依頼013


 開け放った窓から僅かに顔を出したショウはソフトパックからタバコを一本銜え、ジッポで火を点ける。


 フィルターを指先で挟み、深く紫煙を吸い込んで肺の隅々まで行き渡らせると鼻孔からゆっくりとそれを吐き出した。


「…そろそろ1時間だよなぁ…」


「正確には51分だ」


 2名の兵士らしき者達へほとんど有無を言わせず連れて来られたのはこのオアシスの街で一番の敷地面積を誇るだろう屋敷だった。

 ショウが窓から外を見れば眼前にオアシスの静かな水面が広がっている。


「あ、あの…今更なんですが…」


「ん?…あぁ…花を摘みたいなら…」


「ちっ違います!」


 革張りの三人掛けの長椅子の右端へ腰掛けているオルソンが隣の少女のおずおずとした呟きを拾って用足しを進めるも、どうやら違ったようでジャスミンは羞恥もあって頬を紅潮させつつ彼に向かって吠えた。


「居心地悪い、っていうならそれは俺達もだ。とはいえ護衛対象のジャスミンから離れるのは宜しくない。だから連れて来たんだ。心苦しいが我慢してくれ」


 なんとなく心境を察したショウが振り向かずにジャスミンへ頼めば彼女は無言のまま頷き、落ち着かない感情のまま革張りの長椅子へ改めて座り直す。


 彼女は何処にでもいる一般人だ。


 亡くなった両親が経営していたのは宿屋である。

 それなりに内装は整っている上、綺麗好きだった母親の影響もあり宿屋の客室は清潔に保たれていた。

 だが、言葉は悪いが有り体に言ってしまえば所詮は場末の宿屋でしかなく、彼女が腰掛けている革張りの長椅子を始め、各種の調度品で溢れているこの屋敷の応接室には遠く及ばない。


 ジャスミンは慣れない居心地に所在なさげで隣のオルソンへ視線を向ける。


「……こっちにもタバコあるのか…」


 緊張している様子は見受けられず、脚を組んで腰掛けたまま眼前の品質が良い材木で作られた机の上に置かれた刻まれたタバコの葉が詰められた箱を開けて中身を見聞していた。


「…味がどんなもんか気にはなるなぁ…」


「…横にパイプが置いてあるだろう。それで吸うんだろうが……葉巻みたいな吸い方で良かったのか忘れたな…」


 ジャスミンが視線を滑らせ、窓の近くで紫煙を燻らせるショウを見た。

 相変わらず紫煙を燻らせている姿からは緊張などの雰囲気が感じ取れない。


 やがて喫煙が終わったようで彼は根元近くまで短くなった愛煙のタバコを携帯灰皿へ投げ込んだ。そして窓を閉め、長椅子へ戻って来るとジャスミンの隣へ腰掛けて脚を組む。


「…待たされるのはどうも…」


「女を待つのは嫌いじゃねぇけどな」


 両隣へ腰掛けた二人の気楽さに彼女の緊張が僅かながら解けていく。

 慣れない環境に身を置き、居心地こそ悪いが護衛の契約を交わしている二人が緊張している素振りを見せない姿はジャスミンに安心感を与えた。


「…あの…少しお尋ねしても良いですか?」


「…なんだ?」


 その安心感から彼女は長椅子の背凭れへ体重を預けると両隣の彼等へ声を掛けた。


「お二人のお名前は…存じ上げているんですが…なんとお呼びすれば?」


 むしろここまでどうやってコミュニケーションを取っていたのかと首を傾げたくなるが、問い掛ける彼女は至極真面目な表情を浮かべている。


 ふむ、とショウは無精髭が生え揃った顎を擦り、オルソンは両腕を組んで暫し考え込む。


「……好きに呼べ、と言っても困るだろうからな」


「…なら俺の事はオルソンで良いよ。そっちの目付きが怖いのはショウで大丈夫だ」


 異論はないがその目付きが怖いというのは必要か、と名指しされたショウは渋面を浮かべる。


「分かりました。じゃあ…ショウさん、オルソンさん、と」


「応、宜しく」


「…今更だが…宜しく頼む」


 とはいえ、この雇用関係が終われば自分達は彼女の記憶の中だけに生きる存在となる。どれほどの付き合いとなるかは分からないが可能なら良好な関係のまま仕事を終わらせたいと二人は揃って考えた。


「ショウさんとオルソンさんは…傭兵なんですよね? 私、傭兵ってもっと…こう…」


「…怖い印象があったか?」


「えぇ…まぁ…」


 続く言葉を言い当てたショウに彼女が頷いて同意を示す。


「宿に傭兵の方が何度かいらっしゃった事があるんですが…その…あまり行儀の良い方ではなくて…」


 あぁ、と二人は彼女の言に合点が行ったのか無言で頷く。


「そりゃ…一度でもそんな奴を見たら、他の傭兵も似たようなモンだと思うか…」


「誤解だ、とは言わないが…そういう輩は割りと少数派だ。大抵の傭兵は人当たりが良い傾向にある。ただでさえ、そういう世間の印象や認識が多いのが傭兵という仕事だ。余計な敵をこさえないように人当たりは良くするよう努めてる。勿論、傭兵の基準で、だがな」


 弁明になるか分からないがショウは隣へ腰掛ける彼女へ横目を向けながら誤解を訂正するような口振りで告げる。


「そういうものなんですか?」


「まぁ全員が全員そうじゃねぇけど…相棒が言うように人当たりが良い奴等がほとんどかな。仲間内ではそれこそ酷いモンだが赤の他人にはそれなりに気は遣ってるよ」


 一度でも経験してしまうと認識を改めるには相応の努力や時間が掛かるのが人間という生き物だ。

 ジャスミンも二人から似た言葉を投げ掛けられるも納得には及ばない様子でおとがいへ指を当てて首を傾げてしまう。


 その姿を見た二人は気にした様子もなく微かな忍び笑いを漏らす。

 彼等も傭兵という仕事を生業にしてそれなりの年月を重ねている。その間に様々な人種や様々な考えを持ち、様々な主義主張を掲げる人間と出会ったが傭兵という仕事のイメージを映画などのフィクションで描かれるそれと混同している者も相応に居た事は事実である。


 それを殊更強く否定し、認識を改めるよう強制するつもりは毛頭なかった。


 奇遇な事に二人が同じ事を考えていると待機しているこの応接室へ近付いて来る足音や気配を捉える。


 彼等は互いにカンドゥーラの下へ纏っている戦闘服のズボンへ巻いているレッグホルスターに納めている愛銃の握把を握った。


「……そろそろ待ち人がいらっしゃるようだ」


「…つーか遅くね? そして俺らって一応は客なんだよな? 茶の一杯も出さねぇのかな?」


 先方が呼び出しておいてここまで待たせるのはこちらでは無礼に当たらないのか、と彼はオルソンへ同意するように嘆息する。


 だが良く考えれば時間を指定された訳でもない為、そこまで怒るような事でもない、と考えた。


「…金属が擦れる音…」


「…鎧かな?」


 応接室へ歩み寄ってくる足音はひとつではない。

 先程から二人の耳朶を打ち、感じる人の気配から少なくとも10名近くはいる。


 そう察した彼等が握把へ手を伸ばし、不審な動きがあれば即応出来るよう準備していると、ノックもされずに扉が開け放たれた。


「ーー大変失礼した客人。少々込み合っている事があってな。こうして遅参してしまった」


「お気になさらず」


 彼等より僅かに年下ーーショウよりもやや下、ジャスミンからすると少しばかり年上と思われる青年が入室するなり、三人が腰掛ける対面の長椅子へ座りながら謝罪を口にする。


 入室して来たのはその青年だけではなく、ニカブらしき服を纏った肌を全く見せる気配がない女性ーー線の細さからそう察した年頃の女性も入室して来た。


 謝罪には形式通りの返答をし、眼前の長椅子へ腰を下ろす二人へショウとオルソンは併せて軽く頭を下げる。


 頭を上げたショウだったが、ふと眼前に腰掛けた肌どころか顔も見せないよう気を配った服装の女性へ視線を向けたがーー何処かで会った事のある雰囲気を感じ取り、何処で会った事があるのか、と考え始めるのだった。


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