 にっと笑って言う翔悟に、紅香は唇を噛む。

「うう……こういう和風ホラーって苦手なんだよう。呪いのお面とか、呪いの市松人形とかが出てきたらどうするのさ」

「んなの出てきたら、そういうのに強い知り合いがいるから紹介してやるよ。……てか、今までだって十分、恐い目に合ってきたろうに」

「殴ってやっつけられる奴は、全然平気なの」

 胸を張って言う紅香に、翔悟はじっとりとした視線を向ける。

「あー、そうですか……んじゃ、剥がすぞ」

 翔悟が札を引き剥がすと、あっさりと玄関の戸は開いた。

「封印されていただけあって、中はきれいなもんだな」

 一番初めに翔悟が中に入り、雪乃、紅香、静馬と続く。

「そうですね。手前が応接間、奥の部屋は書斎なのです。……紅香、しがみつくのは止めてくださいなのです」

「だだだって、まわり中、わわわわ和風ホラー……」

 紅香は、彼女よりも身長の低い雪乃の肩にしがみついて、すっかり縮こまっている。

「しょーがねえな。雪ちゃんは紅香、静馬と一階の探索をしてくれ。俺は二階を見てくる」

 奥に見える階段を指しながら、翔悟が言う。

「……わかりましたです。紅香さん痛いです! しがみついてもいいですけど力抜いてください!」

「……あれだな、お化け屋敷であからさまに怖がってる奴が一人だけいるとまわりが恐くなくなるあの感じ」

 まるでぎこちない電車ごっこのような動きで、紅香たちは書斎に入った。

 書斎と言っても、そこは歴史の古い家らしく、書物は本棚のようなものに収められているのではなく、テレビの鑑定番組に出てきそうな古タンスの中にあるようだ。それも紅香の身長よりも大きなものが少なくとも10個は立ち並んでいる。

「……ううう、やだ。これを調べるの? 絶対、呪いの人形があるよう。呪いのお面があるよう。呪いの鎧兜があるよう」

「……またわかりやすい呪いのアイテムなのです。ほら、手がかりを探しますよ」

 すっかり及び腰で涙声の紅香に、雪乃が言う。

 が、その前に静馬が紅香の前にすっと立った。

「……こっちだ」

 そして、部屋の奥を指す。

「静馬?」

 静馬の後をすたすたと雪乃が、腰の曲がった老人のように紅香がついていく。静馬が二人を案内したのは、古く、大きな鎧武者の前だった。あちこちについた傷は本物の刀傷らしく、その歴史の長さを感じさせるが、さび付いたり破損したりはしていない、堂々とした姿だ。

「ぎゃーーーーー!! 出たーーーーーー!!」

「紅香さんうるさいです! 静馬さん、これがどうかしたのですか?」

 涙目でそっぽを向いている紅香をよそに、静馬がしゃがみこむ。

「鎧の台座の部分を見て。一見、ただの台みたいだけど、引き戸になってる」

 確かによく目を凝らしてみると、台座の繋ぎ目や装飾の一部が不自然だ。

「紅香さん、開けますか?」

「ぜったいやだ!」

「……そうですか」

 渋い顔をしながら、雪乃が装飾をつかみ、引く。するとそれは確かに引き戸になっていたらしく、するりと開いた。どうやら装飾に見せかけたつまみだったようだ。

「……静馬さん、なぜ、わかったのですか?」

「……わからない。ただ、幼い頃に、これを見たような気がしたんだ」

 雪乃が、引き戸の中に手をいれる。そこにあったのは、一枚の古ぼけた和紙だった。

「これは……『代々之神代家之図』。家系図、ですね……」

 雪乃は古い順から家系図を見ていく。そこには時折、記された名前の横に何かの記述が書かれている。それには、所々、奇妙な記述が見られた。

「『第八代霧左衛門、邪神ト接スル』『第十二代佐之吉、邪神ノ一部ヲ得ルガ、ソレ故ニ死ス』……ただの家系図ではないようです。邪神との接触を簡易的に記したもののようです」

 さらに、時代を下って雪乃は調べる。不思議なことに、それはかなり古いものにも関わらず、現代までの神代家の系譜が続いていた。それは、静馬に至るまで。

「『神代静馬、父親である神代刹馬とともに村から逃亡。その後は不明』……」

「……ど、どういうこと?」

 さすがに恐怖から脱したらしい紅香が、家系図を見てつぶやく。

「ちょっと待ってください、これ……」

 雪乃が、さらにその隣にある名前を指し示した。

「『神代郁真、父親である神代刹馬と逃亡を図るが、失敗。跡取りを失うわけには行かぬ故、地下牢へ幽閉』……この人物は、この図上では、静馬さんの兄……となっています」

「そんな……そんなことは、僕は、何も……。兄さんがいたなんてことも……」

 父の謎の行動と、存在すら知らなかった兄。あまりに突然突きつけられた事実に、静馬は呆然とつぶやく。

 そのときだった。

 書斎の入り口から、物音がした。

「……なに?」

 途端に、紅香の表情が剣呑な色を帯びる。その髪と瞳が紅く染まり、腕が異形と化した。

 だが、日も傾きかけたこの時間では、廃屋の中は夜の闇と同じといってもよかった。目を凝らしても物音の主は見えない。

 ただ、翔悟でないことだけは確かだ。あの鬼門のトンネルの中で、彼はとっさにライターを灯りにした。機転の利く彼が、この暗闇の中で手探りで歩き回るとは考えにくい。

 闇の向こうのそれは、荒い息遣いでじりじりとにじりよってくる。徐々に大きくなる息の音で、それがわかった。生きている人間の息にしては、ガラガラという、乾ききったのどを空気がこするような音、ヒューヒューという息が漏れるような音が異常だった。それは、あの殺人鬼、ジルが操る死人たちの息遣いとよく似ていた。

 一気に飛び掛ってケリを着けてしまいたい衝動を抑えながら、紅香はぐっと握りこぶしを作る。相手が何者か分からない以上、下手な手出しは危険だ。

 やがて、それがのっそりと姿を現した。

 紅香は、それが最初、なんなのかわからなかった。

 天井からぶら下がった、なにか乾いたもの。ぼろぼろの布をまとった胴体から、突き出た丸い突起に、三つの空洞。例の息の音はそこから漏れていた。そしてその突起のてっぺんからは、まばらに毛が生えている。

「……かぁみしろ……かみしろのをぉぉ……」

 それが、息の音とともに、しわがれた声を発した。

「かみしろ……にく、いぃぃぃ……」

 それで、わかった。人間だ。ただし、逆さづりにされ、干からびた死人。

「にくいいいいぃぃぃぃぃっ!!」

 突如、死人がこれまでの鈍重な動きを忘れさせるような勢いで雪乃に手を伸ばした。

「危ないっ!」

 反射的に紅香が死人の手を叩き落す。

 死人はまるでサンドバッグのようにぶらぶらと揺れながら、攻撃してきた相手に標的を変えたのか、今度は紅香に手を伸ばす。

「この……っ!」

 しかし紅香は左手でそれをつかむと、死人の体を思いっきり引き寄せる。

「くらえぇぇっ!」

 引き寄せきったところで、空いた右腕をおもいっきり死人にたたきつけた。死人は吹き飛ばされ、いくつかの古箪笥をなぎ倒しながら床に倒れこむと、霧散した。

「ふう……びっくりしたけど……なんだったの? こいつ」

 先ほどまで恐がっていた人間とは思えないほど軽々しく、紅香が言う。

「どうやらこの村と関わりのある亡霊のようですが……これと平気で戦えてどうして鎧武者が怖いんですか」

「んー、鎧武者は殴っても効かなそうだけど、これは殴ったらぶっ飛びそうだったから、かな?」

「……この、紅い暴走機関車……」

 ぼそっとつぶやく雪乃を、そっぽを向いて無視する紅香。

「おい! なんだ、今のクマがマジギレして大暴れしたみたいな、すげえ音はっ!?」

 と、血相変えて駆けつけて来た翔悟をからさらにそっぽを向く紅香。

「紅香がまた大暴れしただけなのです」

「なんだ、またいつものことか」

「……ええいっ! さっきから黙って聞いてれば、暴走機関車だの暴れグマだの、大怪獣みたいな扱いいいかげんにしろぉっ!」

 さすがに無視し切れなかったらしく、紅香がガーガーとがなる。

「……それはいいとして、翔様、気づかれましたか?」

「ああ。まあ、こんなこったろうと予想はついてたがな」

 めんどくさい、と顔に書いてある翔悟の言葉に、紅香がいぶかしむ。

「なに? 何がなんなの?」

「これがな、村中にいやがる。ざっと、60から70はいるな」

 翔悟の言葉に、紅香の瞳が剣呑な色を浮かべた。

「何が起きてるの? こいつら、いったいなんなの?」

「……『神代が憎い』……」

「え?」

 静馬の言葉に、紅香が疑問の声を出す。

「そう言ってなかったか? さっきの死人。さっき見つけた、神代の家系図となにか関係があるんじゃないか?」

「神代の家系図?」

 今度は翔悟が疑問の声を発する。

「ええ、ここで見つけたのです」

 雪乃が翔悟に神代の家系図を渡した。翔悟は眉間にしわを刻みながら、その内容を確かめていく。

「……なるほどな。静馬の兄……か」

「どう思う? 翔さん」

「邪神と神代家との関係がこれではっきりしたわけだ。とりあえず、神代家が今回の事件に関係してるのは間違いないだろう。もう少しこの屋敷を調べれば、新たな事実が分かるんじゃないか?」

 そこで一息置いてから、翔悟は図の『神代郁真』の名を叩いて指した。

「……地下牢、とかな。まずは一階から探そう。普通に考えれば、地下への入り口なら一階にあるだろうしな。さっきみたいな奴がすでに屋敷に入り込んでいる可能性もある。ここからは全員で行動しよう」

 翔悟のその言葉に、四人は一階を一部屋一部屋調べていく。書斎、応接間、食堂……。しかし、地下への入り口と思しきものは見つからない。

「全然なにもないじゃん。本当に地下牢なんてあるのかな?」

「紅香、まだ探し始めて十分も経ってないですよ。大体、地下牢の入り口なんて、簡単に見つかるようなところにあるはずないのです」

 ぶうたれる紅香に、雪乃が呆れ顔を作る。

「確かに、わかりやすい場所なんかにはないだろうが……そうだな、隠されているとすれば……」

 ふと、翔悟が食堂の大きなテーブルの下に敷かれているじゅうたんに目をやった。

「紅香、そっちを押してくれ」

 自分と反対側のテーブルの端を指差し、翔悟が言う。

「ええー、か弱い乙女に肉体労働させるの?」

「……誰がどんななんだって? ボケはいらんから早く手伝ってくれ」

「ムカー! ボケじゃないっ!」

 キレながらも、紅香は翔悟の指して見せた場所を押す。テーブルが動き、じゅうたんがあらわになる。

 翔悟は、薄汚れたそれを、躊躇することもなくめくりあげた。

「……ビンゴ!」

 そこにあったのは、床に埋め込まれた取っ手だった。

「じゅうたんで隠し、その上からさらにテーブルを置いたんだな。なにかの拍子に戸に気づかれても、数人がかりででかいテーブルを動かしてでも中を確かめようなんて、人の家でやる奴はそういないからな。村の有力者の屋敷ならなおさらだ」

 翔悟がゆっくりと取っ手を引くと、隠し戸は音もなく開いた。その中は人一人がやっと通れるほどの階段だった。

「……この下に、本当に地下牢が……?」

 暗く、見通すことができない階段の奥を覗き込み、紅香が息を飲む。

「恐らく、な。行くぞ」

 翔悟が緊張した面持ちで階段の通路へと入っていく。

 紅香、静馬、雪乃とその後に続いていく。

 20メートルほど進んだだろうか。階段は唐突に終わり、その先には、古ぼけた木の扉があった。あちこちがカビのようなものに覆われ、朽ちていることから、相当に古いものだという見当はついた。

「開けるぞ」

 確認するように翔悟が言う。紅香たちがうなずくのを見、翔悟はそっと扉を開いた。

「うっ……カビ臭い」

 途端、扉の奥から流れ込んできた臭気に、紅香は思わず袖で鼻を塞ぐ。まるで何十年……もしかしたら百年以上の間、こもっていたかのような湿った空気が、その場所が長らく封印されていたことを示していた。

 辺りを警戒しながら部屋の中へと入っていく翔悟に、紅香も続く。

 そこは確かに、地下牢だった。穴を掘って逃げ出すことを防ぐためか、壁は漆喰や木ではなく、岩盤でできている。床も同様だ。その床から天井まで、これだけ古い建物で未だ腐食していない、頑丈な鉄格子がはめられていた。

「……これが、その地下牢……。禍々しい空気なのです」

 険しい表情の雪乃に、翔悟がうなずく。

「ああ。しかもこりゃあ……想像以上だな」

 そう言いながら翔悟がライターの灯りを鉄格子の側にかざす。だがその光は牢の全容を照らし出すことはできず、深い暗闇に飲み込まれていくのみだ。

「いったいどこまで続いてやがる……。ついでに言えば、どんなものをここに閉じ込めてたってんだ……」

 翔悟の言葉に、奥を覗き込もうとした紅香の視界の端に、ふと何かが映った。反射的に、その方向を見る。そこにあったのは、その巨大な鉄格子と同じもの。ただ違うのは、それは扉になっており、そして……開いていた。

「翔さん、あれ……」

 開いた鉄格子の扉を、指差す紅香に、翔悟もそれを見る。

「……ここにいたそれは、ここを出て行った、かもしれない……ってことか。中を確かめるしかなさそうだな」

 警戒しながら、四人は地下牢の中を進んでいく。岩盤でできた床が、一歩踏み出すごとにその足音が、どれほど続くとも知れない空間に反響する。その音は再び反響し、新たな足音と重なり合い、まるで未知の怪物のうめき声のように紅香には聞こえた。

 どれほど進んだのか。暗闇の中であることと、警戒しながらの重い足取りであることを考えると、ほんの数十メートルであったかもしれない。ようやく、牢の反対側の壁が姿を現した。

「……これって……」

 そこにあったものに、紅香が思わず息を飲んだ。

 それは、壁にがっちりと固定された手枷と……完全に白骨化した遺体だった。

「こいつは……ヤバそうだな」

「はい。怨念による陰の気が限界を超えています」

 翔悟の言葉に、雪乃がうなずく。その声は普段の彼女のものとはまったく違う、冷え切った緊張感を持って響いた。

「だが、情報源にはなりそうだ。……まあ、夢見が悪くなるようなものしか見れんだろうがな」

「どういうこと?」

 疑問符を顔に浮かべる紅香に、翔悟が胡乱げな視線を送る。

「ほら、あれだ。例の殺人鬼とやりあったときに見たろ。ものの記憶を引き出す術。あれをこいつにかけるんだ」

「ああ、あの再現映像みたいな」

 ぽん、と手を打つ紅香に、翔悟がうなずく。

「よし、みんな下がってろ。手枷とこの遺体から、記憶を引き出す」

 紅香たちが下がったのを確認すると、翔悟は目をつぶり何事かをつぶやく。その瞬間、遺体が妖しく輝く光を放ち、霧散した。


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